お犬様はちょっとタチが悪い

えんじゅ

供物をよこせ





 山の麓にある弁当屋の前に、一頭の犬の姿があった。


 朝日を照り返す、真っ白な中型犬だ。がっしりとした四肢、たぬき顔にどんぐりまなこ。

 くるんと巻き上がった尻尾がチャームポイントの柴犬である。

 愛犬家が見れば、心臓を鷲づかみにされること請け合いの愛くるしい容姿といえよう。


 が、いまは完全なる飢えた獣の眼をしていた。


「ぐるる」


 その黒眼が熱く見つめるのは、店の扉に貼られたポスターだ。

 艶めくデミグラスハンバーグの中から、とろ〜りチーズがお目見えしている。


『新発売とな。いかような味がするのか……気になるぞ』


 犬の頭脳は人間並み、否、それ以上である。


 なぜなら、神だからだ。


 里人たちに〝お犬樣〟と称され親しまれている神である。

 それはともかく、棲家――弁当屋の背後にそびえる山からしばしば下りて方々を徘徊するお犬とはいえ、カネの持ち合わせはない。


 ならば、金銭と引き換えでしか手に入らないブツに目をつけた場合、どうしているかというと、己が特技・・・・を活かすのであった。


 ポロロンと軽快なドアベルが響き、弁当屋の扉が開いていく。それを見て、お犬は口を開けて笑った。


『――よしよし、飛んで火に入る夏の虫が来よったぞ』


 ろくでもない言い草であるが、その通り、弁当の包みを手にした青年が出てきた。

 二十代前半、中肉中背。バックパックを背負う、完全なる登山スタイルである。

 足取り軽く、かすかに頬も綻んでおり、気分が高揚しているのは明らかだ。

 いまから山に挑むのだろう。


 ――そんな彼の生命を脅かす災いが、刻一刻と迫っている。


 それがお犬にはわかる。

 お犬は、人間に降りかかる災いを払うことができる。

 それを行使する時は引き換えに供物をもらうようにしている。


 狙いを定めた人物の未来を勝手に見通し、勝手に予告し、供物を捧げさせてから災いを退けてやる。


 いわゆる御業みわざの押し売りだが、神なぞそんなものである。

 だいたいタチが悪い。


 ご多分に漏れずタチの悪いお犬はスンスンと鼻をうごめかせ、ほくそ笑んだ。


『うむ、こやつが手にしとるブツは新発売の弁当に違いない』


 肉の匂いを嗅ぎつけ、舌なめずりしたあと、素早く青年の行く手に立ちはだかった。


「うわっ、なんだ!? 犬!?」


 手元を見ていた青年が驚いて立ち止まる。

 その前に、まずお座りをした。見栄えは大事だ。きちっと前足をそろえ、胸を張る。

 さも神でございと言わんばかりに。


 お犬は実体を持つ神である。

 その姿はごく普通に人間の視界に映っているが、首輪やリードがなかろうと不審に思われないようになっている。

 神ゆえ。


 お犬はつぶらな瞳で青年を見上げた。


『聴こえますか。いまあなたの脳に直接話しかけています』


 その言葉通り、青年の脳へダイレクトに声を伝えた。

 真綿のごときやわらかで、かつ慈悲深そうな口調で。

 まだだ。

 まだ本性をさらけ出し、高圧的に振る舞ってはならない。

 最初は下手に出ること。これが肝要である。


 そこな男、供物をよこせ!

