第二話 ヘスティリア、辺境伯に気に入られる

 ヘスティリアが乗った馬車は着々と北に進んでいった。ちなみに、ヘスティリア自身が乗った馬車の他に荷物(服だとか家具だとか)を積んだ馬車が一台いる。それと護衛の騎兵が五名。


 街道は土を固めた路面で、定期的に補修がされているからそれほど酷い揺れ方はしない。もちろんバレハルト伯爵家の所有する高級な馬車だからこそだからだが。


 道中で泊まる宿も貴族に相応しい高級宿で、ヘスティリアが商人時代に泊まったような、ベッドがあればラッキーみたいなボロ宿ではなかった。お世話してくれる侍女が二人も付いていてくれているし、何の不便もない。


 しかしそれでも北に進むにつれて、通過する街や村の規模が段々と小さくなっていくのが分かってヘスティリアはげんなりした。


 街や村の規模が小さくなってしまう理由は簡単だ。北に行けば行くほど気候が寒冷になって、麦が育ち難くなるからだ。食料が不足する訳である。食料が不足すれば多くの人口が養えなくなり、人口が少なければ街や村が小さくなる。道理だ。


 この分だとやはり北の果てにあるアッセーナス辺境伯領はど田舎で間違いなさそうである。ただ、小さい峠を越えてこの先が辺境伯領という土地に入ると、空気がフワッと暖かくなった。どうも辺境伯領が海に面しており、海からの風が暖かいらしい。そのせいか、道中の土地よりも辺境伯領の方が農地が豊かなように見えた。


 そうして旅して、帝都を出て十二日目の昼過ぎ。ヘスティリア一行はアッセーナス辺境伯領の領都に入城したのだった。ヘスティリア自身は旅慣れていたからなんという事も無かったが。侍女や護衛はヘロヘロに疲れ果てていた。


 しかしとにかく遠い。これは帝都から出たこともないお嬢様のアンローゼでは、途中で泣きが入って帝都に引き返してしまっていたかもしれないわね、とヘスティリアは思った。


 辺境伯領の領都はかなり高い石造りの城壁で囲まれ護られていた。流石は国境の要衝といった雰囲気である。無骨で冷たい城壁をくぐると、中にはそれなりの規模の街が広がっていた。


 ……それなりね。ヘスティリアのテンションがガクンと落ちる。なんというか、見るからに寂れた街だったのだ。石材で造られた建物自体は多いのだが、かなり空き家が多いのではないだろうか。人があまり歩いていない。路地に露店が並んでいるような事もなく、活気あるやりとりがそこここで起こる事もない。


 田舎の街だわね。道中でも、南の辺境でもよく見た田舎の街。昔はもう少し栄えていたのだけど、主流から外れてしまって人口が減って若者が流出して、緩やかに衰退している街。そういう街に共通した寂しい雰囲気が、このアッセーナス辺境伯領都には色濃く表れていた。


 昔は王都としてもっと栄えていたのだけど、帝国に編入されて衰退が始まってしまったのかもしれない。そうであればなんかもう、色々期待は出来なそうだ。ヘスティリアはこの時点でちょっともう帰りたくなった。お、お義父様の嘘吐き! それなりに栄えてるって言ったじゃない!


 と、遠い帝都のバレハルト伯爵に文句を言いたくなったヘスティリアだが、まさかここから回れ右して帝都に帰る訳にはいかない。彼女は寂れ切った領都の街並みを、溜め息を吐きながら眺めるしかなかった。


 アッセーナス辺境伯領の領都は、岩山を取り巻くように造成されていて、中央にその岩山の頂上が来る。そこに辺境伯の住む館があった。


 館というよりはお城。お城というより砦である。黒い石を積んで作られた、垂直な城壁でグルリと囲まれた要塞である。帝都にある優雅な貴族のお屋敷とは対極に位置するような建物だった。全然優雅ではない。このところ貴族の華やかなお屋敷を楽しんでいたヘスティリアはあからさまにがっかりしてしまった。


