第9話 訪問したら仲良くなった。
家は豪邸と称しても過言ではなく親子三人で暮らすには広すぎると思った。
私の家も大きいと思ったけど段違いだよね。
正面の先輩の家が普通の民家だと思えるよ。
「気にせず入ってくれ」
「お邪魔します」
すると下野君が靴下を脱いで素足になった。
(廊下を靴下で歩いたから?)
私をリビングに案内するとキッチンでお湯を沸かして弁当箱も取り出して洗っていた。
「ソファに座って寛いでくれ」
「失礼、します」
室内は豪華な調度品など無く質素だった。
それこそ違和感が大いに仕事をしていた。
リビングへと向かう廊下も奇麗に掃き清められていて塵一つ落ちていなかった。
(家政婦さんでも居るのかな?)
こんな豪邸なら居ても不思議ではないし。
しばらくすると下野君がお盆を持ってきた。
「ハーブティーを淹れてきた。これで少しは落ち着けるだろ。焼き菓子はパウンドケーキな」
「い、いただいても?」
「気にせず食べてくれ」
「うん。いただきます」
下野君も私の正面に座ってパウンドケーキを食べ始めていた。パウンドケーキを恐る恐る口に運ぶと、とっても美味しかった。
(上品な甘さだ。それにモッチリとして歯ごたえもあって。ドライフルーツが良い味出して)
ハーブティーも香りが良く落ち着いてきた。
校内での出来事がバカバカしくなるほどに。
「このケーキ、何処で買ったの?」
「これは買ってないぞ。俺の手作りだ」
「て、手作りなの?」
これが手作り? お店に並んでそうだよ。
私でもここまでの焼き菓子は無理だよ。
下野君はきょとんとする私を一瞥しつつハーブティーでパウンドケーキを流し込む。
「俺は甘い物が苦手だからな。甘さ控えめの焼き菓子が欲しかったから自分で作った。勉強中は小腹が空くからそれを解消したかったんだ」
「そうなんだ」
下野君も男の子だもんね。
沢山食べても小腹が空くと。
私も勉強中は小腹が空くもん。
チョコ菓子を家に常備するほどに。
「それに今日は賄いが食えないからな。今のうちに腹を満たした方がいいと思ったんだよ」
「そうなの?」
それは初耳なんだけど?
「なんでも急な予約が入ったらしい。材料が限られてくるから適当に腹に入れてきてくれと言われたんだ。先輩も学食で食べてくるってよ」
「それで?」
私を誘ってケーキを提供してくれたと。
パウンドケーキなら腹持ちもいいもんね。
パウンドケーキの残りも平らげると、
「そろそろバイト行くか」
「うん。ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
下野君がソファから立ち上がり皿などの片付けを行った。その間の私はスマホを取り出して通知欄にげっそりしつつ見なかった事にした。
「落ち着いたと思ったらこれだし」
ここで開いて既読スルーしたら面倒だしね。
すると戻ってきた下野君が問いかける。
「まさか、彼氏疑惑か?」
「どうなんだって、しつこくて」
「そうか」
下野君は鞄を背負いつつ思案する。
自分の行いが招いたとか思ってそうだね。
でもこれは巻き込んだ私が悪いのだけど。
直後、何か思いついたのかボソッと呟いた。
「それなら、いっそのこと本当にするか?」
「はい?」
これはどういう意味?
「利用してやればいい。
利用? 平凡? 非凡だと思うけど。
私は下野君の言葉の意味が理解出来なくてソファから立ちつつ問いかけた。
「いやいや、一人で理解しないで。何が言いたいの?」
「あ、すまん。俺を野郎共の虫除けに使ってくれたらいいって事だよ」
「む、虫除け?」
「一人に絞ったなら落ち着くだろ? 野郎共が行うくだらない椅子取りゲームが」
「まさか、それで?」
「不本意だとは思うがな」
戸惑った私は提案を受けて悩む。
これはある種の下野君の自己犠牲だ。
私を助ける名目で利用してくれという。
(そんなことされたら下野君にお礼しないといけないじゃない。ただより高いものはないし)
すると下野君が私が行う礼を提示した。
「その代わり、各教科。前半のノートを貸してくれると有り難い」
「ノート?」
「そうだ。夏期休暇の補習は避けたいからな。俺は板書さえ出来れば助かるから」
「それだけでいいの?」
「お互いにWinWinでないと意味が無いだろ。上坂さんは告白、俺は補習回避だ」
なるほど、それなら私でも返せると思う。
中間考査前のノートなら家にあるし。
安堵した私はボソッと呟いた。
「てっきり身体で返さないとって思ったよ」
「性格は好みだけど身体は求めてないよ」
「え? こ、好みって?」
「なんでもない」
「好みって?」
「なんでもない」
そっぽを向いた下野君は耳が真っ赤だった。
下野君の好みって私みたいな性格なんだね。
何か嬉しいかも。外見以外を示してくれて。
「そういう事なら、お願いしようかな?」
「そうか。よろしく、
「うん!
