お客様は神様です

桜青

第1話

 僕は高校二年生で、コンビニのアルバイトをしている。そのコンビニには少し変わったお客様がご来店される。名前は月野樹莉つきのじゅり。船橋高等学校の陸上部部長。容姿端麗、成績優秀、品行方正の3種の神器を持つ優等生だ。


 月野さんには、このコンビニで従業員が呼んでいるあだ名がある。


 神様。これが月野さんのつけられたあだ名だ。誰に対しても笑顔を振り撒き、最後には「頑張って下さい」とお辞儀をしてくれる。クレーマーの多い最近の世の中では彼女が従業員の支えとなっているらしい。


 僕は、学校での彼女も知っているので予想がつく。きっと、天使が舞い降りてきたような気分なのだろう。


 ピーンポーン


 来客音と共に店長の「いらっしゃいませ!」という大きな挨拶が店内に響き渡ると同時に、僕も挨拶をする。


 すると、来店して来たのは、月野さんだった。

 黒のショートカットに長いまつ毛。透き通るような白い肌。抜群のスタイル。彼女は真っ直ぐ僕のレジに向かって来る。


「お疲れ様、青空はるあくん」


 彼女は僕に対しても笑顔を振り撒くのだろうと思っていたが、違ったようで、頬を赤ながら恥ずかしそうにこちらを見ている。


 昼はクラスメイト。夜は店員とお客様。その関係が気まずさを際立たせるのは言うまでもない。誰でもバイト先で知り合いと会ったら気まずくなるものだろう。



「いらっしゃいませ! そのままでよろしいですか?」


 彼女はいつも決まって、ココアを買っていく。コンビニにしか置いていないようで、僕もたまに買って行ってしまう。ストーキングをしているようで、罪悪感が身体中を覆ってしまう。


「ありがとうございます」


 彼女は恥ずかしがりながらも、笑顔を僕に向ける。彼女の笑顔を僕は久しぶりに見た。僕は去年まで彼女と同じクラスで、隣の席だった。男子からの視線が毎日のように痛かったのが今でも思い出せる。


「後少しで終わるの?」


 ココアを手に持っている彼女が、突然そんなことを口にした。頭が真っ白になる。後少しと言った方が良いのか。時計に目をやると、まだ一時間近く残っている。


「まだ後、一時間近く残ってるね」


 半笑いをしながら言うと、彼女は「そっか。頑張ってね!」と一礼して、去っていく。


 少し足早に帰っているように見えるのも、帰る彼女の顔が少し残念そうだったのも、きっと僕の見間違いなのだろう。




 翌日。彼女はまた来店した。今度は制服姿ではなくて、私服に着替えているようだ。昨日は部活がかなり長引いたのだろう。


 後少しで終わる労働時間。モニターの時間を凝視しながら、そんなことを考えていた。


 バイトを経験している人なら誰もがやったことがあるだろう。別に職場が嫌いだとか働きたくないわけではない。しかし、後どれくらいで終わるのか、それは終わる時間が近くなっていけばいくほど、気になるものだと僕は思う。


