繰り返す街と、たった独りの少女について

筆入優

繰り返さない冬

 昨日と全く同じ足取りで線路沿いを歩く。肩に積もった雪を払いながら歩く。


 バイクが横切った瞬間、突風が吹きつけて髪が乱れる。僕はコートを着ているのに思いっきり震えた。この流れは昨日と同じだ。


 昨日と違ったのはこの三秒後だ。僕がふと線路のほうに目線を向けた時だった。少女が線路に立っており、間もなく電車が通る。が、運転手が少女に気づいた様子はなく、急ブレーキも、落ち着いたただのブレーキもかけることもなく、前に前に進んでいく。


 あの少女は自殺するのだ。目に映る光景が僕にそう告げていた。僕は線路に続く小さな丘を登り、線路まで全速力で走る。僕が線路の間近に迫ったところで、電車はようやく急ブレーキをかけた。車輪とレールが擦れて、耳をつんざく悲鳴を上げる。


 何故僕には気づいて少女には気づかないのだろう。疑問に思ったが、気にしている場合ではなかった。電車は確実に少女に接近している。僕が線路にたどり着くまでに電車が止まることはできても、電車と少女の衝突は避けられないだろう。だから、電車が急ブレーキをかけても僕は止まっちゃいけない。


 少女に飛びつき、攫い、線路の向こう側に転がる。どうやらそこも丘だったらしい。僕は少女を腕に抱いたまま転がり落ちた。


「いってぇ……」


 僕は体に纏わりついた土を払う。通学鞄にもついていたが、布製品なので下手に触れなかった。払えば、土が布の間に入り込んでより汚くなる。それに冷気で土が若干湿っている。鞄の内側まで湿る二次被害が起こりかねない。


「別に、助けなくてもよかったのに」


 少女はその場に座り込んだまま、楽し気に言う。薄々気づいていたが、彼女は僕以外には視認されていないようだ。行き交う人々は僕にしか怪訝な眼差しを向けていない。


 視認されない存在といえば、真っ先に幽霊が出てくる。もしも彼女が幽霊なら、電車に轢かれても平気だったのでは、と気づく。しかし、僕は彼女に触れたわけだし、やっぱり平気じゃなかったかも……とどちらが正解なのか悩んだ。


「お前、僕のことバカにしてない? 自分で言うのもなんだけど、僕はお前の命の恩人だぜ?」


「幽霊に命の恩人って! やっぱ面白いね、響くん」


 僕は動揺した。彼女が幽霊を自称したことにではない。目の前でへらへらと笑う初対面の少女が僕の名前を知っていることに動揺した。冷気と悪寒が僕に襲い掛かる。僕は自身の胸元を触った。中学時代の名札は付いていない。制服も目で確認したが、ちゃんと高校のものだった。


「訊きたいことが四つある」


「多いな……いいよ、答えられることには答える」


「一、 なんで僕の名前を知っているのか」


「街の全てを知ってるから」


「いや、なんで街の全てを知ってんのかってことを聞きたいんだ……もっと根本的な話だよ」


「それ答えたら私の正体ばれちゃうから」


「ばれたくないのか」


「そりゃね。面白くないもん」


 ……驚いた。どうやら、この少女は一般常識を持ち合わせていないらしい。この少女に備わっている常識は、命の恩人だから何でも(できる範囲で)しますではなくて、助けてもらったから私の好きなように(こいつの場合だと自分が面白いと思う生き方で)二度目の人生を生きてみます、なのだ。


 さすがに礼の一つやふたつぐらいはあってもいいじゃないか。しかし、少女の顔は依然としてニヤついている。彼女には何を言っても無駄骨に終わりそうだ。


「……まあいい。じゃあ、二つ目。何故、僕が幽霊に触れるのか。電車の運転手はお前のこと見えてなかったぜ?」


 僕がそう尋ねると、少女は「響くん。世の中は可能性にあふれてるんだよ」と言った。


「へ、へえ。で?」


「『で?』じゃないよ! つまり、未知の存在には色んな可能性が秘められてるってこと。幽霊に触れるかどうかなんて、誰にもわかんないでしょ? それが可能性。で、響くんは可能性を検証して、当たった。それだけの話」


