6 白猫の妃殿下

6-1

 すらりと高い背に、ほっそりと華奢でありながら、ドレスに覆われた身体は柔和な曲線を描いている。

 目深に被ったフードの下には、ジルと同じ様に獣の耳があるのかもしれない。膨らんだフードから零れる一筋だけ垂れた髪は、淡雪のように真っ白だった。

 フードに遮られ相貌は見えないが、硬く引き結んだ、形の良い、赤く色付く唇だけで、その美貌は十分に窺い知ることができた。


「……はは、うえ」


 ジルベルトの呟きに応えたのは、空気すら凍り付かせるような沈黙。

 その人の放つ、圧倒的な威圧感に胸が詰まる。


 フードを被ったままの頭が僅かに動き、ジルへと向き直り、ゆったりとした動作で頭からフードを外した。

 その挙動すらもが美しい。美しく、厳かで、威厳に満ちている。こんな場所には、明らかに似つかわしくない存在だと思った。


 出てきたのは、首の後ろに纏めた白い髪と、やはり真っ白な、猫のような獣の耳。

 肌も髪も真っ白な中で、赤い唇と、抜けるような青い瞳が印象的だった。


 凍てついた湖面のように静かな瞳が、ジルを眺めるように見た。


「ジルベルト」


 声を出してもなお、その人はまるで作り物のようだった。その美貌と、感情が見えないことがそう思わせる。


 この美しい女性が、おそらくジルの母親なのだろう。

 母親で、継母で、獣人の国シャノワ王国の、王妃。彼らが言う、妃殿下。


 アウラには、義理の息子に対する親子の情のようなものは、僅かも感じ取ることができなかった。

 いや、そもそも慈しむとか、疎ましく思うとか、そういった次元の話ではない。


「元気そうで、何よりです」


 息子の息災を喜んでいるようには、少しも感じられない。

 美しい声は、情どころか、感情自体を感じさせない。アウラが戸惑うほどに淡々としている。


 ジルは、いつの間にか剣をだらりと下ろしていた。

 レオンは片膝を着き、頭を下げている。セラすらも、姿勢を正し跪くことはせずとも頭を下げていた。

 ラヴェンディアも、妃殿下の僅か後ろで恭しく頭を下げている。


「あなたが弑らんとした陛下は、一命を取り留めました。しかし未だ目覚めません」

「俺はやってない!」


 悲鳴のような声に聞こえた。

 ジルの上げた悲痛な訴えは、しかし妃殿下にはまるで聞こえていないようだった。


「私は母として、あなたの行いをとても残念に思います」

「母上! 聞いてください! 俺は父にも、もちろんあなたにも、叛意など抱いていない! 身に覚えのないことです! あなたはあの男に――」


 呪法士である、そう目されたラヴェンディアが、僅かに顔を上げた。


「最後の警告です。明日の日没までは待ちます。それまでに城に戻り、投降なさい。そうすれば償う機会を与えましょう。王族として、尊厳のある死を」


 妃殿下は、ジルの声に一切耳を貸すつもりはないらしい。あるいは本当に聞こえていないのではないかと、そう思ってしまうほど完璧な無視だった。


「母上……」

「あなたが償うことによって、あなたの逃亡を幇助したと思しき全ての者、騎士レオン、神官セラフィム、メイリスも含め、その罪を不問とします。これまで通り、王国に仕えることも許しましょう」


 淡々と話し続ける妃殿下を前に、再び口を開きかけたジルは、しかし何も言わずに項垂れた。悄然とする姿は、まるで全てを諦めてしまったかのように見える。


 その姿を満足そうに眺める、ラヴェンディアがいる。


「しかし、あくまで罪を認めず、投降はしない、と言うことであれば、その思いを尊重することにいたします。尊重し、シャノワ王国の王妃として、その思いに応えます。あなたを捕え、国王弑逆を企てた罪人として、処断いたします」

「妃殿下! 口を挟む無礼をお許しください!」


 ジルに代わり、跪き顔を伏せたままのレオンが声を上げた。

 しかし、妃殿下はまるで聞こえた様子もなく、一顧だにしなかった。


 アウラでもわかる。国王弑逆を企てた罪人としての処断が、どれだけ苛烈なものとなるか。

 そんな恐ろしいことが、この優しい人の身に起ころうとしている。

 そんな恐ろしいことを、母親が、行おうとしている。


「話は以上です。王族として、恥じぬ選択をなさい」

「妃殿下! どうか!」

「神官長、私は先に戻ります」

「ご随意に」


 声は、届かない。

 誰の声も、妃殿下には届かないらしい。足元に魔法陣が浮かび、現れた時と同じだけの唐突さで妃殿下は去っていった。


 残された者達の間で、重い空気が漂っている。項垂れ立ち竦むジル。跪いたままのレオンは、無言のまま固く拳を握りしめている。セラも、妃殿下が去っていった虚空を睨みつけていた。


 その中でただ一人、ラヴェンディアのみが、異なる空気を纏っている。

 ただ一人、この状況を楽しんでいるように見えた。


「と、いうことだ。悔いのない選択をするといい」


 ラヴェンディアの顔に浮かぶのは、間違いようのない愉悦だ。

 白々しいほど華やかな声にも反応を示さないジルは、俯いたままだった。


「明日の日没だ。忘れないようにね。まあ忘れてしまっても、僕は構わないけど。でもそうすると、また、妃殿下が悲しまれるね。ふふ」


 美しい顔を歪め嗤う。アウラからは、背を向けているジルの顔は見えない。


「ああ、そうだ。ひとつ、確認しておかないと。ねえ、オルディナリ王国は、どうだった?」


 ジルが、伏せていた顔をのろのろと上げた。


「魔封じの銀環は、無事に手に入れられたのかな?」

「……なんで」


 なんで、の続きはわからない。その言葉の意味するところも、アウラにはわからなかった。もしかしたらジル本人も、よくわかっていないのかもしれない。

 でも、ラヴェンディアには十分だったのだろう。


 君は、きっと魔封じの銀環を欲しがるだろうから、そう言って、ラヴェンディアが微笑む。


「本来なら、王の後継は君だ。妃殿下の台頭と、そのしもべとして権勢を振るう僕は、君にとって邪魔以外のなんでもない。君が再び表の舞台に戻るには、妃殿下を排斥する必要がある。妃殿下と、ついでにこの僕を。そのために、魔封じの銀環は役に立つかもしれない。君ならきっと、そう考えるだろうから」


 ラヴェンディアの口元が、嘲るような笑みを深めた。

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