第八話 ヘスティリア、領地振興に成功して有名人になってしまう

「な……!」


 驚愕に硬直するハイネスに、ヘスティリアは以前の亜麻色髪はウィッグだったのだと言い、これからは地毛であるこの緑の髪のままで生活するのだと誇らしげに告げた。


「そ、それはようございますが……」


 その様子を見守るヴェルロイドの様子がなんだか随分と柔らかかったのだが、それは兎も角。ヘスティリアが自室へと去っていった後、ハイネスはヴェルロイドを捕まえて叫んだ。


「殿下! 分かっているのですか⁉︎」


 もちろん分かっていないヴェルロイドは戸惑う。


「なんだ。何がどうしたのだ?」


「ヘスティリア様の、あの髪色ですよ! 緑ですよ! 分からないのですか?」


 もちろん分からない。緑の髪についてのおかしな言い伝えなど聞いたことはないし、そもそも緑の髪の人間などほとんど見たことがない。……多分、一度か二度しかない筈だ。


「どういう事なのだ? はっきり言え、ハイネス」


 ハイネスはめまいで倒れそうになった。


「殿下もご覧になったでしょう? 緑の髪を、帝都で」


 帝都で? ヴェルロイドは思い出す。彼が帝都に行ったのは、子供の頃に父と一緒に一回行った時と、最近にアッセーナス辺境伯の爵位を次いで、叙爵式の為に行った時の二回しかない。


 その時に、緑の髪を見たことが……。ヴェルロイドは記憶を辿る。……そして比較的すぐに思い出した。そう、二回とも彼はその色の髪の人物と会った。なぜならそれが、帝都行きの目的だったがゆえに。


「……あ……」


 思い出した。最初に見た時も彼は子供心に「綺麗な髪色だな」と思ったのだった。それでその印象的な珍しい髪色について父に質問をした。父はこう言ったのだった。


「皇帝陛下の髪色? あれは皇族の特徴らしい。皇族の血を引く者は緑の髪色になるのだ」


 ……ヴェルロイドとハイネスは顔を見合わせる。


 二人は帝都に人を出してヘスティリアの素性を調べさせていた。それでヘスティリアは南の交易商人の娘であり、家出をしてバレハルト伯爵家の侍女として働いていたところ、バレハルト伯爵が気に入って養女に迎えたらしい、ということが分かっていたのだ。


 ……どこにも皇族など出てこない。一体どういうことなのか。


 どこでどう間違って商人の娘が皇族の髪色を持ってしまったのかは定かではないが、これはまずい。彼女の父親が髪色を隠そうとしたのも宜なるかな。皇族の髪色は誰もが知るとまでは言えないが見る人が見れば分かってしまうものだ。


 特に貴族。特に皇族に頻繁にお会いする上位貴族ならもちろんその特徴的な髪色は知っているに違いない。それなのに、ヘスティリアがあの髪のまま上位貴族の集まる社交界に出たらどうなるか。


 ヴェルロイドは背中に嫌な汗が流れるのを感じた。これはマズイ。


「……ヘスティリア様にもう一度ウィッグを着けるように言いましょう」


「それはダメだ」


 髪色を褒めたらあれほど喜んだヘスティリアである。今更ヴェルロイドが「もう一度ウィッグを被れ」などと言ったら彼がヘスティリアからの信用を完全に失ってしまう事になるだろう。ヴェルロイドはそれはちょっと、避けたいところだった。彼女との関係が良い感じになっているだけに。


 ヘスティリアに「その色は皇族の髪色と同じで、誤解を招くとマズイから隠していた方が良い」と言えば彼女は納得してくれるかも知れないが、それはそれで彼女自身が自分の出生について疑念を抱き、思い悩む原因になってしまうだろう。そしてあの行動力である。調査のために何をしでかすか分かったものではない。


「まぁ、オルイールにいる分にはあのままでも問題はあるまい」


 オルイールで皇族に会ったことがある人間などヴェルロイドだけだ(ハイネスは従者として同行していたのでチラッと見ただけ)。緑の髪のままヘスティリアが生活していても問題は起こらないと思われる。


