身代わり結婚させられた商人の娘は花の帝都に戻りたい

宮前葵

嫁入り編

第一話 ヘスティリア、突然貴族の養女になる

「そうだ! リア! 貴女、私の代わりにお嫁に行ってくれない?」


 アンローゼお嬢様のお言葉に、ヘスティリアは冷たい視線を向けた。


「何馬鹿な事を言ってるんですかお嬢様。それより早く食べちゃって下さい。片付けられないではありませんか」


 ヘスティリアはアンローゼの食事の給仕をしているところだった。彼女はアンローゼの専属侍女である。伯爵令嬢であるアンローゼは鷹揚で親しみ易く仕え難い主では無かったが、たまにとんでもない我が儘を言うのが困りものだった。


 アンローゼはしかし、ヘスティリアを見上げて必死に言い募った。


「私、あんな田舎に嫁ぎたくないんだもの! 代わりに貴女が行けば良いじゃない! 貴女田舎の生まれなんでしょう?」


「それは私は田舎、というか旅育ちですけどね。だからこそ田舎に行くなんて私だって嫌ですよ」


 商人の娘として旅をし続けて育ったヘスティリアである。そんな生活が嫌で家出して帝都にやってきたのは二年前。十五歳の時だった。それから彼女はこの花の帝都で楽しく暮らしているのだ。今更田舎に行くなんて御免被る。それに、そもそもそういう話ではあるまい。


 バレハルト伯爵家第一令嬢であるアンローゼに縁談が持ち込まれたのは二ヶ月ほど前だった。アンローゼはヘスティリアより一つ年上の十八歳。結婚適齢期真っ盛りの彼女に縁談があるのは当たり前の事である。バレハルト伯爵家はまぁまぁの名家だし、アンローゼもそれなりに美人だ。


 お相手の家が釣り合う名家であれば普通に縁談が成立するだろう。しかし、その縁談の内容を聞いて、アンローゼが難色を示したのだ。それはお相手の男性が、このたびアッセーナス辺境伯の位を継いだばかりの男性で、辺境伯領、つまり東北の国境にお住まいの方だったからだ。


 辺境伯、というと耳慣れない階級で戸惑うかもしれない。辺境伯とはつまりそれまで独立した王国であったものを、その王国が帝国に帰順して編入する際に元の王族をその位に任じたものだ。つまり旧王族である事を意味する。帝国の階級では皇族の血を引かないとなれない侯爵と同等の位だと言えた。つまり伯爵家よりも格上の家格なのだ。


 そんなお家に嫁にと望まれたのだ。これはバレハルト伯爵家が大喜びで縁談に応じたのも無理はない。ただ、この縁談には難点が一つあったのである。


 それはアッセーナス辺境伯が帝都にいらっしゃらないという事だった。


 辺境伯は帝国国境において外敵から帝国を護る役目を負った家である。そのため、帝国貴族であれば所領には代官を置き、貴族当主本人は帝都に住むべき所を、特別に所領で生活することを許されているのだ。


 つまり今回の縁談に応じた場合、アンローゼ様は遠い辺境伯領に嫁がされる事になるという事だった。しかも、辺境伯ご本人に一度も会えない状態でだ。それを知ってアンローゼがごね始めた、ということだった。


 勿論、釣書きには辺境伯の肖像画が添付されており、その絵によると二十二歳の辺境伯は中々の美男子のようである。しかし、アンローゼは「そんな絵は信用ならない」と言い、そんな帝都から馬車で十日も掛かるど田舎に嫁ぐなど嫌だと父親に対して涙ながらに訴えた。


 元々アンローゼに甘いところのある伯爵は困ってしまった。しかし、格上のお家からの縁談は断り難い。なんとかアンローゼを説得しようと、この日の晩餐でも伯爵とアンローゼはかなり激しくやり合っていた。そんな中飛び出したのが先ほどのアンローゼの発言だったのである。


