聖邪竜ラツィーナ 混沌の姫君

@towofuya

第1話 聖剣士ラツィーナ


 静寂――。その中を足音が通り抜け響き渡る。紫炎で仄暗く照らされる影が、玉座の上で不敵に笑みを浮かべた。

「……レーヴェンを倒したか。」

 彼は静かに、それでいて獣の唸り声のような声で呟いた。

「あぁ、殺した。」

 その人物は足音のように淡々と答えた。

「アードラもプフェートも、シュランゲも殺した。」

「あとはお前だけだ、」

 足音が止み、炎が闇に包まれた男を照らし出す。

「竜魔王、ゼファー……!!」

 鈍く光る銀の鎧、炎に照らされる刃、わずかに揺れるマント。そのどれもが彼の高潔さを示していた。だからこそ、怒りに満ちた形相が際立っていた。

「見事だ、剣聖……シルヴァだったか。実に、実に素晴らしい……!!」

 ゼファーの重い拍手が響き渡る。それは彼にとっては本心からの称賛だったのだろう。だが鎧の男にはそれを理解するつもりはなかった。

「……エーデルシュ様はどこだ。」

 眉間の皺がより一層深くなる。玉座の男が視線を少し上に上げると、勇者は返事を待たずに口を開く。

「殺した、か。」

 勇者は剣を構え、切っ先と眼光が鋭くゼファーへ向けられる。

「いや、あの女は死んだのだ。」

 ゼファーは視線を上げたまま、片手で顎髭を撫でながら答えた。そして、その反対。対となる腕は既に宙を舞っていた。

 鈍く、腐った果実が潰れるような音がわずかに反響する。

「死ねッ!!!死んで詫びろ、ゼファアアアアア!!!!!」

 怒り、憎しみ、悲しみ。全てを込めてシルヴァは剣を振りかざした。





「だからさぁ~、もっと派手な依頼はねぇのかよマスタ~。」

「無いもんは無い。」

 白髭を貯えた細身の男性は淡泊に答える。それを聞いた青年は誰が見ても分かるほどに肩を落とす。

「そう落ち込むなリスタル。今日は討伐依頼があるぞ。」

「本当かっ!?」

 マスターは微笑むと依頼書をリスタルに差し出す。彼はそれを食い入るように見つめると、脱力してカウンターに突っ伏した。

「ゴブリンかよ、ちくしょ~~~。」

「これも立派な魔物退治だぞ。」

 マスターは呆れた様子で依頼書を仕舞いこむ。

「別に魔物を倒したいわけじゃなねぇ!」

 リスタルは勢いよく顔を上げる。

「俺は伝説になりたいんだよ! つえー奴とかデケー奴とか倒してさぁ! 勇者シルヴァみたいに!」

 力強く語るリスタルとは反対にマスターは眉一つ動かさず、静かにティーポットを傾けた。そして大きく息を吸うと、ゆっくりと心情を吐き出した。

「終わったんだよ、リスタル。冒険者の時代は。お前の憧れる勇者シルヴァのおかげでな。」

 リスタルは差し出された紅茶の水面を見つめる。わずかに揺れる水面に映る姿は歪んで見えた。

「でもさ、北の方じゃまだ魔族は活動してるって言うし、都市から遠ければ魔族はいるだろ?」

「ならなぜ倒しに行かない?」

 リスタルはカップに口をつけた。熱くもない紅茶を少しずつ、少しずつと飲む。

「俺は……俺は魔法使いだ。戦うなら前衛の仲間が必要だろ?」

「だけどさ、冒険者は減る一方で集まらないんだよ。兼業してるやつも多いしさ。」

「俺は……、」

 リスタルは言葉を絞り出せず、再びカップの中を覗いた。そこに映るのは、何の変哲もない男の姿だった。

「……いつか仲間が揃うといいな。」

 リスタルはまた紅茶を口にした。


 その沈黙を破ったのはドアベルの音だった。

「いらっしゃいませ」

 マスターはドアの方へ向き直って会釈する。釣られてリスタルも目線をそちらに向けた。

 白銀の鎧と身長の半分ほどの両手剣――、

(剣士……いや、聖剣士か!?)