 しかし。


「ヘスティリア様は帝都に行く事を熱望なさっておられるのですよね?」


「……」


 そう。ヘスティリアがアッセーナス辺境伯領の交易振興にあんなに熱心に取り組んでいるのは、彼女自身が帝都に住むためだ。お金を儲けて帝都に屋敷を買って、辺境伯夫人として帝都の社交界に乗り込むためなのだ。


「最悪ではありませんか」


 そんな事になったら誤魔化しようがない。ヘスティリアの緑の髪はあっという間に帝都中で噂になってしまうだろう。ヘスティリアの本当の素性は不明だが。恐らく尋常な生まれではあるまい。その素性がとんでもないものであればあるほど、辺境伯家は大問題に巻き込まれる事になるだろう。


 正直、面倒事を避けるためにはヘスティリアとの婚約を解消して、ヘスティリアを実家(この場合はバレハルト伯爵家)に戻しても良いくらいだった。しかしながらそんな事はもう出来ない。ヘスティリアはもうあまりにもアッセーナス辺境伯領の改革を進め過ぎている。ここで彼女がいなくなれば、改革の全体像を把握している者がいなくなってしまい、改革は頓挫するだろう。頓挫するだけなら兎も角、大混乱になってしまう。


 そしてヴェルロイド個人の感情としても、ヘスティリアと離縁する事はもう出来なかった。彼はもうはっきりと彼女に惹かれ出していた。緑の髪を露わにしたヘスティリアは表情も明るくなってヴェルロイドによく微笑み掛けるようにもなっている。二人の距離は少しずつ縮まっているのだ。今更彼女を手放すことなど出来ようも無い。


 結局、ヴェルロイドとハイネスの出した結論は「様子見」という煮え切らないものになった。問題を先送りにしたのである。問題が起こることが分かっていて対処を先送りにしたのであるから、それは後に彼らが苦労する事になっても自業自得というものである。


  ◇◇◇


 ヘスティリアは緑色の髪を輝かせながら、一層領地の交易振興に取り組んだ。頭が軽くなったからか足取りは軽くなり、表情も明るくなった。ヴェルロイドとは食事以外にもお茶や、報告のための面談などで顔を合わせるようになり、お互いに冗談くらいは言える関係になっていった。


 正直な話、ヴェルロイドは既にヘスティリアに強く惹かれていて、彼女と会うのが楽しくなっていた。それで一度、彼女にこう提案した事がある。


「結婚式をしないか?」


 ヘスティリアがアッセーナス辺境伯領に来て一年が過ぎようとしていた。本来であればとっくに結婚していておかしくない二人なのだから、式を挙げてちゃんと結婚し、正式な夫婦になろうという提案は全く妥当なものだ。


 しかし、ヘスティリアは言下に却下した。


「結婚式は帝都で盛大にやると決めたではありませんか。嫌ですよ」


 こんな田舎でしょぼい結婚式などもうやりたくない、というのが本音のヘスティリアである。領地改革で領内を駆け回る彼女としても、正式に結婚する事の利点を感じる事もないことは無かった。しかし今更結婚式をするというのはなんとも気恥ずかしい。


 ヴェルロイドの事を全然知らなかった頃に流れで結婚したのなら、別になんとも思わなかっただろうが、ヴェルロイドと交流を深めて仲良くなり始めた今となっては、改めて結婚式というのはなんだか非常に気恥ずかしい。別に彼と結婚するのが嫌だという訳では無いのだが。


 キラキラした帝都で華やかな結婚式をする、というなら気恥ずかしさも抑えられるような気がする。それでヘスティリアはヴェルロイドの提案を却下したのだった。


 ヴェルロイドとしては、やってきた婚約者を自分の都合で放置してしまったツケが回ってきてしまったのだから強く要求する事も出来ない。そして結婚したい理由が今更婚約者の事を好きになってしまったから、などとは、彼としても恥ずかしくてあまり大きな声では言えない事だった。


 結局、ヴェルロイドは結婚式を断念するしかなかった。こうなったらヘスティリアの交易振興策に領主として協力し、一刻も早く帝都に屋敷を買って移り住み、彼女の希望である壮麗な結婚式を挙げるしかあるまい。


