勇者の弟子まで、あと一歩

 声が聞こえる。聞くだけで安らいでしまうような、不思議な声だった。

 わずかに感じる揺れ、そして自分を俯瞰しているかのような感覚で察する。俺はまどろんでいた。

 意識があるのはほんのわずか。今自分がどうしているのかも、何故こうしているかも覚えていない。

 けれど、どうしてかこの心地よさは手放したくないと思った。



 ――な……い。……!


 声が聞こえる。先程までの安らげるような心地よい音色ではない声。

 嫌な感じはしない。どちらかといえば聞き馴染みのある声。

 いや、聞き馴染みどころじゃない……毎日聞いていて……それでいてこの声を聞いている時はかならずげんなりしているような気がする。

 そう、まるでイタズラがバレて父さんに本気で叱られている時のような――


「――おいッ! いい加減起きなさい!! 勇者様の背中によだれ垂らすんじゃないこの馬鹿息子がッ!」


「ご、ごめんなさいっ!? ……ぇ、あれ? ここどこ……?」


 背中をひっぱたかれた衝撃で跳ね起き、きょろきょろと辺りを見渡すとすぐ目の前には銀景色。

 よく見たら体が浮いていて、俺は誰か背負われていた。

 更によくよく見れば、銀景色の正体は髪の毛だった。さらさらとしていて、魔石灯に照らされたそれは本当の雪のようにキラキラと輝いている。

 ふんわりと良い香りを靡かせながら、銀の髪を持つ人がこちらへ振り返る。

 横顔だけだが――そのご尊顔を見た瞬間、俺の思考やら心臓やらは時間ごと全部纏めて停止した。


「やあ、起きたかい? ぐっすりだったからどうしようかと思ったけど、よだれが出る位寝心地のいい背中だったってことだね。あははっ、ボクの自慢できることがまた増えちゃったな!」


「――……キャー!?」


 理由はわからない。わからないが、俺を背負ってくれていたのは勇者様だったし、なんなら俺は勇者様の背中を使ってよだれを垂らしながら爆睡していたらしい。

 諸々を再起動させた俺は甲高い悲鳴をあげて、その背中から転がり落ちていった。




 

「…………大変な、ご迷惑とご無礼を……」


「こらこら子供が子供らしくない謝り方をしない。さ、立って。ボクは君と、君のご両親とお話をしたいんだ」


「いえしかし……やらかしたことがことですので……」


「んー、別に気にしてないんだけどなー……じゃあここはひとつ実力行使で」


 床に膝をつき体を折って深々と頭を下げたあとに額をこすりつける。

 なんたって俺はお伽噺に出てくる勇者様の末裔、そして俺達の街を救ってくれた恩人でもある人のマントに粗相をした大罪人だ。

 いっそのこと罰を……いやでも死にたくないな……いやでもでもメンツがな……。

 ぐるぐると思考を巡らせていると、勇者様は両手を俺の腕の下に通してひょいと持ち上げてしまった。

 よいしょー、なんてゆるい掛け声でまるで愛玩動物の如く抱き上げられ、そのまま椅子へと座らされる。

 咄嗟のことでまったく抵抗できなかったが、勇者様……俺より一回りくらいしか背丈が大きくない小柄なお姿なのに力強くないか。いや勇者だからそりゃそうか。


 あんなバカでかい、天から降ってくる燃える岩を粉砕してたし。

 そりゃちっぽけな俺一人くらいどうってことないわけだ。


「ぐぅ」

「お、ぐうの音が出たね。元気で何よりだ。さて……それじゃあ、お話しよっか!」



 俺達家族の対面に座った勇者様の、菫色の瞳がブレることなく見据えてくる。

 全部思い出した今でこそ思うが、何故かこの人に見つめられると目を逸らせない。

 多分、カリスマっていうのはこういうことを言うんだろう、きっと。


「あ、あの……勇者様」


 意外や意外。この場で先陣を切ったのは母さんだった。

 胸に両の手を当て、不安は隠せないままでも……冷や汗を額に浮かべて一歩踏み込んでいく。

 

