9-2
探るようにアウラを見たジルは、どこか困ったように笑った。
「わかった。じゃあもう傷のことは言わない。あ、でも傷が痛むとか、跡が残りそうとか、そういうことがあったらすぐに言ってくれ。腕のいい薬師を手配……いや、今はその、無理だが……」
言葉を切ったジルが、そんなことを言って視線を彷徨わせる。
しばしの沈黙があった。
ジルが後ろめたそうにする沈黙が、アウラにとってはそう居心地の悪いものではない。
ジルが、そこにいるから。
こんな今を知ってしまったら、彼から離れた後、アウラは今までのように一人でいられるだろうか。不安になってくるほどだ。
ジルに会って、まだ二晩が過ぎただけ。これから先、一緒にいられるわけでもない。
それなのに、こんなにもアウラはジルに依存しようとしている。
「お気持ち、ありがたくいただきます。でも本当に、ご心配には及びません。……ジル様」
「ん?」
「わたくし、今とても、きっと今まで生きてきて、一番満たされた気持ちです。オルディナリを、出てくるべきではなかったのではないかと、そう思ったりも致しました。取り返しのつかない選択だったのかもしれない。そう、思っていました」
「……うん」
「わたくしが、できることがしたかったのです。ずっと、わたくしにも、できることがあるのだと、そう思いたかった」
今、手足は動かせない。先の方は感覚もない。
昔は加減がわからず魔力切れを起こしてよく倒れていた。その度に、そのまま永遠に感覚が戻らないのではないかと恐れた。とても怖かった。
優れた魔法士になりたいと思った。
魔法士なんて関係ない、ただの人間になりたいとも思った。
自分以外の何かになりたいと、ずっと思ってた。
「助けて欲しいと言われて、嬉しかったです。役に立つことがあって、生きていても良いと、そう、言われた気がしました。やっと、生きていてもいいのだと、認められたような気が致します。この気持ちだけで、今までよりものすごく強くなれたような気がします。こんな気持ちになれたのですから、些細な怪我など、まったく気にはなりません。あなた様のおかげです。これからも、ちゃんと生きていける気がします。ありがとうございました」
「……まるで、お別れを言われているみたいな気分なんだが」
ジルが呟いて。溜息を吐いた。
何か、まずいことを言ってしまっただろうか。確かにアウラ程度の者が調子に乗って、色々と喋ってしまった気はする。
「そう、怯えないでくれ」
「……ですが」
「俺は、セラみたいに頭が良いわけでも口が回るわけでもないんだ。レオンほど気も利かないし、器用でもない。言葉が足りないこともあるかもしれない。でも、なるだけがんばって話すから、呆れないで聞いてくれると嬉しい」
椅子の上で姿勢を正したジルが、畏まった表情で口を開いた。
「まずは、改めて自己紹介をしよう。ジルベルトだ。親しい者達にはジルと呼ばれているから、呼び方は今のままで構わない。呼び捨てでもいいしな。見ての通り、猫の獣人だ。歳は今年二十になる。今は知っての通り事情があって追われている身だが、身分的には一応王子だ」
本当は、こんな態勢で聞くべきものではない気がした。
無理やり身を起こそうと身じろぎしたアウラの腕を、ジルの手が抑えて止めた。
「ここまでは、成り行きだったが、改めて、礼を言いたい。君が救った俺は、シャノワ王国の王族、王の後継だ。ちょっと色々危ういが、一応な。それとレオンの生家は国内有数の貴族の家だ。代々続く武門の家系。父親は騎士団の頂点に立つ将軍職に就いている。騎士としてのレオン自身はまだ小隊長でしかないが、国にとっては要人と言って差し支えない」
二の腕に触れるジルの温もりに、なぜか頬に熱が集まっていく気がした。
ジルの話にまったく集中できない。
「あの」
声を上げかけたアウラに構わず、ジルが話し続ける。
「アウラ。もし、他者からの評価が必要だと言うなら、君はもうこれ以上ないぐらいのことを成し遂げている。本来であれば国を挙げて感謝し、これから先一生遊んで暮らせるぐらいの待遇で迎え入れるぐらいだ。今の俺がこの状態なので、どうすることもできないのが……それは、その、重ね重ね申し訳ない」
「いえ、あの」
「そこまでの世話にはなれない、なんて言ってくれるなよ。できれば世話はさせてくれ」
「ですが」
「……もし、もう巻き込まれるのはごめんだ、とか、そういうことであれば……まあ、引き留めるわけにもいかないが……」
「そういうわけでは……!」
慌てて訂正の言葉を吐くアウラを、ジルが興味深そうな、どこか面白がっている様子で見ている気がする。口調はしょんぼりしていた気がするのに。
「いや、すまん」
ふは、と笑ったその顔は、なんだろう。屈託がないというか、取り繕ってない、素の表情に見える、というか。
「うん。ちょっと分かってきた。とにかく、アウラがどれだけ固辞しても、俺たちはもう、君を逃がしてやるつもりはないから。諦めて一緒に居てくれ」
「でも」
「俺は明日をも知れない身だが、今はマリエルもいるしな。心配するな。むしろ、一緒にいて欲しいと思ってるんだ。見捨てないで、いてくれないだろうか」
目を見開いたアウラに、ジルが照れくさそうに微笑んだ。
「傍にいてくれると、俺がう――」
言葉の途中で、ジルがなぜか肩をびくりと揺らした。
「なっ……?!」
慄くように立ち上がったジルが、恐る恐るその背後を振り返る。ジルの視線の先には窓がある。朝日が差し込む、大きな窓だ。
アウラからも、ジルの身体に遮られて見えていなかったものが見える。
その窓から室内を覗いている、見知らぬ顔があった。
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