勇者の弟子になりまして
我らが生まれ落ちたこの星の、創生からおわす大樹様。
その大樹様が初めて根を下ろしたのがこの大陸、アイン。
今でも天高くそびえたっているという大樹様のいる中央都市から西へぐーんと離れた平野地帯にある農業街こそが、俺たちの住んでいる地方都市ミズルガだ。
魔獣の侵入を阻止するために作られた街をぐるりと回る外壁を抜ければ、そこには緑豊かな牧草地が広がっている――そのせいでいささか魔獣がやってくる頻度が、多い気がするけども。
と、そんな話は置いておいて。
俺は今、勝手知ったる平原を見下ろせる岩場の上で、ある女の子と対峙していた。
「…………」
恨めしそうに、心底恨めしそうにこちらをじとーっと睨んでくる少女、名前はユーメルファ。
長いからユメと略したのは、最初は気まぐれ。だけど……そう呼んだ時の彼女の笑みは、まだガキとはいえ男としてぐっとこなかったのかと言われれば嘘になる。
端的に言えば、ユメと呼ぶのが好きだった。
彼女と鍛錬をするのが楽しみだった。一緒に未来のたらればを語り合うのが日課だった。
最初は俺の周りにいる奴らのさらに後ろに引っ付いているだけだったのに、いつの間にか俺の中でこの子の存在がやたらと大きくなっていったから。
だから、だから……さぁ。
「…………その、そろそろ泣き止んでくれないか?」
「やだ。だっていじわるしてきたのはそっちの方。私……悪くないもん」
睨んでも尚まん丸な瞳の目じりに浮かぶ涙。
俺は、ユメに泣かれるのに滅法弱い。どうしていいかわからなくなる。
拗ねたように頬を膨らませて、離すものかと渾身の力で右手はさっきから握られっぱなしだ。
とはいえ、意地悪か……まあ、そうとられても言い返せないのが辛いところだ。
「ごめん。ただ黙ってようとか、意地悪するつもりじゃじゃなくてだな。俺も結構激動な一晩だったというか、なんというか」
「それ、理由になってない。要するに私のこと……忘れてたってことでしょ」
ぐぅ。言い返せない。
もうすぐ九歳になるガキンチョのくせによく夜街で見る女の人と男の人みたいな会話で詰めてくるじゃないか。魔女じゃなくて父さんたちがよく言う魔性とやらになりつつあるのかもしれない。
同い年だし。ませてる自覚は俺もあるから年齢なんてお飾りみたいなものだけれど。
ずっと大人の仕事を手伝ってきたんだ。こうもなろう。
「その…………ごめん」
ただやっぱり、俺からできるのはこうして謝罪を口にするだけ。
「まだ私、何も言ってないよ? ……でも、うん。一応言うね……連れてって」
「だめだ」
天地がひっくり返ったとしても、泣かれたとしても、今回ばかりは譲れない。
俺のわがままで彼女の人生を振り回すわけにはいかないから。
そう返されるとわかっていたのか、ユメは深く深くため息をついてしゃがみこんだ――俺の腕はつかんだままで。
うつむきながら、ぽそりとつぶやく。
「私が……弱いから? 剣の腕も全然で、役に立たないから?」
「違う。そもそも強さで言ったらお前の方がよっぽど強いだろ。俺の剣なんかよりもっとすごい魔術をバンバン使えるし」
「だったら――」
「だから、だ。これは、俺のやりたいことだ。俺の選択で、ユメがこれから選べる選択肢をつぶしたくないんだよ」
俺は自分で選んだ。
勇者様の手を取ることを。たとえそれがどんなに荒地を征く厳しい道のりでも、ついていくと自分で決めた。
だからユメにも、ずっと一緒にいたからなんていう軽い理由でこの道を選んでほしくない。
「そんなわけで、一旦お別れだ」
言葉の重みとは裏腹に、調子はほんの少しだけ軽く言ってのける。
また明日な、なんてノリでお別れを切り出されたユメはまた深く、深くため息をついて――
「――初めて会った時からさんざん振り回したくせに。やっぱりいじわるだよ」
「う、やっぱり? だよなぁ……俺、相当クズいこと言ってる自覚ある」
