7 影の森
7-1
ジルとレオンの二人は、鬱蒼とした影の森を迷いなく進んでいく。頬を過る風の音から、信じられないほどの速さで駆けていることがわかった。
多種多様な植物が鬱蒼と生い茂っている。太さも色もまちまちで、地面には木の根が這い、ところどころ岩が顔を出し、朽ちた落ち葉が覆っている。
アウラでは歩くのにも苦労しそうな地面をものともせず、二人は木々の合間を縫うように、駆け抜けていった。特にジルはアウラを抱えたまま、それでも信じられない速さで走り続けた。
後ろ向きで抱えられたアウラは、ジルの肩にしがみ付き息を詰め身動きをしないよう身体を固くしていた。
背に回されたジルの手が温かかった。本音を言えば、この状況も、これから先のことも、全部が怖かった。それでもジルの手が温かいから、アウラは耐えることができる。
時折そっと息を吸えば、土の匂いを感じることができた。アウラにとっては、初めて訪れた森という場所である。
高くそびえる木々の枝葉が陽の光を遮り、ひんやりとした空気は湿り気がある。耳元で騒ぐ風の音に混じって、どこか遠くで水が流れる音が聴こえる気がした。
さらに行くと、次第に霧が立ち込め、まだ日中であろうに辺りは薄っすらと暗くなってきた。
ジルも、レオンも、ずっと無言だった。
ジルの呼吸を感じながら、どうしても考えてしまう。このまま連れられて行って、本当に良いのだろうかと、そんなことばかりを。
レオンとセラの思いは分かる気がする。理解もできる。
アウラを助けることに難色を示していたセラが、急にアウラの同行を許したのは、ジルの心情を思ってのことだろう。
利用でも構わない。少しでも役に立ちたいと思う。
だが、このまま連れられて行くことが最善なのだろうか。今まさにこの瞬間、そしてこれから向かった先で、邪魔になりはしないだろうか。
密着していることで、ジルの息遣いが否が応でも伝わってくる。
アウラの鼓動や息遣いと一緒に、卑屈な思考も伝わってしまわないか、そんな心配が頭を過る。
「ジルさま」
「……ああ」
しばらく走り続けたところで、レオンが声を上げた。その声に、速度を緩めることのないままジルが言葉少なに応じる。
「追いつかれた……という感じではないな。別件か」
「今までは誰にも会わずに抜けられてきたんですけどね」
「日頃の行いってやつか」
「悲観的過ぎますよ。とはいえ、このまま撒けそうな感じもしませんね。私が足止めをします。その間に行ってください」
アウラの目には見えないが、追手の存在があるらしい。
ジルは返答をしなかった。もしかしたらできなかったのかもしれない。アウラを抱える腕に、ほんの僅かだが力がこもる。
「数が多いですね。馬はいない。
「二人でなら、どうにかできるかもしれない」
「アウラ様をどうします? そんな危険を冒す必要はありませんよ。何も殲滅させようというわけではないのですから。足止めすればあなたは無事に逃げ切れるし、私も用が済めばすぐに追いかけます」
「レオン」
「このくだりは、もう先程セラとやったでしょう? 我がままを言うものではありませんよ。全てを私が引き付けるのは無理かもしれませんが、必ずどうにかします。そのまま振り返らず、足を止めず、行ってください」
厳しい表情のレオンがふいに、並走するジルを見た。ジルと、そしてアウラを見て、その顔が柔らかく微笑む。
「後からきっと追いかけますから。セラの受け売りのようになりますが、私もこんなところで尊い犠牲になるほど殊勝なつもりはありません。先程は格好をつけてあんな風に言いましたけどね」
そんなことを言うレオンの表情がなんとなく穏やかで、見ているだけしかできないアウラも、口元を固く引き結んだ。
「そもそも、私が真に仕えるのはあなたではありませんし。私を兄と慕ってくれるなら、ここは花を持たせるべきでしょう。信じてください。私はシャノワ王国に仕える騎士です。その辺の賊風情に後れを取ることは致しません」
ジルが、泣いてしまいそうな気がした。
片目を瞑って見せたレオンが、駆ける速度を緩めないまま腰の剣を抜き放つ。
「アウラさま。色々と、申し訳ありません。主を頼みます」
左右それぞれに手に一本ずつ、双剣を携えレオンはその場で急旋回して背後へと向き直った。
ジルは、レオンを置き去りにしてそのまま走り続ける。
あっという間に、レオンは過ぎ行く木々に阻まれてその姿を消した。まるで森に吞まれてしまったかのような気がする。
とうとう、ジルと二人だけになってしまった。
このままどこまで走り続けるのだろう。
この森がどれくらいの広さなのか、ジルの足でどれくらい走り続けて抜けられるものなのか、アウラにはわからない。
何もわからないし、この状況で何を決めることも、どうすることもできない。
邪魔になるぐらいなら、捨てて行って欲しかった。でもきっと、ジルはそんなことはしてくれない。
セラが無事であると良い。
レオンが無事で戻ってくると良い。
これ以上、ジルが傷付かないと良い。
アウラは願うだけ。
願うことしかできない。願うだけで、何もできない。
ここでアウラを置いて行けば、ジルはもっと早く走れるのかもしれない。
でも、それは言ってはいけないことのような気がする。
ジルのことをちゃんと理解しているわけではないけれど、アウラを抱えているからこそ、ジルは足を止めないで走り続けることができるのだろう。
セラやレオンは、主であるジルのために、いざというとき命を賭けるために一緒にいたのかもしれない。だけど、アウラにそれは許されていない。
むしろ、ジルの重しとなるために同行を許された。
この人はきっと、誰かのために懸命になれる人なのだから。
アウラにできるのは、息を殺しているぐらい。少しでも、邪魔にならないように。
あまりにも無力な自分が哀しくて、悔しくて、涙が零れそうだった。
「……ごめんなさい」
口から洩れてしまった言葉だって、本当なら言わない方がいい。この状況での謝罪なんて、なんの役にも立たない。
「……謝るな。むしろ、巻き込んでしまった。俺が、弱いせいで」
そう、苦しげに呟いたジルが、ふと足を止めた。
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