「あなたは、この子を連れて行ってしまうおつもりなのでしょうか……!」

「それは、彼が自分で決めることですね」


 切って捨てる、とまではいかずとも勇者様は母さんの言葉に即座に返す。

 このやりとりで合点がいった。何故俺なんかをわざわざ背負ってきてくれたのか、何故両親がずっと神妙な顔つきでいるのか。

 そうだ。あの時俺は言った。希った。願いの行方を、今決めてくれようとしているのだ。

 そのために、勇者様は父さんと母さんと、きちんと話し合いたいと思ってくれたのだ。


「これは事実ですが、ボクは強い……強いから、今までボクと同じくらい強くなりたいと願った人へ幾度か指南をつけたことがある」


 もてなしとして出された茶を机に置きながら勇者様は言い切った。

 曰く、誰も自分についてこれず、誰もが途中であきらめていったと。


「できないことはほとんどないと自負しています。けれど、ボクは教えることに関してはあまり得意ではないようだ」


 困ったようにはにかんで、頬をかく姿にわずかな自傷の念を感じる。

 

「だから、次にボクについていきたいと言う人物が現れた時、必ずこう尋ねると決めていた」


 ほんのわずかに、息を整えて。

 勇者様は俺に手を差し伸べる。地の底で蹲る小さな俺を、引っ張り上げてくれる光がそこにあった。


「――君は、何がしたい?」


 この問いに特別な意味もない。言葉の裏も、隠された意図もない。そう直感で理解した。

 だからこちらも着飾る事のないありのままの、むき出しの俺で応えよう。


「俺はなりたい……あなたの隣に、立てるような人になりたい」


 荒唐無稽で、聞く奴が聞けば大笑いすること必定。

 相手は剣の一振りで万を救う御伽噺の勇者で、俺はというと罠を使って小物の魔物をひっかけるがせいぜい。

 そんなガキんちょが、どうして勇者に並び立てると言うのか。


 理屈を並べればいくらだって俺のこの言葉は否定できる。

 だからあえて、こちらも返そう――――知ったことか。


「襲い掛かってくる理不尽を、突然大切なものを奪い去っていくバカみたいな現実を、全部全部ぶっこわして、ハッピーエンドに変えてやれる。そんなあなたに、並び立ちたい」


 魔獣だろうが、天から降ってくる岩だろうが関係ない。

 俺はあの時見てしまった。絶望を塗りつぶす光を放つ、あの背中を。

 瞼に焼き付いて離れないこの胸を焦がす憧憬は、消えずにずっと燃え盛っている。


「あなたの旅に……俺はついていきたい」


「――うん」


 どうやったら、この夢がかなうのか。それはまだわからないけど。

 あなたの傍にいれば、少なくとも答えのカケラくらいは見つけられる気がするから。


「じゃあ、一緒に行こっか!」


 差し伸べられた手が伸びる。向かう先には、遠慮がちに伸ばされた俺の手があった。

 掴まれ、引き上げられる。あの広場で蹲って、何もできずに泣いていた子供な俺が引き上げられていく。

 強く、強く、手を握る。決してはにかんだ勇者様のご尊顔がほんのり年相応な少女に見えて、照れたのを隠しているわけではない。決して。

 

 当事者二人の用事は済んだ。あと必要なのは――――


「…………」


 胸に手を当て、小さく唸る優しい母さんと。


「…………よぅしッ! じゃあ美味い飯だな!」


 今の今まで黙りこくって、ようやく、やっと、いきなり大声を上げた父さんの言葉だ。

 椅子から立ち上がって、腰に手を当てた父さんは今まで黙りこくっていた分余計に落差の激しいお気楽さをもってして、この場の空気を見事に塗り替えてしまう。

 端的に言うと、全員一斉に毒気を抜かれてしまった。

 ほら、勇者様なんて俺の手握ったままずっこけかけてるし。


「め、飯……? 父さん急に何を」

「そりゃお前、こんな辺鄙な地方街で農家やってる平凡な家から、勇者様の弟子が生まれたんだぞ? これを祝わずしてどうする。ほら母さん、たしかこの前いい干し肉買ってきてただろ。アレだそう、アレ。今日はパーッとやろうじゃないか」