 こういうのを何効果と言うのか、後でネットで検索しようと思っていると、今日も彼女は僕のレジに真っ直ぐに向かって来る。


「すみませんお願いします」


 レジに暖かいココアが二本置かれる。

 季節は冬になり、辺りはクリスマスムードと同時に気温が一段と低くなっていく。

 僕もそれは分かるが、二本買うのかと少し感じてしまった。余程このココアが好きなのだろう。


 僕もバイトが終わったら買って帰ろうと考えながら僕は彼女を接客し終える。


「今日はもうすぐでバイト終わるよ?」


 僕がそう伝えると、彼女は困ったような顔をする。


「ご、ごめん! 昨日聞いてきたから、今日も聞くのかとばかり」


 僕が焦って弁明をすると、彼女は何がおかしいのか、クスクスと口に手をやりながら静かに笑っている。


「そうだよね! 私、昨日聞いたもんね。もうすぐ終わるなら、一緒に帰ろうと思ったの。じゃあ待ってるね」


 彼女は話が終わると、足早に去って行った。

 彼女がドアを通り過ぎる時にふと気づく。

 何も返答をしていないことに。

 なぜ僕が彼女と帰るのか。頭が真っ白になっていると、接客を終えた店長が話しかけてきた。


佐藤さとうくん。もう上がりの時間だねーお疲れ様。お客様の言うことは絶対だから、しっかり送って帰るんだぞ」


 店長は僕の肩を叩く。悪者みたいな笑い方をする店長に苦笑いをする事しかできなかった。




 僕は制服に着替え、コンビニのドアを通り過ぎると、ココアを飲んでいた月野さんを発見し、近づいていく。


 僕が近づいているのが分かったのか、月野さんは、「青空くんお疲れ様!」と笑顔で手を振る。


 この笑顔にやられた男は多い。クラスで下っ端の僕でも、彼女が毎日のように告白をされているのは知っている。しかし、彼女は決まってこう言う。


「ごめんなさい。私、好きな人がいるんです」


 それを聞いた男たちは我こそはと彼女に立ち向かっていくが、全員追い返されてしまう。

 告白をしてはいないが、彼女を好きな男はかなり多いらしい。僕もその内の一人だ。




 彼女を好きになった理由は去年同じクラスで隣の席になった時だ。いつも朝おはようと挨拶をしてくれる。帰る時、また明日と言ってくれる。女子とあまり話した事ない男なら好きになってしまうのは当然のことだろう。


 しかし、僕が彼女を好きになった理由はそこじゃない。僕が彼女を好きになった部分は笑顔だった。どんな人にも笑顔を向ける。彼女の笑顔を見ているだけで元気が出たのは言うまでもない。しかし、今は隣で笑顔を見れる機会はなくなった。


 でも、遠くから見ているだけで良かったのだ。僕が彼女に告白しても、成功しないのは明白だったから。しかし、今僕の目の前にはココアを美味しそうに飲んでいる彼女がいる。彼女が僕と一緒に帰りたいと言ってくれる理由はきっと、去年のように仲良く話したいとかそういうものなのだろう。


 もうお隣さんでもないのに、彼女はお人よしなのだ。そうやって、誰でもかれでも優しく接するから、僕みたいな勘違いする人が続出するんだ。


 彼女には好きな人がいる。分かっているのに、それが僕なんじゃないかって、淡い期待をしてしまう。


 帰ろう。僕がそう言うと、待って。と言って彼女は僕にあるものを渡した。さっき買ったココアのペットボトルだった。


「青空くん。バイトお疲れ様! もう緩くなっちゃってるかもだけど……」


 僕は彼女が渡してきたココアのペットボトルを手に取る。ホット缶の温かさと彼女の温かさの両方を感じる。冷え切った体の芯まで温かくなりそうだ。


「ごめん、気を使わせちゃって。ありがとう月野さん」


 僕が月野さんに笑顔を向けると、彼女は歯を見せながら、にひひと笑う。その無邪気な笑顔に僕は心を打ち抜かれてしまう。


「樹莉で良いよ! 青空くん!」


 一足先に歩き出していた彼女が振り返る。


「そ、そのうちね」


 僕は目を逸らしながらそう言うと、彼女が「あっそー」と言いながら膨れ顔を見せる。


 僕は彼女の後ついていく。その後の帰り道は学校での他愛もない話をした。今年のクラスはどうだとか、部活の話だとか。彼女との物理的な距離は近い。しかし、話題の距離も心の距離も遠のくばかりだ。