 砦の前には深い谷があり、そこに跳ね橋が架かっていた。有事の際に跳ね橋を上げれば、この谷が天然の空堀となって敵を防ぐという寸法だ。つくづく実戦的なお城なのである。数十年前までの国境が騒がしかった時代には、このお城にまで敵が迫った事があるのかもしれない。


 馬車列はお城の中庭まで案内されてから停められた。馬車を降りて分かったのだが、そこは中庭ではなく敵を誘い込んで一網打尽にするためのスペースだった。なぜなら周囲は塔や城壁に囲まれていて、上には兵士が潜んで弓矢を射掛ける矢狭間がいくつも開いている。実際、何人かが潜んでいる気配がした。しかしヘスティリアは素知らぬ顔で案内に従って城の中に入って行った。


 お城の中も無骨だった、ほとんど石積みのままで、多少漆喰で塗り固めている程度。廊下にはカーペットが申し訳程度に敷かれ、壁にはたまにタペストリーが下がっていた。これでもどうやらヘスティリアを歓迎するために少しは装飾を増やしたものとみえる。


 一行はお城の中をかなり歩いた。どうも敵を防ぐために城の奥には真っ直ぐに向かえないようになっているらしい、おかげでなぜか階段を二回上り下りした。体力があるヘスティリアは平気だが、侍女たちは不満を漏らしていた。


 そして、ようやく重厚というより重苦しく古めかしい大扉の前に辿り着いた。この向こうに辺境伯がいるのだろう。いよいよ結婚相手との対面である。ヘスティリアは侍女のアイナーセンにドレスを整えてもらい、深呼吸してから案内人に合図をした。


 大きな扉は意外と音もなく開いた。手入れが行き届いているのだろう。扉の向こうは謁見室になっていた。半球形の天井には明かり取りの窓がいくつかあって。光が床に引かれている赤いカーペットを輝かせていた。


 そのカーペットが向かう先に、三段の階があり、その上に木で出来た大きな椅子があって、そこに一人の人物が座っていた。あれが辺境伯だろう。


 ヘスティリアが最初に抱いた印象は「大きい人だな」という事だった。座っているのに大きいことが分かるのだから、かなりの巨漢だと言える。


 銀色の髪を短めに刈っていて、鋭いサファイヤ色の瞳もあってやや粗野な男に見えた。ただ、顔の造作そのものは整っており、その気になれば甘い笑顔を浮かべられるだろう。


 ただ、この時は少し不機嫌そうに見えた。目付きが花嫁を歓迎するにしては冷た過ぎる。ああ、これは。ヘスティリアは即座に悟った。予想通りだ。辺境伯は求めたバレハルト伯爵家の実子ではなく、養子が送り込まれた事に怒っているのだろう。


 ……そうであれば、下手に誤魔化さないほうが良いわね。ヘスティリアはそう判断した。


 ヘスティリアを先頭に一行は辺境伯の前に進んだ。ちなみに、辺境伯の横には執事と思しき若い男性が立っているだけだった。他に人はいない。


 ヘスティリアは進み出て辺境伯の前で深く頭を下げた。


「バレハルト伯爵家の養女であります、ヘスティリアでございます」


 その名乗りを聞いて辺境伯がサファイヤブルーの目を見開いた。それをしっかり観察しながら、ヘスティリアは続ける。


「この良き日に、ご縁あって帝都よりこの地にまかり越しました。何かと至らぬ事、気に入らぬ事、納得出来ぬ事はございましょうが、他に行く所とてないわたくしでございます。ご寛恕を頂き暖かく迎え入れて下されば幸いです」


 嫁入りの口上としては明らかに不適当なほどに遜った台詞であった。ヘスティリアの真後ろに控えているアイナーセンなどは明らかに戸惑って「リア様!」などと声を声を掛けている。ここは本来は伯爵家の誇りある令嬢として、嫁に来てやったぞありがたく思え、くらいの口上を述べるべき場面だったのだ。