「リシュリ……」


 母さんは、そんな父さんの態度から何かを感じ取ってるようだった。

 夫婦の間にある絆、のようなものなのだろうか。俺にはわからないけど、確かに言外のやりとりがあったのだと思う。

 その証拠に、母さんは父さんの言葉を受けて……ほら、困りながらだけど、笑ってくれたじゃないか。


「……そう、ね。子供はいつか、親の下を離れるもの。それが早いか、遅いかの違い」


 母さんは立ち上がって、俺の傍までやってくる。 

 勇者様が空気を読んで手を離してくれたので、面と向かうことができた。

 両手を包むように握られて、母さんは自らの頬へとそれをあてがいながら。


「でも、私はあなたの母親だから。ずるいようだけど、言わせてちょうだい。――もし辛かったり、苦しかったり、逃げたくなったら、いつでも帰ってきていいのよ。お母さんにとってあなたは勇者の弟子でも、未来の英雄でもない。あなたは私の愛しい息子。それは天地が入れ替わっても、かわらない真実だから」

「母さん……」


 それは、きっと母さんの送ることができる最大の贈り物。

 これから荒れ地を突き進む息子への、逃げ道という名の贈り物だ。





「――――素敵なご両親だね」

「ええ、多分俺って相当恵まれてますよね」


 ほんの少し、時間が経った後。

 部屋をひとつ隔てた台所に向かって奮発したと言う秘蔵の品々を料理する母と父の、見ているこっちが恥ずかしくなるくらいなやりとりを後目に、勇者様は眩しそうに目を細めていた。

 恵まれている。でなければ5歳の時から剣を振りたいだなんていう我が子を見放さずここまで育ててくれるはずがない。


 本当に、恵まれ過ぎている。俺はまだ、周囲の助けがなければ何も成せない子供だ。

 だからこそ。


「守りたい……でしょ?」

「はい。守れるような存在になりたいです……少しでも、速く」


 俺の考えなんて手に取るようにわかるのか、勇者様は言葉にしてくれる。

 それに即座に頷いて、身の丈に合わない願望を口にするくらい今は高揚していた。


「ん。その気持ちは受け取ったよ。でもまずは……今この瞬間をしっかり楽しまないとね」

「……――はいっ!」


 生まれ育った家。飽きる位駆け回った街。

 それを見ることは当分ないだろうから、せめてこの晩餐だけは噛みしめよう。



「お、それじゃあいい肴になる話がありますから聞いてやってください! なんとこいつ剣を振り始めたのは5つですが、最後に寝小便をしたのは――」

「うォおおおお゛ッ!? 何言うつもりだ父さんやめろー!?」

「あはははっ! 子供らしくてなによりじゃないですか!」

「ええ、いつもは変にませてるのに、そういうところは年相応で私は安心――」

「母さんっ! もういい喋らないでっ! 料理置いてっ! はい食べるよ食べましょー!!」


 

