13-3

 怖くてたまらなかった。ジルに課せられた現実が、あまりにも辛くて厳しい。

 国を思って、民を思って、たくさんの優しさを与えられるジルが、そんなことをしなければならない現実が、怖い。


 ジルも、セラもレオンも、承知の上で、それでもあんな風に振舞っていたのかと、そう思うと、泣きそうになる。


『生きたい。そう思うことは、恥じゃない』


 そんな風に、震える声で呟いたジルの気持ちを思うと、たまらなくなる。


 震える脚を叱咤しマリエルを追いかけて部屋に向かうと、マリエルは部屋の中で立ち尽くしていた。

 背を向けて立つマリエルに近付こうとしたアウラのつま先が、床に転がってた何かに当たる。よく見れば、いくつかの物が床の上に散乱していた。

 マリエルの傍にはチェストがある。その上を、怒りに任せて薙ぎ払ったのかもしれない。


「……なんて、惨いことを……! 酷い、策だわ……! 意味がわからない。お兄さまが、あの人が暴虐とか、そんなわけないじゃない……!」


 慟哭のような叫びに、聞いてるアウラの膝が崩れ落ちそうだった。


「……それでも……それでも、あれが最善だと、そう判断したから……それ以外にどうにかできるなら……きっと……。できることなら相談して欲しかったけど。そんなことをされたところで、代案もないまま、わたくしがごねただけで、益はなかったことでしょう」


 静かに、マリエルが振り返った。


「……大丈夫です。わかっています。メイの言うことは、正しい」


 その瞳は濡れて赤くなっている。でも、流れる涙は見当たらない。ぎこちなく微笑んだその顔は、王族のものだ。


「少しの間だけ、ひとりに、してくださいませんか」


 マリエルの声が震えている。

 願いには応えたい。でも、こんな状態で一人にしていいものだろうか。


 逡巡していると、ふいにマリエルが片手に握っているものが見えた。


「……アウラ様、お願いですから」


 見覚えがある気がした。

 丸い、水晶玉のようなものだ。


 緊急用にジルの家族が一つずつ持っている、国宝級の貴重なものだと、確かセラがそんなことを言っていた気がする。

 あの日、ジルと初めて会った時に見た。転移の魔術具。


「……マリエル様」


 アウラの視線に気付いたマリエルが、その手を強く握りしめて後退った。


「行かれるのですね」


 魔術具を握りしめる、その手に触れる。


「……お願い。行かせてください」


 マリエルが、身を捩るようにして、さらに一歩後退した。


「必要なら、王でも後継者でも、なんにでもなります。でも、わたくし一人が安全なところで、人形のように扱われるのは我慢なりません。みな忘れているようですが、王妃はわたくしの母です。わたくしにも、つけなければならない、けじめというものがあります。……わかっています。わたくしは、間違ったことをしようとしています。でも、だめです。黙って受け入れるなんて、できない……」


 マリエルの目から、とうとう涙が零れて落ちた。

 俯き泣き出してしまったマリエルの、白い毛並みを見下ろす。


 その白い耳は、先日見た妃殿下と同じ毛色をしている。

 マリエルは、あの美しい人の娘なのだと、改めて思う。


「わたくしも、連れて行ってください」


 そんな言葉が、アウラの口から出た。


「……え?」

「レオン様を治療した代わりに、できることはなんでも、と仰ってくださいました。行かれるのであれば、わたくしも連れて行ってください」

「アウラ様……それは、確かに申しました、けど、でも……」


 行ってどうするのだ、とマリエルの表情が語っている。

 アウラは確かに、何もできない。

 マリエルのように剣を使えるわけでもない。行ったところで戦闘に参加することはできない。

 唯一使えると言えなくもない魔法は、満月を過ぎてすでに使うことはできない。レオンを治癒したときのような無茶をすることもできないだろう。


 それでも、行って、見届けるべきだと思った。


 馬鹿なことを言っている。邪魔になるだけだ。それでも、どうしても、行きたい。


「連れて行ってください。マリエル様がけじめと、そう仰るのであれば、わたくしにも、つけなければいけないけじめがございます」


 困惑するマリエルが、しばらく無言で逡巡しているのがわかった。

 それでも、最終的に溜息を吐いた。


「……確かに、できることならなんなりと、と申し上げました。……ただし、連れて行くだけです。何があっても助けませんよ」

「かまいません。連れて行ってくださればそれだけで、あとは捨て置いてください」

「……わかりました。時間が惜しいもの。そうと決まれば、一刻も早く参りましょう。できれば、セラが呪法士になってしまう前に。……この魔術具には、あらかじめ、転移先として指標となる人物を設定してあります。わたくしのこれは、お母さまの、王妃の元に転移するようになっています。もしかしたら、今まさに戦闘中のところに出くわす可能性もあります」


 ものすごく、馬鹿なことをしようとしている。絶対に邪魔になるだけだと思う。

 でも、そうやってこれまでずっと息を潜めて生きてきた。

 変わりたいから、自分以外の誰かの声も思惑も無視して、自分の心に従う。そう、決めた。


「わたくしにできることは不意打ちぐらいだと思いますし、全て初動で決まると思っていい。恐れず、アウラ様はアウラ様のやりたいことをしてください。わたくしもそうします」


 マリエルが腰に差していた剣を抜いた。先程メイに突きつけた細身の剣だ。

 剣を扱うその手付きは、手慣れたもののように感じられた。


「すぐにメイが単独で転移して追って来ると思います。さすがに、こんなことをしでかせば、手心も容赦もしてくれなくなると思います。本気になったメイが誰より怖い気がしてますけど、アウラ様も一緒に怒られてくださいましね」


 そう、冗談めかして微笑んだマリエルの肩に、促されて片手を置く。


「行きます」


 魔術具を握りこんだマリエルの拳から、白い光が迸った。


 あの日、後宮のバルコニーと同じ様に。今は獣人たちの王国の、小さな屋敷の一部屋から。今度は、追い詰められてなどいない、明確なアウラの意思で跳ぶ。


 白い光が、床に魔術陣を描き出す。

 風景が変わる瞬間、部屋に飛び込んでくるメイの姿を見たような気がした。

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