 しかしヘスティリアは、辺境伯が明らかに不機嫌な様子であり、それはこちらが養女である事を知っているからだと考えて、即座に口上を遜ったものに切り替えたのだった。最初に非礼をやらかしたのはこちらである。ならばこちらがまず譲らなければなるまい。


 こんなに遜ってしまうと、結婚した後に夫が優位になり過ぎてしまい。これはひいてはアッセーナス辺境伯家とバレハルト伯爵家の上下関係にまで影響してしまうので良くないのは分かっている。しかしヘスティリアとしてはそんな事は知った事ではないと言いたい。


 大事なのは辺境伯にまず一度受け入れてもらうことだ。これがヘスティリアが養女である事を隠していた場合、その事を理由にして辺境伯が縁談を断ってくるかもしれない。縁談が壊れて帝都に帰れるなら願ったり叶ったりと言いたい所だが、問題はその場合、辺境伯家は必ずバレハルト伯爵家を問責するだろうという事だ。


 そうなった場合、上位の家からの追及に対しバレハルト伯爵が全ての罪をヘスティリアに被せてこようとする可能性があるのだ。全てヘスティリアがやった事。悪いのは全部ヘスティリアです、ということにしてヘスティリアの首を刎ねてしまってお仕舞いにするのである。


 そんな事をされたらたまらない。ヘスティリアはお義父様のあのにこやかな笑顔など一つも信じてはいなかった。あれは養女の命など都合が悪ければ躊躇なく捨てられる男だろう。そうでなければ上位貴族の当主など務まらないのかもしれないが。


 ヘスティリアが自分の身を護るには、まずは辺境伯に自分の身を受け入れてもらう必要がある。その後に離縁されたとしてもそれはあくまで婚約者間で問題が発生したという事になり、それはヘスティリア個人に責任があるという事になる。実家であるバレハルト伯爵家には迷惑は掛からないのだ。


 バレハルト伯爵家に責任が無いのであれば両家の争いにはならない。単純にヘスティリアが出戻りするだけだ。お義父様はヘスティリアを暖かく迎えてくれるだろう。政略結婚の駒として。


 ヘスティリアの態度に、辺境伯はヘスティリアを凝視して考え込んでいた。ヘスティリアも静かに辺境伯を見つめる。二人の視線が交錯したまましばし。やがて辺境伯が口元をニヤッと歪めた。


「よかろう」


 辺境伯はグワっと椅子から立ち上がった。大柄な彼がいきなり立ち上がると、侍女や護衛達が思わず後退りするくらいの迫力がある。しかしヘスティリアは微動だにしなかった。静かに辺境伯を観察している。


「気に入った。ようこそ花嫁よ。このアッセーナス辺境伯ヴェルロイド。心から歓迎しよう」


  ◇◇◇


 謁見を終えたエスティリアはとりあえず客間に入る事になった、謁見室から案内人に導かれて退出する、謁見室にはヴェルロイドともう一人、彼の執事だけが残された。


「どう思う。ハイネス」


 ハイネスと呼ばれた執事は、その赤茶色の前髪を自分の指に巻き付けながら考え込んでいた。


「なんとも、面白い娘が来たものですな」


「お前もそう思うか」


「はい。あの太々しい態度はどうでしょう。あの口上の意味は要するに『気に入らないかもしれませんが、自分を受け入れないと困った事になりますよ』という脅しですからな」


 ヘスティリアはここ以外に何処にも行く所がないと訴えたわけだが、あれは裏を返せば、嫁入りを断られるとバレハルト伯爵家の面目が潰れる、という意味なのだ。


 アッセーナス辺境伯家がヘスティリアの嫁入りを断り、養女である彼女の行き場がなくなるような事があると、面目を潰されたハレバルト伯爵家が激怒しますよ。それでもいいのですか? と脅してきたのだ。


