第九話 ヴェルロイド、婚約者の秘密を知る
ヴェルロイドは、ヘスティリアの様子がおかしいことにすぐ気が付いた。
突然、不自然に沈黙してしまっている。表情は貴族的というか、商人的な曖昧な笑顔だが、その笑顔もヴェルロイドに分かるくらいに固い。一体どうしたというのか?
ヴェルロイドはヘスティリアの視線が一カ所に固定されている事に気が付いた。その視線を辿ると、その先には一人の商人がいた。先ほど、オルフェウスと名乗った商人だった。彼もにこやかに笑っているのだが、その視線はジーッとヘスティリアへと向けられていた。
つまり、二人は見詰め合っているという事になる。ヘスティリアの表情をよく見ると、若干顔色が青くなって、額には汗が浮かんでいる。膝の上で上品に重ねられた手が少し震えているようにも見える。これは……。ヴェルロイドはそれで悟った。このオルフェウスという商人と、ヘスティリアは以前からの知り合い、しかもあまり良い関係性での知り合いではないのだろうと。
結局会合が終わるまでヘスティリアの様子はそのままで、口数が少なくなったヘスティリアを商人達も若干不審がっていたようだった。
会合が終わって会議室を退室すると、ヘスティリアはあからさまに落ち着きを失った。営業用の笑顔を解いた彼女は真っ青な顔でうろたえた。
「ど、ど、ど、どうしよう!」
「落ち着け、どうしたというのだ」
ヴェルロイドはヘスティリアの肩を掴んでうろうろするヘスティリアの動きを止める。
「あの商人だな? なんだ、どういう知り合いなのだ?」
ヴェルロイドの言葉に、ヘスティリアはビクッとなる。紫色の瞳が不安に揺れている。いつも冷静で肝が太い彼女がこんな心細そうな表情を見せる事は希なので、ヴェルロイドはちょっと動揺した。
ヘスティリアは逡巡した。彼女としては、自分はバレハルト伯爵家の養子であるが、おそらくはヴェルロイドに調査されて元々は庶民であるとバレてはいると思ってはいた。しかし、それでも自ら本当の身分を明かすことは結構怖かったのだ。貴族と平民の間には身分的な大きな格差があり、その壁を越えるのは本来容易では無い。本当の身分を明かした時に、ヴェルロイドが嫌悪感を露わにし、自分の扱いを変える可能性が無いとは言えなかった。
しかし、ヘスティリアは最近は彼とかなり親密な関係になっていたし、この大きな婚約者が自分が平民出身である事を理由に扱いを変える程度の小さな器の持ち主であるとはもう思っていなかった。彼の事は信頼していた。まだ愛しているとは言えなかったが好意をもってはいた。それでヘスティリアは、えいやと壁を乗り越えたのだった。
「……オルフェウスは、私の実の父親です」
「なんだと?」
流石にヴェルロイドは驚いた。ヘスティリアの実の父親の素性は、流石にヴェルロイドの調査でも判明していなかったのだ。
同時に、激しい違和感も生じた。
それは容姿である。ヘスティリアはもう彼女のトレードマークとなっている緑色の艶やかな髪を持つ。しかし、オルフェウスの方は白髪だ。白髪とは言うが、年齢で白くなったのではなく最初から白髪なのだろう。正確には非常に色の薄い金髪なのだと思われる。ここがまず大きな違和感の元になった。それは、ヘスティリアの母親の髪が緑色だった可能性はあるのだろうが。
それと顔立ち、体格である。オルフェウスはがっちりして背は低めだ。対してヘスティリアは背は高めで華奢である。骨格が薄いのである。ここも全然似ていない。顔立ちも非常に繊細で華麗なヘスティリアに対して、オルフェウスはゴツくて朴訥な顔である。
それは似ていない父娘もいるとは思うが、ここまで徹底して似ていないのも逆に珍しいと思われる。
それはともかく、ヘスティリアが実の父親の登場に対して取り乱しているのは確かだった。ヴェルロイドはヘスティリアの肩を力強く抑えて言った。
「分かった。私がオルフェウスと話そう。君は何も心配しなくて良い」
ヘスティリアは驚いた。ヴェルロイドが一切動揺する様子もなく、彼女を安心させようと笑いかけてくれた事にも驚いたし、それで自分がびっくりするほど落ち着けた事にも驚いたのだ。
ヘスティリアは顔を赤らめて頷いた。
「お、お願いします。ヴェル」
「あぁ、任せておくが良い。リア」
◇◇◇
