3 悪魔の国の悪い魔女

3-1

 アウラは、魔法士を多く輩出する大陸西側随一の魔法大国、マギアの王族として生まれた。

 魔力の源、その象徴としての精霊を篤く信仰する、魔法士の国である。


 血統が管理され、王族のほぼ全てが魔法士として生まれてくるマギア王家では、魔力量、そして魔法士としての資質によって、その価値が左右される。過去には、魔法士でない者は産まれてすぐに処分されていたとすら聞く。


 アウラの魔力量は、辛うじて魔法士と呼べる程度の僅かなものだ。優れた魔法士の多いマギア王家においては、底辺の存在である。


 アウラを産んですぐに亡くなった母親の身分は低く、アウラには母親も、それに代わる後ろ盾もなかった。

 魔法士の話を差し引いても、生まれながらに宮廷という階層の、最も低い場所に辛うじて引っかかっていた程度の、誰からも顧みられない王女。


 マギア王家では、優れた魔法士は重用され優遇されるが、そうではない者は国内では必要とされていない。


 他国にばら撒くための外交の駒。大陸の頂に君臨しているという自負の下、マギアから下賜される褒賞あるいは贈答品。いずれ大陸のどこかの国にばら撒くための物に過ぎない。


 本来王族に求められる、社交のために必要な教養や思考力は不要とされ、むしろ他国へばら撒くための王子や姫に賢さなど必要がない。

 そういう者が必要な場合は、それ用に教育された者が使用される。


 アウラは、ばら撒き用だった。

 最低限の行儀作法と教養だけを身に付け十五歳となった年に、命じられるままに生まれた国を離れた。


 マギア王国から嫁ぎ先へと向かう道中が、アウラの人生で最も幸福な時だったように思う。

 結婚相手と、これから暮らす異国とそこでの生活に想いを馳せることができていた。


 アウラが嫁いだ異国は、魔法嫌いで知られるオルディナリ王国。

 大国から押し付けられた花嫁を歓迎する者はおらず、夫となる王太子本人としても不本意な婚姻だったのだろう。婚儀の場で、ベール越しに一瞬見上げた不機嫌そうな横顔だけが、夫となる王太子を直に見た唯一である。


 形ばかりの儀式に見え隠れしていたのは不満と、大国への畏怖。


 新婚初夜と呼べるようなものもなく、婚儀以降ただの一度も顔を合わせてはいない。

 王太子がアウラに会いに来ることはなかったし、アウラ自身は与えられた後宮の部屋から出ることを許されなかった。


 オルディナリ王国とマギアでどういった交渉があり、どういった経緯でマギアの王女が嫁ぐことになったのか、当のアウラは聞かされてはいない。

 ただ、オルディナリ王国の側、少なくとも王太子が望んだことではなかったのだろう。


 マギアの王女が歓迎されていないことだけは、確かなこととして理解できた。


 婚儀が終わってすぐ、有無を言わさず複数の兵に抑えられ、魔封じの銀環を首に嵌められたことで。

 何をしたわけでもなく、魔女と罵られたことで。

 目が合っただけで、侍女が上げた小さな悲鳴を聞いたことで。


 アウラはもちろん、魔法で人に害を成したこともなく、世界に背く呪法士でもない。

 魔力などほとんどないに等しい状態のアウラだったが、そんなことはまともな人間である彼等には関係のないことだった。

 気味が悪いと忌避され、明らかにアウラは疎まれていた。


 母国での扱いは、まだマシだったのだと、痛感した。


 そんな状態で、魔封じの銀環による作用で体内の魔力循環が滞り、呼吸も困難になり、やがて動かすことすらできなくなった身体で、耐えられたのはたった半月。

 なんとか一命を取り留めたアウラだったが、いっそ死んでいた方が良かったのかもしれない。

 その後、何度もそう思った。


 魔封じの銀環は外されたが、そのせいでアウラの目の前から人の姿が消えた。

 上げられる悲鳴も、目に見える怯えもなくなって、少しだけほっとした、というのも事実ではある。


 朝起きたら用意されている水で自ら顔を洗い、用意されている着替えを自分でする。用意されていた朝食を採り、自室で読書をして過ごす。

 昼食と、夕食も同じ。毎日同じ時間に、用意される。夕食の間に支度が終えられている入浴を自分で済ませ、寝室へ行けば翌日の着替えと洗顔の用意がされている。


 王太子妃として与えられた四部屋は広く、寝室と浴室に、衣裳部屋と応接室。連なってはいるもののそれぞれ扉で隔てられている部屋は、誰にとっても都合の良いものだった。

 隔てられているので誰とも顔を合わせる必要は無い。誰と顔を合わせることなく、一人きり。

 不自由はなかった。着替えも食事も居住する空間も、十分なものが与えられていた。


 王太子妃としての務めも、妻としての務めも、課せられるどんな役目もない。

 ただそこにいることが役目だ。

 必要なのは嫁いできた、という事実。

 枷で声を封じられてもいなくても、声を出す必要などなかった。そんな状態で、それなのに身に余るものを十分与えられていた。そう、思う気持ちもある。


 外へ続く廊下の先には昼夜を問わず見張りがいる。

 本来であれば王太子妃を危険から守るための見張りだろうが、アウラに対しては、別の意味だったのだろう。

 アウラが、危険な魔女が、部屋から出ることを防ぐため。


 外へと通じるのは、三階の高さに在る部屋から続くバルコニーのみ。


 嫁いで三年が経った。たった三年で思い知った。この世界に、アウラの居場所などないのだと。

 誰かと心安らかに過ごす日々など、夢にすら見ることができない。ただ息を潜め、過ぎる時を待つ。


 嫁いでからの三年間、気が遠くなるほど長く感じた。永遠にも思えたのに、これから一体どれだけの時間を、こうして過ごせばいいのだろう。

 誰と話すことも、かかわることもせず。声の出し方も忘れそうだった。


 もしかしたらやけに広く開放的なバルコニーは、オルディナリ王国に住まう者達の思いを、示唆していたのかもしれない。

 いや、それはもしかしたら、アウラに向けられた、この世界の意思なのかもしれない。


 道を踏み外した魔法士は、呪法士と呼ばれ、世界から拒絶される存在なのだという。

 アウラは、呪法士だっただろうか。精霊を抑えつけ、力を振りかざす悪だったのだろうか。

 この国も、人も、そして世界も、誰も彼もがアウラの存在を拒んでいる。受け入れて貰えない。


 人目を忍び、バルコニーから毎夜月を眺めることが、精一杯の楽しみだった。


 月を見上げるアウラの耳元で、何かが囁く声を聴いた。


 どうかそこから飛び降りて、いなくなってくれ、と。

 そう、言っているような気がした。

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