 もっとも、ヘスティリアの交易振興策は思いの他早く実を結びつつあった。


 ノルレアで街道の再開を布告した効果は直ぐに現れた。何台もの馬車を連ねたキャラバンが何組もオルイールの街にやってきたのである。やはり交易商人もノルレア国を縦断する困難さに悩んでいたそうで、この地方にしては温暖なアッセーナス辺境伯領を通過出来る事を喜んでいた。補給物資の購買でオルイールの市場は非常に活気付いたらしい。


 この時にヘスティリアは交易商人に「もうすぐ直ぐ近くに港が出来る」という事を言いふらした。


 この効果は抜群で、交易商人たちの目の色が変わった程だ。彼らはまだ倉庫くらいしか出来ていない港を見て大喜びした。


「ここで海路に中継出来るようになれば、交易は画期的に変わる!」


 と彼らは叫び、早速オルイールの街に商人の事務所を確保したくらいである。やはりヘスティリアの狙い通り、聖王国への海路の確保は東西交易を担う交易商人にとって長年の懸案だったのだそうだ。既にもっと北の小さな港から船が出ているそうなのだが、荒海を中継点も無く進まなければならないその航路は非常な難航路らしく利用者は少ないらしい。


 辺境伯領に船が繋げるようになれば、北の海の交易ルートが確立するだろうとの事。彼らは帝都で帝都の交易商にも話を持っていったらしく、帝都から何人もの交易商会の人間がやってきて、ヘスティリアと面会すると、口々にオルイールへの投資を約束してくれた。


 実際、数ヶ月後にはまだまだ完成しない港に交易船が実験的にやってくるようになった。桟橋はまだ使えないが、沖に船を停泊させ、小舟に荷物を乗せ替えて上陸して陸路に繋ぐのだ。そのために商人達は完成しつつある倉庫を、先を争って確保した。勿論、港にある倉庫は辺境伯家の所有であり商人はレンタル料を辺境伯家に払う。古帝国時代の繁栄ぶりを現して、倉庫はかなりの数と大きさがあるのだったが、機を見るに敏な大商会はもの凄い額を納めて、かなりの数の倉庫を借り上げていた。これはその商会が使う分も勿論あるのだろうが、又貸しも視野に入れているのだろう。辺境伯領の港はそれくらい有望だと見做されたのである。


 陸路をやってくる交易商人も増える一方だった。ヴェルロイドが軍を率いて街道に巣くう野盗を掃討し、途中に数カ所のキャンプ地を整備した事で安全になった事もあり、交易商人は東西交易のメインルートが既にこちらのルートに変更になっていると言っていた。そうなると、これまで主にランディスの街に拠点を構えていた交易商人を相手にする商人達も続々とオルイールの街に移動してきた。元々、ランディスの街がある一帯よりはアッセーナス辺境伯領側の方が温暖で食料生産能力が高い。人口も多くて職人も多く、補給物資の生産も頼み易い。


 そんなわけでオルイールの街はみるみる人口が増えて、街の活気も高まっていった。それまで月に三回しか立たなかった市場は、すぐに毎日開催されるようになり、常設の店舗すら出来るようになる。


 あまりの変化のスピードに目を丸くするヴェルロイドに対し、ヘスティリアの方はそれほど驚いていなかった。彼女に言わせれば商売人というのはこの世で一番腰が軽い人種なのであり、儲かる話があると聞けば直ぐさま向かって転居することすら辞さないのだということだった。彼女自身がそういう考えの父親に連れられて、自分の家というものすら持たずに移動生活を送ってきたのだから間違い無い。オルイールが儲かる都市だと思えば、彼らは直ぐさま移り住んでくるだろうとヘスティリアには分かっていたのである。


 一年でオルイールの人口は倍になる勢いで増えた。ヴェルロイドとハイネスは仰天した。街の人口が倍になるというのは「そうですか」で済まされるような話では無い。統治者にとっては大問題なのだ。


 都市の必要とする物資は人口が倍になれば五倍は必要になる。これは住民相手に商売をする商人が物資を集積するからだ。住民だって手に入れた物資をすぐに消費するわけではない。そして交易商人のようにオルイールで物資を手に入れたら都市を出て行ってしまう者もいる。だから人口が倍になったら物資も倍というような単純計算にならないのだ。