「お父様だって、リアの事は気に入っているじゃない! ねぇ、お父様! リアを家の養女にして、辺境伯家に嫁がせれば良いじゃない! 名案よ!」


 何を馬鹿な事を言っているのか。ヘスティリアは溜息を吐いたのだが、なんとあろうことか、小太りで濃い金髪のバレハルト伯爵がうーん、と考え込んでしまったのだ。え? ちょっと待って? そこ考えるとこじゃないでしょう? ヘスティリアが唖然として見詰める中で、伯爵はポツリと呟いたのだった。


「それもありかも知れんなぁ」


「そうよね! やったぁ! これで解決ね!」


「ちょ! ちょっと待って下さいませ!」


 ヘスティリアは慌てて口を挟んだ。しかし伯爵は存外真面目な表情でヘスティリアに目を向けて言った。


「これほどアンローゼが嫌がっていては、嫁に出した途端に問題を起こして離縁にされそうだ。そんな事になったらアッセーナス辺境伯家の不興を買ってしまう。さりとて、縁談はお断りし難い。であれば、リアを養女として嫁がせるのはありだな」


 理屈としては分からない訳ではない。貴族が愛妾の子供や遠縁の子供を養子に迎えるのは良くあることで、その養子を政略結婚の駒に使う事も良くあることだ。


 しかしながらヘスティリアはバレハルト伯爵家とは縁もゆかりも無い平民であり、帝都生まれですら無い商人の娘である。父親の取引先からの伝手を辿って紹介され、この家の侍女として雇われている身に過ぎない。


 そのヘスティリアがどうして伯爵家の養女となり、政略結婚の駒に使われねばならないのか。ヘスティリアは首を傾げたのだが、伯爵はニヤッと笑って言った。


「こんな話は他の家には相談出来ぬし、そしてこの家にいる侍女でアンローゼの代わりになれそうな侍女はリアだけだ」


 確かに、このお屋敷で働いてる八人の侍女の中でヘスティリアは最年少だ。だからアンローゼに気に入られて専属侍女として可愛がられているのだが。


「立ち振る舞いもしっかりしておるし容姿もよい。着飾れば立派に貴族令嬢で通るであろう。我が家の養女としても誰もおかしいとは思わぬだろう」


 伯爵はウンウンと頷いているが、ヘスティリアは腹を立てた。なんですか! その勝手な話は。


「嫌ですよ。私だって田舎が嫌だから帝都に出て来たんですもの。そんな目に遭うくらいならこのお屋敷を辞めます」


 ヘスティリアとしては当然の主張だったのだが、伯爵は意地悪そうに微笑んで言った。


「ほうほう、そんな事を言って良いのかな? リア」


「?」


「お前を紹介してきたロンバルド商会からな、どうもリアと思しき若い女性を探し回っている商人がいるという話を聞いた。確かオルフェウスとかいう商人だったな」


 ヘスティリアはギクリと硬直した。と、父さんだ! 彼女は家出した身だった。父親が心配して探し回っていてもおかしくはない。もちろん、ロンバルド商会には口止めしておいたけど。彼女の父親はロンバルド商会とは長年の付き合いだと言っていた。追求されたら躱しきれないだろうし、ヘスティリアを庇う義理もない。


 ひー! ヘスティリアは慄いた。何しろ彼女は父親の言い付けを幾つも破ってここにいるのだ。彼女の父親はいつもヘスティリアに言い聞かせていた。


「帝都に行ってはいけない。貴族に関わってはいけない。母親の事を知ろうとしてはいけない」


 その三つの約束を、ヘスティリアは二つも思い切りぶっちぎって、帝都の貴族のお屋敷で働いているのだ。それを知ったら父さんはどう思うだろう? 父さんは厳しい父親だ。家出した挙句に約束を破った自分をどうするだろうか? ぶん殴られるだけならまだしもお優しい扱いではないだろうか?