 剣士の中でも聖教会に認められた者は聖剣士と呼ばれ、法王より特別な武装を与えられる。そしてそれは法王の勅命を受けたという、絶大な権限の象徴でもある。

(なぁ、マスター。あれってさ……)

 リスタルが囁いた瞬間、マスターの拳が脳天を揺さぶる。

(失礼な言い方をするな! 死にたいのか!?)

 リスタルは不満げに頭を擦ると、聖剣士は二人に歩み寄ってきた。ガシャリ、ガシャリと鎧が音を立てる。権力だけではない、確かな力強さを感じさせるその音。二人の間に、いやこの場にいる全ての者に緊張が走る。

 だが、それは威圧とは違う。微かになびく長い金髪、穏やかな眼差し、すらりと伸びた四肢。息をのむほどの美しさが、無作法であってはならないと本能に感じさせたのだ。

「あなたがこの酒場のマスターでよろしいでしょうか?」

「は、はい! 本日はいかがされましたか?」

 あまり感情が表に出ないマスターが明らかに緊張している。リスタルはそれが滑稽でニヤついていると、マスターは後で覚えていろと言わんばかりににらみつけた。

「私は中央聖教会のラツィーナと申します。討伐依頼があればお受けしたいのですが……。」

「申し訳ないのですが……、」

 マスターは先ほど仕舞った依頼書を差し出す。

「あいにく、こちらの依頼しかないのです……。」

 ゴブリンの討伐は冒険者最初の関門と呼ばれている。草食魔獣のような温厚な魔族ではなく、明らかな敵意を持って襲い掛かってくる。殺されるかもしれないという恐怖から怖気づく冒険者は少なくない。

 だが、所詮は低級魔族。ドラゴンやリッチなどの上級魔族を相手にする聖教会にとっては敵としてすら認識されていないだろう。ゆえに、誰もがラツィーナの言葉に耳を疑った。

「良かった~、ちょうどゴブリンを探していたんです。」

 そう言って懐から銀貨を二枚マスターに差し出す。契約金を出すということは本気で依頼を受けるということだ。そして、銀貨二枚という金額は契約金には多すぎる。

「この中に山道に詳しい方はいらっしゃいませんか? できれば案内をお願いしたいのです。」

 酒場が一斉にざわつく。聖教会からの依頼とあれば報酬は弾むだろう。しかし、意図が見えないためか即答する者はいなかった。冒険者というのは警戒心が強いものだ。

「契約金はお支払いします。報酬も全額お渡しします。どなたかお願いできませんか?」

 彼女は酒場を見渡すが、誰もが様子を見合っている状態だった。そして、最初に答えたのはマスターだった。

「リスタルがご案内いたします。」

 マスターはリスタルを指さして契約金を受け取った。

「おいおいおいおい!! 何勝手に決めてくれてんのさ!? 俺は――、」

「探してたんだろう? 前衛。」

「……!!」

 魔法使いは後衛職だ。高い火力と長距離射程で敵を葬り去る。しかし、詠唱に時間がかかるため、距離を詰められると苦しい戦いを強いられてしまう。それを防ぐには屈強な前衛職が必要だ。

