4-3

「で、レオン。どこまで話した?」

「望むところへ私がお連れします、という話をしたところです」


 アウラが必死で食べ進めている中、アウラの五倍近くの量を軽く平らげた三人は、コップの水を片手に会話を再開した。

 スライスしてもらったアウラのパンは、まだ半分も残っている。


 頷いたジルが、懸命にパンを咀嚼しているアウラを見た。


「うん、そういうわけだアウラ。レオンが望む場所まで送り届ける。こいつは気が利くし、腕も立つ。安心して頼ってくれ。世情にも通じているから、何かあれば遠慮なく聞くと良い」


 咀嚼しながら頷くアウラを、セラが冷めた目で睨みつけた。


「そこまでする必要ねえと思うがな。クソみたいな旦那から引き離してやったんだ。十分過ぎんだろ」

「セラ、もう決めた、って言っただろ。諦めろよ」


 呆れを滲ませたようなジルの言葉に、セラが重い溜息を吐く。


「非常時だからな、何度でも言うぜ。こうやって今お前の隣にいるのは、オレとレオンだけだ。優先させるべきは見知らぬ女の今後なんかじゃねえ。ジル、自分がどういう状況か考えろ。今がどういう状況で、お前が何を背負ってるか。レオンが抜けるのは痛手だ」


 諭すようなセラの口調に、ジルが怯んだようになる。ほんの少し、声に力がなくなった。


「それは、わかってる」

「わかってねえよ。わかってるってんなら、わかってる行動をしろ。その女は村の入口にあった宿にでも放り込んどけ。多少陰気だが、見栄えはそれなりだ。股さえ開きゃ置いてはもらえんだろ。適当に客でもとれば、自分の食い扶持ぐらい稼げる」

「セラ、王太子妃なんだ」

「元王太子妃だ。そんで、これからは元王族のただの女になるんだろ。それに、勘違いしてんなよ。王族って生き物全部に誰もが無条件で頭を下げるなんてことはねえ。国を富ませ、いざという時民の盾となる者だからこそ、頭を下げるし、膝を折るに値するんだ。関係ねえ国の、かかわりのない王太子妃なんてオレにはどうだっていい」


 ジルを言い負かしたセラの視線が、パンを飲み下したアウラを捉えた。大きな瞳は、まるで血のように赤い。


「あんたもだ、自分で決めて城を抜け出してきたんだろうが。お綺麗なままでいたけりゃ城に戻れ。お姫様はご存じねえだろうが、真っ当なやつってのは生きるために働くんだよ。屋根のある場所で寝て、飯が食いたけりゃ働け。てめえの食い扶持はてめえで稼げ。ろくに喋れもしない、体力もない、力もない。それで何ができるつもりかは知らねえがな。ここはもう、黙ってりゃ綺麗なドレスを着せてもらえる城じゃねえんだ。頼る誰かもいねえ、働くこともできないってんなら、後は勝手に野垂れ死ね」


 セラは言い切って、手に持っていたコップを床に叩きつけるように置いた。

 大きな音に身が竦む。


「セラ」


 ジルの窘める声を無視し、逸らされることのない赤い瞳がアウラを見ている。


「オレらを巻き込むんじゃねえ。死ぬならあんた一人で死ねよ」

「セラ!」


 ジルと、レオンの声が揃ってセラを窘めた。


「なんだよ。オレは間違ったことは言ってない」


 アウラも、そう思う。そう、思ってしまった。


 セラは正しい。きっと、正しいことを言っている。

 ジルとレオンは優しいから、セラのその言葉を諫めようとするし、耳が痛い事実ではあるけれど。


 アウラは王族として、生活に不自由することなくこれまで生きてきた。

 それはアウラ自身が人より偉いからではない。

 綺麗なドレスも、豪勢な食事も、広い部屋も。アウラがこれまで生きてきた中で当たり前に享受してこられたのは、アウラがどんなに役立たずであっても、王族としてそこにいたからに他ならない。


 どこの国においても、王族の暮らしは国庫から賄われる。それは民から集められた税によるもの。

 アウラは国に、民に、生かされてきた。

 それぐらいは、知っている。


 知っていて、それなのに今こうしてここにいる。

 ただでさえ、何の役にも立てない、お飾りですらない王太子妃だったのに。

 挙句それらを全部放棄して、アウラは逃げ出してきたのだ。


 本当は、許されてはいけないことなのだと思う。

 だからといって死を選ぶこともできない。それは、ここに連れて来てくれたジルに対しあまりに不誠実だ。


 死んだ方がいいのかもしれないと、今まで散々思ってきたアウラだが、本当のことを言えば死ぬのは怖い。生きていたい。


 でも、どうしたら生きていてもいいのだろう。どうすれば、生きていてもいいと、思ってもらえるのだろう。その許可を、誰に得ればいいのだろう。


 セラの言う「股さえ開けば」とは、閨を共にすればということだろう。それは、王太子に嫁ぎあるべきだった行為が、生きるために必要な対価となり得る、ということだろうか。

 アウラの身体に、その行為に、食い扶持とやらが稼げるだけの価値を見出すことができるのだろうか。


 王女としても、人としても、魔法士としても、役に立たないどころではない。アウラの存在は、人を不愉快にするらしい。

 誇るべきものどころか、本来持つべきものすら何も持っていない。


 まだ半分手に残っているパンは、どんな味であろうとも人の腹を満たすことができる。血となり肉となれる。


 アウラは空っぽで、何も持っていない。何もないのだ。

 王族であることすら止めてしまったら、他に何かあるだろうか。

 アウラは、一体何になれるのだろう。


「言葉を選びなさい。正しいことと言うべきことは必ずしも同一ではありません。セラ、あなたももう子どもではないのですから」


 レオンの言葉にセラが反抗的に鼻を鳴らした。


 追いつめられたような居心地の悪さを感じながらも、懸命に考える。何ができるのか。

 でも、書物や想像の中からしか得ることのなかった現実の、その重みに圧し潰されそうになるだけで、どんなことも思い付けそうになかった。


 考えれば考えるほど、自分の中には何もないのだと、突き付けられるだけだった。

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