翌日、ヴェルロイドは人を遣ってオルフェウスを城に招いた。オルフェウスはすぐにやってきた。
やや背が低いガッチリとした体格。顔は真っ黒に日焼けしている。貴族も相手にする商人らしく上品な服を着て、物腰も優雅だが、漂う雰囲気は誤魔化せない。実際に危機を幾度もその身で乗り越えた者だけが纏う分厚い覇気を、オルフェウスは持っていた。
ふむ。ヴェルロイドはそこで初めてヘスティリアとオルフェウスの間に共通点を見た。ヘスティリアは紫色、オルフェウスは水色だが、その何をしでかすか分からない雰囲気を持つ、油断のならない視線はよく似ていた。
お互いに挨拶をして、応接室でテーブルを挟み、二人は椅子に腰を下ろした。
「楽にするが良い。ちょっと高名な南方の大商人である其方に聞きたいことがあって招いたのだ。ざっくばらんな話をしようではないか」
ヴェルロイドはそう言って、さて、まずは無難にオルイールの街の様子でも聞いてみるか、と考えていた。のだったが。
「ヘスティリアの話でしょうか?」
オルフェウスがいきなり言って計画はぶち壊しになった。流石にヴェルロイドが絶句する。
このオルフェウスの言葉から分かることは三つある。
まず、オルフェウスはヴェルロイドの呼び出しの理由を正確に察しているという事。オルフェウスとヘスティリアが以前からの知り合いである事をヴェルロイドが察して、調査のために呼び出されたと理解しているのだ。
次に、オルフェウスは辺境伯夫人であるヘスティリアを呼び捨てにした。これは二人の関係性がかなり親密であり、しかもオルフェウスの方が上位である事を示す。
そしてオルフェウスは上記二つの情報を提示する目的でこの言葉を選んだ。いきなりヴェルロイドの前に重大情報を投げ込んだのである。これはヴェルロイドならその事をすぐに理解するだろうと考えたからだ。
しかもヴェルロイドが察しの悪い男であれば、単に妻を呼び捨てにされた事に不快感を覚えて終わりになる。オルフェウスとヘスティリアの関係は秘密のままになるだろう。そこまでの計算があってのセリフなのである。
なんとも、食えない男だ。ヴェルロイドは内心で感嘆する。流石はヘスティリアの父親だ。ヴェルロイドは気合を入れ直した。
「そうだ。我が妻ヘスティリアについての話だ」
「辺境伯閣下とヘスティリアはまだ正式なご婚礼をお挙げになっておられない筈ですな」
オルフェウスは平然と言う。ヴェルロイドはなんというか、何もかもを見透かされたような気分になった。これは……。流石にヘスティリアの父親というだけの事はある。
「調べたのか?」
「ええ、帝都で貴族名簿を見れば、神殿から婚姻証明書が提出されていないのは分かりますので」
「貴族名簿を見た? あれは平民に見る事が出来るような代物ではあるまい。どこで見たのだ」
「然るべき所で、ですな。勿論、無料ではありませんでしたよ」
つまりオルフェウスには本来、紋章院に保管され、上位貴族しか閲覧出来ない筈の貴族名簿を見る事が出来るくらいの、つまりかなり上位の貴族に強力な伝手があるという事だ。
侯爵相当の辺境伯といえど一方的に強要は出来ないぞ、という予防線であろう。
「ご婚礼を挙げておられなくて幸いでした。私はそれを止めに来たのですから」
「それは、ヘスティリアの父親として、という事か?」
ヴェルロイドの言葉に、オルフェウスの表情に初めて驚きが浮かんだ。
「それは……。ヘスティリアが教えたのですか?」
「そうだ。リアから聞いた」
「ふうむ。そうですか。なるほど……」
オルフェウスは考えこむ仕草を見せた。
「そうですか。リアがね。随分と親密になっておられるようで」
「ああ、だから今更結婚は取り止められぬ。あれほどの娘を他にやりたくない其方の気持ちは分かるが、諦めてもらおうか」
ヴェルロイドの言葉に、オルフェウスが探るような視線を向けてきた。身分差を考えれば不躾な事に、それは値踏みをするような色合いを帯びていた。しかし、相手は義父になる男だ。ヴェルロイドは極力平静を装ってオルフェウスを見詰める。
オルフェウスはハーッと息を吐いた。
「そうですな。ヘスティリアの目利きは確かですから、変な男など鼻も引っ掛けまい。逃げるために仮初の婚約をしているのだと思っていたのですが、どうも閣下はリアの目に叶ってしまったようだ。さて……、困りましたな……」