 と雷鳴のごとく声を叩きつけようものなら、一目散に逃げられたり、あらん限りに叫ばれたり、挙句の果てに命乞いまでされかねない。

 そんな失敗を繰り返した末、慎重に事を運ぶようになっている。


 一方、青年は額に手を当て、混乱を極めていた。


「――なんだ。なんなんだよ、この声は……」


 お犬がすかさず後光を差すや、青年は目元を手で遮った。

 その手が下ろされた時には、青年の目はやや焦点を結んでいなかった。

 首尾よく暗示が掛かった印である。

 とはいえ、そこまで強いものではない。神だと信じこませるだけの弱いものだ。


『わたしの声が聴こえますか』


 お犬が再度問うと、青年はひらきっぱなしだった口を一度閉じ、また開けた。


「き、聴こえて……います……」


 おそるおそるといったていでも、目を逸らさない。そのうえ、くまなく全身を眺めてくる。

 はは〜ん、とお犬は察した。


 この青年、犬好きに違いない。


 好都合だ。

 この犬の顔面はただ眼を細め、浅く口を開けてやれば、笑っているように見えるのだとむろん心得ている。

 俗にいう柴スマイルを形づくり、尻尾もさかんに振ってやった。


「うわぁ、かわええ……っ」


 しまりのない顔になった青年を言いくるめることなぞ、赤子の手をひねるよりたやすい。


『わたしは神です。多くの者たちにお犬様と呼ばれています』

「お犬……さま……」


 つぶやいた青年は疑う様子もない。

 どころか、その顔と気配に敬う気配が乗った。

 こうなれば、こちらのものである。

 お犬は尻尾の動きを止め、地声のドスのきいた声で居丈高に言い放った。


『うぬ、我に供物をよこせ!』

「はっ⁉ いきなり態度も口調も変わったすね⁉」


 青年が目をかっぴらいて戸惑うも、お犬は構わない。不遜に顎をしゃくった。


『その手に持つ弁当をよこせ。さすれば、うぬに迫る災いを払ってやろう!』


 決め台詞である。

 常ならば、一も二もなく供物を捧げてくれる。

 だが、青年は違った。

 瞬時に表情をなくし、片方の手のひらを向けてきた。


「いや、いいっす。これ犬が食ったらダメなメシなんで」


 しんと沈黙が落ちた。

 ブロロロロ……後方の車道をトラックが過ぎゆくなか、お犬は上体を下げ、吠えた。


『なにをぬかすか、我は神である! いかなるメシでも食えるのだぞ!』

「いや、ダメだっつーの。お犬様、どっからどう見ても、犬じゃないすか。ハンバーグにはタマネギが入ってるから、その体で食えば中毒症状起こして苦しんだあげく、下手すりゃ死ぬんすよ。絶対あげないっす!」