たしか、日陰でひっそりと座ってたユメを無理やり連れて行ったのは俺だ。
そして魔術を教わったのも、俺が無理やり押し通したからだ。
ずっと振り回してきた。それなのに何のリターンもなくハイきっぱり今日でさよならです、は流石に虫が良すぎるので……。
「……え? これって」
「俺のいつも使ってた木剣、貰ってくれ。今の俺が渡せる誠意ってやつ」
左手を背中に回し、木剣を引き抜き手渡す。
初めて父さんから一本を取った数日後にもらったこれは、街外れの森で父さんが選別した木の大枝から削り出したもの。
大地をめぐるスティリアを吸って育った材木は、信じられないほど魔力の伝導率が高い。
スティリアをよく通すのだ。剣に魔力を通して強度を上げる鍛錬に数えきれないほど使用したので、その性能は折り紙付き。
父さんの剣をもらって尚持っていきたいと思うくらい大事にしていた宝物。
「削って杖にでもすれば、きっと魔術をもっと使いやすくなると思う。物で許してもらおうとか、クズいのは変わらないけど……」
これを使って、もっとすごい魔導師になってくれたら嬉しい。
もちろん、用途を強制するつもりはない。焚火に使う薪にしたって文句は言うまい。
その時は割と本気で凹んで泣くけど。
「――ぷっ、ふ……ふふっ」
差し出した木剣を、掴んでいた右手を離して両手で受け取ったユメが噴き出した。
立ち上がって、今度は笑ったせいで浮かんだ涙を手で掬いながら立ち上がる。
続く言葉には、もうしょうがないなぁ、と呆れの感情を多分に含んでいて。
「薪になんてしないよ。宝物なの知ってるもん。ほんとに、勝手なんだから……ふふっ」
木剣を抱きしめてくすくすとひとしきり笑ったユメは、
「ねえ、私……――強くなるよ」
いつもおどおど、ビクビクして。けど変なところは頑固で、意地っ張り。
知っているつもりだった。けれど――こんなにも凛々しいユメの表情を、俺は見たことがない。
たぶん、この時ユメは選んだんだ。自分の進むべき道を。
「私、強くなる。剣はたぶん才能ないと思うから……魔導の道を究めてみせる――――いつかきっと、あなたの隣に並べるように」
……その願いは、どんな奇跡かついこの間俺が口にしたモノとよく似ていた。
ユメはほんの一瞬、わずかな間名残惜しそうに俺を見つめ、そして身を翻した。
ゆっくり、ゆっくりと歩いて、そして……お互いの距離が開いたところで、止まる。
「だっ……だからっ!」
ユメは振り返らない。だから、彼女が今どんな表情をしているのか俺にはわからない。
けれど、その肩はわずかに震えている。
ああ、だから……そういうことされると俺、弱いんだって。
「だから……私たちの願いが叶ったら……その時はっ!」
何度も、何度も袖で顔を拭い、拭って。
すべてを振り切るように、ユメは空を見上げて叫んだ。
「――あなたと一緒に、旅がしたいですっ!!」
街へと走り、どんどん小さくなる背中。
俺はただ、それを見送ることしかできなかった。
家族と済ませた別れで慣れたつもりでいたが……これは、引きずりそうだ。
「あれでよかったの?」
その場で立ち尽くしていると、勇者様がひょっこりと顔を出してきた。
今の今まで空気を読んで近くの木の下で傍観してくれたことには感謝しかない。
おかげで未練なく旅に……そう、未練なく……未練、なく……。
「…………いいわけないじゃないですかぁ」
どっさりと岩肌に尻をついて、深く深くため息を吐く。
そう、いいわけない。いいわけないんだ。だってついてきてほしかったから。
「ガキだってそういうのわかるんですよ。あんだけ好いてくれる女の子泣かせて、遠ざけて……誰がそんなこと好んでするんですか……あーしんどい~……」
「もしかして、初恋だったり?」
「ですよ、そうですよだってユメめっちゃ可愛いじゃないですか……目、くりくりだし顔整ってるし、声もきれいだし……おまけにずっと後ろついてきてくれるんですよ? 惚れない方がどうかしてます」
