16 人が災厄に変わる時
三人で内緒話をした、その翌朝。
「おい、コクーン。朝の運動に付き合え」
オルタナが、コクーンを散歩に誘った。自身の腰の短剣の柄を、思わせ振りに軽く叩く。戦士科なら、その合図で通じるらしい。
肩慣らしに模擬戦しようと言っているのだ。
コクーンは驚いたようだった。いかにも我が道を往くタイプのオルタナが、模擬戦とはいえ、誰かにものを頼んでいるのだ。ただ、コクーンも士官志望の男なので、理由もなく模擬戦を断ったりしない。
彼は戸惑いながら頷く。
「……分かった」
「俺も一緒に行く。散歩したいんだ」
カケルはさりげなく、二人の後に付いてキャンプから離れる。仮にも遭難中で、あまりバラバラに動くのは推奨されないので、カケルの同行は自然に見える。
キャンプから十分距離をおいた森の奥で、二人の青年は向かい合った。
先に動いたのは、オルタナだ。
彼は無造作に短剣を鞘から抜き、滑るような動きで斬りかかる。コクーンも戦士科らしく、大振りのナイフをかざして攻撃を受け止めた。
オルタナは手加減しているらしく、動きが遅い。本気を出せば、目にも止まらぬ動きなのだが、今は目で追える範囲だ。
それに対してコクーンは、堅実に防御している。
「っつ。オルタナ、お前にとっては肩慣らしにもならないだろう! なぜ俺を誘った?!」
「そうだな。俺ではなく……カケルの用事だ」
オルタナは短剣を一閃し、コクーンのナイフを弾き飛ばす。
ナイフがくるくると回転しながら飛び、近くの幹に突き刺さった。
二人の視線を浴び、カケルは心臓に悪いと苦笑いしながら、本題を切り出した。
「昨日、言ってた妹さんのキーホルダー、見せてもらえるかな」
「? 何か、君の記憶に触るようなものなのか?」
コクーンはいぶかしみながら、腰のポシェットからキーホルダーを取り出し、カケルに手渡す。
手と手が触れ合う瞬間、キーホルダーが動いた。
「!」
丸いキーホルダーの側面に、金属の細い脚が瞬時に生える。
それは、今まで死んでいた虫が跳ね起きるような現象だった。
まるで蜘蛛のように脚をたわませ、キーホルダーは跳躍する。
「逃がすか!」
動けたのはオルタナのみ。
短剣を目にも止まらぬ速さで
狙いあやまたず、短剣はキーホルダーの真ん中を刺し貫き、そのまま木の幹に張り付けにした。
「こ、これは?!」
一拍遅れて、事態を把握したコクーンが青ざめる。
「まさか、まさか、俺の持っていたのは、
それ以外の、自立的に動く機械は、すべて
『ギ……ギ』
短剣に貫かれても、脚をバタつかせる
『ウラギリモノ』
きっと
しかし、コクーンも同じように受け取ったらしい。
「俺なのか?! 故郷のガリアを破滅に導いたのは……」
「違う!」
カケルは鋭く否定の声を上げたが、コクーンは聞いていないようだった。
「悪いのは、
「だが、俺は妹の顔が思い出せないんだ……俺は……俺は」
ざあっと、森がざわめいた。
妙に冷たい風が吹き抜ける。
森の暗がりから、一匹、また一匹と、夕暮れ色の
この紅い蝶こそ、
蝶以外にも、媒介となる昆虫は数種いて、彼らは宿主となる動物を求め、荒野をさすらう。取り憑かれた動物は、体が腐って死しても動き続ける。
「絶望した奴には、
オルタナは叫びながら、予備の短剣を鞘から抜くと、近付いてくる蝶々を切り捨てた。
蝶は切られると炎になり、輝いて消滅する。
「……それに、何の意味がある」
コクーンは、片手で額を押さえ、暗い眼をしている。
「故郷の家族はきっと、俺を恨んでいるだろう。戻るべき故郷は、俺にはない。俺が壊してしまったんだ。いや、まだそう決まった訳じゃない……」
それ以上、言っては駄目だ。
カケルは彼を止めたいと思った。しかし、たいして親しくもない、彼と同じ難民でもないカケルには、言葉が見つからない。
「真実を知る必要はない。お前達を殺して、エファランの人々もいなくなれば、真実は闇の中だ」
「なっ?!」
コクーンは歪んだ笑みを浮かべる。
「俺は故郷に帰る。そのために、お前達は邪魔だ!」
蝶の群れが、コクーン目掛けて突っ込んでいく。
肌に触れた瞬間に、蝶は燐粉を吐き出して燃え尽きた。
紅い燐粉を浴びたコクーンの様相が、変わり始める。
体がボコボコと膨らみ、
もはや人間の形を成していない。
それは歪な姿をした巨大な蝶だった。
コクーンが背中の翅を震わせると、雪片が宙を舞った。急激な冷気が地面を凍らせる。
「……
オルタナが
人が怪物に変わる瞬間を目撃し、カケルは衝撃を受けていた。
しかし、考えてみれば、その可能性はあったのだ。
この世界では前触れもなく人が竜に変わるのだから、どんな醜い姿に変じたって不思議じゃない。
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