雪降る日の缶コーヒー

セントホワイト

雪降る日の缶コーヒー

 その日の街は冬という言葉が似合うほどの冷たさが風に運ばれ、街は色とりどりのイルミネーションによって輝きに満ちていた。

 口から息を吐けば当たり前のように白くなり、身体の中の暖かさを奪い取られてしまうので、首に巻いたマフラーをスッと口元まで上げる。


「寒い……」


 呟いた言葉を楽しそうに歩く恋人たちや家族、または友人同士で歩く人々には耳には届かない。

 まるで冬の寒さを人の温もりという暖房でしか暖められないのかと思うほど、街の人々は誰かと一緒に過ごす者たちが増える日だった。

 夜になって一段と下がった気温は昼間の暖かさが嘘のように寒く、誰も彼もが身を寄せ合ってイルミネーションに魅入っている。

 そんな人の波を逆に移動し、まるで川の流れに逆らう鮭のように幸せそうな人の波の中を進んでいった。

 この時期になると仕事帰りが憂鬱になるのは社会人になってから何度目なのか。

 数えることも社会人一年目で止めているが、自宅がこの眩く暖かな独身者にとっては三途の川にも等しい場所を進んだ先にあるので心を閉ざして進み続けるしかなかった。

 他人と肩が触れ合いそうなほどの距離を歩いていても、残念ながら夜の冷え込みを和らげることは全く出来ない。

 自分にとっての暖は優秀な市販の商品カイロだけであり、わざわざ手袋を外して手を繋ぐほどの相手が居ないため常に手はポケットの中に入ることになる。

 冷気が北風と共に足から冷やしてくれば、自然と寒さによって肩が上がり身を縮こまらせた。


 寒い。しかし暖めてくれる者などいない。


 この日にそんな相手が居る者は遠からずか、すでにかの違いはあれど独身では無いだろう。

 幸せの荒波に逆らいながら歩いていると、近くにいた恋人たちの嬉しそうな声に地面から目線を上げれば空から白い結晶が舞い降りてくる。

 どうりで寒いはずだと溜息を吐けば、せっかく暖めた体温が空へと消えていく。


 聖なる日夜に降る白い雪セントホワイト・クリスマス

 まるでそれは神の子の誕生を祝うかのように、大切な人と過ごす者たちを祝福しているかのように舞い落ちていく。


 イルミネーションの輝きによってただの雪は光の粒子にも見えるほど輝き、その幻想的な光景に幸福な者たちを更に喜ばせていく。

 そんな歓喜の人々から目を背けて歩き出せば、いつしか人の波はすでに終わり、歓声は遥か後方に追いやられていた。

 自分には関係のないことと悟っている何度目かの独り身の聖なる夜を歩いていると、ポケットに入れていたはずのカイロが不思議なことに暖かくない。

 ポケットの中でカイロを弄り、その熱に触れているにも関わらず何処か寒々しい。こうなればせっかくの給料日なのだから外食してもいいんじゃないかと考えたが、恐らく同じことを考える幸せな者も多く居ることだろう。

 そんな光景は独身者にとっての精神の均衡を蝕む致死毒であり、即効性がありワクチンすらない毒でしかない。

 恋は麻疹のようなものと誰かが言ったのを思い出し、その熱病を移されないためにそそくさと帰路に着くが外の寒さは人の多さに比例するのか一層冷えた。


「おっ……」


 そんな時に見つけたのは、いつものように夜の闇を照らす自動販売機だった。

 こんな時期でも文句ひとつも言うことなく立ち、さらに暖かい物と冷たい物を同時に用意してくれる自動販売機は現代人の心の拠り所だともいえる。

 夏には虫たちがやってくるが、冬には自分のような恋愛素寒貧者にも有償で暖かさを分けてくれる。

 家に帰れば暖房という相棒はいるものの、この冬の寒さを家まで乗り切るためには少しの暖かさを分けて貰うしかないだろう。

 ふらふらと、焚火に寄ってくる羽虫のように自販機に向かうと―――


「「あ」」


 ―――自販機の光に吸い寄せられるもうひとつの影が現れる。

 同じく仕事帰りの様相で顔に疲れが残る曇った眼鏡をかける女性は「どうぞ」と譲ろうとしたのと自分の「どうぞ」が被り、数度の譲り合い合戦が勃発してしまう。

 しかし寒さは耐え難いもので、ここは早々に折れてしまったほうが良いだろうと、ささっと買うことを決める。

 女性に礼を言って、普段から愛飲している少々甘い缶コーヒーを購入すると自動販売機は何の嫌がらせか、それともこの日だからなのか当たりが出てしまう。


「うえっ!?」

「ほう……」


 普段は当たった試しのない自販機の当たりに、どうするか悩んだがここはひとつ女性にお礼を返すべきではないかと思う。


「あの……良かったら、どうぞ」

「はい? いえいえ、それは貴方の―――「先に譲って頂いたワケですし」―――ですが……」

「まあまあ、どうぞどうぞ。それに確か時間制限もあるんで」

「え、ええっとじゃあ……お言葉に甘えて」


 女性は自分と代わって自販機の前に立ち、選ぶ素振りもせずに同じ缶コーヒーを選んでいた。

 自販機から取り出した缶コーヒーは外の寒さか、かじかんだ手の所為かは分からないがいつもより一層熱く感じる。


「あ、ありがとうございます」

「いえいえ、お裾分けってやつですかね」


 熱い缶コーヒーで手を温めたあと、プルタブに指をかけて開ける。

 プシュッという音をたてて開いたコーヒーを口にしようとした時、ふと女性が蓋を開けるのに苦戦しているのを見て提案する。


「良かったら開けますよ。というより、良かったらこちらをどうぞ。まだ開けただけですし、同じ物ですし」

「い、いえっ。そこまでして貰う訳には……」

「でも、開きますか? 結構苦戦しているようですが……」


 缶が熱による膨張でもしているのだろうか。彼女の細い指が何度もプルタブに弾かれてはカンカンと鳴らしていた。

 指摘すると彼女は寒さだけの理由ではなく、ほんのりと赤くなった顔をマフラーで隠して「お願いします」とだけ呟いてコーヒーを交換した。

 コーヒーの熱さによって指に力が戻ってきたことで簡単に開けられた蓋に、彼女は目を見張っていたが大したことでは決してないので自慢にもならない。


 しかし缶コーヒーと同じく少しだけ甘い時間はいつもと違うクリスマスの日として、これから長く同じ時間を歩くことになる彼女との最初の思い出となる。

 切っ掛けはあまりにも些細で、何の記録にも残らないとしても、ふと雪が降れば鮮明に思い出す大切なモノだった。

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