あんだけ包み隠さず好意ぶつけられたらそりゃ誰だって気づくだろう。
気づかないやつがいたらぶんなぐってやるから出てきてほしい。
もし勇者様と出会わなかったらこの街で変わらず暮らして、大きくなったら二人で旅に出て、大陸中を回って――そんな夢想が現実になったかもしれないけど。
だけど、俺は選んでしまったから。
もうこの道は引き返せない。この道を進むことで伴う危険に、あの子を巻き込むわけにはいかなかった。
なにより、進む道を自分で選んでほしいと思ったのは嘘なんかじゃない。
これは、必要な痛み。お互いのために必要な別れだったと、今必死に言い聞かせているところだ。
じゃないとたぶん心が持たない。泣きそう。
「これでいいんです。それに、お互い向いてる方向は一緒ですから。きっといつか、道は交わりますよ」
「――……ん! よし、よく言った男の子!」
「ぃ~~~っ!?」
言い聞かせ完了。とうじうじを振り切ったところで勇者様から激励として背中への痛打を受けた。
シャレにならない痛みで飛び上がってしまうも、ここで叫べば男が廃ると必死に我慢だ。
「じゃあ追い越されないようにしないとね! 早速行こうか、ぁ――あー!!」
「うぇ!? 今度は何です!?」
突如奇声をあげるものだから今度は何事と声を上げてみれば、勇者様はポンと手をたたいて意味の分からないことを口ばしり始めた。
「――自己紹介!」
「……へ?」
「だから、自己紹介だよ自己紹介! そういえばボク、君の名前知らない!」
……ええ? いや、そんなわけないでしょう。一晩一緒に過ごしたんですよ?
「ほら、思い返してくださいよ。家ついて、父さんたちと一緒に飯食って、それで……」
あの夜を思い返していく。あんだけ家族といたんだからどっか名前の一つくらいは……。
…………おぉ。
「…………出てたかな?」
「いや、たぶんこれ出てないですね……」
出てなかった。
そりゃ、家族に名前で呼ばれることなんて意識しなきゃそうないことだけれど。
いや、でも息子の弟子入りなんてイベントが起きて父さんも母さんも気づかないものか?
……むしろ起きたから『もうそういうのは済んでるだろう』という思い込みがあったのかもしれない。
「それに、ボクも名乗ってないや。勇者様って呼ばれなれちゃってるせいだね。あっはは!」
「いろいろすっ飛ばしまくっちゃいましたね」
もう笑うしかない。お互いの名前も知らない師弟なんて世界中探したっていないだろう。
むしろここで気づけて良かった。出立してから気づいたらめっちゃ気まずくなるところだ。
そうと決まれば早速――
「ああ待った待った。こういうのは、師匠からじゃないとね。じゃあ、ご清聴あれ――んんっ!」
勇者様はわざとらしく咳払いをしてから、昨日の夜やったようにマントを翻す。
自信たっぷりな決め顔をして、堂々高らかに謳い上げた。
「ボクの名前はシュテル。シュテル・ヴァイスハート! ご存じの通り、銀雪の勇者さ!」
……シュテル、ヴァイスハート……さん。
気づけば心の中でその名前を反芻していた。俺の理想、目指すべき場所にいる人。
そして俺の、師匠の名前。
「さあ、君の――ボクの弟子の名前を聞かせておくれ?」
おどけるようにウィンクをして促す勇者様――シュテルさんへ苦笑をこぼしてから、顔を引き締める。
己を示す言の葉。父さんと母さんが名付けてくれた俺の自慢の名前を、この人に刻み付けよう。
「俺の名前は――ユーリ」
何事も、印象が大事。だから早速真似させてもらいますね。
「ユーリ、ユーリ・ファナティスタ……あなたの弟子です!」
名乗り上げた直後のこと。
どこからか風が吹いた。強く俺とシュテルさんの間を風が吹き抜けていく。
ロマンチストになったつもりはないが……ただの風に、少しだけ何か特別なものを感じた。