悩む様子のオルフェウスに、ヴェルロイドはカードを切ってみせる。
「それは、ヘスティリアの髪の色に関わる話なのか?」
かなりの爆弾発言だった筈だが、オルフェウスは眉一つ動かさなかった。
「閣下。その事を知ろうとすれば閣下もただでは済みませんぞ? 世の中には知らぬ事が良い事がたくさんあるのです」
なんという男か。ヴェルロイドは舌を巻く。オルフェウスはこの言葉で「ヘスティリアのあの緑の髪にはヴェルロイドが予想した通りとんでもない秘密が隠されていること」「その秘密を知れば辺境伯であるヴェルロイドでさえ無事では済まない事」を示し、そして「オルフェウスはそれを知っていて話す用意がある」とヴェルロイドに覚悟を促したのである。
このような言われ方をして、臆してヘスティリアから手を引くような男ではない、と見込まれもしたのだろう。見抜かれたともいう。どのような秘密なのだろうか。ヴェルロイドがその闇の深さの前に恐れを抱かなかったと言ったら嘘になる。
しかし今更後戻りをするつもりも無いし、ヘスティリアと別れる気もない。この義理の父予定の男が見込んだ通り、ヴェルロイドは危機にあっては尚更前に進む男だった。
「ほう、この私を破滅させる程の秘密だというのか? 是非聞かせてもらおうではないか」
ヴェルロイドが言うと、オルフェウスは満足そうに頷き、すぐに表情を厳しくして人払いを要求した。既にこの部屋には離れた位置に護衛が立っているだけだったが、それを退出させろというのだ。
平民が辺境伯にそんな要求をするなんて暴挙と言って良い事だったが、ヴェルロイドは要求を呑んだ。護衛が退出すると、続けてオルフェウスは懐から小箱を取り出した。
それをテーブルの上に置くと蓋を開いた。音楽が流れ出す。オルゴールだ。隣室から耳を澄ましていても、これではヴェルロイドとオルフェウスの会話を正確には拾えまい。確かに隣室ではハイネスが耳を澄ませている筈だ。用意周到。最初からこの事態を予測していたという事だろう。
更にオルフェウスはテーブルの上に身を乗り出し、手を口元に当てた。釣られてヴェルロイドも身体を乗り出す。二人の頭の距離はかなり接近した。そこまでした挙げ句、オルフェウスは小声で、しかも早口に言った。
「ヘスティリアは皇族の御落胤です」
……ヴェルロイドは続きを待ったが、オルフェウスはそこで話を切ってしまう。表情を見ると曖昧に笑っているが、含みがある。これは、ヴェルロイドに察してみろというのだろう。面倒な義父だ。
ヘスティリアが皇族の血を引いているというのは、ヴェルロイドも予想していたから驚きはない。しかし、このオルフェウスの言い方だと……。
「ヘスティリアは其方の実の娘ではない?」
オルフェウスはニヤっと笑った。それくらい当然分かるだろう? という顔だ。ヴェルロイドは更に考える。御落胤というのは普通、高貴な男性が卑賤な女性に子を産ませた場合に使う。なのでこの時点でヘスティリアがオルフェウスの娘ではない事は知れる訳である。
しかし、皇族の誰かまでは分からない。何処までを皇族と見做すかにもよるが、皇族にもかなりの人数がいるからだ。その中から一人を当てろというのは無茶だろう。
そう。無茶である。しかし、このオルフェウスがそんな無茶をヴェルロイドに要求するだろうか? だがクイズではなく推理だとすれば、何か手掛りがなければ。それに、田舎貴族であるヴェルロイドは皇族の事情には詳しくはないし……。
そこでヴェルロイドは気が付いた。オルフェウスは当然、ヴェルロイドが帝都の皇族の事情に詳しくない事は知っているだろう。それどころか、実際に会った事がある皇族など数人しかいない事も察しているかも知れない。つまり、ヘスティリアの父親である可能性がある皇族は、ヴェルロイドの会った事のある数人の中に含まれているのでは……。
そこまで考えてヴェルロイドの顔色が変わった。
「まさか……」
「流石ですな。そうです。そのまさかです」
流石のヴェルロイドも生唾を飲み込む。オルフェウスは「御落胤」と言った。高貴な人物が卑賎な女性に産ませた子供の意だが、普通はあまり使われない言葉だ。例えば、辺境伯たるヴェルロイドが愛人に子を産ませてもそうは呼ばれまい。
