6-4
周囲を囲む森は、不自然なほど静まり返っている。
「ジル、泣くなよ。まだ泣くな」
「……泣いてない」
「じゃあ下向くな。顔上げろ。お前はオレたちの王だ。情けないツラ晒してんじゃねえよ。優しさしか能がないレオンにここまで言わせたんだ。あんな鳥野郎の言葉に乱されるな。迷うな。いい加減覚悟決めろ」
セラの言葉にレオンが苦笑して、でもジルはやっぱり俯いてしまった。
「……でも」
「でももクソもねえ。あいつは呪法士で、妃殿下は操られてる。お前の大事なシャノワが危険に晒されてて、オレの言うことは正しい。だからお前はこのオレを信じて、自分が世界一正しいってツラして、あの鳥をブチ殺すことだけ考えろ」
セラの力強い言葉を聞いて、ジルは顔を上げた。顔を上げて、その視線を不安げに彷徨わせる。口を開き、噤むことを繰り返し、そして再び口を開いた。
迷いに満ちたジルの言葉が、剥き出しの地面に散らばるように落ちていく。
「……でも……俺は、本当に……やって、ないのか……? 本当は、俺が……父上を……だから、母上が……本当は操られてなんてなくて、あれが母上の……本心だったら……」
セラが、特大の溜息を吐いた。有無を言わさず、ジルの襟首を掴み上げる。
「――歯ぁ食いしばれ」
鈍い音がして、ジルが地面に尻もちをついた。
「ぐだぐだ寝言言ってんじゃねえよ! お前がマジで陛下やってんなら、このオレがとっくにお前の首落として、妃殿下のとこ持ってってる! 妃殿下のアレも、本心じゃねえ! そんなわけねえだろ! 仮にお前がやってても、あんな風にお前を無視して話もなんも聞かねえわけねえだろボケカス! お前今まであの人の何見てた!? あの人が正気であんな態度なわけあるか! この駄猫が! 他の誰が信じなくても、お前はあの人を信じろ!」
「……いたい」
「力一杯殴ったからな! 目ぇ覚めたかあほんだら。立て。大丈夫だから、迷うな。次はオレがあいつを絶対に止めてやる。わかったらしゃんとしろ。大体、まだお前のためにメイが動いてんだろ。あいつを働かせてお前が勝手に諦めてみろ、絶対キレまくったあいつに殺されるぞ」
「……確かに、そうかもしれない」
「しかも、そん時はオレたちも巻き添えだ」
「うん。そうだな……ごめん」
座り込んだジルが両手で顔を覆った。
そんなジルの頭に、セラがぺしんと掌を乗せた。そこに白い魔術陣が浮かび上がる。セラが小さく何かを呟くと、陣はジルの中に馴染むように消えていった。
「これでしばらくは目眩しになる。簡単な幻術程度のものだから、さすがに正面に立たれたら効かない。気を付けろよ。一応匂いも誤魔化せるが、効果は大して続かないからな」
顔を上げたジルが、茫然とセラを見上げる。
「ほら、行け」
「セラ」
「ここはオレが引き受けてやる。さっさと行け」
「だめだセラ。そんなことはできない」
「できなくてもやれ。まったく、あの鳥野郎、相当性格悪いな。だいぶ消耗させられたせいで、全員転移させるほどの魔力が残ってない。絶対見越してただろ」
「嫌だ」
「ジル、我がまま言うな。転移ってのは、ものすごい魔力食うんだよ。自分一人ならどうにかなるが、お前一人抱えて飛ぶのももう無理だ」
「でも」
「なんだよ。転移魔術の講義が聞きたきゃ今度メイに頼め。たぶん半日ぐらいかけていらんとこまでくどくど説明して寝落ちさせてくれるぜ」
首を横に振るジルを無視し、セラがレオンとアウラの腕に触れた。ジルにやったのと同じように、白い魔術陣が浮かんで消える。
「レオン。ジルを頼んだ」
「この命に代えても」
「お前も、どうせなら役に立てよバカ女。ジルを裏切ったら殺すからな」
立て、とセラに頭を叩かれたジルが、いかにもしぶしぶといった体で立ち上がった。
「ジル。オレ一人なら、転移できる。心配すんな。お前たちが逃げ切ったらオレも逃げる。だから、残って戦うとかめんどくせえこと言うんじゃねえ。まあ、オレは構わんけどな。戦うなら混戦の泥試合覚悟しろ。その女は守れない。見殺しにしろよ」
諭されるジルが、一瞬だけアウラを見た。
見殺しでも構わない、そう言いかけたアウラの腕を、レオンがそっと掴んで止めた。
「全員で逃げても追いかけられるだけだろ。誰か残った方がいい。この場合の適任はオレだ。オレは一人の方が都合がいいし、むしろ一人なら派手にやれる。この後逃げるにしても、どうとでもできるしな。あの鳥野郎に敵わなかったからって見くびるなよ。信用しろ。オレはそこいらの木っ端魔法士とは違う。このオレを下っ端神官なんてほざくのはあの鳥野郎ぐらいだ。猫の国シャノワ王国で、天才と持て囃される兎の獣人様だぞ。天才過ぎて妬みとやっかみを一身に背負うほどだ」
「……それは、あなたの性格と態度のせいでは」
「うるせえぞレオン。それにな、こんなところでお前らのために尊い犠牲になってやるほど、オレは殊勝じゃねえ」
セラの口の端が持ち上がる。
「ほれ、動き出したぞ。やっぱ魔法士がいるな」
敵の姿はまだ見えない。しかし見えない敵の視線を遮るかのように、セラが三人を背に庇うように進み出た。
セラが大きく広げた手の先に、次々と魔法陣が浮かび上がる。数えきれないほどの魔法陣が、半球を描くように四人を取り囲んだ。
「この先を真っ直ぐ突っ切れ。振り返るな。立ち止まるな。振り切って、走り切れ。後は、オレがどうにかしてやる」
セラに悲壮感はない。
でも、だけど。
わかっている。この場に残ったところで、アウラは誰よりも役立たずで、足を引っ張る。
「向こうで待つ。待つからな。ずっと待つぞ」
「脅しかよ。わかってるよ。必ず追いつく。わかったから、ほれ、行け」
「私の手は空けておきたいので、ジルさま、アウラ様を」
「……アウラ、抱えて行く。走るから、口は閉じておいてくれ。できるだけ動かないでくれるとありがたい」
悔しげな表情のジルが、アウラを抱え上げた。
セラが満足そうに笑って、手をひらひらと振る。
「風よ」
突風が吹いて、セラの身体が上空へ高く舞い上がる。
その姿を背に、ジルとレオンは真っ直ぐに走り出した。
「おら! かかって来いクズどもめ! てめえら全員、二度と国に戻れないと思え! 人間の国に汚ねえ屍晒して朽ちろ! 恥知らずの反逆者ども!」
二人の背に、森の木々の合間を抜けて、風に乗ったセラの大音声が響いた。
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