5-3

 この世界は魔力によって成り立っている。

 通常は感知できないほどの僅かなものだが、人も物も、物質として存在する全てが、魔力を有しており、魔力があることによって物質としてその形を保つことができている。


 只人には感知することもできない魔力を多くその身に宿し、自ら感知し、使役できる者が魔法士、あるいは魔術士と呼ばれる存在となれるのである。


 魔法士は、陣によって精霊へと捧げる魔力を制御し、それを契約とし、精霊の起こす現象を魔法として発動することをしている。


 魔法士の行使する魔法、精霊魔法は、精霊の存在失くしては成立しない。

 精霊は人の目には映らず、言葉を交わすこともない。その気配だけを僅かに人に悟らせ、魔力という餌にのみ反応し、魔法という奇跡を起こす。


 人知を超えた、計り知れない神秘の存在ではあるが、脈々と築き上げられてきた人の有史において、一端に過ぎずとも、精霊の一部を推し量ることは可能である。


 曰く、精霊が嫌う、禁忌として伝わる行いがある、と。

 大量の魔力にものを言わせ、陣に強制力を付与し、一時的にでも精霊を従わせる行為。

 そして、精霊の厭う幾つかの魔法。それは呪法と定められ、後世に禁忌として伝えられてきた。


 禁忌を犯した魔法士は、呪法士と呼ばれる。


 一度でも禁忌を犯した呪法士に、精霊が応えることは二度とない。

 それどころか精霊は、その呪法士の身体に、目には見えないあなを開けるのだという。魔力が流出し続ける、あなを。


 精霊に、世界に拒絶された呪法士が、この世界に存在することは許されない。

 やがて迎えるのは、死とは異なる肉体の消滅。

 人の形を保てなくなった呪法士は、無へと還る。




***




「僕が、呪法士で、死ぬ、か。ふふ。そう、そうか。でももしかしたらそれは、君の願望ではないかな」


 ジルの瞼に触れていたラヴェンディアの指先が、目元をなぞる。

 その手付きは慎重に、まるで愛でるかのようだ。


「君を見ているとね、シャノワ王国がこれまで平和であったことを痛感するんだ。こうして触れていると、その平和に爪を立ててみたくなる。抉り出して、握りつぶしてみたくなる」


 ラヴェンディアの声は、聞きようによっては優しくも感じられる。楽しそうに笑う声が聴こえてくる。


「……その装いは、シャノワの神官長のものだ。お前にはなんの意味も思い入れもないのだろうが、シャノワの者にはそうではない。百官の長が、あまりおかしな、気味の悪い言動は止めてくれ」

「呆れるほど愚直だな。どこまで国に尽くせば気が済む? 状況、理解できてるのかな?」

「俺はシャノワ王国の王族だ。国と民に尽くす。そのために生きている。報いなど求めてはいない」


 ラヴェンディアの表情は伺い知れない。ただ、ジルの目元に置いていた手に、力が込められたような気がした。


「さっきので理解した。剣を突きつけられずとも、俺にはお前をどうすることもできない。せめてその魔法だか呪法だかをどうにかしないと、剣が通らんからな。しかも、まだお前は本気を出してない。今ここでお前が俺たちを消す気なら、防ぐ手立てはないだろう。黙ってやられる気はないから、目一杯の抵抗ぐらいはするが。無駄だろうな」

「意外と、冷静じゃないか」

「お前とお揃いなんてぞっとしないが、目の片方で気が済むならくれてやる。持っていけ」

「ジルさま!」


 レオンが悲鳴のような声を上げ、黙っていたセラが殺気立つ。それでも二人は、その場から動こうとはしなかった。ジルに突きつけられる短剣の存在があるから。


 沈黙があった。

 何を考えているのかわからない沈黙の後で、ラヴェンディアが無造作に短剣を収めた。


「やめた。おもしろくない」


 ジルが素早い動きで身体を起こし飛び退った。

 距離を取ったジルを、ラヴェンディアの視線が追う。


「よし。じゃあ、話をしよう」

「したくない」

「いいよ。僕が勝手に喋るから」


 ジルを守るように、レオンとセラが両脇に立つ。そんな三人に大して興味がなさそうな視線を向け、ラヴェンディアが口を開いた。


「妃殿下はね、君の浅慮を大変、お嘆きであらせられる」


 アウラからは、背を向けているジルの表情は見えない。

 だが、ラヴェンディアがジルを見て、嗜虐的な笑みを浮かべた。


「ふふ。本当に、酷い話だよ。継母とはいえ、君を実の子のように思っていらしたというのに。君の行いは、恩を仇で返す、あまりにも惨い仕打ちだ。妃殿下が受けたご心痛を思うたび、僕も胸が張り裂けそうなほどつらい。親殺しなど、あってはならない、許されざる蛮行だ。そう思うだろう?」

「最後だけは、同意する」

「罪を認めなさい。認め、償う。それこそが君がすべきことだ。いたずらに混乱を招く行動は慎みたまえ。君は王家の者で、君たちが身を置いていたのは国家の中枢……とまでは言わないけど、まあいずれはそうなる立場だった。いつまでも子どもでいて良いわけがないだろう? かわいそうな君の妹姫のことも考えてあげないと。情に流され王子様に従ったんだろう者達も、そろそろ聞き分けて、現実を見なさい。君たちのような若き逸材が、愚かしいばかりの蛮行に加担し足を踏み外すなど」


 その美しい顔に浮かぶ笑み。ゾッとするような、美しい笑みは敗退的で、淫靡に思える。


「鳥野郎がぴよぴよ言ってんじゃねえよ」


 セラが吐き捨てるように呟いた言葉にも、ラヴェンディアは視線をやることすらせずただ笑みを深めた。

 それでも、小さく口元だけで何かを呟き、優美な動きで黒い指先を振るう。

 セラの頬から鮮血が散った。


「セラ!」

「雑魚が煩い。苛ついて皆殺しにしたくなってしまいそうだから、自重してくれ」

「いちいち騒ぐな! ちょっと切れただけだよクソが!」


 セラの真っ白なローブに血が垂れた。セラの腕が乱暴に頬を拭う。


「――――ああ、ようやくお出ましだ」


 ラヴェンディアが唐突に、何もない空間に向かって恭しく頭を下げた。


 ラヴェンディアが頭を下げた先、空間が歪み、空気がぐるりと渦を巻く。


 渦巻く空中に浮かんだ、白い魔法陣が床に沈み、ジルが、恐れるように一歩後退した。


 何かを予見する彼らの前に、最初に現れたのはつま先。銀色の華奢な靴が床を鳴らした。


 次に、靴と同色の銀色のドレスが、そしてフードを目深に被った女性が、現れた。

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