「彼女ほどの前衛は二度と現れんだろうな。」

 そうだろう。だが、リスタルは踏み出せなかった。

「この男は魔法使いのリスタル。馬鹿で臆病ですが、腕は確かです。どうか、お供させてやってはいただけませんか?」

 ラツィーナはじっとリスタルを見つめる。値踏みをしているのだろうか。澄んだ瞳は何もかもを見通してしまいそうで、リスタルは目を合わせられなかった。

「左手を触ってもよろしいですか?」

 リスタルが答えるよりも先に、彼女は両手で彼の手に触れた。手甲のせいか彼女の細い指は少し冷たかった。

「なるほど、確かに良い魔法使いのようですね。」

 ラツィーナはリスタルの手をそっと離す。支えの無くなった左手はだらりと落ちて彼の膝を叩く。

「お世辞なんて止めてくれ。俺は……弱いんだ。」

 その瞬間、リスタルの身体が椅子から離れた。ラツィーナは彼の腕を掴み、華奢な身体からでは考えられない程強く彼を引っ張った。



「おい待て! 待って!! 待ってください!!!」

 容易く外へ引きずりだされたリスタルは抵抗虚しく足取りを止めることが出来ずにいた。ただでさえ目立つ聖剣士、しかもその端正な容姿がより一層人目を集めてしまう。今のリスタルはどう見ても連行される悪人にしか見えなかった。

「わかった! 案内する! 山道なら任せてくれ詳しいから!」

 ようやくラツィーナの足が止まる。もっとも腕は掴んだままだったが。

「逃げませんよね?」

 彼女は振り返ってギロリとリスタルを見る。最初に見た穏やかな目とは違う、疑いに満ちた目だった。

「あ、あぁ。逃げない。」

 しばしの間。そしてようやくラツィーナは手を離した。リスタルは肩を回して腕が無事か確認する。

「不思議です。なぜあなたはそんなにも自信が無いのですか?」

「友人の魔法使いが言っていました。良い魔法使いは中指と薬指の付け根にタコができる、と。」

 魔法使いは必ず魔導書を手にして戦う。本来、魔法の発動には詠唱を必要とする。しかし、一瞬が命取りになる戦場において、悠長に呪文を唱える暇は無い。それを省略することができるのが魔法陣だ。そしてそれを魔導書としてまとめることで、魔法使いは高度な魔法を瞬時に使い分けることができるのだ。そして、歴戦の魔法使い程、手に魔導書ダコができる。

「俺は、初級魔法しか使えないんだよ。」

 リスタルはぶっきらぼうに答えた。

「十年やってだぞ? 周りの奴らはニ、三年で中級魔法を使い始めるのにさ。」

「初級魔法しか使えませんじゃあパーティも……組めやしない。」

 彼の口調が少しずつ悲しみを帯びていく。足取りは重くなり、ついには動かすことができなかった。

「自信なんて、持てるかよ。」

 俯くリスタルの目線にラツィーナの足元が映り込むと、頭に優しい感触が広がった。

「やめろよガキじゃあるまいし。」

 リスタルは撫でるラツィーナの手から逃れようと横にずれるが、くっついたかのように彼女の手が追従する。

「私があなたに自信になります。」

 逃れるのを諦めたリスタルの頭が揺りかごのように揺れる。子供扱いなど屈辱だ。だが、何とも言えない心地よさがあった。リスタルはこれを形用する言葉を探し出す。

「……ママ。」

「うぇっ!?」

 さして年の変わらない男から向けられることのないはずの言葉にラツィーナは後ずさった。

「露骨に引くなよ。傷つく。」

「ご、ごめんなさい……。」

 リスタルは息を深く吸いこむ。そして空を見上げて息を吐き出した。

「俺にも母親がいたんだ。優しい人だった。俺が魔法を覚えるたびに褒めてくれてさ……、」

 リスタルは上を向いたまま瞼を閉じた。押し出された涙が線を描く。

「だから魔法使いになったのに……。すっかり忘れちまってたな。」

 ラツィーナは静かに彼の言葉に耳を傾けた。リスタルの心は穏やかだ。だから同情も哀れみも必要ない。そう考えたからだ。

「ラツィーナ、さん!」

 リスタルはラツィーナの瞳に向き合う。目の下が少し赤く腫れている。それでも瞳には涙ではなく、覚悟が満ち溢れていた。

「俺は魔法使いのリスタル! 初級魔法しか使えないが、ロックバードだって倒したことがある!」

「だから……! 俺と……、」

 彼の心に現実が囁く。聖剣士と釣り合うものか。頼まれたのは道案内だろう、と。

「俺と、パーティを組んでくれ!! ラツィーナ!!」

 彼は真っすぐに右手を差し出す。街の喧騒をかき消すほどに心音が鼓動を刻む。この手を取ってくれ。そう強く思う心のどこかに、いっそ払い落としてくれという気持ちがあった。