「ユーリ、ユーリ、ユーリ……うん、いいね。いい名前だ、響きもいいし覚えやすい。キミにもピッタリ」
「ありがとうございます。シュ――師匠」
ずこっと師匠がつんのめる。
はて、何かおかしかっただろうか。
「いやいや、そこはキミもボクの名前を呼んでくれるところじゃないのかい!?」
「いえいえ、不出来な弟子が師匠を名前呼びだんて不敬にもほどがありますよ、師匠」
ここは譲りません。師匠と呼ばせていただきます。
その代わり、ひとつだけお願いがある。
「いつか貴方の隣で対等になれる日がきたら、その時は名前を呼ばせてください」
下げた頭をなでられた。
くしゃり、と髪の毛をなでつけたあと、癖が残らないようしっかりと直してくれる。
気恥ずかしさもあるけれど、嫌かといわれると否といえる優しい手。
「師匠におあずけをするなんて、いけない弟子だね?」
「えっ、ああいやそんなつもりじゃ……」
「でもいいよ。ボクは結構気が長いんだ。キミが……ユーリがボクと同じくらい強くなってくれる日を、心待ちにしようじゃないか」
ああ楽しみだ、楽しみだとくるくる回る師匠の姿は見ていて非常に絵になるものだ。
ひとしきりはしゃいだ後、それじゃあ行こうと荷物を担ぎ始めて――
「あ、師匠。俺の荷物まで持たなくても……自分で持てますよ」
「ん、いーのいーの。普通にしてる分は持てるだろうけど、これからやることは荷物持ちながらだと多分負担が多すぎるから」
…………ん?
なんだろう、微妙に会話が嚙み合わない気がする。
これからやること、とはなんだろうか。
早速修業をつけてくれる? いやでもこんな平原で何をするつもりなのか。
いきなり手合わせしてくれる……ような雰囲気でもないし。
「ボクは今、方々を飛び回って探し物をしてる最中でね。ここに来たのは、目的地の通り道だったからなんだ」
そう言って師匠は指を指す。
方角は北。目を向けた先の景色は手前から平原、森、そしてうすぼんやりと見えている山々。
「北国都市アルデラ。そこがボクの次の目的地。そこでユーリには、ひとつ試練を与えようと思う」
「試練、ですか?」
「そう、試練だ。ボクたちは今からアルデラへ――あの山脈を三つほど超えた先の都市へ"走って"行く。ユーリ、キミはどんな速度でもいいから、足を止めずに追いかけておいで」
…………は?
なんか信じられないことを言われた気がする。
この平原を抜けて、森を突破して、さらに山脈を三つ超える。しかも徒歩で?
理解が追い付かず茫然としていると、目の前を衝撃が爆ぜた。
「それじゃ、よーいどん!」
「うぉ!? ……あ、し、師匠ー!?」
意識を取り戻してみれば、すでに師匠は視線のはるか先――豆粒くらいな大きさまで大きく俺との距離を離している。
まずい、もたもたしていると見失ってしまう。
「ッ――! っし、行くぞ」
思い切り頬をひっぱたいて余計なことを考える雑念を頭から放り出した。
準備運動もそこそこに、岩肌から飛び降りて平原を駆け抜けていく。
もう見えなくなるくらい小さくなってしまった師匠の背中を、これ以上見失うまいと。
「う、ぉ、ぉおおおおお――――ッッ!」
駆けていく、ただ駆けていく。
背後を気にしている余裕はもはやない。
ぐんぐん遠ざかっていく生まれ育った街を背中で感じつつ、ただひたすらに足を前へと繰り出し続けて。
悲鳴を上げる肺と、燃えるように熱く感じる体温。
隠しきれない胸の高鳴りを感じながら、俺は今日という日を生涯忘れることはないと確信していた。
だってこれが、俺の――ユーリ・ファナティスタの原点。
旅の始まりなのだから。
火力信者の英雄譚~火力を信じて勇者目指してみます~ 葛葉壱一 @Kazura_iichico
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