 ガクブルするヘスティリアに、伯爵は全てを見透かしたような視線をよこした。


「この話を断れば、リアをオルフェウスに引き渡さねばならん。おそらく、もう帝都には来られないだろうなぁ」


 ヘスティリアの父親は貿易商人だ。仕事場所は主に帝国の南の外れ、砂漠地帯やジャングルを通る街道で、時には大きな船に乗って海を渡る事もあった。ヘスティリアは父親に付いて物心付いた時から十五の歳までそういう旅暮らしを続けていたのだ。


 水も簡単には手に入らないし食事も保存食ばかり。暑かったり寒かったり、虫が山ほどいたり、嵐の中を船室を転げ回って耐えたり、山賊に追い回されたり、あるいは何日も道に迷って餓死寸前になったり、そういう過酷な生活だ。


 ヘスティリアはそういう生活が嫌で嫌で仕方がなく、話に聞く帝都に物凄く憧れていた。それで、二年前に帝都近くまで商隊がやって来た時に、思い切って家出を敢行して念願の帝都に潜り込んだのである。そしてこの二年間、華やかで賑やかで文明的な生活をこの花の帝都で満喫していたのだ。


 それなのに父親に連れ戻されて、またあの過酷な生活に戻らなければならないのか。ヘスティリアはうぬぬと唸ってしまう。


「アッセーナス辺境伯領は北の辺境とは言え、その領都は元王都。それなりに栄えている筈だ。南の辺境よりは良い所だと思うがな」


 それはそうかもしれない。北の国境は昔はかなり荒れていたそうだが、この何十年かは平和な筈だ。少なくとも未開の蛮族が跋扈する南の辺境よりは文明的である事が期待出来る。


「それに、リアは我が養女、つまり貴族として、辺境伯家の花嫁となる訳だ。当地では丁重に扱われる事だろうよ」


 商人の娘として父親にこき使われるよりは間違いなく良い暮らしができるだろうという。それはそうだろう。バレハルト伯爵家は名家だし、アッセーナス辺境伯家は元王家であり侯爵相当のお家だ。大きいとは言え平民の商会の娘より扱いが悪くなろう筈はない。


「さて、どうするね?」


 伯爵は目を細めた。ヘスティリアはうーむと考え込んだ。


 それは、ヘスティリアとて帝都から北の辺境まで行きたくはない。しかしながらこの話を断ればどうやら父親に連れ戻されて、いずれにせよ南の辺境に行かなければならない雲行きのようだ。それならこの話に乗って父親のテリトリーの外である北の辺境に逃げてしまうのも一つの手だろう。


 そう考えると貴族の養女の地位を得て、辺境伯という高位貴族の嫁になるチャンスを逃す手は無いように思える。というか、平民が一足飛びに侯爵相当の貴族の夫人になれるなんて降って湧いたような幸運であると言っても良い。むしろ話が美味過ぎるくらいだ。


 伯爵がアンローゼの希望を通そうとして平民をいきなり養女にするなんていう無茶な事を言い出したのだろうけど、本当にそんな事ができるのかしらね? ヘスティリアは心の中で首を傾げてしまう。


「……本当に、正式に私を養女にするつもりなのですか?」


「もちろんだとも。リアを遠縁の娘という事にして、それから我が家の養女にする事はそれほど難しくはない」


 貴族とはいえ、零落して平民落ちしてしまった家は多いので、そういう家から器量が良い子供を養子として引き取る例は少なくないのだという。政略結婚の駒として美人の娘はいくらいても良いので、身分を偽装して養女を増やしている家は多いらしい。


「間違いなく正式に家の娘にするのだから、アッセーナス辺境伯家にも文句は言わせぬとも」


 それはどうだかね。ヘスティリアはそこは疑問に思った。辺境伯家もバカではなかろう。事前に情報を収集して、バレハルト伯爵家にはアンローゼ以外の娘はいない事を掴んでいると思われる。それなのに突然娘が増えたら、これは嫁入り用に慌てて養女を迎えた事がバレバレだ。