 ハレバルト伯爵家は帝都でもかなりの名家だ。資産家としても有名で、帝国政界に及ぼす影響力も大きい。その家との繋がりを欲して、ヴェルロイドは伯爵家からの嫁を欲したのである。その家と対立してしまうのは好ましくない。


 これが、ヴェルロイドの方が先に「其方は養女ではないか! 約束が違う!」とハレバルト伯爵家の不誠実を指摘出来れば、優位に交渉が進められたのだ。もちろん、ヴェルロイドは帝都の情報網でバレハルト伯爵にはヘスティリアなんていう娘が居ない事を知っていたので、そういう風に有利に交渉を運ぶつもりだった。


 しかし先手を打たれた、養女であることをあちらから明かされ、遜られた上で脅されては、とりあえずヘスティリアを受け入れるしかないのだった。ヴェルロイドはまんまとヘスティリアの術中に嵌ったと言える。


「ヴェル様があんなに怖い顔をしていたから察されてしまったのですよ。少しはポーカーフェイスも出来るようになって下さい」


「気を付ける」


 確かに、格上の辺境伯家に対して急遽取った養子を「娘でございます」として送り込んできたバレハルト伯爵家の不誠実に対し、ヴェルロイドが怒っていたのは事実で、感情を隠すことが下手なヴェルロイドが顔に怒りを出してしまったのは失敗だったと思う。


 しかし、その怒りの原因を的確に読み取り、最適な対処を一瞬で考え付くセンスは普通ではない。しかもあれは十七歳の小娘の筈ではないか。


「……兎を狩ろうとしたら熊が出てしまったかな? これは」


「どうでしょう。少なくとも下手に手を出せば指先を食い千切られるくらいの牙は持っていそうですな」


 ヴェルロイドは満足そうに笑みを浮かべて頷いた。


「我が嫁に相応しい曲者だな。面白い事になってきたではないか」


  ◇◇◇


 ヘスティリアは客間に入ると即座に仮面を脱ぎ捨てた。


「あー、怖かったわー!」


 アイナーセンなどは呆れた顔をしていたが、事実怖かったのだから仕方が無い。あんな大男に睨まれたのだから無理もないではないか。


 あれが私の旦那様かぁ。ヘスティリアははうむむむっと唸る。偉丈夫と言えるほど大柄な男性で、顔立ちは凛々しい。外見からして既に非凡である。


 しかし、あのヘスティリアを睨み付ける視線の鋭さ。ヘスティリアが一瞬の隙を見せたら噛み付かれそうだった。あれは正に虎の視線だ。彼女も商人時代から多くの人に接し、中には傑物と言われる人もいたのだが、あそこまで隙を見せられないと思った相手は初めてだった。


 敵にすればひたすら厄介で恐ろしいタイプだが、味方に出来れば頼もしいだろう。さて、あんなおっかない男が相手が妻だというだけで無条件で私の味方になってくれるものなのかしらね? そんな甘い相手ではどうもなさそうだ。 


 そもそもあの様子だと、単に愛する妻など全く必要としてはいないだろう。フワフワお姫様のアンローゼお姉様がお嫁に来なくて本当に良かったとヘスティリアは思った。アンローゼでは散々利用された挙句にポイと投げ捨てられてしまっただろう。


 あのタイプの男は、相手が自分に役立つと思ったならば優遇して信頼してくれる。つまり、彼の妻として彼の役に立つ事を証明しなければ、ヴェルロイドはヘスティリアを妻と認めてはくれないだろう。彼も私もお互いの事を何も知らないのだ。まずは私の事を認めてもらう事から始めましょう。と、ヘスティリアは決意した。


 ……ヘスティリアは気付いていなかった。彼女は元々、ヴェルロイドに追い返されるつもりでここまでやって来たのだ。そうすれば花の帝都にすぐ戻れる、くらいのつもりでいた筈だったのだ。


 それがどうしてだか、ヴェルロイドの妻と認めてもらえるように頑張ろうと考えている。一体それが何故なのか、彼女自身にもまだ分からないのであった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る