「検証は不本意だけどね……じゃあ三つ目。何故死のうとした?」


 少女は口を閉ざした。張り詰めた空気が漂う。しばらくして、少女は「答えられない。でも、間違いの訂正はさせて。私は死ぬんじゃなくて、消えるんだよ」


 彼女の言っている意味がわからなかった。僕はしばらく考え、消えるって成仏のことか、と合点がいった。


「なるほどね。最後の質問だ。お前は、繰り返す街の規則を乱したか?」


 最も気になっていたのはこれだ。ここ巻戻市は、立冬に過ごした日々が冬の終わりまで毎日繰り返す。ただし、人々と日付には変化がある。だから、僕らは「またこれか……」と内心愚痴りながら冬を過ごすのだ。僕らにどんなに強い意志があっても、立冬と違う行動、言動はできない。許されないだけなら勇気ある者が規則を破ってイレギュラーな毎日を送ることも可能だが、生憎許されないのではなくて不可能なのだ。街は僕らを規則で縛っている。


「なんでそう思ったの?」


 少女は答えず、質問に質問を返してきた。僕はそれを指摘せず、答えることにする。変に「お前が答えろよ」とか言って喧嘩するよりは賢明な判断だろう。


「お前を見るまでは、昨日通りだったんだ。僕がふと線路を見て、電車が来てんな、なんてぼんやり思いながら駅に向かうんだよ。でも、今日は違ったんだ。最初の異変が、お前を見つけたことだったからお前を疑った。これで良いか?」


「うん。なるほどね。まあ、私は四つ目には答えないんだけど」


「は?」


「せっかく助けてもらったもん。ちょっとぐらい楽しませてよ。いずれ全部教えるからさ」


「あのなぁ……」


「ところで、西宮さんとは仲良くしてる?」


 少女はそう言い残して、大気に溶け込むようにして消えていった。


 西宮はクラスメイトで、僕の好きな人でもあるのだが、少女はそれも把握しているようだった。


  *


 あの少女が脳の片隅で気になって仕方が無かったし、教室で話題になっていたイレギュラーな冬の話にも大して傾聴できなかった。そりゃ、その話題については僕も気になっていたけれど、あの少女が僕のみならず他人の情報まで知っていることを考えると、心配度はそちらが優位になる。どれだけ考えても結論は出なかったが、心配事を置き去りにして皆の話題に参加するよりはずっと頭を悩ませているほうが幾分かマシに思えた。


 放課後、僕と西宮がたまたま居残りだったので教室には二人きりだった。二人とも同時に未提出課題を終えた。これから帰ろうというところで西宮が暗い声色で呟いた。


「やっぱさ、気持ち悪い」


 窓際に座る彼女を夕陽が照らす。眩しくて彼女の表情までは見られなかったが、声色的にあまり良い顔はしていなさそうだ。


「何が?」


 露骨に憤慨する西宮に尋ねる。


「この高校のほとんどの人は、巻戻市で生きてきたわけじゃん? それが突然のプラン変更みたいな感じで街の外と同じ冬になったらさ、気持ち悪いと思わない? 誰の仕業か、何の目的を持ってやってるのかもわかんないし」


 僕は教科書を鞄に突っ込みながら頷く。僕が感じていた気持ち悪さはこの冬よりもあの少女に対するもののほうが強いのだけれど、恐らく両者には因果関係があるので、僕の感じていた不快感は西宮が抱くものとほぼ一緒だと思う。西宮と僕で話が合わないなんてことは無いはずだ。


 そういえば、彼女も教室全体の話題に参加していなかった。たぶん、気持ち悪さを共有したがるみんなと違い、一人でじっくり考えたい性格なのだろう。僕も同じだ。


「思う。繰り返す毎日はそういうもんっていうパターンとして認識してるけど、パターンを崩されたら、その原因を知りたくなるんだ。知るまでは気持ち悪さは拭えないし」


 その『原因』を恐らく僕は知っている。西宮も聞けば考察が発展するかもしれないが、それが少女本人にバレたら何をされるかわからない。自身の多くを語らない幽霊少女はあまりにも危険だ。