「答えはあなた次第です。」

 ラツィーナは手を取らなかった。そして背を向けると先へ歩いていってしまう。あっけにとられたリスタルは慌ててその後を追う。

「どういう意味だよ!?」

「実力で示せという意味です。」

 ラツィーナは頭だけで振り向いて笑みを浮かべる。つまり今回の依頼は採用試験ということだ。それを理解したリスタルは指の先まで力がみなぎるのを感じた。だから、早速実力を見せることにした。

「ちょっと待ってくれ!」

「何ですか? 急がないと日が沈んでしまいますよ?」

「道、逆だぜ?」




 二人は険しい山道を進んで行く。木々が揺らめく音、鳥のさえずり、そして甲高い鈴の音が鳴り響いていた。

「なぁ、その鈴外した方がいいぜ?」

 ゴブリンは優れた聴力を持つ。暗い洞窟で生活する彼らにとって、音の情報は視覚以上に重要な要素だ。だから巣穴に入るまでは音を殺して近づくのが定石である。

「奇襲はしません。」

「なんでだ? 戦いは先手必勝だろ。」

 ラツィーナは涼しい顔で険しい山道を登っていく。

「卑怯、だからか?」

 彼女は礼節を重んじる聖教会の剣士だ。だから奇襲や搦め手の類は好まない。リスタルはそう考えた。

「手段を選んでいたら死にます。」

 彼女はさらりと言い放った。リスタルは彼女の容姿から勝手に清い存在だと決めつけていた。だが、彼女は聖剣士。法王に認められた、果てしないほど遠くに存在する人間なのだ。


 わずかに空が日に染まり始めた頃、リスタルは草むらを指さした。無造作に生えている草の中で、やや分け目のある部分があった。

「あれが巣穴だ。」

 ゴブリンは巣穴を草などで隠す。しかし、何度も同じ場所を通るため、どうしても他よりも不自然になる。これがゴブリンの巣穴の見つける目印になる。

「多分もう警戒されてるぜ? 近づいたら先兵がわらわら出てくる。」

「大丈夫か?」

 聖剣士には不要な心配だろう。だが、正面から戦うとことはそれだけリスクを伴う。決して安全ではないのだ。

「リスタルさん。私が鈴を鳴らしたら、その度に一体だけ倒してください。」

「鳴らしたらって……!」 

 彼女の武器は両手剣だ。鈴を鳴らすには腕が足らない。そもそも、そんなことして何の意味があるのか。

 しかし、そんな心配をよそに、ラツィーナは鈴を手に巣穴へと向かった。

「ギィィィエッ! ギィィィエッ!」

 巣穴から五メートルほどまで近づいた瞬間、一斉にゴブリンが飛び出す。瞬く間に散開すると棍棒を振り回して威嚇を始めた。

「かなり多いな……!」

 合計十二体。大きさはラツィーナの背丈の半分にも満たないが、集まれば格上の魔獣だって仕留めてしまう。この数は二人で相手するには多すぎる。

 リスタルの脳裏に撤退という言葉が浮かんだ瞬間、甲高い鈴の音が鳴り響く。

「信じていいんだな!?」

 リスタルの右手のひらに小さな火が灯る。それは徐々に大きな火柱となり、熱波が木々を揺らす。

初級火炎魔法フラム!!」

 それはやがて球状に圧縮されると、彼の腕によって投擲された。

初級火炎魔法フラム!? どこがッ!?」

 火球がゴブリンを捉え爆発炎上する。しかし、ゴブリンが密集していながら、倒れたのは一体のみだった。

 突然の攻撃に茫然とするゴブリン達。そして再び鈴の音が鳴る。また爆炎が上がる。

「ギェッ! ギェッ!」

 ゴブリンは理解した。この鈴の音が鳴ると仲間が死ぬということを。ゴブリン達はいっせいに鈴を持つラツィーナへと襲い掛かる。しかし、パニック状態ゆえに連携の取れていない単調な攻撃。ラツィーナは剣を抜くことすらせず背後に回り込む。そして三度、鈴を鳴らす。