 包みを上方へ遠ざけられ、お犬は愕然と顎を落とした。


 なんなのだ、この青年は。

 我に歯向かうやつなぞ、いまだかつていなかったというのに。


 ウーウー唸ったお犬はやり方を変えることにした。


 やむを得まい。ちょっとだけ媚びてやればいいだろう。


 耳を下げ、キュンと切なげに鳴いてみせた。

「うっ」と青年は案の定、罪悪感にかられた表情になった。慌てて袋の中を漁り出す。


「ちょ、ちょっと待ってっ。弁当はダメだけど、こっちならあげられるっすよ!」


 差し出されたのは、一本のバナナであった。


「――うちで飼ってた犬、バナナ好きだったんすよね……」


 やや寂しそうな片笑みまで向けられ、お犬は眼を眇めた。


『――まぁ、それでもいいだろう。受け取ってやらんこともない』

「むちゃくちゃ偉そうっすね」


 思ったことはすぐ口をついて出るタイプらしい。

 そんな青年は朗らかに笑いつつ、バナナの皮をむいてくれた。

 車道脇で膝を折って差し出され、すかさず噛みついて飲み下す。犬ゆえ咀嚼なぞほぼしない。

 あっという間に消えていくバナナを見ながら、青年はニコニコ笑っている。


「どうすか、お犬様。うめえっすか?」

『普通』

「そういうわりに、すげぇ尻尾振ってるじゃないすか。素直じゃないすね〜」


 からかわれながらも、お犬は尻尾の動きを止めない。ほんの数口で平らげ、口周りを舐めた。


『我が所望するブツではなかったが、供物を捧げてくれたゆえ、約束は果たそう』

「そりゃどうも。で、なんでしたっけ? ああ、オレに災いが迫ってるんでしたっけ?」

『まさしく。いまだ――』


 お犬の眼が流れるように動いた。

 弁当屋から一人の若い男が出てきた。スマホを耳に当て、片手に缶コーヒーを持っている。

 傍らを通り過ぎる途中、その缶を投げ捨てた。

 コーヒーの細い尾を引き、一直線に青年の顔面へと向かう。

 すぐさま青年が腰を浮かせるも、その中間地点にお犬が飛び上がった。

 大口を開け、ガチリと缶を咥える。

 いったん首を横へと振り、戻しざまにそれを放つと、哄笑をあげる男の口に見事ホールインワン。

 ゴフッと盛大にコーヒーと缶を噴いた。


「がはぁッ」


 体をくの字に曲げ、咳き込んでいる。


『痴れ者が。缶は所定の場所に捨てんか』


 着地したお犬の悪態に被せるように、音高く大型バイクが車道を走り抜けた。

 その時、青年はといえば、遅れて吹きつけた風に髪をなびかせ、中腰で目を見開いていた。


 もし、缶コーヒーを避けるべく車道側に逃げていれば、バイクにはねられていただろう。


 ひどくゆっくりと振り返る青年へ、お犬はとびっきりの笑顔を向ける。


『やれ、災いの芽を払ってやったぞ。うぬはあの缶コーヒーを避けたがゆえにあのバイクにはね飛ばされ、頭を強打して死ぬはずだったからな』


 さらっと回避した最悪の未来を告げるや、青年は言葉もなく、棒立ちになった。


『どうだ、感謝の気持ちとして弁当を捧げる気になったか? おさるよ』

「――感謝はしてるけど、弁当はあげないっすよ。てか、なんすかおさるって……」

『うぬの名が猿渡さるわたりゆえ、おさると呼んだまでよ』

「オレ名乗ってねぇのに! 神様って、人の名前までわかるんすか⁉」


 興奮したように声を張る青年――猿渡の背後へ、お犬の視線が流れる。


『いや? うぬのリュックサック背負い袋にそう書いてあるゆえ、それを読んだだけだぞ』

「なんすか、それ。ちょっと、いやだいぶ神様すっげぇー! って感激したオレの気持ちを返してほしいんすけど」


 一挙に冷めた顔になった猿渡に、お犬は鼻を鳴らす。

 そんなことはどうでもいい。弁当だ。弁当をよこせ。

 これ以上モタモタしていたら、そちらも冷めてしまうではないか。味が落ちる。

 ここはやはり、泣き落とししかあるまい。


 お犬は黒眼をうるうると潤ませ、見上げた。


『おさるよ、我はまだひもじい。あったかい弁当が食いたい』


 どうだ、犬好きめ。とうてい抗えまいよ。

 と自信満々であったが、猿渡にはまったくきかなかった。


「――だから、人用に味付けされたメシは、犬が食ったらダメだっていったでしょうがッ!」


 鬼のごとき凶相で突っぱねられ、その大声が山間に木霊した。


 この日、人間はチョロいと侮っていたお犬は永い│神生じんせいではじめて、頑固な人間に敗北したという。





――――――――――――――――



短編というか、お犬とおさるの出会い編ですね、コレ。


この後おさるは、死ぬ宿命を回避した(させられた)ことで厄介な事態に巻き込まれるようになり、その元凶たるお犬の方は、終始一貫して我が道をひた走ります。


この話はメイン舞台を山にする予定なので、山の怪やら山中他界やら憑きものやらをどうするか悩み中。


不穏なワードが並んでいますが、基本『おさるをお供に戯れるお犬様』のほのぼのです。


そんな続きを……投稿できたらいいな!


お読みいただきありがとうございました。

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