「やっぱり、馬が合うよね。私と君は」


 西宮は微笑む。


 去年——高二の冬も同じことを言われた。その後で「告白されたら、付き合ってあげないこともないよ。そうだなあ、冬が終わるまでに告白してくれたら、付き合っちゃおっかな」などと西宮は抜かしていた。当時の僕はそれを本気にしていなかったし、彼女が本心からそう言ったのだとしても、告白するつもりは毛頭無かった。ほぼ告白が成功することをわかった上でその行為に踏み出すのはプライドが許さなかったし、勇気が出なかったのだ。あるいは、前者は後者を言い訳していただけかもしれない。僕は恋に恋するほどロマンチストじゃないので、恋に興じることはあっても矜持は無いのだ。要は自分が意気地なしだっただけだ。


 西宮のことは今でもずっと好きだが、去年の冬はもう終わってしまった。僕と彼女は友達以上になれても恋人同士にはなれない。


 僕は教室の入り口付近に引っ掛けられている鍵を取り、外に出る。鍵を閉めて学校を後にした。


  *


 少女の存在は僕の中だけに留めておきたかった。自身の安全のためにも、西宮と距離が縮み過ぎないためにも。西宮は新たな情報を得たら、僕と手を組もうと提案してくるだろう。繰り返さない毎日の原因究明に限らず、彼女と協力して物事を進めるのは避けたかった。


 僕は一人で帰り、本屋に寄り道していた。大学が決まっているので、こうして暇を浪費することも許されるのだ。ちなみに西宮も僕と同様に大学が決まっているが、全く別の地方に進学するから高校を卒業したらしばらく会えなくなる。いずれ僕よりも良い人間を見つけて、ちょっとだけ馬が合った僕のことはすぐに忘れてしまうだろう。


 諦念を胸中に巡らせつつ、目的の本を求めて店内を徘徊する。僕が調べたいのはこの街について。それなら地域の図書館で本を探すほうが賢明だってことは、僕が一番わかっている。居残りのせいで図書館の閉館時間を過ぎたのだからこうして書店に居るのは仕方がないことだった。


 巻戻市のローカル誌を物色する。普段見ないコーナーだったから、探すのに十分もかかってしまった。入り口付近にあったのに。


 幽霊少女のような、都市伝説系を扱っている本は置かれていなかった。名前の由来とかしょうもないテーマばかり取り上げている。しかも巻戻市って実際に時間が巻戻るわけじゃない。名付けた奴はカレンダーを見たことがないのかもしれない。


 結局収穫は得られず、僕は書店を後にした。


 外は一面真っ白に染め上げられていた。去年の立冬は十年ぶりに積もったのを思い出す。二年連続の大雪は珍しい。


「やっほー、響くん」


 少し先にある電柱の陰から、あの少女が姿を現した。手をひらひらと振り、陽気な声で話しかけてくる。


「なんだ、また僕をからかいにきたのか? 僕だからいいけど、他の人には迷惑かけんなよ。西宮とか」


「西宮さんのこと、まだ好きなんだ。ここで名前が出るってことはさ」


 少女は悪そうに笑う。


「もう西宮のことは喋るな。あれは去年で終わったんだよ。だから、もう、からかわないでくれ」


 僕がそう言うと、少女は小首を傾げた。何がそんなにおかしいのだろうか。僕が尋ねるよりも先に少女のほうが喋り始めた。


「誰でもいいってわけじゃないんだよ? 私を視認できるのが響くんしかいないから、響くんと遊んでるの。西宮さんに限らず他の人にはちょっかいかけられない。まあ、私はみんなから見えないだけで触れられることはできるんだけどね。でも、からかうなら見えてたほうが楽しいじゃん」