 実の娘を嫁に出すのを渋って養女を送って来られたら、それは良い気分はするまい。なにしろ相手は格上のお家なのだ。


「もしもアッセーナス辺境伯家が『養女では嫌だ』と仰ったらなんとします?」


「そうしたらそれは縁がなかったとお断りするしかなかろうな。こちらは誠意を尽くしたのだから」


 誠意ね。貴族の考える誠意はどうも平民とは違うらしい。


「その場合、私は帝都に帰ってくることになると思いますけど、その場合はどういたしますか?」


「どうもせんよ。リアにはそのまま養女でいてもらって、違う機会に嫁に行ってもらうだけだ。オルフェウスに引き渡すような事はせぬとも」


 政略結婚の駒として確保するという事だ。ふむ、それなら私にとっては良い事しかないんじゃない? とヘスティリアは計算する。ヘスティリアは自分のような田舎娘が行ったら、アッセーナス辺境伯は怒って自分を追い返すのではないかと思っていた。


 しかしそうすれば自分は帝都に帰って来て、今度は貴族のお嬢様として花の帝都を楽しむ事が出来るだろう。高嶺の花だった常設の洋服店や宝石店、レストランなんかに入って楽しめるかもしれない。お貴族様の社交にお呼ばれして綺麗なドレスを着れるかもしれない。


 ふむ。冷静に考えれば結構良いお話ね。これ。ヘスティリアは顔には出さずに頷く。ヘスティリアは商人の娘だけに損得勘定に長けている。そして、利益が出ると分かれば投資する事に躊躇いのない性格だった。


 なのでこの時、ヘスティリアは意外にあっさりと一歩を踏み出してしまった。それが彼女の運命を大きく動かす選択になる事も知らずに。


「分かりました。条件が相違無いのであれば、その件をお受けいたしましょう」


 伯爵はニヤッと笑った。


「おお、そうか。もちろん私は言を違えぬとも。よし、ではヘスティリアよ。其方は今この時から、バレハルト伯爵家の次女だ」


「すごーい! リアが私の妹になったのね! よろしくね」


 アンローゼが手を叩きながら嬉しそうに叫んだ。ヘスティリアとしては、名家であるハレバルト伯爵家がこんな良い加減な養子の迎え方をしても良いのだろうか? と激しく疑問には思ったのだが、伯爵もアンローゼも満足しているようなので口には出さなかった。


  ◇◇◇


 養女となったヘスティリアは、侍女の格好から養女に相応しいドレスに着替えさせられる事になり、侍女に連れられて食堂を出て行った。


 それを見送ったアンローゼは伯爵に向かって微笑んだ。


「ありがとうございます! お父様!」


 しかし伯爵は少し冷たい表情でこれをあしらった。


「馬鹿者。お前のためではないわ」


 意外な返答にアンローゼはきょとんとしてしまうが、バレハルト伯爵はほくそ笑んでいた。


 あのヘスティリアという少女。アレには以前から目を付けていたのだ。


 亜麻色の髪が野暮ったくもっさりと伸ばされているので目立たないが、顔立ちをよく見ると非常に美人である。紫色の大きな瞳は神秘的な輝きを放ち、すっきりした鼻筋、滑らかな輪郭。上品な口元は貴族的な美しさを持つ。


 背が高くすらっとしたプロポーションは上位貴族が好む体付きだと言える。商人として貴族に会うかもしれないから身に付けたのだという立ち振る舞いは優雅で、そして堂々としていた。あれならばいきなり貴族の養女としても何の問題もあるまい。


 正直、自分の愛人にしようかと迷うほどの美人だったが、それよりも政略結婚の駒にする方が何倍も価値が出るだろう。今日の受け答えを見れば分かる通り頭も良い。損得勘定に長け、落ち着きがあり、感情で動く事がない。あれならばどこへ行っても上手く立ち回って自分の居場所を確保してみせるだろう。


 アッセーナス辺境伯家はど田舎貴族と蔑まれている家だが、広大な領地と強大な軍事力で皇帝陛下からも一目置かれている家だ。縁戚を結ぶのは望む所だったが、何しろ遠隔地であるから伯爵の目が行き届かない。そんなところにアンローゼを嫁がせたらこの考えなしの娘が何をしでかすか分からない。