 つまりオルイールの街の人口が倍になると、オルイールの街が周辺の土地からこれまでの五倍の物資を吸い込む事になる。都市には食料や職人仕事の原材料を生産する能力がないからだ。アッセーナス辺境伯領は北の果てにあるにしては豊かな土地なので、これまでは南の諸都市に向けて物資を輸出していた程だったのだが、オルイールの街の人口がこれほどまでに増えてしまうと輸出の余裕はなくなってしまった。領内の物資はどんどんオルイールに流れ込んで消費された。


 これには南の諸都市からヴェルロイドに向けて苦情が舞い込んだ。それは、南の諸都市だってアッセーナス辺境伯領からの輸出を当てにして経済が成り立っているのだ。それが突然途切れたら、諸都市の経済が立ち行かなくなるだろう。しかしヴェルロイドとしてもそれは分かるが、自領の経済が最優先であると返答せざるを得ない。


 ヘスティリアが言うには、南の諸都市の物資が不足すると分かれば、その分を商人が帝都から運んでくる事になるだろうから心配要らない、との事だった。ただ、その価格は辺境伯領が売るよりも帝都からの物資の方が高価になるのは当然だから、南の諸都市は困るでしょうけどね。と、ヘスティリアは無慈悲に告げた。彼女の最優先はアッセーナス辺境伯領の再興なのだからそんな事は知った事ではないのだ。


 そんな訳でオルイールの街もアッセーナス辺境伯領全体もにわかに活気付いた。交易商人や帝都の商会はアッセーナス辺境伯領の将来性を高く評価して、ヴェルロイドと接見しては次々と投資を申し出てきたものである。彼らはオルイールの街に事務所を開設し、街の整備にも惜しみなく投資を行った。オルイールの街はオルイール王国時代にはかなり大きな都市だったので、直せば使える空き家が沢山あった。商会はそれらを借りて(オルイールの建物は全て領主所有なのだ)整備をして、他の商人に貸し出す不動産事業にまで乗り出し始めたのだった。


 ヴェルロイドも彼の家臣も所詮は田舎の農耕領地の人々である。それが突然の変化に大きく戸惑った。古い家臣達は急激な変化について行けずヴェルロイドに苦言を呈した程だ。しかしヴェルロイドは、彼自身も経験の無いことに振り回されながらも、ヘスティリアから教えを受けながら必死に変化に食らいついた。彼は領主なのだ。ヘスティリアに全てを任せたとはいえ、何も分からないままではいられない。彼の腹心のハイネスもヘスティリアにこき使われながら、新しい事に取り組んでいった。


 こうしてたったの一年でアッセーナス辺境伯領の様子は激変した。苦労は多かったが、辺境伯家の財政は街道の整備や港の建設に大量に出資しているというのに、通行関税や市の出店税などの各種税収や港や街の建物の賃貸料などであっという間に大黒字になり過去最高の貯蓄を記録した。ヘスティリアの持参金で窮地を凌ごうと考えていた頃が信じられないほどだ。そしてそれ以外にも商人達から贈られる高価な物品で倉は溢れ、城の様相は見違えるほど華やかになったのだった。


 この功績が何もかもヘスティリアによるものだというのは衆目の一致する所だった。彼女は誰よりも腰が軽く、馬に乗ってあっという間に何処へでも行くし、オルイールの街にも頻繁に出向いて街の人の不満や問題点を聞いたり、商人とも頻繁に会合を開いて商業振興の施策を考えると、ハイネスを呼び付けて実行を命ずるのだった。そのため、ヘスティリアは文句なくアッセーナス辺境伯領で一番の有名人となっていた。領主であるヴェルロイドよりも有名だったのだ。商人達は「オルイールには商売に明るい領主夫人がいて、商売が非常にやり易い」と帝都でも喧伝したらしい。そして、その容姿が「緑の髪の類い希な美人」というのも当然広まっていった。


 緑の髪が皇族の特徴であるというのは帝都では誰でも知っている事なので、この頃にはヘスティリアが、もしかして皇族なのではないか? という噂に、既になっていたのである。だとすれば皇族の誰なのか? もしも緑の髪を騙っているのなら大問題だ。皇帝陛下はこの事をご存じなのだろうか? もしかしてアッセーナス辺境伯を重視して、密かに皇族の降嫁があったのでは? などという噂がまことしやかに広まり、それは商人から貴族の耳にも入り始めていた。ヴェルロイドが先送りにした問題は、帝都において彼が考えもしないような大きさの問題に成長しつつあったのである。