 彼女が死のうとした理由が、なんとなくわかった気がする。


「今朝した三つ目の質問、覚えてるか?」


 僕は民家の塀に凭れる。


「何故消えようとしたか」


 文脈から、答えを当てられることを予測したのだろう。少女は若干口ごもった。大雪のおかげで車が通っていない上に冬独特の静けさもあり、彼女の言葉を聞き逃しはしなかった。


「それの答えが分かった。お前は、誰の目にも映れなくて退屈してたんだ」


 簡潔に答えた。生物が死のうとする理由(この少女の場合は消える理由だが)に複雑なものはないのだ。漠然とした不安などといった形を成していない理由はあっても、複雑に絡み合った理由はない。昔、近所の子供が自殺した時も単純な理由だったから根拠がないわけではない。あの時はたしか、繰り返す冬に耐えられなくて死んだのだ。そう、遺書に書かれていた。


「正解」


 少女は、さっきの弱気な態度とは打って変わって口角を上げた。


「答えたくなかったら答えなくてもいいけどさ。お前はどうしてこんな単純な理由を黙ってたんだ?」


「初対面の響くんに『あなたがいなかったら消えてました』なんて言えるわけないじゃん! そんなの、変な奴だと思われる」


 少女は俯きがちに言う。


「そんなことはないさ。誰かの生きる理由になれるなら、僕は嬉しいぜ」


「かっこつけてる?」


 少女は微笑んだ。


  *


 少女は怪しい存在ではなく、単純に二周目を楽しみたくて情報開示を拒んでいただけであることが発覚した。もう彼女を恐れてあれこれ悩まずに済む。それだけでも大きな収穫だった。


「ただし、こっちも楽しませてもらうぜ」


 彼女の正体が不明である以上、こちらにも推測して楽しむ権利くらいはあるだろう。


 現時点でわかっていることをルーズリーフに書き出していく。



 ・少女=幽霊。視認できるのはこの街で僕だけだが、僕以外も触ることはできる。おかしな話だが、幽霊が未知の存在である以上、見えないけど触れる状態はあり得ない話ではない。


 ・僕のことに限らず、恐らくこの街の全てを知っている


 ・恐らく、この街にイレギュラーを引き起こした張本人である


 ・消えようとした理由は、退屈だったから。


 これだけ書きだして、あることに気づいた。少女がいつ死んだのか聞いていなかった。それが分かっただけで彼女の正体を暴ける気はしないが、知っておいて損はないだろう。


 カーテンの隙間から窓を覗くと、外は大荒れ吹雪だった。彼女を探しに今から外に出るのも気が引ける。しかしこの謎を解き明かしていく高揚感は眠気をあの吹雪みたいに吹き飛ばし、僕は手持ち無沙汰になった。


 時刻は既に二十三時を回っているが、まだ眠くない。特に意味もなく青色のガラケーを開き、ネットニュースを眺める。そこに少女の手がかりでもあれば、と期待したのだが、何もなかった。巻戻市の都市伝説を検索してみても目ぼしいヒットは無し。暇を持て余した僕は、西宮にメールでも送ることにした。


 送る内容を決めていなかったから、こうしてメール作成画面に来ても文章が打てない。散々迷った挙句、何も送らなかった。


 下らないことをやってないで少女について考えるべきかもしれない。僕は仕舞ったルーズリーフを取り出して、眺めた。


 読み返していて、何かが引っかかった。


「……?」


 僕はルーズリーフを凝視する。


「痛っ」


 顔が机にぶつかった。集中のあまり、机との距離感を測り損ねたみたいだ。


 痛む顔を撫でながら、僕はまだ考え続ける。幽霊少女、未知の存在、可能性、この街の全てを知っているイレギュラーの原因……。


 一つ、閃いた。あいつが西宮と僕の関係をずっとからかい続けていたことだ。普通ならあれはただのからかいだという認識から動けないが、少女の死亡日を考慮すると見え方は変ってくる。例えば、あの少女が去年死に、そこで記憶が止まっていたとしたら——やたらとからかってくることにも納得がいくのだ。だって、僕の恋は去年で終わったから。