「ギィ……! ギェ……!」

 既に五体のゴブリンが葬られた。このまま戦えば全滅させられることは、彼らも分かっているだろう。それでも彼らは巣穴の入り口へは近づけまいと立ちはだかる。

「勇敢ですね。誰が蛮族と呼んだのでしょうか。」

 ラツィーナはリスタルの方へハンドサインを送る。

「撤退!? 勝てるだろ!?」

 リスタルの意思に反してラツィーナは後方へ下がっていった。

 ゴブリンとの十分な距離を取ると、彼女はリスタルの方へ駆け寄る。ゴブリン達も安全だと判断したのか、一体ずつ巣穴へ戻っていった。

「おい、今回の依頼は討伐だぞ。これじゃあ報酬は貰えないぜ?」

「ですが問題は解決できました。」

 頭上にハテナが浮かぶリスタルを見て、ラツィーナは依頼書を見せる。

「依頼の目的は山道の安全の確保です。討伐依頼ですが、安全さえ確保できれば良いはずです。」

「ゴブリンがいたんじゃ安全じゃないだろ。」

「この鈴があれば問題ありません。」

 ラツィーナは鈴を鳴らしてみせる。

「あのゴブリン達は鈴の音が鳴れば仲間が死ぬと理解しました。これを鳴らして通れば良いのです。」

 いまいち信じられない。リスタルはそんな顔をした。しかし、頭が良くないという自覚があったので、言い返すのは止めておいた。

 顎に手を当てて考えていたリスタルを置いて、ラツィーナは山道を下っていく。リスタルは引っ張られるようにその後を追った。

 疲労だろうか、考え事だろうか、しばらくラツィーナは黙って歩いていった。二人に沈黙が続いた。それを先に破ったのは彼女だった。

「すごかったですね。あなたの魔法。」

「えっ、あぁ。どうも。」

 思いもよらない言葉だった。嬉しいような困惑するような、少なくとも好意的には受け取ることができなかった。

「あれくらいなら中級魔法が使える奴なら誰でもできるぜ?」

「あなたは使えないじゃないですか。中級魔法。」

 リスタルはハッとして息をのむ。

「あなたは立派に魔法使いですよ、リスタルさん。」

「じゃあ――!!」

 認められた。聖剣士に。その喜びが言葉になろうとした瞬間だった。

「ホロロロロッッッ――!!!!!」

 月明りをかき消すほどの強烈な閃光が一筋の線を描く。それは山をケーキの様に切断しながら二人へと迫る。

 言葉を発する時間はなかった。気づけばリスタルは木に叩きつけられ、根元に横たわっていた。

「ラツィーナッッッ!!!!!」

 ぼやける視界の中で彼女を姿を捉える。幸いにも彼女は無傷だった。その手には金色に煌く剣が握られている。

「敵は……!!」

 リスタルは光線の放たれた軌道を辿る。ずいぶんと距離があるが、はっきりとその正体を目にした。

 それは蛇のように揺れ蠢き、骸骨の様に細白い体躯が月明りで眩く映し出される。飛べるとは思えぬ、骨だけの翼。アンバランスな腕。

「……ドラ、ゴン……なのか……!?」

 その竜は顎を大きく開く。疑問に答えるためではない。口元に星のような小さな光が生まれる。それの輝きが一等星すらも超えた瞬間、点は線となってラツィーナに降り注いだ。

 土が、岩が溶け、マグマのように赤く燃える。

「ラツィーナ……!!」

 死んでなどいない。そう信じたくとも、あれでは骨すら残らない。確証は得られない。

 再びの閃光。天からではない。地上からだ。

翔ける輝きの剣シュトラールッッッ!!!!!」

 残像がもう一つの線を描く。

「ホロロアアアァァァァァ!!!!!!」

 右翼を切断されたドラゴンは悶えながら墜落する。その細身な体躯からは想像できないほど、衝撃と轟音、土煙を上げて地面へ叩きつけられた。

「これが……聖剣士か……!!」

 リスタルは加勢しようと木を頼りに立ち上がるが、無用な心配だったようだ。

「撤退してください! 歩けますか!?」

「あぁ……!!」

 足が震える。痛みと恐怖が体を支配する。それでも、せめて足手まといにはなるまいと強がってみせた。だが――。

「ラツィーナッ!!!」

 昼と見まごうほどの光が二人を包み込んだ。

「あ゛あ˝ぁ˝ぁ˝く˝ぅ˝ぅ˝あ゛ッッッ!!!!!」

 リスタルは反射的に防御魔法を展開した。防ぐことなどできるはずもない攻撃。突き出した右腕は火傷で爛れ、血が滴り落ちる。それでも消し炭にならなかったのは、ラツィーナが前に立って防御魔法を展開したおかげだった。

