第六話 ヘスティリア、婚約者を翻弄する

 ノルレアの代表であるガルデルとヘスティリア、ヴェルロイドは向かい合ってテーブルに着いた。テーブルと言ってもただの木の机である。大きさはそれなりにあったが。お茶も出て来ない。そして、ガルデルは何の世話話も無しにいきなり本題から話を始めた。


「で? 領主夫妻が揃って何しに来た? 使者の話では交易についての交渉がしたいという事だったが?」


 ヘスティリアは交易商人の娘として、いろんな相手との交渉を経験しているので、こういう性急な話し方をする相手にも慣れている。ヘスティリアはウンと頷いてこう言った。


「現在はノルレアの国内を通過している交易商人のルートを、国境を越えてアッセーナス辺境伯領に向かうルートに変更してあげます」


 ヘスティリアの発言に、ガルデルもヴェルロイドも目を丸くした。ガルデルは暫く沈黙した後に、ヘスティリアに確認をするように言った。


「変更して、あげます?」


「ええ。ノルレアの悩みの種である交易商人をアッセーナス辺境伯領で引き受けてさしあげます。なので、ノルレア国に協力を要請します」


 協力を要請するのは良いのだが、その前に「交易商人を引き受けてやる」という上から目線の言葉が付いている。ヴェルロイドは横目でヘスティリアを睨むが、彼女は知らん顔をしていてヴェルロイドの方を見ない。


「交易商人がお前らの領地を通れば、お前らが儲かるんだろう? 自分らが儲けたいから交易商人を呼び寄せるのに、なんで俺たちが協力してやらなきゃいけねぇんだ? ああん?」


 ガルデルが怖い顔をしてヘスティリアに凄むが、ヘスティリアは涼しい顔だ。この少女はどうも相当な修羅場を潜ってきているらしいな、とヴェルロイドは見て取った。


「確かに、アッセーナス辺境伯領に交易商人が来れば我が領は儲かりますが、このままノルレア国を交易商人を通過させるより、こっちに回した方がノルレアとしても助かるのではないですか?」


 ヘスティリアはガルデルをジッと見詰めながら言った。その瞬間、ガルデルが眉をしかめ、チッと舌打ちをした。


「……何処まで知ってやがる」


「ほとんどの事は分かっていますよ」


「内偵か?」


「ご想像にお任せします」


 二人のやり取りにヴェルロイドは付いて行けない。しかし彼とて領主である。そんな事はおくびにも出さずに余裕な表情を装っている。しかしながら、ヘスティリアが分かる事が、どうして彼女よりも長い事ノルレアと付き合っている筈の自分が分からないのか。内心で悔しさに歯がみをしてしまう。


 そんな婚約者の事を知ってか知らずか、ヘスティリアはガルデルに言った。


「交易商人が通過するのは良いことだけではありません。何しろ、大規模なキャラバンは何百人にもなる事がありますからね」


 それを聞いてガルデルは渋い顔をする。それを見ながらヘスティリアは続けた。


「ノルレアは食料生産能力が低い国。そんな大規模な交易商人が何日も国内を縦断していったら、それは困るでしょうよ」


 そこまで言われてヴェルロイドも気が付いた。それは確かにその通りだ。


 ノルレア国は人口が少ない。それはアッセーナス辺境伯領よりも東北にあるノルレアは気候が寒冷で食料生産能力が低いからだ。おまけに山がちで国土の大半が深い森に覆われている。人々は農耕よりも狩猟採取に頼る比重が大きい。ノルレアに強力な王権が成立せず、未だに国にまとまりが無いのはこれが理由だ。農耕は多くの人々が協力して行わなければならず、それを統制する過程で王権が成立しやすいのに対して、狩猟採取はどうしても村単位、部族単位でも成立してしまうのだ。


 ノルレア国で農耕が辛うじて成立してるのがこのノルレアの街の周辺で、だからこそノルレア国内では飛び抜けて多い人口一万人程度の街が成立しているのだが、この街から南へ行き、帝国のランディスの街に伸びる街道沿いには狩猟採取に多くを依存する部族の村しかない。


 さて、この国に遠く東の国から交易商人の何百人ものキャラバンがやってきたらどうなるか。ノルレアより北は当たり前だがノルレアよりも気候が厳しく、農耕自体が成立しない。その東は草原地帯で牧畜を生業とする遊牧民しかいない。そしてその先は砂漠で、砂漠を越えた先にようやく東の帝国があるらしい。