 しかし、それが本当だとすると、生前も赤の他人であっただろう僕のことを何故あいつが知っているのかを解明する必要性がある。少女と僕、そして西宮の三人に接点があったと考えるのが自然だし、そうでなければならない。


 結局、今日の限界はこの辺り。答えてくれるかはともかく、あの少女に色々訊かないことには先に進めない。


  *


 澄んだ冬空を見上げて、ため息を吐く。屋上には僕と西宮以外しかおらず、ため息をかき消す喧騒は無かった。無駄にクリアに聞こえたそれに対して、「ほんと、今年の冬はおかしいよね」と西宮は気怠そうに言った。食欲がないのか、手元のサンドイッチに齧った跡は無い。


 昼休みにこんな退屈そうな顔をしているのは僕たちだけだ。友人の間に混ざって遊びたいのは山々だが、今はそういうわけにもいかない。冬が終わるまでこのままかもしれないと考えると、ぞっとした。気怠い昼休みだけを繰り返す冬なんて、あまりにもあんまりであんまりだ。皮肉にも程がある。


「ねえ」


 数分の沈黙の後、西宮が口を開いた。いきなりのことだったので、反射的に彼女のほうを振り向く。彼女は遠い目をしていた。


「昨日の夜、唐突に頭に浮かんできたことがあるんだけど……」


「なに?」


「笑わないで聞いてくれる?」


「もちろん」


 彼女は軽くこっちを向いて、言った。「この街の冬は進化したんじゃないのかな、って思ったんだよね」


 冗談だとしても、僕は笑えなかっただろう。だって意味不明なのだ。季節が進化することなんてあるわけがない。あるとすれば進化じゃなくて変化だ。僕たち人間のポイ捨てごみとかエアコンの使い過ぎとかで、悪いほうへ悪いほうへ変化させていく。


「ごめん、意味がわからない」


 僕は苦笑した。


「笑わないって言ったじゃん」


「苦笑いも駄目なの……?」


 西宮は僕のツッコミを華麗に受け流して語り始めた。


「今までの冬は、自分が無意味なことをしてるって気づいたんだよ。だから繰り返す冬をやめて、外の街と同じようにしたんだ。ダーウィンは違う仮説を立てるかもしれないけどね」


 ダーウィン西宮は一言で進化の概要を説明した。


「西宮は、冬に意志があるって考えてるんだね」


「君はどう思う?」


「さあ。仮に西宮の仮説が正しくて、冬に意志があるのも事実だとしたら、やっぱり疑問がわいてくるんだよな。冬は何のために繰り返してたんだろ、って……あ、待って、僕分かったかもしれない」


 西宮の進化論から連想されるものがあった。


「何が?」


「ごめん、西宮には言えない。言えるのは、冬は進化したわけじゃないってことだけだ。じゃあね」


「私が間違ってるってこと? ね、ねえちょっと!」


 僕は戸惑う西宮を置き去りにしたまま、屋上階段を駆け下りた。保健室に仮病を伝えに行く時間が無駄に思えて、一言も先生に断らずに校門を出た。


  *


 日が沈んだ後。


 少女は昨日と同じ電柱から姿を現した。


 少女は早朝と夜にしか現れないらしい。昼間ずっと町中を駆け回ったのがバカみたいだ。


「やっほー。西宮さんと——」


「お前の正体がわかった」


 少女はセリフを遮られたのが悔しかったのか、「ぐぬぬ」と歯噛みした。ひとしきりそれをすると、「絶対暴けないから」と胸を張った。こいつの感情曲線はどうなってんだ。


「まず最初に、訊きたいことがある。答えられないならそれでいい。もし僕にヒントを与える気があるなら、答えてほしい」


 少女の正体は見当ついている。これからする質問は自分の中の結論を裏付けるためのものだ。


「内容によるかな」


 少女は言った。


「お前が死んだ日は、いつだ」


「なんだ、そんなことか。去年だよ」


 少女は打てば響くように返した。


「死因は?」


 少女は黙り込んだ。僕の仮説が正しければ、彼女の死因は答えられないものじゃない。でも、答えたら自分の正体を当てられる気がして恐れているのだ。少女はまだ思案している。十分くらい悩みぬいた末、彼女はようやく口を開いた。「過ぎ去ったから」