 しかし、彼女も無事ではない。左腕の鎧は失われ、彼女の白い肌が血に染まっていた。

「「ホロロロロロッッッ――!!!!!」」

 勝ち誇ったかのように、二体のドラゴンが奇妙な咆哮を上げる。攻撃を受ける瞬間にリスタルが目にしたのは、切断された翼が再生し、もう一体のドラゴンになる姿だった。

「逃げるぞラツィーナ!! 次は防げないッ!!」

 しかし、彼女の目は虚ろで動こうとしない。そうしている間にもドラゴンに光が集つまっていく。

「……っ!! クソッ!!」

 埒が明かないと魔導書を閉じて、彼女の腕を掴もうとした。

「――死する運命、」

 彼女がそう口にした瞬間、リスタルの背筋が凍った。それは伝播して指先も、瞼すらも動かすことを許さない。心臓を鷲掴みされたかのような恐怖。

 そして彼女の左腕。露わになった白い素肌は赤から黒へ、鋭い鱗に覆われて変貌する。

「「ホ、ホロロッ……!!」」

 得体の知れない黒鱗の腕。ただ一つ、先にあるものが死だということを否が応でも理解させられる。今のラツィーナは死そのものだ。睨まれたが最期、命は無い。

 ドラゴンは慌てて踵を返す。しかし、一方のドラゴンはこちらへ向かってきた。生かしてはおけない、殺らなければ殺られる。逃走とは真逆、闘争の生存本能だ。

「ホロロロロロッッッ――!!!!」

 目を焼くほどの閃光が放たれる。木々など盾にすらならず、一直線に二人の元へ迫る。

「――初級火炎魔法。」

 ラツィーナの左手から火球が放たれる。瞬く間にそれは閃光に飲み込まれてしまう。ドラゴンの光線は上級魔法すらも上回る威力だ。これは当然の帰結。の、はずだった。

 腹の底がひっくり返るほどの轟音。光、衝撃、土煙。その全てが視界を完全に奪い去った。

 リスタルは目を擦り、瞬きを繰り返した。そしてようやく手にした視界には、全身が燃え、線香花火のように落ちるドラゴンの姿があった。

「……倒した、のか……!?」

 安堵。これで助かった。そんな気持ちは一瞬で引っ込む。

「……ラツィーナ……お前は、お前は何者なんだ……!?」

 リスタルは魔導書を構える。無論、勝てるなどとは思ってない。それでも、わずかな安心を求めてそれを手にした。

「……撃てばいいじゃないですか。」

 なびく金髪の隙間から瞳が覗く。その蛇のような眼には慈愛などかけらも無く、獲物を狩る獣そのものだった。それでもリスタルに牙をむくことはなかった。