 そんな困難な道中を乗り越えてやってきたキャラバンにとってはノルレア程度の街でも一息吐けるオアシスになる。まだまだ長い帝都への道のりに向けて、ここで補給物資を整えようと考えても無理はない。


 で、ノルレアの街で食料を大量に買い込むわけである。それ自体は良い。ノルレアでは農耕が行われていてそれなりに食料の集積があるし、商人だってちゃんと対価を(貨幣だったり珍しい商品だったりするようだが)払っているのだから。それを当て込んだ商人も住み着いて、食料以外の物資を帝国から輸入して売っている場合もあるだろう。


 しかし、それはノルレアの街だけだ。ノルレアからランディスまでは十日前後掛かるらしい。その道中はほとんどノルレア国の国内なのだか、間には満足な町どころか村さえ無いのだ。つまり途中で新たな補給をするのはほとんど不可能なのである。


 しかしながら十日以上も無補給で旅をするのはキャラバンにとっても辛いことである。ノルレアの街も食料が溢れている訳ではないから、十分な補給が出来ない事も考えられる。するとやはり途中でなんとか物資を手に入れようとするわけだ。森で狩猟するなりして。


 ここで問題なのはノルレアの人々が狩猟採取を主とする生活を送っていることである。つまりキャラバンが途中で食料を得るために狩猟をすれば、それは住民達のテリトリーを荒らすことに繋がるのだ。


 他にも、キャラバンは武装しているのが当然なので、中にはガラの悪い連中もいる。村を襲って物資を奪ったり、女子供に乱暴を働く者もいるわけだ。そういう連中とのトラブルは何処の国でも発生するものだが、国としての纏まりがなく村単位、部族単位が孤立しているノルレア国ではより深刻になる。国として商人を取り締まる事が出来ないからだ。


 これに加えて野盗が商人を襲うと、商人の組合がノルレア国に抗議してくるような事態にもなる。しかしノルレア国は国土を統制するという概念が非常に薄いため、国を挙げて野盗を取り締まる事など出来ようも無い。一応は年一度、この集会場に町や村、部族の長が集まって会議を開き、ノルレア国としての方針を決めるのだが、そこでも自治に干渉するような決定は余程の事が無い限り出されないのだそうだ。


「そういう面倒事を丸ごとアッセーナス辺境伯領で引き受けてあげる、と言っているのですよ。街道のルートを昔の、このノルレアの街からオルイールの街に向かうルートにすれば、今のノルレアの抱えている問題は解消しますでしょう?」


 ヘスティリアは微笑みながら言った。


 ヴェルロイドは内心舌を巻く。確かに、ノルレアにいる諜報員はノルレアにおける食料価格の情報や、野盗の出没情報、あるいは交易商人が地元住民とトラブルを起こしている事などを伝えては来たが、ヴェルロイドはそれを深刻なものとして受け止めて来なかったのだ。


 しかしヘスティリアはその情報からノルレア国の窮状を読み取って、堂々と交渉に臨んでみせた。これはヘスティリアの方が商売について詳しかったからも知れないが、ヘスティリアの方が情報分析力に長けてからでもあるだろう。


「それで、お前の所が丸儲けか? 随分虫のいい話じゃねぇか」


 ガルデルが歯を見せて唸るがヘスティリアは動じない。わざとらしく小首を傾げる。


「アッセーナス辺境伯領にも勿論リスクはありますよ? 我が領だってそれほど食料生産力がある領地とは言えませんからね」


 それはそうだ。ヴェルロイドは考える。アッセーナス辺境伯領は北にしては暖かいとは言え、有り余るほどの食料生産力があるとはとても言えない。多くの交易商人がやってきた時に、果たして彼らが欲するほどの食料を供給出来るものか。


 しかし、ヘスティリアの余裕の表情を見るに、どうやらその解決方法はとっくに彼女が検討済みなのだろうと思える。


「ですから、ノルレア国へのこれは善意で申し上げているのですよ。我が領地に交易を投げてしまった方がそちらにとっては助かるでしょう? というね」


 ヘスティリアは全く下手に出なかった。彼女の本意はアッセーナス辺境伯領になんとしても交易ルートを通して、中継交易点としてオルイールを栄えさせる事であるのに、その事を全く口にも態度にも出さないのだ。


 もしもノルレアがこの提案を断った場合、ヘスティリアの意図は頓挫する訳である。それならばもう少し謙った態度や譲る姿勢を見せるべきだとヴェルロイドなどは思うのだが、ヘスティリアはあまりにも強気だった。