 ……ビンゴだ。もう僕の仮説に間違いはない。


 仮説もとい少女の正体を裏付ける証拠は、いくつかある。


 一つ目、この街の全てを知っていること。


 二つ目、少女は今年の冬について何も言及していないこと。(少女は昨日『西宮さんとは仲良くしてる?』と訊いてきた。現在の僕らの関係を知らないような言い草だったのだ)


 三つ目、冬には意志があること。これは事実かどうか怪しいので証拠とは呼べないけど、もしもこれが事実じゃないなら僕の考える少女の正体は証明できなくなるので、事実でなくてはならない。完全に賭けだ。外れたら終わり。


 四つ目、これも賭けになるが、少女がこの街の異変を引き起こしたこと。少女と現在の冬が混合したことによって、この街の冬の規則が乱れたのだ。まあ、推測だが。しかし後者二つは、五つ目の証拠となる死因が少女本人の口から聞けたからかなり自信がある。


「じゃあ当てにいくぜ。お前の正体は——」


 こいつの、幽霊少女の正体は。


「去年の冬、だ」


 冷たい風が頬を刺すように吹く。肩に乗っていた雪が散る。


「そうだよ。私は、去年死んだ冬。過ぎ去った冬。成仏し損なった冬だよ。死に損ないじゃないのが、皮肉な話だよね」


 彼女は「当てられちゃったなあ」なんて言って、電柱に凭れた。


「ちなみに、僕の推測だとお前の記憶は去年で止まってるんじゃないか?」


「そうだね」


 去年の冬は隠そうともせずに言った。


「ま、楽しみが終わっただけで、当てられたからって死ぬわけじゃないし。悪くは思わないけどね。それに、この冬が終わったら本気で消えるつもりだし」


 去年の冬はにっこりと笑い、道のど真ん中に立つ僕に近寄ってきた。


「当てられたご褒美、欲しい?」


 上目づかいでこっちを見てくる去年の冬。現在に生きる僕と過去で記憶が止まってしまった少女が見つめ合う。


「要らない」


「キスの一つくらいならしてあげても良かったのに」


 去年の冬は膨れた。寒いのに、彼女の頬は赤らんでいた。


「僕には西宮しかいないから」


 僕がそう言うと、彼女は「そっか」と呟き、僕と距離を取った。少し離れた場所から、喋りかけてくる。「私は、君のヒロインじゃなかったんだね」


 僕は苦笑した。お前は負けヒロインだよ。


「じゃあ、代わりのご褒美をあげるよ。去年の西宮さんについて、君はまだ勘違いをしてるみたいだからね」


「勘違い?」


「去年、西宮さんが言ったこと覚えてる?」


「あれか? 『冬が終わるまでに告白してくれたら、付き合っちゃおっかな』ってやつ」


 僕は棒読みで唱える。さすがに、感情を込めて言うには気恥ずかしさが勝るセリフだった。


「そうそれ。響くんは、去年の冬が終わったからもう駄目だと思ってるみたいだけど、実はそうじゃないんだ。もう一度、西宮さんのセリフを思い返してみて。そしたらわかるから」


 僕は脳内で西宮のセリフを反芻する。何度も、何度も。脳内がそれでモノクロームになってしまうくらい、ずっと考え続けた。


「あ、」


「わかった?」


「『この冬が終わるまでに』じゃなくて『冬が終わるまでに』、か」


 思い込みとは怖いもので、去年の冬に言われた言葉の制限はその時までなのだ、と勝手に決めつけていた。西宮の些細な遊び心というか意図というか、そういった類のものを僕は何一つとして読み取れていなかった。本当に大バカ者だ。