 そしてこの噂は当然だが商人のネットワークによって広まっていった。その結果、その噂は遂にヘスティリアを捜し回っていた、ある人物の耳に届いたのである。


  ◇◇◇


 その日、ヘスティリアは城で商人達と会合を持つ事になっていた。別に珍しい事では無い。この日はヴェルロイドも同席する事になっていた。この大きな婚約者様は一生懸命商売についても勉強して、積極的にこういう会合にも出るようになっていたのだ。それでいてヘスティリアのやることに一切注文を付けない。よい旦那様である。彼女は彼の事をこの頃にはかなり信頼し、好ましく思うようになっていた。


 辺境伯領の財政もかなり良くなった事だし、港の建設も街道の整備も、いろんな決まりも決めて、後は家臣達に任せても勝手にアッセーナス辺境伯領は発展して行くだろう。そろそろ帝都に移り住んでも良いんじゃ無いかしら? とヘスティリアはウキウキしながら考えていた。


 緑の髪はまだ肩くらいまでしか伸びていなくて残念だが、もう髪を結うことも出来るし、そうすれば婚礼衣装を着てもおかしくはならない。豪華な婚礼衣装で帝都の大神殿で華麗な結婚式をする。ヴェルロイドは美男子だからきっと凜々しい花婿になるだろう。ヘスティリアはヴェルロイドと結婚すること自体は嫌では無かった。それどころか結構楽しみに思うようになっていたのである。


 浮かれた気分で城の会議室に入る。外を出歩く時は平民服で馬に乗って歩くヘスティリアだが、城では一応領主夫人として(婚約者だと不自然なので、彼女は商人には自分は領主夫人だと名乗っていた)ドレスを着て貴族的な所作を心掛けている。


 会議室には十名の商人が既に待っていた。ヘスティリアが入室すると彼らは椅子から立ち上がった後に跪いた。ヘスティリアから少し遅れてヴェルロイドが入室する。


 ヴェルロイドが椅子を引いてくれて、ヘスティリアは椅子に腰を下ろす。その隣にヴェルロイドが大きな身体を収めると、商人達が席に戻った。大きなテーブルを囲んで会合が始まる。商人達が名乗りながらヘスティリアとヴェルロイドに挨拶をして、交易や海上交易の見通しについての話をした。ヘスティリア時折メモを取りながら話を聞き、場合によってはその場で決済をする。


 そんな風にして良くある感じで会合は和やかに進んでいった。そして次の商人の順番になった。白髪の、そのがっちりした体格の男性は、はっきりした声でこう名乗った。


「オルフェウスと申します。普段は帝都の南方で交易を行っている者です。辺境伯ご夫妻のご尊顔を拝しまして恐悦至極に存じます」


 ……は?


 ヘスティリアはその名乗りを聞いて、思わずメモに目を落としていた目線を上げた。オルフェウス? オルフェウスって……。


 そこには柔和に笑う、白髪で色黒の男性がいた。彼はヘスティリアをじーっと見ている。そしてその青い目は、笑っていない。怖い感じで睨んでいる。


 ひー! ヘスティリアは背中に嫌な汗が流れるのを止める事が出来なかった。知っている。ヘスティリアは彼の事を知っている。知っているなんてものではない。ほんの三年前まで、彼女はオルフェウスの顔をほとんど毎日見ていたのだから。うそ! なんで、なんでこんな所にいるの? 彼の商売のテリトリーはアッセーナス辺境伯領から一ヶ月以上離れた南方じゃないの!


 ……オルフェウスの目的は明白だ。彼はヘスティリアに会いに来たのだ。そして十中八九、彼女を連れ戻しに来たのだ。ヘスティリアは何食わぬ顔をしながら思わず身体を震わせていた。まずい。これはまずい。ヘスティリアは彼の言い付けをいくつも破ってここにいるのだ。怒っている。絶対に怒ってるわ!


 そう。南方の大商人、通称「白髪のオルフェウス」こそ、ヘスティリアの実の父親なのである。

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