「別に良いのですよ? 交易ルートが今のままでも、こちらとしては色々やりようはあります。でも、ノルレア国としては現状の問題を解決する方法が、アッセーナス辺境伯領に交易ルートを回す以外に方法が無いではありませんか」


 ガルデルが唸る。確かにそれは事実であるように思えたからだ。ノルレア国が交易商人とのトラブルを深刻化させている事は事実で、方々の村や部族からの苦情に突き上げられて、現在国の代表を務めているガルデルが苦慮している事も事実だったからである。


 しかし、実はこれは彼の思い込みである。ヘスティリアに思考を誘導されていることに、彼は全く気が付いていなかった。


 ノルレア国における交易商人に関わる諸問題は、けして喫緊の課題というわけではない。確かに問題は起こっていたが、今すぐ何としても解決しなければならないという程ではなかった。不作の年に大きなキャラバンいくつもやってきたら深刻な問題になっただろうが。


 そもそもガルデルには交易の事がよく分かっていない。彼は近郊の村の村長であり、選ばれて今年の代表になっているだけだ。交易に関わるトラブルも「面倒くせぇな」くらいにしか思っていない。それでも代表であるから苦情にはなんとか対応せねばならず困っていたのは間違いなかったのだが。しかし詳しくないものだから、対処方法もわからなかった。


 そこに他国の者であるヘスティリアがニコニコしながらノルレア国の問題を指摘したために、なんだかすぐに問題に対処せねばならないような気がしてしまったのだ。しかも彼女はハッキリと的確に問題を指摘し、対処方法まで提示してみせた。


 そのせいでガルデルはヘスティリアの提案を「受けるか受けないか」で考え始めてしまった。本来であればそうではなく、問題解決には複数の案を考えて比較すべきである。この場合であれば他の解決方法を探し時間を掛けて検討し、それから解答を出すべきだったろう。


 しかしヘスティリアはダメなら良いですよ? と言ってこの場での返答を迫った。それでガルデルは不十分な情報のまま選択を迫られる事になってしまったのである。


 この事はガルデルには分からずヘスティリアにとっては計算ずくであり、横で見ていたヴェルロイドには何となく分かる事であった。ヴェルロイドは再び舌を巻いた。彼も交渉事の機微はそれほど分からないのだが、灰色を黒と言い切って相手に信じさせる、ヘスティリアの度胸に感心したのだ。


 しかしながら、果たしてこれでガルデルが言いくるめられるものか。それにガルデルはノルレアの絶対権力者ではなく、今年の代表に過ぎない。ガルデルがヘスティリアの案を承認したとしても、それが直ちにノルレア国全体に散らばる町や村、部族の承認になるかは分からないのだ。


 しかしヘスティリアはそんな事は百も承知の上だった。


「とりあえずはノルレア国として私の提案を承認してくれれば良いのです。後は交易商人に話を流せば勝手にアッセーナス辺境伯領へのルートを取るようになってくれるでしょうからね」


「なんでそんな事が分かる?」


 思わずヴェルロイドが口を挟んだ。ヘスティリアは営業用の華やかな微笑みでヴェルロイドを見たので、ヴェルロイドは少しドキリとした。


「交易商人にしてみれば、ここから十日もほぼ無補給でランディスの街を目指すより、三日で着くオルイールを経由した方が有利だからですよ。困っているのは交易商人も同じなんです」


 しかも人口が五万以上とこの地方では飛び抜けて多い人口を持ち、元々交易の中継点でもあったオルイールは、交易商人にとっては元々魅力のある街だ。交易商人が通るようになれば彼ら向けの補給品販売業者は直ぐに集まってくるだろう。そして、港建設の計画が進んでいる事も分かれば、交易商人は自分たちで海運業者をオルイールに呼び寄せてくれるだろう。希望的な予測であるが、それほどは大きく外さないだろうとヘスティリアは思っていた。


 交易商人が勝手にルートを変更するのならノルレア国には手間が無い。元々ノルレアの街よりも南の街道沿いの街は交易商人が通過しても何の益も無かったのだ。ルートを変更しても文句を言う者もいないはずだ。


