10-5

 レオンの片腕が、身じろぐように動いたことに気付いた。

 マリエルが視線を上げ、レオンを見上げる。泣きそうな顔で、それでもはにかむようにそっと微笑んだ。

 婚約者であるというレオンを見上げるマリエルの表情には、絶対的な信頼があるように見える。


「……姫と、何よりジルさまの扱いについて、この頃城内でも不信、というかやはりおかしいのではという声が多数上がっています。陛下の大事である今この時こそ、ジルさまが陛下を補佐されるべきであり、妃殿下は、その王子の補佐をされてはいかがか、と」


 おそらく、たぶん、だけど、テーブルの下で、レオンの手がマリエルの手を握っているような気がした。


 ちらりと隣を見れば、ジルは深く椅子に腰かけ両手を腹の上に置いている。


 ジルの視線がふいにアウラに向いて、アウラは慌てて視線を逸らした。

 自分は今一体何を考えていただろう。いや、何を考えていたわけではない。ないけど。ない、はず。


 コツ、と鈍い音がして、肩が跳ねてしまった。

 メイの指先が、テーブルを叩いたらしい。


「はい、そういうのは後にして。真面目に聞けお前ら。全員集中。特にジル、その締まりのない顔どうにかして」

「そ……っんな顔してない」

「はいはい。ならいいけど。あ、アウラちゃん、あとでそこの締まりのない顔はしてないと主張してる締まりのない顔してる青少年と手握ってあげてね。お互いお望みのようだし」

「なん……」


 赤い顔して抗議の声を上げようとしたジルが、アウラを見て押し黙った。

 

 恥ずかしい。

 メイに見透かされてしまったことが。

 婚約者として真っ当な関係を築くレオンとマリエルを羨ましいと、そんな身の程を弁えないことを一瞬でも思ってしまったことが。


「はい。話戻しますよ。周囲の意見は極めて真っ当。ただ、どんなに気安かろうと王族の言動だ。そうそうおかしいよ、なんて軽い気持ちで指摘できるもんじゃないし。そのせいで余計色々噂は飛び交った。特に神官長に色々吹き込まれてるとか、まあほぼ憶測に過ぎないやつね。この時点では不満っていうよりは憂慮の色が濃かったんじゃないかな。おかしな陰謀説は置いといて、こっそりだけど真剣に心配する声が大多数。その時点で継承権第一位にある王子であるジルベルトをまつりごとから締め出すようなことはしない方がいいんじゃないかな、みたいなね。仲睦まじく見えてたジルと妃殿下の関係を勘ぐる声も出ていたし。実は継母として、思うところがあったのか、とか。奥方として、陛下を想い心配する気持ちはわからないではないけど、冷静に、王妃として為すべきことをすべき、なんていう忠臣による涙が出そうなぐらい実に真っ当な苦言があっちこっちで噴出」

「ええ。そして最初に陛下と妃殿下にそう具申申し上げたのは私の父です」


 レオンの言葉を受けて、メイが悩まし気に腕を組んだ。


「そう、王国一の忠臣と名高い将軍閣下が。配慮まみれの実に遠まわしかつ真っ当な具申の結果、陛下からも妃殿下からも遠ざけられた。あの将軍閣下がね。そんで新しい神官長、ラヴェンディアの重用が目に見えだしたのはこの時からだ。奴だけが陛下と妃殿下の部屋に招かれる。陛下や妃殿下の声が奴の口から語られる。ここに至ってようやく、これはいよいよなんかおかしいぞ、ってなった。ここで、妃殿下への憂慮が、一気に妃殿下と新しい神官長への不満と不信に変わった。特に、自分らのボスを蔑ろにされたと感じた騎士たちの不満がね。あくまで水面下で、一触即発の空気感。そして、そこで大事件だ」


 メイが肩を竦めて見せた。それに続けて、ジルが自ら言葉にする。


「なぜかその王子である俺が、病床にある父上を襲い殺そうとした、ってやつだな」


 愁いを帯びた苦笑交じりのジルの言葉に、アウラの心まで痛むような気がした。

 メイが溜息交じりにジルの言葉を肯定した。その言葉には疲弊が詰まっている気がする。


「ただ、そこから数日いきなり地下牢連れて行かれて放置されたからな。その後のことはよくわからん」

「地下牢にはいなかったぼくたちも、その辺大差ないよ。よくわかんないってのが正直なとこ。事実確認を求めてたのに、正式な手順も何もかもすっ飛ばして、いきなりジルの廃嫡と処刑が決まったときたもんだ。いや、本当にわけわかんないよね。ぼくたち以外もみんな大差なかったと思うよ。ただ、それまでの、特に一部の騎士たちによる一触即発の空気が、そこで一気にただの困惑と混乱に変わった」


 メイの言葉にレオンが頷いた。騎士たち、ということはレオンの部下だという人たちもそうなのだろう。


「あとはご存じの通り、即日処刑みたいな空気感だったから、とにかくぼくらで一旦ジルを城から逃がすことにした。それが五日前。そして今に至る」

「ごく一部の者達の間では、姿をくらませたことこそが、お兄さまの罪が事実であることの証左である、との声も上がったようです」

「まあそれはしょうがないし、むしろそれが妃殿下っていうか神官長、ラヴェンディアの狙いだったんじゃないかと思わなくもない。もちろん分かった上で、それでもそうしたんだけどね。逃げてしまったことでジルの取れる手はぐっと減ったし、王子として宮廷に返り咲く芽はほぼ摘まれたに等しい」

「それでも死んだら終わりだ。死ぬよりいいだろ」


 セラが言ったそれに、ジルが頷いた。


「まあ、とりあえずそれはいい。父上の襲撃が、誰の仕業なのかは?」

「証拠は無いけど、状況的に見て、陛下の襲撃とやらはラヴェンディアの仕業だと、ぼくは考えている」

「状況的に……」


 物憂げに呟いたマリエルに、視線が集中した。

 慌てたように、マリエルが失礼しました、と頭を下げたが、メイが口の端を釣り上げた。


「不満そうだね、お姫様」

「……ええ。……そうですね、不満です。状況証拠しかない事案があまりにも多いように思えます」


 覚悟を決めたようにマリエルが頷いて、真剣な表情で肯定した。不遜に微笑むメイを睨みつけるように。


「お父さまを襲撃した真犯人がラヴェンディアであること。お母さまが禁呪で操られていて正気ではないこと。そして、ラヴェンディアが呪法士であること。そのどれもが、状況証拠による主張です。わたくしは、両親の人となりを知っています。貴方たちのことも知っています。それがどれだけ荒唐無稽な主張に思えようとも、信じることができます。それでも、わたくし以外に、その主張が通用するでしょうか」

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