4-4

 何も言えないアウラを牽制するかのように、セラが再び口を開いた。


「お前、自分に何かできることはないか、とか考えてんだろうけど」

「セラ」


 セラの言葉をジルが諫める。


「そんなもんねえよ」

「セラ、いい加減にしなさい」

「うるせえなレオン、いったん黙ってろ!」


 たまりかねたように声を上げたレオンに、セラがそれ以上の声を叩き付け、改めてアウラを見た。


「いいか。良く聞けよバカ女。少なくともお前がオレにできることなんてのはねえ。お前程度ができることは、オレが全部自分でできる。オレ以外が相手でもそんなに変わんねえよ」


 ため息交じりのその言葉は、アウラに言い聞かせているように感じられた。

 そう思ったアウラは、手に持っていたパンとチーズを膝の上に置いて姿勢を正す。


「お前が獣人だってんなら、東側に連れてって生活に余裕がある知り合いにでもあたって、行儀見習いなんて名目でタダ飯食わせてやってくれ、と頼むこともできなくはねえ。でも、お前は人間だ。人間は人間と一緒に暮らした方が互いに平和だ」


 そうだろ、と言われ、頷くことしかできなかった。


「まず、自分でもわかってるだろうが、魔法士として身を立てられるような力はお前にはない。その程度の魔力で魔法なんて使うな」


 魔法士と呼ぶのもおこがましい。

 魔法士としても、人としても、底辺の役立たず。


 魔法士であるセラにはわかってしまうだろう。

 アウラは魔法士として、あまりに不安定なのだ。

 魔力が最も満ちるのは、満月の夜。アウラの魔力は特に、月の満ち欠けに大きな影響を受ける。

 満月の夜を最高潮として、前後一日程度しか魔法士でいられない。一月に魔法が使えるのはせいぜい四日程度。


 そして、できるのは治癒のみ。

 ジルの治療は、稀なほどの幸運が重なった結果だ。


 ジルとレオンも黙り込んでしまい、沈黙がアウラの無能さを責め立てているような錯覚に襲われる。


「力仕事ができそうとか、剣の腕が立つとかなら働き口はいくらでもある。だが、その手を見る限りそれは期待できそうもない。料理や家事ができるってこともねえだろ。身を粉にして働いたところで、大した労働力にはならなそうだ。余裕なく働いてる場では、そういうやつは遠からず排斥されるし、結構エグい目に合う。あと可能性があるとすりゃ頭脳労働か。そもそも、これまでの様子を見るに、あんたは自分で何かを考えるようにできてない。そういう風に叩き込まれてんだろ。同情ぐらいはしてやれるが、それとこれとは話が別だ。上品なだけで大した体力も一般常識もない女が働けるとしたら、どうしたって限られる。面倒見て働き口を世話してくれて信頼のおける気の良いどっかのご婦人、ってやつの当てがあれば紹介でもなんでもしてやれるだろうが、生憎オレらは獣人だ。人間さまの知り合いはいねえ。そこいらのそれっぽい人間にイチかバチかで当たって砕けてみるって手もあるが、売り飛ばされてどっかで玩具同然に扱われた挙句、その辺に死体で転がることになるかもしれん。死ぬよりマシな目なんてのは、世の中いくらでもあるしな。当たって砕けるのはジルでもレオンでもない。あんた自身だ」


 そうか、と納得するほかなかった。


 アウラは自身の手を見る。

 おそらく大した力はない。剣など持ったこともない。料理も、家事も、やろうと思ったことすらない。料理は料理人の、掃除や洗濯は侍女や下働き、召使たちの役割だと思ってきた。

 知っているのは人を不快にさせないための最低限のマナーや作法ぐらいのもの。それ以上の知識も知恵もない。


「あとはどっかの裕福な貴族の嫁にでもなって養ってもらうって手もあるが、それには後ろ盾があって紹介を頼むか、まずそういうやつらと知り合う必要がある。そのために考えられる場はオレの知る限り、宮廷か社交界か娼館だ。そういう奴らが出入りしてるな。それでも、見るからに訳アリのあんただ。その訳に目え瞑って迎え入れてくれんのは、てめえも訳アリの後ろ暗い連中だ。かかわらない方がいい。ぶっ壊されてなんもわかんなくなるか、死んだ方がマシな目に合う。間違いなくな。だから、城に戻るでもいい。オルディナリだって、マギアの王族をいきなりぶち殺したりはしねえだろ。そんなことしたら、マギアに大義名分を与えるだけだろうからな」


 セラの指が、アウラの胸元を指す。


「どうしても戻りたくないってんなら、使えるもんを使え。お前にあるのは、その身ひとつだ」


 口調は静かだったが、そこには抑えた色々な感情が滲んでいるように感じられた。

 沈むような空気の部屋に、誰のものか定かではない溜息が吐き出される。


「ジル、もう一度だけ言う。お前はこいつを連れ出してくるべきじゃなかった。こいつはお前の手に余る。お優しいのはお前の美点だ。それは認めてやる。その手の中で庇護できるお前の民には、いくらでもその優しさをくれてやればいい。だが、背負えないものを軽率に背負おうとするな。お前一人の問題じゃねえんだよ。お前の今回の行為は軽率でしかない」


 これまでとは違い静かに諭されたジルは、溜息を吐いて片手で顔を覆った。


「レオン、お前もだ。お前は何もわかってねえ。言葉を選んだところで事実が変わるわけでもねえ。お貴族様の宮廷以外で、そんな欺瞞はなんの役にも立たない。言葉遊びに興じて、政治だ何だと人を駒にできる奴と、ただの駒と、その駒にすらなれねえ奴らとは根本が違う。せめて違うことをちゃんと知ってろ。貴族に生まれ貴族として育ったお前は知らねえだろうが、人はそう簡単には生き方を変えられねえよ。そんな簡単に王族が平民になれるわけねえんだ」


 レオンが、何かを言いかけた口を噤む。レオンと、そしてジルの頭上で、三角の耳が心なしかしょげている。

 アウラが何か、言わなければいけない気がする。しかし、何を言えばいいだろう。


「お前らのその甘さは、そのバカ女にとっては優しさでもなんでもない。お前たちがお優しい自分に酔って、気分良くなるために利用してるだ――――」


 セラの言葉が、不自然に途切れた。


 ジルとレオンとセラ、三人が同時に何かに気付いたように顔を上げた。

 彼らの頭上では、獣の耳がピンと立っている。


 なんだろう、と不思議に思った次の瞬間、アウラの身体は床に引き倒されていた。


「伏せろ!」


 轟音に混じるセラの声を聞いた気がした。

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