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 母国であるマギア王国は、アウラにとってそう住み良い国ではなかった。落ちこぼれのアウラには良い思い出がない、というだけかもしれないが。


 何よりも魔法士としての資質がものを言う国で、月の満ち欠けに左右され、うつろうアウラの不安定な力は価値を持たない。


 特に魔力がない期間は、苦痛で仕方がなかった。もっとも、その苦痛に喘ぐ期間の方が長かったのだが。

 そして、周囲の優秀な魔法士たちにとっても、その期間は魔法士と呼ぶことすらできないただの人間に成り下がるアウラが、魔法士の中に紛れ込んでいるという事実こそが、耐え難かったに違いない。


 広大な後宮は外界との接触は無きに等しく、そこだけで完結する閉じられた世界だった。


 王族の定義は広く、王の実子だけでもその数は多い。

 その中に在っては、王の実子というだけでは大した価値にはならなかった。


 たくさんいる兄弟姉妹には優れた魔法士も多く、その中で底辺の存在だったアウラは、なるだけ息を殺して生きていた。


 末席とはいえ王族ではあったが、大した後ろ盾もなく、物心ついた時には既に故人であった母もいない。

 直接言葉を交わしたことすらない父は、到底肉親と呼べるような存在ではなく、目を合わせその姿を視界に収めることすら恐れ多い、遥か高みの、雲の上の存在である。


 母に仕えていたという乳母には随分と良くしてもらったが、老齢の彼女が病で亡くなってから仕えてくれた侍女はよそよそしく、世話はしてくれたが、それ以上の存在にはなってくれなかった。

 それ以上を求める気持ちはあれど、求めてはいけないという気持ちもあった気がする。


 後宮に親しくしてくれる人はおらず、使用人すらどこかアウラを馬鹿にしており、使用人以外の人物はアウラを無視するか、からかいの対象にするか、酷い目に合わせるかをしてくる。


 できるだけ自室に閉じ籠り、人目を避けるしかなかった。

 話し相手と呼べるのは、必要な教育のために用意された教師たちだけだ。

 その彼らにしても、決してアウラに好意的だったわけではない。容赦のない叱責や、鞭で叩かれることを恐れ、アウラはいつも怯えていた。


 どこという話はなくとも、アウラが国外へ嫁ぐことはあらかじめ決められていることだった。裏を返せば、マギアにとっては、必要ではなかった、ということだろう。

 そのことを不満に思ったことはない。


 とにかくアウラは他国へ行くために存在していて、そのための教育だけがなされていた。


 不満など感じるはずもない。なぜならアウラは、そんな世界しか知らない。

 アウラにとって、世界は最初からそういうものだった。


 魔法士になれない。

 それが全てだった。


 生まれたときから誰かを失望させてばかりで、母親のいる子どもたちが羨ましいと思う気持ちはあったけど、それを望むことは許されないと思っていた。


 痛いことも、酷い言葉も、きつい叱責も、そういうものがない日を、最良の日だと思っていた。


 ただ、いつか来る未来を夢見た。ここではないどこかに行く未来を。

 ここを出て、いつか嫁ぐ外の国。いつか妻として仕える、アウラの夫となる人。

 夢を見ていた。

 どんな人だろう。優しい人だったら嬉しい。

 そんな、甘い、自分にとって都合の良いことばかりを、考えていた気がする。


 オルディナリ王国に嫁ぐことが決まり、母国を出立する前、初めて血縁上は父であるマギア国王に謁見した。

 高い位置にある玉座を前にして、ずっと頭を下げていたアウラは、直接そのご尊顔を拝してはいない。

 見知らぬ誰かが、王女であるアウラの名と来歴、そしてこれからオルディナリ王国の王太子に嫁ぐことを、国王に説明するのを聞いていた。


 頭上から降ってきた、うむとか、ああとか、そんな感じの気のない返事を聞いた。

 それだけだ。

 アウラと生まれ育ったマギア王国の関係は、そんな風に幕を閉じた。

 

 僅かな護衛と使用人たちに連れられて、初めて城を出て、馬車に揺られた旅路。

 いくつかの村や町を経由し、宿に宿泊し、貴族の屋敷に泊まり、天幕を張り野外に泊まったこともあった。


 嬉しくて、わくわくして、兄弟姉妹たちの視線に怯えることもなくて、舞い上がっていたのだと思う。


 風に吹かれて、木々が騒めくのを聞いた。川を流れる水のせせらぎを見た。雨に濡れた森林の匂いを嗅いだ。全てが珍しくて、興奮した。


 初めて目にする人々の暮らし。

 目の当たりにする生まれ育った国の様子。

 色々な人と、色々な物を見た。貴族と、それ以外の多くの民を、そして貧しい人々と、虐げられる人を見た。


 足を踏み入れた異国で、望んで夢を見ていたものがアウラの手に入ることは、決してなかった。


 夢を見ていた日々が幸せだったのだと、そう思うのにそう時間はかからなかった。

 もしも魔法士でなければ、もしも王族でなければ。

 ここに来るまでに見た、市井の人々のような、ああいう生まれだったら。


 たくさんのもしもに圧し潰されて、呼吸すら満足にできなくなった。

 望みなんて、感じることもできなくなった。


 ここではないどこかへ、どこか遠くへ、そう望むことすら、そのうち疲れ果ててしまった。

 どこかなんてない。どこに行っても同じかもしれない。望むものを得られるとは限らない。


 助けはこない。

 優しくしてくれる人はいない。

 愛されることはない。

 この世界には、アウラの居場所なんてない。




***




 でも、アウラは覚えている。

 魔法士として、初めて誰かの役に立てたあの時を。


 あの甘く美しい声を忘れたことはない。


 貰ったたった一言が、ずっと大切な宝物だった。

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