1-02a話:レンデンス誕生1

――五年前。


 リコリスと名乗る前の王妃だった彼女は、誕生したばかりの赤子を抱き、愛おしげに呟く。


「レンデンス。私の可愛い子……」


 これは、彼女が永遠に忘れることのない、息子の生誕にまつわる一連の出来事だ。


「尊き王家の血族に生まれたレンデンスに、愛名マナロゼルヴェルヴェーヌを与えます。愛しい貴方に女神の祝福がありますように」


 母が厳かな祈りを囁くと、神の祝福を受けて赤子が淡い光に優しく包まれた。


「無事に加護を授かれたわ……」


 この国の王家に生まれた者は皆、名とは別に愛名を親から授かることで、女神の加護や様々な奇跡を得る。

 特に女神の加護については、呪詛や毒の無効化だけでなく、あらゆる悪意を撥ね除けることが可能だ。

 女神と敵対し王族の子の命を狙う悪魔の呪いでさえも、防ぐことが出来ると言われている。

 そのため、陰謀渦巻く王家に産まれた子が健やかに成人を迎えるために、愛名を授かることが必須とされていた。


 しかし、愛名は成人に達するまで、己に愛情を持つ者にしか告げてはならない。

 何故ならば、愛名を用いることで加護を破れるからだ。


 王妃も慣例に従い、心から愛する息子レンデンスに末永く健やかであるようにと、愛名ロゼルヴェルヴェーヌを与えた。


「例えこの先、私だけでなく、あなたまでもが陛下から愛されることがなかったとしても……」


 彼女はお飾り王妃と呼ばれ、国王に愛されていない。

 世継ぎを求められて王子を授かることが出来たが、妊娠発覚以降に王が彼女の元に訪れることはなくなった。王は愛する側室の元へと、熱心に通い始めたからだ。


「私は……私だけでも、貴方を愛し続けるわ」


 世継ぎと言えども、レンデンスも王妃の子であるが故に王に愛されないだろう。そう悟った彼女は息子を優しく抱きしめ、自分だけでも我が子を慈しむことを誓う。


「立派な大人へと、成長してね……」


 国王に愛されていない彼女だが、決して周囲に見放されているわけではない。

 王妃の様子を気にかけて時折様子を見にやってくる国王の弟、ヴァレアキントス・フレルブルム公爵もその一人。


「リュンヌ嬢……いえ、王妃殿下」


 公爵が、王妃と産まれたばかりの第一王子レンデンスを祝福するために、母子の部屋を訪れた。


「ヴァレアキントス殿下……あ、いえ。公爵になられたのですよね」

「ふふ。お互い、なかなか慣れませんね。つい以前のように呼んでしまいそうになります」


 若き公爵は、苦笑しながら白銀の髪を軽く耳にかける。


「それに、気を抜くと前と同じように、気軽に話しかけてしまいそうで……」


 以前の公爵は彼女に対して気さくに話しかけていたが、立場上からか以前にも増して礼節を持って接するようになった。

 距離感が増したことに少し寂しさを感じながら、王妃も揃って苦笑する。


「愛名の授与は無事に、終わりましたか?」


 王妃はベッドの上で身体を起こし、レンデンスを愛おしそうに抱いている。

 慈愛に満ちた表情の彼女に対して、公爵は優しい紫色の眼差しを向けて問いかけた。


「ええ、有り難う御座います。貴方が儀式の手法を教えてくれなければ、レンデンスに愛名を与えることは叶わなかったでしょうから……」

「本来は兄上……いえ、陛下が王妃殿下にお伝えすべきことだったのですが……」


 王妃が心から安堵した表情で王弟に礼を述べると、彼は実の兄に向けて不満を漏らした。


「どんな理由があっても、王族の子である限り、愛名の儀式を疎かにしてはいけないと言うのに……」


 溜め息をついたのち、公爵は落ち着かない様子で王妃と王子を眺めていた。

 しばらくすると、彼は決心した表情を王妃に向けて問いかける。


「……王妃殿下。その……私にもレンデンス王子を抱かせて頂けますか?」

「ええ、もちろんです。貴方はこの子の叔父というだけでなく、命の恩人ですもの」

「私は、愛名の儀式をお伝えしただけです。命の恩人と呼ぶほどではありませんよ」

「私にとっては、公爵は恩人ですよ」


 彼女は優しく微笑むと、レンデンスを公爵へと差し出す。


「さあ、ぜひ抱いて、この子を慈しんであげてください。……この子の父は、きっと抱き上げてくれないでしょうから。叔父が抱きしめてあげれば、きっと喜ぶと思います」


 王妃が見せた悲し気な表情に、王弟は引きずられるように辛そうな表情をしてみせた。


「……リュ……王妃殿下……。はい……」


 すぐに気を取り直した王弟が、少し覚束ない手つきでレンデンスを受け取り、落とさないようにとしっかりと抱き上げる。


「この子が、王妃殿下と兄上の子どもなんですね……」

「ええ」


 王弟は赤子を物悲しそうに見つめながら、絞るような声で呟いた。


「……っ。可愛いな……」

「あー」

「よしよし。レンデンス、私は叔父だよ。君の父上の弟なんだ、よろしくね」

「あうー」


 小さな手を伸ばすレンデンスの瞳を覗き込んだ王弟が、優しく微笑む。


「ふふ。王妃殿下と同じ、可愛らしい桃色の瞳ですね。それに藤色の髪はきっと、兄上に似たのですね。王妃殿下の髪は輝くような金色ですから……」

「私の子どもは可愛いでしょう?」

「ええ、とても。……とても、可愛いです」

「ふふ、ありがとう」


 公爵が深い気持ちを込めて王子の可愛さを肯定すると、王妃は自慢の子どもを褒められたことに満面の笑みを向ける。


「どうしてこんなに可愛いのに、兄上は抱き上げてあげようとしないのでしょうね……」

「陛下には、側室がいらっしゃるから……。彼女に夢中なのよ」


 王弟の独り言のような呟きを拾った王妃が、悲しそうに答える。


「兄上は側室に夢中、か。……こんなことなら……」


 公爵は自身が想像した何かを振り払うように頭をゆっくりと振り、レンデンスを王妃に返す。


 王妃は、彼から受け取った息子を優しく胸に抱き上げながら、興味深そうに彼に問いかけた。


「子どもと言えば……。フレルブルム公爵はご結婚されないの?」

「いえ、私はまだ。決心がつかないので……」

「貴方なら、きっと引く手あまたなのでしょう?」

「それほどでも。それを言うなら、王妃殿下も令息たちにとても人気だったんですよ?」

「まあ。そんなことないわ。だって、結婚以前のパーティーでは誰からも声をかけられなかったのよ?」

「それはそうでしょう。誰もが貴女に憧れていましたが、王位継承権第一の位を持つ兄上と早々に婚約されてしまったから、他の誰にも手が出せなかったんです」


 レンデンスが父から継いだ藤色の髪を切なそうに見つめながら、王の弟は小さな声で呟いた。


「そう、誰にも……」

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