裏路地にいた────。


酷く陰鬱な場所だった。空は暗い曇天だし、全てが濃い灰色のフィルターを通した様な街に、僕は立っていた。


目の前は壁だ。年老いて黒に染ったブロック塀。足元には、どうにか成長しようとして、それでもついぞ叶わなかったであろう萎びた雑草が、地面とコントラストを成すかの様にへばりついていた。


いつまでも、ここでこうしていても仕方がない。

僕は踵を返して歩き出した。


街。らしかった。


人っ子一人なく、しかしどこかで重苦しい機械音が空気を振動させている。

兎にも角にも、暗くて生温くて、それでもなにか引きつける力を持った街だった。


自分の背よりも高いコンクート塀に沿って、進んで行く。どこか人を圧倒するような重厚感をたち登らせて、その光景は目の前に広がった。


貯蔵タンクだろうか。

六つ、左右に三本ずつ、列を為して並んでいる。とても巨大だ。


灰色の空を背景に包まれて、タンクは聳えていた。もう随分と古い物なのか、かつては銀色に輝いていたであろうその表面も、今では錆びて黒ずんで、ただ畏怖と圧倒感を残して立っていた。


どうやらここは、工場地帯のようだ。

タンクのさらに奥から、煙が登っている。


いつの間にか、左右のブロック塀は途切れて、大きな駐車場の入口のような場所が、暗がりに覗いていた。


建物に入れば、人が居るかもしれない。

そう思って、僕は緩やかなスロープを歩いて、発券機の横をすり抜けた。


僕の予想の通り、人が居た。

子供連れが、多いようだ。皆が明るく光る入口の光に顔を向けて、列を作って並んでいる。


どうやら、何か展示があるみたいだ。


『朱雀町の毒と工場』


入口の真ん中に立てられた看板には、そう書かれていた。


この街のことが知れそうで、僕は列に並んで建物へ入った。


入口には、晴れている日の様子を写した朱雀町の上空映像が、天井に取り付けられた画面に映っていた。あの巨大な貯蔵タンクの近くに伸びる長い煙突が、黙々と白っぽい灰色をした煙を吐き出す様子が、上から見えた。


その反対側には、ガラスのショーケースに入った赤い着物が展示されていた。人が多くて見えにくかったが、どうやら不死と再生の象徴であるフェニックスを象った古い衣類らしい。


別に展示を見に来た訳でもないので、サッと済ませて中へ入る。


空間は明るい光で満ちていた。図書館のような、それでもどこか違うような、懐かしい感じのする開けた空間だった。

どうやらここは二階らしく、丸いクッションのモダンなベンチの奥に、下の階が吹き抜けになっているのが見えた。


何人かの子供が、後ろを走っていった。その隣で、女性達が丸いクッションに座って話している。

賑やかで活気があった。


進めば、右手に本屋があった。

沢山の本が、棚に詰まっている。柔らかくカーブした輪郭を描く本棚が、壁一面に広がっている。数の多い子供の間をすり抜けながら、奥まで行ってみた。


別に何があるでもなく、人も本も少ない行き止まりに出た。


いつまでも、ここに居てもすることなど無い。一度外に出よう·····。



外に出れば、相も変わらず人っ子一人見えなかった。


入る前と変わらず、ただ灰色の空が上をいっていた。水墨画のように、灰色の濃淡だけで書いた世界のようだった。

でもそれでいて、鮮明に頭へと流れ込んでくる。


もう一度、あの巨大な、灰色を背に立つ貯蔵タンク達を見上げた。


何とも言えない空気が、鼻から肺へと通っていく。ふと、近くへ行ってみたくなった。


それは、貯蔵タンクと呼ぶにはあまりにも巨大だった。バカバカしい程だ。直径は、恐らく僕が十人で手を広げても繋がらないほどだろう


果たして中に何が入っているのか·····。ふと僕は、さっき見た展示の「毒と工場」の一文を思い出した。



歩いていくと、橋があった。そこまで大きなものでは無い。小さな川をまたぐ、小さな橋·····。


川の水は、まるで粘土のように灰色に濁っていた。コップに注いだ豆乳みたいなうねりを見せて、川の水は細く橋の下へと通っていた。


この辺は、どうも汚染されているみたいだ·····。


だから何だという訳もなく、ただ先へと進む。横に存在するタンクは、近くで見れば見るほど、大きすぎて外観が掴めなかった。


一枚絵のようだったタンクの群れの事を考えながら、さらに歩く。


やがて、誰もいない街に出た。

田舎と都会が混じりあって、その末に廃墟になったような、そんなチグハグさと心地良さを感じる街並みだった。


オフィスビルのような建物も、田舎の平たい家も、全てが落ち着いた色で、一緒くたに混じっていた。



この街を一言で表すならば─────、「試験管の水の底へ沈殿した粘土」だろうか。きっと、それが一番、この場所を伝えるのに合っている。


動かず、暗く、されど、どこか開放的で、行くところまで行って、もう戻れないような·····。


しばらく行くと、桜の木があった。


ここは、街から少し離れてしまったようだ。かつては畑だったであろう雑草の生い茂る広がりと、誰かが住んでいそうな潰れたバラックが交互にあった。


感覚で、ここが一番奥のバラックだと思った。そして、その横の桜を僕は見上げた。


桜はまだ、花を咲かせてはいなかった。

よく公園で見るような、ゴツゴツトゲトゲした肌の木だった。


ソメイヨシノだろうと思った。


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