10-4

  マリエルの表情は晴れない。

 ジルの継母である妃殿下は、マリエルにとっては実の母親であるらしい。


「徐々にではありましたが、部屋で塞ぐことが多くなり、表情が乏しくなっていき、終始ぼんやりされている、とお母さまの侍女が申しておりました。この頃からですね、お部屋を訪ねても会っていただけないことが増えて、言葉を交わす機会も明らかに減ったように思います。お会いしても、確かにぼんやりされていて、その時は、お疲れなのかと、そう、思っておりました。……思いたかったのかもしれません」

「そのくせ、旧友だって客人とは二人でいることも多い、ってね。勘繰る者も少なくはなかった。ただ、その客人と妃殿下、陛下と三人で、ってのも多かったからね。その噂はあくまでゲスい噂程度のものにしかなってなかったけど。まあ、中にはそういう場合もあるんだろうけどさ」

「……そういう場合?」


 腕を組んで言ったメイの言葉に、ジルとマリエルが首を傾げ、アウラも内心首を傾げた。


「メイ。その顔を止めなさい。先へ進めましょう」


 一瞬おかしな沈黙があった気がする。レオンの言葉にちょっと無言になっていたメイが咳ばらいをした。


「ん、そうだね。無限に脱線できそうだから、面白いけど今は止めておこう。ええと、で、その後しばらくして、前任の神官長が突然病でぶっ倒れた。前任はよぼよぼのおじーちゃんだったから、これについてのラヴェンディアの関与は無しと考えて良いだろう。この辺までは、ラヴェンディアはまだ虎視眈々と機会を伺ってた、って感じだと思う。神官長がぶっ倒れたことで、その待ちに待ってた機会ってやつが、奴に提供されちゃったんだろうと推測する」


 ここまではいい? となぜかアウラに訪ねてくるメイに戸惑いながらも、頷いて見せる。


「ここまでが、約半月前ね。奴は実に一年もの長い期間をかけて、シャノワの宮廷にゆっくりじっくり根を張ってる。めちゃくちゃ気が長くて、執拗だ。粘着質かつ執念深い感じだね」

「お前と一緒だな」


 セラの呟く様な相槌は無視された。


「そして、新たな神官長として、突然素性も定かではないよくわからん妃殿下の客人、ラヴェンディアが任じられた、ってわけだ。前の神官長はまあ歳も歳だし、倒れたって言われてもね、そういうこともあるかーって感じだったけど。人事については控えめに言っても意味不明だ。妃殿下の一声で決まった、理由は優れた魔法士だから、とか言われてもね。突っ込みどころがあり過ぎてうんざりだけど、まあせっかくだから改めて一個ずつつっこんでおこう。まず、おかしいことその一」


 メイが話しながら、右手の人差し指を立てた。


「そもそもだ、あのタイミングで新たな神官長を任じることがおかしい。倒れた神官長はまあ、死にぞこないの爺さんかもだけど、一応まだ存命で療養を始めたばかりだ。まるで治ることはない、って決めつけてるみたいで、妃殿下の采配にしちゃ信じ難いほど感じ悪い。神官長は確かに要職だけど、副官以下でしばらく保たせるぐらいはできたはず」


 立てる指を追加する。


「その二。その決め方、選定理由だね。一万歩ぐらい譲ってラヴェンディアが優れた魔法士だってのはわかる。ただ、魔法士だろうとなんだろうと、神官ってのはあくまで国職。武力と権力を持つ組織の頂点に立つ神官長が、一番強い魔法士がなる、とかそんなガキ大将みたいな決め方でいいわけがない。おかしいその三が、それが妃殿下の意向だった、ってとこ。そういう人事に急に口を出す妃殿下も、ついでにそれを受け入れる陛下もおかしい」


 両親の話であるだろうジルが、真面目な表情で頷いた。


「おかしいその四。その決定が、妃殿下の意思であることをおおやけにしたってことだ。仮に妃殿下の意思が反映されるんだったとしても、公には陛下の意思として出すべきだ。妃殿下はあくまで王妃。民に慕われ多くの者からの信頼を寄せられていたとしても。いや、むしろそこの線引きが、妃殿下ご自身でしっかり成されていたからこその信頼だ。王妃はあくまで王の伴侶。非常時ならいざ知らず、人事に口を挟む権利なんてものは本来ない。それまでなら絶対にありえない珍事だ。正直ぼくは最初に聞いた時、説明したやつの言葉選びか、自分の耳がおかしくなったんだと思った。わけがわからない。夫婦揃って暗愚と言わざるを得ないやり方だ」


 口調だけは明るく、断じたメイの言葉に、何を思うべきかわからない。


「でも、ぼくらは陛下も妃殿下も、決して暗愚ではないことを知っている」


 続いた、メイの言葉にも。


 困惑するアウラの隣で、いつの間にか食事を終えていたジルが説明に加わった。


「メイの言う通りだ。俺もこの任命には違和感しかなかったし、このまま放置はできないと思った。俺が思うぐらいだから、相当だ。そもそも王妃が口出しすることじゃ絶対にない。さすがに父上に意見を申し上げた。なぜラヴェンディアなのか。今新しく神官長を立てる必要があるのか。それを母上の一存で決めるべきなのか。もしなんらかの事情があってのことであれば、それを明らかにし、説明をすべきだ、とな」

「泣けるほど真っ当だね」

「返答は、結局なかったな。この頃から、父上も体調を崩されることが多くなった。原因はよく判らず、悪くもならないが、良くなる兆しもない。面会も制限され、母上と侍従長と宮廷医、大臣や将軍など最低限の者だけが面会を許されるようになった。政務については基本的に母上が父上の言葉と意思を代弁するようになり、俺の意見に対する返答も結局聞けていない」


 ジルの声音に変化はない。それでも、その表情に過るのは、どこか重く苦しいように感じられた。

 そしてそれは、娘であるマリエルにとっても同じなのだろう。


「お父さまへの面会は、お兄さまと同じく、わたくしもほとんど許されませんでした。この頃から、徐々にわたくしは外出を制限され、城の中を出歩く時ですら護衛を付けるようにと、お母さまより申し付けられるようになりました。それまでが自由過ぎた、という気も正直に言えばしておりますが、急にわけもわからず自由を制限された、という気がしました」


 どこに向けているのかわからないマリエルの、作ったような笑顔が痛々しくて、胸が痛んだ。

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