7-3
ジルがアウラを呼ぶ、その意味。理由があるとすれば、一つしか思い浮かばない。
ジルにはできなくて、アウラにはできることが、一つだけある。
心臓がどくどくと音を立てる。
やがて風の中に、覚えのある匂いが混じり出した。
どんどん濃くなっていく、血の匂いがする。
抱え上げられた背中越しに見える景色の中に、凄惨なものが混じり出す。
昨晩バルコニーで嗅いだものとは比較にならないぐらい濃い、咽返るような血の匂いが漂っている。
「……っ」
腕が落ちている。手首が転がっている。肉の塊と、そこに混じる白いものが見えた。
死体が、至る所に転がっていた。
血溜りができている。その中に、人の切断された四肢がある。
球体のように転がる頭部がある。その頭には、獣人であることを示す獣の耳が見えた。
眩暈がしそうな景色が続き、開けた場所でアウラを抱えている兵士が足を止めた。
振り返ればジルがしゃがみ込んでいた。
茫然と項垂れるジルは、両手に自分より大きな何かを抱えている。真っ赤に染まった、何か。
「ジル様!」
それを抱えているせいなのかもしれない。ジル自身も、頬や手が赤く染まっている。
転げるように駆け寄ったアウラは、間近で見たそれに、その人に、息を呑んだ。
「アウラ……っ。たすけてくれ。助けて欲しい。レオンを、助けてくれ……!」
懇願する声は、涙交じりだった。
ジルが抱えているのは人だ。いや、本当は駆け寄るまでもなく気付いていたのかもしれない。
どこもかしこも血だらけにしたレオンが、仰向けに倒れている。ジルに抱えられている。頭も、髪も、ぐっしょりと赤く濡れている。
どこに傷があるのか、わからないぐらい血塗れになっている。返り血だけではないことを証明するように、その身体の下から地面に広がる血溜まりがある。
傾いた顔にかかる髪も、隙間から覗く頬も全部が、まるで頭から血を被ったようだ。
「レオン、死ぬな……嫌だ、死なないでくれ。レオン……!」
よく見れば、レオンの胸が、僅かだが上下している。
骨が見えるぐらい深く斬られている、力なく垂れた四肢はぴくりとも動かない。
でも、まだ息がある。
「だ、だいじょう、ぶ……大丈夫、大丈夫です。わたくしが、治しますから」
自分の言葉で心を鼓舞する。大丈夫、そう言い聞かせる。
凄惨な光景に、動揺がないと言えば嘘になる。
さっきまで言葉を交わした人が、変わり果てた姿で死にかけていることに泣きそうになっている。目を瞑り耳を塞ぎ逃げてしまいたい気持ちがある。
それでも、どうにかしたいという気持ちが勝る。助けたい。
血に濡れるのに構わず、アウラはジルに抱かれるレオンの傍らに座り込んだ。ほんの僅かに上下する胸に手を翳す。
「アウラ」
縋るようなジルの声が聞こえる。
ジルが、アウラに助けを求めている。それこそが、アウラにとっては救いとなる。
魔法士だ。アウラは、今、この時、魔法士としてここに呼ばれ、やってきた。
脳裏に浮かんだのは、昨晩見上げた満月。
いっそのことこんな魔力なければよかったと、今までに何度も思っていた。
魔法士と胸を張れるほどの力はなく、けれど魔力がないとも言えない。実に中途半端で不安定な力。
いっそ無くなってしまえばいいと、満月の度に願った。
満月の度に、体内に渦巻く魔力を感じることが辛かった。
耳元で囁く精霊たちの気配に、耳を塞いだこともあった。
けれど、今はそんな不安定な力を、初めてあってよかったと思っている。
不安定でも僅かでも、この力があるからこそ、救うことができる。
意識を集中する。
体内を巡る魔力に意識を凝らす。
救える。アウラが、救うことができる。
この状況でアウラが頼られたということは、治癒能力を持つ魔法士は他にいないということだ。だったら、アウラがどうにかしなければならない。
きっと助けることができる。
こんな酷い怪我の治療をしたことはないけれど、そんなことはどうだっていい。
助ける。絶対に、死なせない。
何を引き換えにしてもいい。アウラの命を差し出しても構わない。ジルにはすでに、それだけのものを与えて貰っている。
掌が、ふわりと熱を持った。レオンの身体に、アウラの魔力を少しずつ流し込んでいく。
アウラが使える治癒の魔法は、魔力を媒体にして対象の持つ元々の治癒能力を一時的に底上げするものだ。相手の体力や能力次第で相乗効果を得ることができる。
レオンのような相手ならばきっと、多くを望めるはずだ。
例えアウラの魔力が足りずとも、死の淵からだって、連れ戻すことができるはず。
足りない、と叫ぶ声が耳元で聞こえたような気がした。
「アウラ……?」
ジルの声が聴こえる。
魔力が、全然足りていない。そんな折れそうになった心を立て直す。
ジルがいる。傍に、いてくれる。
大丈夫。心配しなくていい。きっと、レオンは助かる。助けることができる。
魔力さえ、あれば。
魔力はある。
魔法士本人の安全を確保しないほどの魔力を差し出せば、命を食い尽くすほどの魔力を絞り出せば、生命力と呼ばれる領域が、まだアウラには残っているはずだ。
意識を凝らす。
いつになく、魔力を感じる気がした。
この力を受け入れた、アウラの気持ちによるものだろうか。満月の晩よりももっと、魔力が巡る。巡る魔力が流れていく。力を得られる。
じりじりと、神経が焼け焦げていくような感覚に陥ってくる。視界が明滅する。周囲の音が遠くなる。心臓が苦しくなるほど大きく波打った。
もっと、もっと。
まだ、使える力があるはずだ。
自分の中で何かがぶつぶつと音を立てて切れていく気がした。鼻から温いものが流れていくのを感じる。
「アウラ……待て。もういい! やめろ!」
誰かに肩を掴まれた気がする。
躊躇なく触れてくるその手が嬉しいと、そんな場違いな考えが浮かんで、視界が真っ暗に転じた。
アウラはそこで、意識を手放した。
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