 ——今から彼女に会いに行けば、許されるだろうか。


 いや、許されるかどうかの問題じゃない。僕が動けるかそうじゃないか。それだけだ。


「大当たり。もう三年生で時間も無いんだから、今日決着をつけるべきじゃない?」


 去年の冬は優しく笑う。


 彼女の記憶が止まっていたことと僕と西宮の関係をからかってきたことは無関係だった。むしろ僕が勘違いをしていただけだった。


「そうだな。ありがと」


 僕は踵を返した。ガラケーを開いて、西宮にコールする。


 いくら待っても応答が無かった。


 時間切れでコールが途切れては掛け直すのを繰り返した。そうしているうちに不安が募っていき、徐々に歩行のスピードが上がり、ガラケーは放り、気づけば、僕は走っていた。一歩素進むたびに冬の街が後方へ流れる。景色と一緒に流れ出した涙と走った揺らぎとで視界が不安定になる。街灯を追い越すたびに不安は肥大して、今にも怪獣と化して冬の街を暴れ回りそうだった。いっそのことこの街をぶっ壊してしまえば、僕は不安じゃなくなるのに。いやいや、それじゃあまるで『猿の手』だ。願いを願ってもない形で叶えるのは、間違っている。僕が一番安心できる形で、募る不安感を無くさなければならない。


 西宮の家周辺に着く頃、入り込む冷気に肺が耐えきれなくなった。僕は大きく咳き込む。ひとしきりそうした後で、僕はまた、ゆっくりと走り出す。さっきみたいな全力じゃなくても、どれだけ遅くなっても、必ず西宮に辿り着くのだ。


 数分走った先。公園に西宮の姿を捉えた。僕はブランコを漕ぐ彼女に駆け寄る。


「なんで、君がここに?」


 西宮はブランコをこぐのをやめ、僕を不思議そうに見つめた。


「電話したのに出ないから、心配したんだ」


 僕は息を整えつつ言う。


「ごめんね。携帯家に忘れててさ……じゃなくて、え、何、急用?」


 西宮は戸惑いを隠しきれないといった様子だ。僕からしてみると夜にブランコをこいでいるほうが不思議だが、まあそんな夜もあるか、と独り合点した。


「西宮に、告白しに来たんだ」


 僕がそう言った時、西宮がどんな顔をしたのか、僕には思い出せない。いや、そもそも見ていないのだ。


 僕が言ったと同時に公園前の道路で鈍い音がして、僕も西宮もそっちに気を取られていた。一台の車以外に何も見えなかったので音がしたのは気のせいかと思い、僕らが向き合おうとした瞬間、景色が歪んだ。様々な景色は光線みたいになって僕の周りを包み込んだ。そのまま僕はどこかに巻き戻されていくような感覚に陥る。遠く離れていくような感覚が一晩中続き、僕は自室のベッドで目を覚ました。カレンダーを見ると日付は翌日になっていた。


 わけがわからないまま朝の支度をして、学校に向かう。線路沿いを歩いた辺りで、僕は一挙手一投足が立冬に行った動きとシンクロしていることに気づいた。


 僕は昨日の出来事を思い出す。きっと、あの鈍い音は去年の冬と車がぶつかった音だ。彼女は僕を尾行していたのだろう。それで、僕が告白するタイミングで丁度車が来て、轢かれたのだ。幽霊だから、死体は残らず消えた。だから僕と西宮の視界には車しか映っていなかったのだ。


 去年の冬が死んだということは、また繰り返す日々が始まったということに他ならない。卒業した後は西宮とも離れ離れになるから、冬が終わるまでに告白するのは不可能だ。


 肥大化した諦念は怪獣にならず、むしろ僕を落ち着かせた。もう何もかも無理なんだと悟った時の感覚は、寝坊した時のそれに酷似している。何故なのかはわからないが、一旦冷静になってしまうのだ。ああ、もう駄目なんだ、もう何をやっても遅いな、とか。そんな気持ちになる。冷静になった後で恐怖のどん底に突き落とされ、寝坊したことを激しく後悔する。


 それでも僕は、立冬と完全一致の日々を過ごすしかない。どれだけ僕が死にたくなっても、西宮に告白したくなっても、実行に移すことはできない。冬は僕らの欲求を凍らせ続ける。


 この街が暖かくなって、氷が溶けるまで。

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