よほどの高貴な人物。妻以外の女性が全て「卑賎」と呼ばれる対象になってしまう人物。そういう存在の子供くらいにしか、普通は使われない言葉だ。つまりヘスティリアの真の父親は、それくらい圧倒的に高貴な人物である可能性がある。
皇族の中で最も高貴な存在。そしてヴェルロイドが会った事のある人物。該当する人物は二人いる。
そして年齢的に適当なのは……。
「先帝陛下……」
子供の頃に一度帝都に出向いた時に、接見を許された、帝国の先の皇帝。七年ほど前に崩御され、歳の離れた弟殿下であった今上皇帝陛下が跡を継いだのだ。
囁くようになってしまったヴェルロイドの言葉に、オルフェウスは笑顔で、流石に緊張した目付きのまま、ゆっくりと頷いた。
ブワッと、ヴェルロイドの全身から汗が吹き出した。そ、そこまでは流石に予想外だった。ヘスティリアが皇族ではないかと疑っていた事は確かだが、まさか皇帝の子供だとは……。
しかしそこで気が付く。ヴェルロイドはオルフェウスにコソコソと言った。
「……おかしいではないか。先帝陛下にはお子がおられなかった。それ故に皇弟殿下が即位されて今上になったのではないか」
オルフェウスはヴェルロイドのその問いを受けて、小さな声で語り始めた。それはヴェルロイドが愕然とするに十分な事情だったのである。
◇◇◇
先帝陛下は名をカスタロス三世という。ヴェルロイドは背が高く痩せていて。柔和な顔立ちの男性だったと記憶している。そして緑色の複雑な艶のある髪を持っていた。
カスタロス三世は少し身体が弱く、結局享年三十七歳で崩御され、十二歳下の皇弟殿下が即位してアムニエール二世となる。これはカスタロス三世が病弱故に子が残せなかったからだ、と言われている。
「ですがこれは建前でしてね。先帝陛下は皇妃様と非常に不仲だったのです。それで、皇妃様との間にはお子が出来なかったというのが真相です」
一介の商人であるオルフェウスがなぜそんな真相を知っているのか。ヴェルロイドはそう思ったが口は挟まなかった。
「先帝陛下は独身時代から一人のご令嬢をご寵愛なさいまして、そのご関係はご自分がご結婚をし、そのご令嬢が伯爵家に嫁がれた後も続きました」
ダブル不倫という奴である。田舎で結構純朴な貞操感の元育ったヴェルロイドは嫌な顔をしてしまうが、これくらいは帝都貴族の間では普通の事らしい。
「で、その間に生まれたのがヘスティリアというわけか」
「そういう事ですな。その夫人、そしてイラスターヤ伯爵夫人の御用商人だったのがこの私、という訳です」
イラスターヤ伯爵夫人は当時、帝都で最も美しい貴婦人と言われていたそうだ。その彼女の娘であるヘスティリアがあれほど美しいのも当然と言える。夫人は皇族とは近縁で、彼女自身も淡い緑の髪を持っていたらしい。
「それにしても、ヘスティリアの髪はあまりに眩い緑でしたからな。あれではリアが誰の子供かは一目でバレてしまうでしょう。さすがに不倫の証拠を夫には見せられないという事で、ヘスティリアは生まれてすぐに私に預けられたのです」
これも非常によくあることで、貴族の不倫によって出来た不義の子は大抵の場合、平民の誰かに渡されて、平民として育てられる事になるらしい。平民としてもその事で貴族に貸しを作れるなど利点があって悪い話ではないため、引き受けて大事に育てるのである。
成長した後に場合によって貴族の養子になるか、平民として一生を終えるかはケースバイケースである。勿論、養育費が貴族から支給される場合も多い。養子で貴族に戻った場合は口止め料を込みで謝礼が更に支払われる。
なのでオルフェウスは皇帝陛下の実の娘という爆弾を依頼されるままうっかりと引き受けてしまったらしい。
「当時は私も若くて迂闊でしたのでね。ヘスティリアが皇帝の娘らしいと気が付いたのは随分後でした」
実はカスタロス三世は初めての子であるヘスティリアの誕生に驚き喜び、生まれたばかりの彼女に会って名を授けて、その名を刻んだ指輪を渡したらしい。
「それがこれです」
オルフェウスが無造作に取り出した金の指輪には大きなエメラルドが象嵌され、そこにはっきりとヘスティリアの名前とカスタロス三世の印象が刻まれている。ヴェルロイドはめまいを起こし掛けた。