 それから、僕はバイトの帰りに彼女と一緒に帰るようになった。


「そういえばさ、今日部活で記録を更新したんだよー!」


 彼女は嬉しそうに言う。


「そんな事言ったら、僕も品出しの時間の記録を更新したよ」

「それってすごいの?」


 目を輝かせながら言う彼女に僕は少しふざけて答えた。


「全国大会出場レベルには凄いかな」

「え〜! じゃあ私も全国大会出場目指して頑張らないと!」

「月野さんの今日更新したタイムだとどれくらいまでいけるの?」


 陸上にはその大会に出場できる標準記録というものが存在する。彼女は県で優秀な選手の一人として数えられるほどの逸材だと、雑誌で読んだ。月野さんのページ以外読まなかったけど。


「全国大会レベルだよ!」


 彼女の鼻が伸びているように感じるのは僕の気のせいだろう。明日には天狗になっているかもしれない。


「そうだ! ゲームしようよ!」

「ゲーム?」


 僕が首を傾げると、彼女はいかにも悪そうな顔を作る。いまにも僕の体が震えだしそうだ。


「今度の期末テスト。合計点数で勝った人が、負けた人に一つ命令を下せるの! 面白そうでしょ?」

「なんか、僕が負ける事が決まってるゲームな気がするんだけど」

「そ、そんなことないよ」

「いいよ! そのゲーム乗ってあげる。悪いけど全力で勝たせてもらう!」




 テストの期間。僕はバイトを休んでいたため、月野さんと一緒に帰るのはテストが終わった日辺りからだった。


 今日の彼女はいつもより少し落ち込んでいる。理由は学校で張り出された学年末テストの順位表だ。いつも三位か二位をキープしている彼女が四位を取ってしまった事、僕が彼女の順位を越してしまったから、少しいじけているのだ。

 可愛いと思ってしまった僕は性格が悪いらしい。



「ココアでも買ってあげるよ」

「いいよ。私は負けたんだし」


 こういう所を見ると、普通の女子高生にしか見えない。雑誌では来年の県大会優勝候補者に名前が載ったり、特集に名前が載っている凄い人なのに、僕の名前ではただの女子高生なのだ。


「月野さんは僕に勝てたら、何を命令するつもりだったの?」

「県大会……応援に来て欲しいって」


 僕は思わず笑ってしまう。彼女は顔を真っ赤にしながら、僕の事を叩き出す。


「だって、言われなくても応援行くつもりだったし」


 彼女は鳩に豆鉄砲を食らわしたような顔をする。


「それで、青空くんは何を私に命令するの?」

「命令じゃなくて、お願いだよ。別に断ってくれても構わない」


 月野さんはこのお願いを聞いてくれるだろうか。捨て身の覚悟で僕は口に出す。ずっと言いたかった言葉を。


「どこか遊びに行きたい……」


 口に出すと自分で自分が気持ち悪く感じてくる。きっと今の僕の顔は真っ赤に染まっているのだろう。


「あはは! 良いよ。十二月の二十四日、部活オフだから。一緒に遊びに行こう」



 僕は、彼女を家まで送った後、一人夜の道で夜空に向かってガッツポーズをした。

 サンタさんからのクリスマスプレゼントだろう。




 辺りがイルミネーションで輝く夜。

 約束の日は瞬きをする間に来てしまう。


 約束の十分前に来ていた僕は、待ち合わせ場所でスマホを見ながら待っていると、彼女は僕が待っているからなのか、まだ約束の時間ではないのに、走ってきた。


「ご、ごめん! 待った?」

「ううん。今来たとこだよ」


 僕がそう言うと、彼女はホッと胸を撫で下ろす。白のニットスカートに黒のダウン。白のマフラーを着ている彼女。いつも見ている制服の姿でも、コンビニに着て来ているラフな格好でも、部活の服でもない彼女。彼女の新鮮な姿に目が釘付けになる。