 リスタルは後悔した。我が身可愛さに、命の恩人に武器を構えてしまった。おそらく彼女が最も嫌う対応だろうと気づいてしまった。

 だがリスタルは動けなかった。言葉さえも出ない。何を伝えようとしても逆撫でしてしまうような気がしたからだ。

 そんなリスタルを横目にラツィーナは山道を下る。一歩、二歩と、彼女はリスタルから遠ざかっていく。彼は考えた。必死で考えた。彼女を引き止める言葉を。

「……待ってくれ、ラツィ……!!」

 だが思いつくよりも先に去ってしまうだろう。そう思って追いかけようとするも、意識が遠のいて足がもつれてしまう。彼の肉体は既に限界だった。そして下りの山道。重症の彼が受け身も取れずに転倒すれば命に係わるだろう。

 だから、ラツィーナは彼を受け止めた。

「……ごめん、なぁ……。」

 彼女の胸に抱かれ、声を精いっぱい振り絞る。そうしなければ一生後悔し続ける。そう思ったからだ。




 差し込む光が彼の意識を呼び覚ます。ドラゴンの閃光とは違う、温かなお日様の光だ。

「……どこだ、ここ?」

 リスタルはベッドから身体を起こす。わずかに痛むものの、ほとんどは治癒魔法によって治っているた。

 すぐそばの窓から外を覗く。そこには見慣れた街が広がっていた。それで彼は合点がいった。ここは教会の病室だ。

 リスタルは大きく深呼吸をして、生きている事実を噛みしめる。

「ラツィーナに感謝しなくちゃな。」

 その名を口にした瞬間、焦燥感が胸の内で爆ぜた。最後に見たあの顔が脳裏に浮かぶ。彼女はもうリスタルの前には現れないだろう。

 彼は弾かれるように病室を出た。当てはない。もうこの街にはいないかもしれない。それでも駆けずにはいられなかった。


「マスタァァァァァアアア!!!!!!」

「うるさい。」

 リスタルがあてにしたのは酒場だった。ラツィーナはゴブリンの討伐依頼を受けている。ドラゴンの件があるとはいえ、一応の結果報告に来たはずだ。もしかすれば足取りが掴めるかもしれない。

「マスター!! ラツィーナは来たか!?」

「あぁ、来たよ。」

「いつ!?」

「三日前だ。」

 あぁ、終わった。リスタルの心身から力が抜け、しぼんだ風船のようにへたり込む。

「ほれ、報酬金だ。」

 リスタルの目の前に銀貨が六枚並べられる。今回の依頼の全額分だ。ラツィーナは一枚すら受け取らなかったようだ。討伐しなかったことも問題なかったらしい。リスタルは一枚ずつ、力なく財布袋にしまい込んだ。