 その点、ヘスティリアなら自分の道は自分で切り開くだけの才覚が期待出来る。ヘスティリアの存在がアッセーナス辺境伯家で確固たるものになれば、それはバレハルト伯爵家が辺境伯家に強い影響力を及ぼすのと同じ事なのだ。


 そして万が一、ヘスティリアがアッセーナス辺境伯家で失敗をして辺境伯の不興を買い、処罰されるような事があってもそこは養女である。上手く言い逃れが出来れば不利益を最小限で食い止める事が出来るはずだ。


 どちらに転んでもバレハルト伯爵家にとっては悪い結果になるまい。アンローゼがゴネたおかげで上手い事ヘスティリアを養女に出来た。出来の悪い娘が珍しく役に立ったわい。と、伯爵は内心で祝杯を上げたのだった。


  ◇◇◇


 と、いうわけで、ヘスティリアは突然バレハルト伯爵家の養女となり、その二ヶ月後、嫁入りのために帝都の北の門から北の国境にあるアッセーナス辺境伯家に向けて旅立ったのだった。


 長距離移動用の大きな馬車の窓から、遠ざかって行く帝都の城壁を見遣って、ヘスティリアは「あああああ……」と声を上げて嘆いた。


「帝都が、帝都が遠ざかって行く……」


 窓のガラスを引っ掻いてヘスティリアは悔しがっていた。侍女のアイナーセンが呆れたように言った。


「お止めなさい。みっともない」


「だって、だって!」


 ヘスティリアにしてみれば家出までしてやって来た憧れの帝都だったのだ。南の辺境を旅しながら生活していたヘスティリアにとって、人口百万人を誇る大都会である帝都はまさに別世界で、見るもの全てが珍しく輝いて見える街だった。


 運良く侍女として雇われて、お給金で遊び歩いている時も楽しかったが、二ヶ月前に伯爵家の養女になってからは使えるお金が桁違いに増え、そして姉になったアンローゼに連れられて貴族が入るようなお店に連れて行かれ、そしてお茶会や舞踏会などの貴族の社交にも引っ張り出された。


 その華やかな世界に、ヘスティリアはすっかり魅了されてしまっていたのだ。それなのにそれらを全て置き去りにして北の辺境に向かわなければいけないなんて、何という仕打ちなのか。拷問と言える。なるほど。アンローゼがあんなに嫁入りを嫌がったわけだ。


 ヘスティリアはおいおいと嘆いたわけだが、もう今更帰れない。そもそも伯爵家の養女入りは辺境伯家への嫁入りとの交換条件だ。正式に養女となり、辺境伯家に嫁ぐバレハルト伯爵家の娘として社交界に紹介されてしまった以上、後戻りは出来ないのだ。


 それにしてもねぇ。ヘスティリアはため息を吐く。替え玉の嫁でも辺境伯家は歓迎してくれるものなんだろうか。実子を嫁がせるのが嫌だから養女を迎えてそっちを嫁がせました、なんて随分と辺境伯家を馬鹿にした話だと思うのよね。


 社交に出た時などに、ヘスティリアなりにアッセーナス辺境伯家について、特に少し前に跡を継がれた現在の辺境伯ご本人について、色々と情報収集をしてみたのだった。


 しかしながら、アッセーナス辺境伯家の方々は本当に滅多に帝都にはいらっしゃらないそうで、現辺境伯について知っている人など皆無だった。容姿すらあやふやな有様で、なんなら辺境伯領から送られてきた釣書を見せられたヘスティリアの方が詳しいまであった。


 結局、嫁ぎ先の未来の夫の事は何にも分からなかったのだ。これもヘスティリアの不安を増大させる要因だった。それは、結婚は親が決める事で、娘本人にはほとんど選ぶ余地がないとはいえ、流石にこうまでお相手の事が分からない嫁入りは、平民でさえもそれほど例がないだろう。


 しかしもう後戻りは許されない。諦めて前を向いて進むしかないのだ。そう心に言い聞かせても、嘆きと後悔と不安はヘスティリアの心の中からいくらでも湧いて来るのだった。

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