§
上坂を俺の家に連れて行き、賄い代わりのケーキを振る舞った。それは店長からの連絡で急遽だが披露宴の予約が入ったからだ。
喫茶店で披露宴を行うのは何事と思うが、
(喫茶マリアージュって名前が原因だよな?)
店名から挙式を行うレストランだと勘違いする客がたまに居るのだとか。今回も勘違い客からの予約が入って貸し切りになったそうだ。
(お陰で裏メニューが大盤振る舞いになるな)
それは裏メニューという名のコース料理だ。
この日だけは俺も厨房に入り浸りとなる。
そんな中、ソファに座る上坂が問い合わせのメッセージに顔をしかめた。
理由を問えば校内の噂が原因だった。
俺は話を聞きながら思案した。
(困っている女子が居る。ここで助けないと男が廃るよな。でも、色恋沙汰に時間は取られたくないし。ああ、それは上坂も同じか)
思案した結果、中間考査一位の立場から得られる品を俺の報酬として提示しようと思った。
(それに新入生挨拶の礼もあるし。俺の代わりに立ってくれた。その所為で告白が始まった)
尻拭いを上坂にやらせるのは筋違いだろう。
まだ数日しか話してないが上坂の性格は好ましいものでもあるからな。価値観も同じだし。
俺と同じ法学部を目指している事も先輩から聞いているし。それが上坂の夢だという事も。
その後、提案して上坂から了承を得られた。
互いの呼び方もそれっぽく名前呼びした。
その方が疑われないからとの判断だ。
すると玄関前で上坂から、
「それなら私も利用していいよ。おそらくだけど女子達の騒ぎも起きると思うから」
「な、なんだと?」
逆に提案されてポカーンとなった。
「まさか俺も上坂と同じ状況になるのか?」
「なっちゃうね。学食で巡君の話題が結構出ていたし。私と同じパンダさん入りしているよ」
「そ、そうか」
それだけは勘弁だったので素直に頷いた。
「まぁ虫除けとしては小さいけどね」
「小さいって?」
すると上坂は胸を張って右手を乗せた。
「おっぱい」
逆セクハラか? いや、セクハラか?
判断に困った俺は視線をそらして問うた。
「自分で言ってて悲しくならないか?」
「あ、悲しくなった」
俺は隣に移動して俯く上坂の頭を撫でた。
「元気出せ。まだ
「うん。うん? 妃菜先輩よりは?」
「あっ」
ついポロッと言ってしまった。
先輩の揶揄いで右手を添えた時の事を。
その時に比べたら上坂の胸は大きかった。
「さて、バイト行こうか。店長が待ってる」
「ちょ、ちょっと、答えになってないよ!」
「詳しくは先輩に聞いてくれ」
「背中押さないで教えてよぉ」
少々騒がしくなったが俺と上坂は門扉を抜けて表の喫茶店へと向かったのだった。
§
バイトに入ると帰宅した先輩に問われた。
「お姫様抱っこについて一言!」
「えっと。何の事でしょう?」
それは私が巡君に運ばれた話だった。
「恵ちゃん。ネタは上がってるよ?」
「く、詳しくは巡君に聞いて下さい」
「「え?」」
そんな店長まできょとんとしなくても。
店長は厨房に移動して巡君に問う。
「巡君? どういうことだい?」
準備中の巡君は忙しそうに店長を怒鳴った。
「恵の事はいいから準備して下さい。店長!」
「あ、ああ。なら、あとで聞いてみるか?」
先輩は巡君の反応に首を傾げる。
「巡君も答えるつもりがない、と?」
厨房は店長と巡君だけなのに大騒動だ。
一体、何が待ち受けているのやら?
私は先輩の意図が読めず問いかける。
「先輩は何を聞きたいんですか?」
お姫様抱っこだけではないみたいだし。
店長もそれに興味を持っていなかったしね。
「何って恵ちゃんの名前呼びよ!」
「な、名前呼びって?」
まさかそこに反応するとは想定外だよ。
「重要よ? 私ですら先輩か、さん付けだし」
「それは年上だからでは?」
「年上でもよ。何があったのか教えなさい!」
「えーっ!?」
教えなさいと言われたら答えるしかない。
「交際を始めた、ですって?」
「はい。お友達から、ですが」
一応、そういう事にしようと決めていた。
「恋愛に興味が無かったんじゃ?」
「異性には興味ありますよ。アルバイトと勉強を最優先にしていますが」
「で、でも、巡君が受け入れるって?」
先輩は何故かショックを受けていた。
(もしかして好きだったのかな?)
先輩はショックを隠しきれぬまま椅子に座った。これは相当不味い状態かもしれない。
先輩の異変に気づいた巡君が店長に任せ、
「先輩には感謝していますが店長に殺されたくないので、ごめんなさい」
先輩の前に屈んで真剣に断りを入れた。
「ああ、振られた原因は父さんの殺意なのね」
「お、俺の所為にするなよ!?」
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