「なぜすぐ気が付かなんだのだ」
「指輪は守り袋の中に入っていまして、夫人から開けてはならないと言われていました。間違って開けたらこれが出てきたというわけです」
後で引き取る可能性があるのでこの指輪のような出生証明を同時に託すのも普通にある事なのだという。まぁ、平民が貴族の私生児を預かる場合、素性の詮索をしない方が良いのは確かだ。下手に事実を知れば口封じに合うかもしれない。オルフェウスがあえてヘスティリアの父親について調べなかったのも無理はないのだ。
しかし事情を知ってしまえば違う危険にも気が付く。皇帝の娘を匿っているなんて事が、野心ある貴族達に知れたら大変な事になる。皇帝にすり寄るにしろ刃向かうにしろ、皇帝の娘には無限の利用価値がある。彼らはどんな手段を使ってでもヘスティリアを手に入れようとするだろう。オルフェウスには巻き込まれ得る厄介事がまざまざと予想出来た。
彼はヘスティリアに亜麻色のカツラを被せると、帝都の財産を投げ捨てて一目散に帝都を逃げ出した。そして南方に拠点を構え、出来るだけ帝都から離れた地で商売を新たに始めたのである。
ここまで聞いてヴェルロイドには一つよく分からない事があった。それは、不倫を隠すために子供を平民に引き取らせたのに、なんで後に養子として引き取るなどという事が行われるのかということだ。ヴェルロイドがそれを尋ねるとオルフェウスはああ、と頷いた。
「様々な事情がごさいます。離婚や死別をして配偶者に気を遣う必要がなくなった場合。後継者がおらず急遽血の繋がりがある子供が必要になった場合などですな」
それでヴェルロイドは悟った。
「なるほど。イラスターヤ伯爵夫人が寡婦になったのだな?」
オルフェウスは目を細める。
「どうしてそう考えましたか?」
「三年前、頑なに帝都に近寄らなかった其方が帝都近くまで来たから、ヘスティリアが家出する事が出来たのだろう?」
如何に行動力があるヘスティリアでも、遥か遠い南方国境にいたなら、流石に家出して帝都までは来られなかっただろう。三年前、帝都近くまでやって来たのを千載一遇の機会と見做したヘスティリアは家出を敢行した訳だが、実はその時にオルフェウスはヘスティリアを帝都のイラスターヤ伯爵夫人の所に連れて行く予定だったのではないか。勿論、ヴェルロイドはヘスティリアの家で事情など全く知らないのでかなり強引な推理だったのだが、オルフェウスは感嘆したように笑った。
「お見事ですな。そうです。三年前、夫が亡くなったイラスターヤ伯爵夫人は、最愛の恋人の忘れ形見を取り戻そうと私とヘスティリアを帝都に招きました。それで、帝都近郊の町に滞在して打ち合わせの書簡の往還をしていた時に、あの馬鹿娘が逃げ出したというわけです」
馬鹿娘、とヘスティリアを呼ぶオルフェウスの表情にはなんとも言えない愛情が満ち溢れていた。ヴェルロイドはそれで、オルフェウスがヘスティリアを娘と思う気持ちに嘘は無い事を知った。
「以来三年。私は帝都を必死で探したのですが、リアは周到に痕跡を隠していましてね。どうもバレハルト伯爵家の辺りに隠れているらしいとは分かったのですが、なかなか尻尾が掴めない。ところが先日聞いた話では、最近噂のアッセーナス辺境伯の領主夫人の髪が緑だというではありませんか」
オルフェウスは天を見上げて両手を広げるポーズを作った。
「なんとバレハルト伯爵の養子になって、こんな北の果てに嫁いでいるとは思いませんでしたよ。あの都会に、帝都に憧れていたあの娘がなんでそんな決心をしたものか」
ヴェルロイドは苦笑した。彼にはこの時、ヘスティリアはこのオルフェウスの追跡を逃れるためにこのオルイールまで来た事が分かったからだ。身辺にこの恐るべき男の手が伸びてきた事を察して、一時身を隠すくらいのつもりでここまで来たのだろう。
「さて、これでお分かりでしょう? オルイール王国の国王陛下?」
ヴェルロイドは平静を装おうとして失敗し、大きく眉を動かしてしまった。その様子を見て、オルフェウスは殊更に人好きのする笑顔を浮かべていた。
「ヘスティリアを貴方が娶る事は出来ないという事がね」
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