「に、似合ってる?」


 彼女が僕から目を逸らしながら、頬を赤らめ、服を見せてくる。


「凄い似合ってるよ……」


 僕は緩んでしまっている口元を手で隠しながら彼女に言った。

 彼女は喜んで、「じゃあ行こっか」と言って、歩き進んでいく。僕たちが向かった先は映画館だった。彼女がどうしても見たい恋愛映画があるらしい。


 女の子ってなんでバトル系より恋愛系を好むのだろうと不思議に思いながら、僕たちは映画館に入り、チケットを買い、席に座った。




 映画は一時間半くらいで終わり、隣を見ると、ハンカチを持ちながら彼女は泣いていた。

 僕は何も言わずに、ただ明かりがついた室内の中で席に座り続ける。


 彼女がひと段落したのか、「ごめん」と言って、席を立つ。その彼女の泣き顔があまりにも子供っぽく、僕は思わず笑ってしまう。


 すると、彼女が怒って僕の体を叩き始める。

 今日が終わったら僕たちはまた、店員とお客様に戻る。きっとこんなチャンスは二度と来ない。分かっているんだ、今日気持ちを伝えないといけない事ぐらい。




 僕たちは映画館を出た。僕は「そろそろ帰ろうか」と言って、駅に向かって歩き始める。

 やっぱり僕は情けない男のままだ。


「ちょっと待って!」


 月野さんは僕の腕を掴んで僕の足を止めた。


「どうしたの?」

「ま、まだ帰りたくない……イルミネーションでも見ながら歩きたいな……」


 そのまま抱きしめたい気持ちを抑えながら、僕は駅の方面に向かっていた足をイルミネーションの方に変える。

 彼女の手はまだ僕の腕を掴んだままで、僕の胸はバクバクと音を立てている。


「こんなとこ学校の人に見られたら、月野さんの好きな人が俺とか、あらぬ噂を流されるよ?」

「流されて良いよ。別に気にしない」


 何故そんな事を言おうとしたのか、僕は未だにその時の自分が分からない。


「僕は嫌だよ。噂で付き合ってるなんて言われて」


 彼女は慌てて、足を止める。


「ごめん……。そうだよね、私と付き合ってるなんて噂されて嫌だよね」


 彼女が僕の腕から手を離す。僕は咄嗟にその手を掴んだ。


「僕は月野さんが好きです。入学式の頃から一目惚れでした。だから噂じゃなくて、本当に僕と付き合ってくれませんか」


 彼女の頬が赤らむ。冷たい彼女の手、今の僕は火傷をするほどに手が熱く感じる。


「私も、去年から青空くんの事が好きです」


 彼女と僕はお互いに見つめ合う。

 雪が降る聖なる夜に、僕らは恋人になった。


 その帰り道、彼女は言った。

 去年のクリスマスに一生懸命に働く僕を見たと。子供に笑顔で接客している姿がとてもかっこよく見えたと。





 もうすぐ夏が終わり、秋が来て、冬が来る。

 あれから数ヶ月経った今でも僕の周りの環境は変化しない。


 樹莉と付き合ってから、男子に羨まれたり、女子に色々聞かれたりなど、大変だったが、今は少し落ち着いてきている。


 彼女は夏の大会で全国優勝を果たした。

 県大会を応援に行ったからなのか、分からないが、彼女の頑張っている姿がとてもかっこよく、誇りに感じたのは言うまでもない。



 ピーンポーン


 僕は高校三年生で、コンビニのアルバイトをしている。そのコンビニには少し変わったお客様がご来店される。名前は月野樹莉。


 樹莉には、このコンビニで従業員が呼んでいるあだ名がある。

 神様。これが月野さんのつけられたあだ名で、僕の自慢の彼女だ。



「いらっしゃいませ」


 僕がそういうと、彼女は冷たいココアを会計に出した。


「外で待ってるね」


 僕はありがとうございました。と言って、接客を終える。すると、店長が僕に近づいてきた。


「青空くんお疲れ様。ちゃんと家まで送ってくんだぞ」


「もちろんですよ。お客様は神様ですから」

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