 しみったれた空気になるかもな、なんて思ったりもしたけどもそれは杞憂で。

 我が家に灯った灯りは、いつもよりほんの少しだけ騒がしく、ほんの少しだけ長く続いた。





 夏の時期、日の出はすぐだ。

 まだ早朝というにも気が早い時刻だが、準備は既にできている。

 簡単にまとめた鞄を肩にかけて、ずっと使い続けてきた木剣を背中に固定させる。これでよし。

 自室を出る前に、ほんの少しだけ振り向いて景色を目に焼き付けてから玄関へと向かう。

 そこには既に両親と勇者様の姿があった。


「すみません、お待たせしました」

「いいや、全然だよ。それでは、息子さんをお預かりします。彼の目指す場所まで、ボクが導くと誓いましょう」


 恭しく一礼する勇者様に、父さんと母さんは吹っ切れたような笑顔を浮かべて礼を返す形で応える。

 別れの挨拶を一言でも言ってやろうとしたその時――


「――そうだ! ちょっと待っててくれ。渡す物がある!」


 なんて言って、父さんはバタバタとせわしなく奥へと引っ込んでいってしまった。

 母さんもこれには苦笑いだ。


「最後まで慌ただしくてすみませんね。ただ、主人は真っ直ぐな人ですから……多分、しんみりとした空気になると泣くのが堪えきれないんだと思います」


 ……そっか。だからずっとはしゃいでいたのか。

 母さんから告げられたのは、子供の俺には教えられてこなかった父以外の父さんの側面。

 と同時に、そこまで思ってくれるのは息子としてすごくうれしい。正直、ニヤけるのが止まらない。


「あったあった! いやあ忘れたらどうしようかと――なんだ、何笑ってるんだ?」

「ううん、なんでも。で、父さん何を忘れたって?」


 まあ、もうバッチリ見えてるので正直聞くまでもないんだけれど。

 赤く染められた鞘、細身なそれは叩き潰すことではなく正真正銘『斬る』ことに特化した――剣。

 俺はこれを何度も見てきた。なにせこれは、父さんの愛剣なのだから。

 ドン、と胸に押しあてられた剣を、受け取る。ずっと大きいと思っていたけれど、こうして手に持ってみると予想以上にその重みを感じられた。



「勇者の弟子が木剣じゃカッコつかんだろ。餞別だ、くれてやる。父さんから渡せるのは、これくらいしかないからな」

「――あ、じゃあ。私からはこれを……」


 いいながら、母さんは俺の首に何かを通した。

 チャラ、と音を立ててぶらさがったのは……ペンダント?


「昔、お母さんの住んでた村で純度の高い魔石が切り出されたの。これは、その小さな欠片をペンダントにしたもの……お守りよ。きっとあなたを守ってくれるわ」


 首に回した手をそのまま背中へ。俺は母さんに強く抱きしめられていた。

 手がわずかに震えていた。……ああ、何か言わないと。

 このままでは、親を心配させるだけの親不孝者だ。


「じゃあ、母さんにいっぱい守ってもらわないと。怪我とかしないように」

「もう、この子ったら……行ってらっしゃい。昨日言ったこと、忘れないでね」


 冗談めかしながら、最後に思いきり抱き締め返しておく。

 さあ、これでやるべきことは終わった。

 勇者様へと視線を投げてうなづくと、同じようにうなづき返した後。


「では、出立します。お父さま、お母さま。どうかお元気で」

「…………行ってきます!」


 ――行ってらっしゃい。


 いつもの言葉、いつもの返事。だけど次に言うときはいつになるかわからない。

 後ろ髪がひかれる思いで扉をあけ放つ。

 さあ、ここからだ。

 ここからようやく、俺の新しい冒険が始ま――


「――やだー!!」

「グエー!?」

「えー!?」


 前から飛び出してきた青い衝撃。

 声を上げたのは三者三様。勇者様なんてさっきまでキリリとしていたのに、さっそく目を見開いて口をパクパクさせてらっしゃる。

 俺はというと……決意をもって踏み出した家の中へと逆戻り。

 したたかに打ち据えた背中の痛みにこらえつつ……。


「やだ、やだ……行っちゃやだ……行かないでよぉ……」


 俺の腹を涙でぐちゃぐちゃにしてる、天才魔女っ子の背中をさすってなだめていた。

 そうだ。街を出るということはつまり、ユメとも……ユメ以外の友人とも別れるということで。


「……せめて、ユメちゃんにくらいはお別れきちんとしてこい。男の義務だぞ、義務」

「…………ぁい」


 やれやれと呆れ顔の父親と、しまらない旅の前の最後の会話を交わしていた。

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