「後はオルイールへの街道の整備をアッセーナス辺境伯領側でやることの許可をくれて、国境の帝国側に宿場を築くのを承知してもらえばそれで良いですよ」


 ヘスティリアは特に深い考えもなくそう言ったのだが、これにはガルデルが厳しい顔でダメを出した。


「それは承知出来ねぇ。こっちの領地とそっちの領地の境辺りは人が住んではいかん決まりじゃねぇか」


「そんな決まり無駄だから止めましょう? なんの益もないではありませんか」


「その宿場とやらをお前らが前進基地に使って戦争を仕掛けて来ない保障があるのか? ダメだ」


 ヘスティリアはむう、と唸った。どうも両国には三十年も前の戦争のトラウマが深く刻み付けられているらしい。オルイールの城のあの堅牢ぶりからも、アッセーナス辺境伯領とノルレア国がお互いを強く警戒している事は間違いないだろう。


 ヘスティリアはヴェルロイドをチラッと見上げた後にガルデルにこう提案した。


「分かりました。では、宿場はノルレア国側で築いて運営して下さい。もちろんその場合は周辺の街道の警備も担当して下さいね」


 ヴェルロイドとガルデルが揃って目を剥いた。これはノルレア国に帝国の国境間近まで軍隊を入れる許可を出すという意味だったからだ。ヴェルロイドは慌てた。


「リア! それは!」


「別に問題ないでしょう? ヴェル。ノルレア国が本格的に侵攻を企むような素振りを見せたら対処すれば良いだけです」


 ノルレア国に常駐している密偵によってそれは分かるし、アッセーナス辺境伯領にはノルレア国に勝る軍隊があるのだ。三十年前のようにノルレア国や周辺諸国、部族で大連合を組むような事態が起こらない限り大丈夫だろう。


 ヘスティリアとヴェルロイドは睨み合った。ただ、ヴェルロイドの方はうっかり彼女を愛称で呼んでしまったら愛称で呼び返されてドギマギしていたので、最初から勝負は決まっていた。


「……分かった。君に任せる」


「ありがとうございます」


 ヘスティリアはニッコリ微笑むとガルデルに向き直った。


「どうかしら? 貴方が宿場を運営すれば丸儲けになるわよ? ノルレア国としても貴方としても悪い話ではないと思うけど」


 これはガルデル個人に街道の宿場町を建設運営する事を提案しているのである。彼はノルレア国の有力者ではあるが、抜きん出た有力者というわけではない。交易商人が立ち寄る宿場町を運営すれば、大きな利益を得ることが出来る。そうすれば彼はノルレア国の有力者の中で頭一つ抜ける事が出来るかもしれない。そうすれば長らくいなかったノルレア国の「王」となれる可能性がある。


 そのくらいの理屈が分からないガルデルではない。彼とて一応は国の代表者を務められるくらいの才覚はある。しかしながらこの目前の年若い亜麻色髪の少女が、どうしてそこまで的確にノルレア国の事情を知り、ガルデルの隠していた野望を見抜くことが出来るのか。彼は内心で畏れた。畏れたのでむしろ荒々しい口調でこう言った。


「……お前の言うことは信用出来ん。だが、提案の利点は理解出来る。こういう場合、ノルレア国では決闘で決める事になっている」


 ヘスティリアは目を丸くしたが、あまり驚いた様子には見えない。首を傾げて言った。


「決闘?」


「そうだ。意見が対立した場合は、決闘を行い、神の思し召しを伺うのだ」


 神前での決闘によって勝った方が正しいという事にするのだそうだ。これは要するに「強い方が正義である」という価値観が根底にある。蛮族の風習を引き継いでいるのだろう。ノルレア国では国の行方について意見が対立すると、決闘を行って選択を決定するのだ。実の所、国の代表者も立候補者同士の決闘によって決めるのである。


「俺とお前、決闘でどちらが正しいか決めようではないか!」


 ガルデルは吠えたが、ヘスティリアは嫌そうな顔をして言った。


「私が戦える訳がないではありませんか。ただその代わり……」


 ヘスティリアは横に座る大きな自分の婚約者の肩を叩いた。


「家の領主様がお相手しますよ。領地同士の話ですもの。その方が自然でしょう?」


「ふむ、それならそれでこちらは構わぬ。良いのか? ヴェルロイド?」


 勝手に話を進められてヴェルロイドは呆れ果てたが、そこでハッと気が付いた。


 いつもなんの断りもなく出掛けてしまうヘスティリアが今回に限ってわざわざ彼に事前に出掛ける事を伝えた理由を。彼女程の情報収集能力があれば、ノルレアの気風や風習を知らない筈はないのだ。


「最初からこのつもりだったのだな?」


「ナンノコトヤラ。オホホホホ。頑張って下さいね。ヴェル」


 ヴェルロイドは愛称を呼びながら柔らかく細めたその紫色の瞳に、反論を封じられたのであった。


 

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