「リスタル。」

「なんだよ……?」

 リスタルはいつものようにくだらない話をする気分ではなく、露骨に気の抜けた返事をする。だが、マスターは真剣な面持ちだった。

「お前はまだ冒険者を続けるのか?」

「なんだよ急に。」

 リスタルは少し考えて答えた。

「続けるよ。今まで通りな。日銭稼いで、食って遊んで、金が無くなればまた稼ぐ……。」

 投げやり気味に語りだした言葉は徐々に小さくなって消えた。別にこの生活が悪いわけじゃない。悪いわけじゃないが、何かが足りていない。

「マスター。俺さ、褒められたいんだよ。なんでもいい。とにかく褒められたい。」

「そうじゃないと俺は俺を認められない。自信が持てない。情けない話だろ?」

 リスタルは笑われるだろうなと思い、わざと自虐気味に話した。でもこれが彼の本心だった。

「いいじゃないか、それで。」

 マスターは相変わらず無表情だったが、その声には優しさが込められていた。

「俺だって作った飯が褒められれば嬉しいし、マズイって言われたら自信を無くす。当然のことだ。」

「お前はどうやって褒められるつもりだ?」

 褒められたければ、褒められることをすればいい。単純な話だ。そして、より多く褒められたければ、より多くの人の助けになればいい。

「俺は北に向かう。あっちはまだ魔族との戦闘があるし、困ってる人も多いはずだ。」

 その言葉を聞いて、初めてマスターはニッと笑って見せた。

「なら、強い前衛が必要だろ?」


 リスタルがたどり着いたのは街の宿屋だった。古い建物のようだが手入れが行き届いており、老舗の風格を漂わせている。

 重い扉の先にはカウンターがあり、受付の女性が立っていた。

「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?」

「いや、宿泊じゃないんだ。ラツィーナっていう女性に会いたいんだけど……、」

 リスタルは事情を説明すると、確認を取ると言われて少し待った。受付の女性から部屋番号を教えて貰うと、会釈をしてその部屋へと向かった。

 ギシリ、ギシリと軋む階段を昇りながら、考えを巡らせる。通してもらえたということは、パーティを組んでもらえるということなのだろうか。それともドラゴンの件で何かあるのか。攻撃しようとしたことを怒っているだろうか。

 一段昇るたびに、期待よりも不安が大きくなっていく。

 答えは出ないまま、部屋の前へとたどり着く。ノックをしようと上げた腕がぴたりと止まる。一度深呼吸をすると、その扉を叩いた。

「はい。」

 間違いなくラツィーナの声だった。足音が扉越しに近づいてくる。リスタルはもう一度息を整えて扉が開くのを待った。

 彼を出迎えたのは聖剣士ではなかった。鎧も剣も携えていない、一人の女性がそこにいた。窓から朝日が後光の様に照らし、淡い金髪が白銀に輝く。あの夜の姿からは想像もつかない。

 リスタルは部屋に招かれ、椅子に腰掛ける。ゆっくりと沈み込む適度な反発が良質な物であると教えてくれる。

 ラツィーナは二人分のティーカップを背の低いテーブルへ運ぶと、対面のベッドに腰掛けた。

「げ、元気か?」

 いきなり本題というわけにはいかない。彼女も治療を受けただろうが、かなりの傷を負っていた。しかしそれは建前で、リスタルは本当は答えを聞くのが怖かった。

「ええ、もう大丈夫です。」

 ラツィーナは軽く左腕を回し、手を何度か握って見せた。

「ならよかった。」

 大して意味のない会話だ。もちろん彼女の無事を知りたかったのは事実だが。

「決心がついたんですね。」

「……なんの話だ?」

 ラツィーナはカップに口をつけた後に続ける。

「勇者になる決心です。」

「なんでそれを……!」

 リスタルが勇者シルヴァに憧れを抱いているという話は親しい仲の人間しか知らない。初級魔法しか使えない彼が勇者になるなど、笑い話にしかならないからだ。

「マスターからお願いされたんです。」

「もしリスタルさんが目を覚まして旅に出る決心をしたら、一緒に連れて行ってほしいと。」

 リスタルの頭の中にマスターの姿が思い浮かぶ。いつも無愛想で手厳しいが、親身になってくれていた人。勇者になることを笑わなかった人。

「あの人ってやつは……!」

 彼の目頭に熱い物が込み上げてくる。毎日というほど顔を合わせているのに、無性に会いたいという思いが溢れ出した。

 ラツィーナはそれを微笑ましく感じるが、表情を引き締める。

「ただし、パーティを組むのは王都までです。ドラゴンの出現で事情が変わってしまいましたから。」

 結局、あのドラゴンのうちの一体は取り逃してしまった。あれほどの魔族を放置するわけにはいかないのだろう。

「分かった。契約成立だ!」

「ただ、一つ言わないといけないことがある。」

「……なんでしょう?」

 リスタルからも条件があると思ったのだろうか。ラツィーナは少し考えるように手を口元に寄せて言葉を待った。

「俺はお前を撃たない。」

 リスタルは真っすぐ右手を差し出した。ラツィーナはその手をじっと見つめる。理由はどうであれ、一度は背後を撃とうとしたのは事実。今後の信頼関係を築くためにも清算しておかなければならない。

「そうだといいですね。」

 二人の手が重なり合った。

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