4-2
レオンがふいに、視線を部屋の角へと向け立ち上がった。
「戻って来たようです」
扉が開き入ってきたのは、紙袋を抱えたジルと手ぶらのセラだ。
「パンとチーズが買えた。ずいぶんふっかけられたけどな」
一見して獣人とは見えない二人は、分厚い外套を纏い、フードを目深にかぶっている。セラは、さらにそのフードの下に帽子をかぶっていた。
ジルの姿に、そして返答が先延ばしにされたことに、安堵する。なんの意味もない安堵かもしれないが、少しでも、現実から目を背けていられる時間が欲しかった。
「この辺はあまり治安もよくないし裕福ではないし、散々だな」
「森が近いですし、王都からも離れていますからね。騒ぎなど起こしていないでしょうね」
「ナイナイ」
脱いだ外套をレオンに渡したジルが、紙袋を抱えたまま部屋の中央に座り込み、雑な返答をしたセラもジルの隣に座り込んだ。
流れるような会話も、床に座ることも、どうやら彼らにとっては普通のことらしい。
「ちょっと絡んできたやつらをジルがシメただけー」
「代わりの剣も欲しかったしな。素行の悪そうな奴らだったから、ちょうどよかっただろ」
そう言って朗らかに笑ったジルが、腰の片側に差した剣を示す。レオンの双剣に対し、ジルは一本だけだ。
「あなたたちは! 騒ぎは起こさないようにとあれほど申し上げたでしょう! 他国の城に忍び込むような勝手をした挙句、今度は追剥ぎの真似事とは! 恥を知りなさい!」
「すみませんでした」
「オレは見てただけ。城に忍び込んだのも絡んできたバカ共シメたのもジルだって」
「止めなさい! それに城に転移したのはセラ、あなたの魔術でしょう!」
「あるじの
レオンと、反省には程遠い態度のセラの会話を余所に、ジルがアウラへと顔を向けた。身を起こしたアウラにごく軽い挨拶を口にして、屈託なく笑う。
「アウラ、朝食だ。大したものはないけどな。食える時に食っておいた方がいい。こっちへ来い」
食事を共にする、という意味に思えた。
戸惑いを感じはしたが、呼ばれたのは確かだ。聞き返すことも非礼だろう。要求には速やかに応えなければならない。
ベッドから降りて、揃えて置いてあった靴に足を入れる。
そう広い部屋ではない。たかだか五歩程度の距離だ。
それなのに、一歩が踏み出せなかった。
近付こうと思うのに、なぜか前へ進むことができない。
阻む何かがあるわけではない。ただ、どうしても足が出ない。
なんでもない顔をして進み、腰を下ろせばいいだけ。簡単な動作だ。
立ち尽くしている場合ではない。
「アウラ」
静かに呼ばれた声に、肩が震えた。
思考と切り離されてしまったかのように、身体が言う事を聞こうとしない。
ジルは、アウラを嫌ってはいない。何故かはわからないけど、きっと大丈夫。大丈夫な気がする。
それなのに、身体に染みついた何かによって、踏み出す一歩が阻まれている。アウラの身体なのに、言う事を聞こうとしない。
魔封じの銀環、その存在が引っかかっているのだろうか。きっとジルが持っているのだろう。
でも、それだけではない気もする。
アウラは、何に対してこんなにも怯えているのだろう。
わからない。わからないのに、怖い。怖くて、顔が上げられない。
怯える必要なんて、どこにもありはしないのに。
彼らの好意を無下にし、その時間を無駄にするわけにはいかないのに。
「アウラ。大丈夫だ。俺は、絶対にお前にあの銀環を嵌めたりしない」
ジルの言葉に、アウラは目を見開いた。
「黙っていろとも言わない。むしろ声を聞かせてくれ。どうしたいのか、今の気分でも、なんでもいい。思ってることがあったら、全部、聞かせて欲しい」
のろのろと顔を上げれば、ジルは紙袋から大きな丸いパンを取り出したところだった。どこからか取り出したナイフで、器用にパンをスライスしている。
「それに、魔法士でも、人間でもなんでもいいとも思ってる。そんなことで責めたりもしないから。こっちへ来て座ってくれ。一緒に朝食を食べよう」
そう言って、薄く切ったパンをアウラに差し出してきた。
「食べて、生きろ」
何かが、喉元までせり上がってきた。
ジルの金の瞳がアウラを真っすぐに射貫いている。差し出された手に乗っているのは、なんの飾り気もない固そうなパン。
アウラは、ジルにとっては異種族である。女で、人間で、魔法士。
何もかも違う。何もかも違うのに。
同じ女でも、人間でも、魔法士でも、アウラにそんなことを言う人は今までいなかった。
役に立たない者、あるいは忌まわしい魔女。そのどちらかでしかなかった。
動けないアウラを見て、ジルが苦笑する。
「まあいきなり色々難しいだろうからな。ひとまず、危険を冒して連れ出したことに、恩義でも感じてくれ。俺のしたことを無駄にするな。まずは隣に座れ」
気が付けば、ジルの隣、示された場所に立っていた。
促されるまま腰を下ろせば、手にパンを乗せられた。ジルの反対側に座ったレオンがそれぞれの目の前に水が入ったコップを置き、そしてやはり大きなチーズの塊を切り分けた。パンの上に、スライスしたチーズも乗った。
見渡せば、セラとレオンは、既に食べ始めている。アウラの手の中にも彼らが食べているものと同じ、パンとチーズがある。
貧相な食事だ。
皿もない。カトラリーも用意されていない。椅子もテーブルもなく、床の敷物の上に直接腰を下ろしている。
「まずは、いただきます、だ。ほら」
途方に暮れ、手に持ったパンを見つめていると、ジルがそう言って促してきた。
「……い……ただき、ます……」
「うん。どうぞ、召し上がれ」
なんとか口にした言葉に、ジルが満足そうに微笑んだ。
意を決し、とりあえずひと口大に千切ろうとしたパンは驚くほど固い。
「千切るのは無理だと思うぞ。齧りついて食べるといい」
苦笑するジルに教えられ、言われるがまま彼等に倣って口に運んだパンは、ぱさぱさして固く、酸味に驚いて、瞠目する。
セラやレオンはがつがつと豪快に食べ進めているから、食べてはいけないもの、というわけではないのだろう。
おそるおそる、歯を立てる。
固くて、不思議な味がする。
味がした。食べ物の、味を感じる。
「贅沢を言える状況じゃないが、旨くないな」
苦笑するジルの声に、油断すると涙が零れそうだった。歯を食いしばる代わりに、固いパンを噛み締める。
アウラは少しずつ、だがしっかりと噛んで、固いパンを呑み込んだ。
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