6-2

 ラヴェンディアの言葉が、押し寄せてくる。


「排斥の方法については、いくつか考えられる。例えば、反王妃の勢力を集めて武力衝突に持っていく、とかね。だが、妃殿下が悪政を敷いているならまだしも、その治世にはほぼ問題がない。君が原因で多少の混乱があるぐらいだ。国内の日和見主義な貴族連中、あるいは他国を巻き込むにせよ、彼らを動かすほどの説得力も大義も、君には用意ができない。数人のお友達を集めることが精々だろう。次に考えられるとすれば、妃殿下を政治的に失脚させ、自分が宮廷に返り咲く、かな。しかし、これもなかなか難しい。むしろ今失脚しているのは君の方だし、君はそんなに頭も良くないし、僕が知る限り君には手札がない。そうなると考えられるのは、もう少し強引でわかりやすい手だ。ただし暗殺は良くない。やるなら清々堂々、公の場での断罪。禍根は少しでも減らしたいだろうからね。できれば殺さずに捕らえ、その口から君の潔白を広く証言させたいと思うだろう。だがそれには多少問題がある。妃殿下は優れた魔法士で、誠心誠意妃殿下にお仕えする僕もちょっとした魔法が使える。捕らえるにせよ障害は多い。どれだけ剣の腕が優れていようとも、近接戦闘にも特化した魔法士二人とやり合うのは無謀が過ぎる。味方の魔法士はお友達の下っ端神官が一人。ちょっと心許ないかな、とか。君はそんなことを考えるかもしれない」


 澱みなく喋り続けるラヴェンディアの声が、ジルの身に重く降り積もっていく気がした。


「城を逃げ出した君が身を隠すなら、シャノワに隣接する影の森だろう。誰が味方になってくれるのかもわからない状態で人前に出るのは危ういし。それでも一応協力者を得られないかと足掻くぐらいはするはずだ。追い詰められた君は国内でも国外でも、君にとって好意的な人物にコンタクトを取ろうと考える。シャノワ王国に隣接するのは、東のアルネヴと、南のタイル神聖国、残りは影の森だ。状況から見て、そう遠出をする猶予はないだろうから、接触するにせよ精々がその二国だろうね。タイル神聖国とは、歴史から見てもあまり良い関係は築けていない。となると、残るはタイルに輪を掛けた太古の国、アンティークどころか化石みたいなアルネヴだ。行かせるなら、君の周りをうろうろしているあの野良猫くんだよね。将軍の息子は国内の貴族担当かな。まあ無駄だろうけど、そこは駄目元で試してみるに違いない。君は事件前まではわりと人気者だったし、うまく同情を引ければ不可侵を約束するぐらいは可能かも。そんな感じで、目ぼしい人物との接触はお友達に任せ、君は一時身を隠す。身を潜めながらも考えたはずだ。どうすればいいか。どうするべきか。何ができるか。そこで何もできないと諦めて遠くへ逃げる、ってことができるほど諦めは良くないから、乏しい知恵を絞って考えるだろう。その結果、森を挟んだ隣国、オルディナリ王国に思い至るのはそう難しいことではない。魔法嫌いのオルディナリ王国が所有する魔封じの銀環。それをさりげなく君に教えてあげたのはこの僕だしね。それがあれば、魔法士を無力化できる、それさえあれば……。ふふ、実に短絡的な思考だけど、まあ確かに役に立つかもしれないね。手に入れたところで、それをどうやって妃殿下の首に嵌めるつもりなのかは知らないけど。オルディナリ王国は森を挟んだ隣国でそう遠くもない。獣人の中でも君は戦士として優れている。愚鈍な人間相手に盗賊の真似事ぐらいは容易いし、リスクは少ない。やってみる価値はある、とか考えるだろう。お友達が君のために働いている間、君自身は暇だし。どうかな。結構良い線いってると思うんだけど」


 恐らく、沈黙こそが答えだ。

 ラヴェンディアはそれまでを知らなければ、ただ穏やかで優しいだけに見える笑みを浮かべた。


「実はね、その魔封じの銀環が欲しかったんだ。そう思って取りに行ってもらったのに、つい罠なんて用意してしまった。意地悪してごめんね? まあ、生きてるからいいよね」

「てめえ!」


 声を上げたセラは、その一瞬後に後方に飛ばされた。

 再び剣を構えたレオンの身には、何が起こったのかはわからない。アウラが気が付いたときには、ラヴェンディアの足元に倒れていた。


「やめろ……」


 弱々しい静止の声を上げたジルの顔を、ラヴェンディアが身を屈めるようにして覗き込んだ。


「あれ? もしかして泣きそう? 泣いてしまう? ふふ。いいよ、泣いて。君はよくがんばった。もう泣いて、諦めてしまえばいい」


 見て、いられないと思った。

 アウラから見えるのは、ジルの背中だけだ。その背中が、泣きそうな気がした。

 優しい人なのに、国を思って、民を思って、色んな人に優しくできる人なのに。こんな酷いことをされていいわけがない。こんな悪意にまみれた言葉に圧し潰されていいわけがない。泣き顔なんて、きっと似合わない。


 邪魔になりたくなくて、怖いと思って、ただそこにいることしかできなかった。

 でも。


「親切な僕が今ここで首を落としてあげようか? このまま生きていても、いいことはないかもしれないもんね?」


 ジルの背中に触れる。


「……っ」


 ジルが、身を強張らせ、背に触れるアウラを振り返った。


「……だ、だめ……だめです……生きて、生きていて」


 わかってる。アウラが口を出すことじゃない。そんなことは百も承知だ。

 それでも言わずにはいられなかった。何かを言いたかった。誰もが死を望んでるわけじゃないと、そう伝えたかった。ありったけの勇気を振り絞った。


 アウラに生きろと言ってくれた、優しい人。

 大丈夫。ジルは、世界に拒絶なんてされてない。絶対に、そんなわけはない。


「死んでは、いけません」


 ラヴェンディアの視線を感じる。

 怖くて、視線は上げられなかった。ただ、ジルがどこかに行ってしまいそうな気がして、彼の黒いマントを握り込んだ。


「――そう。……まあ、今日のところは引いてあげる。妃殿下のご意向のこともあるしね。銀環は、次の機会にもらうとしよう」


 顔を上げると、ラヴェンディアは既に背を向けていた。


「ああ、折角だからお土産を置いていくね。存分に楽しんでくれたまえ。狩りは好きだろう? 狩られる立場は初めてかもしれないけど。楽しみついでに自分たちの立場をしっかりと思い知ってもらいたい。這いつくばって、泥水でも啜ってくれ」


 そんなことを言って、ラヴェンディアもその場から消え失せた。

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