08 シャボン玉の中と外

 エファランに来てから、嘘のように穏やかで平和な日々が続いている。

 ここエファランの文明レベルは、カケルの生まれ育った船団より遥かに遅れているが、その分素朴で暖かい手触りに満ちていた。

 例えば、船団では全て自動化されていた料理という作業も、ここでは刃物で素材を切るところからスタートする。何もかも機械にお任せの世界から来たカケルは、生活に慣れるまで大層苦労した。慣れてみれば、手動ゆえランダムに変化する味が面白くて、料理するのが楽しくなった。

 情報もネットワークに接続して脳にダウンロードするのではなく、書物を読んで得る。しかし、一般人が知らないだけで、情報を交信する目に見えない高度ネットワークが存在することを、カケルは密かに確信している。そういった高度な科学技術は、古代の遺跡を利用して運用されており、科学ではなく魔術の一種とされている。


「人がいるって知ってて、なんで俺の故郷は、侵略みたいなことをやってるんだろう」

 

 カケルの故郷、星の海を渡る船団は、この星に無人機械を投下している。その機械は、人を殺すものもあるようだ。

 幼かったカケルは、故郷がどのような意図で無人機を投下しているか、知らずに出奔した。

 いや、目的なら、知っている。

 星の浄化。

 この星を昔の姿に戻すこと。それには、竜などの異物が邪魔なことは容易たやすく想像できる。

 カケルは今の生活がそこそこ気に入っている。

 故郷から送り込まれている無人機が、その生活の障害になる可能性があるなら、何とかしたかった。


「市場に流れてくるのは、壊れた機械ばっかりなんだよな」

 

 大破した機械の部品など、役に立たない。

 正常に稼働している機械を捕まえて、中からデータを抜きたい。そうすれば、故郷が何をしようとしているか、具体的に分かるはずだ。


「カケルく~ん、ご飯は~~?」


 養父のソーマ・サーフェスが、一階から二階にいるカケルを呼んだ。

 エファランに保護された時に子供だったカケルは、この国の学者ソーマ・サーフェスの養子にされた。養父は家事ができない。生活態度がルーズで、働いて得た金で食べ物より本を買ってしまう。世間的な基準では駄目男だ。


「鍋の中だよ」

「どうやって温めるの~~?」

 

 カケルは机の上に並べた機械の部品を放り出し、一階に降りた。

 養父ソーマに任せるより、自分でやった方が早い。

 台所には、石板を下から火で炙る原始的な機械が設置してある。ダイヤルをひねるだけの操作なのに、養父は面倒臭がってやらない。

 金属の鍋を温め、中のスープを皿に盛ると、ソーマは感激してむせび泣いた。


「ありがとう。うぅ。来週カケルくんがいない時は、どうすればいいかな……」

 

 来週というキーワードに、カケルの胸が騒ぐ。

 

「ご飯買ってくればいいだろ」

「そうだね。そうなんだけど……カケルくん、必ず無事に帰って来てね。でないと僕が飢え死にしそう」

「大げさだなぁ……」

「でも、あんまり心配しなくていいか。カケルくんは、外から来たんだから、外の危険は十分知っているよね」

 

 五年ぶりに、エファランの外に出る。

 カケルは、期待と不安に胸がうずいた。

 故郷の船団が放った無人機の調査をするために、外に出る必要がある。しかし、用事がないと外に出られないため、子供のカケルはずっとエファランの中に保護されていた。

 養父ソーマは、カケルの望みは知らない。

 ただ、若者なら外に出る時は興奮するものなので、カケルの緊張めいた顔つきも別段不思議に思っていないようだった。


「大丈夫だよ。学校の演習で、ちょっと一日外に出るだけだし。すぐ帰ってくるよ」

 

 なんでもないように、ソーマに答える。

 機械の調査という秘めた目的があるが、来週の合同演習は集団行動だ。一人でこっそり機械をいじる時間は無いだろう。

 ソーマに答えた通り、すぐ帰って来れると思っていた。




 エファランの中央には、天を貫く白い巨木が立っている。

 その木の周辺は湖になっており、湖を囲むように都市が広がっていた。都市は東西南北四つの区画で管理されており、北区は王族などの権力者の住居や市場があり、南区は農業が盛んで、西と東は農産物の加工や機械を作る工業施設が集まっている。

 そして、東西南北の区域を囲むように、外界とエファランを隔てる壁がある。

 人々は、シャボン玉の形をした壁の中で生活を営んでいる。

 外界から自壊虫ワーム侵略機械アグレッサーを防ぐこの壁は、歩いて外に出ることができない造りで、外に出るには竜に乗って白い巨木から飛び立ち、上空の出入口を通る必要があった。

 竜は交通手段として、無くてはならない存在だ。飛行機を作って飛ばすこともあるそうだが、飛行機は壊れやすく操縦するには技術がいる。竜がいるなら、竜に乗せてもらう方が早いというのが、この世界の常識のようだ。


「行ってきます」


 演習の日、カケルは軽くまとめた荷物を手に家を出た。

 住んでいる東区の駅から、路面列車に乗る。

 

「お客さん、どちらまで?」

「竜の止まり木まで」

 

 白い巨木は、竜の止まり木と呼ばれている。

 その根元にある駅までと答えると、車掌は頷いて列車を走らせ始めた。東西南北を横断するこの列車は、国営なので、運賃は払わなくてよい。

 カケルは、座席に腰掛けて、窓から外を眺める。

 住宅街を通り抜け、路面列車は湖に差し掛かる。

 そして、そのまま湖の上を滑らかに走行する。


「……」

 

 湖水は竜の止まり木の下から溢れ、川になって外に流れていく。それゆえ湖は命の源、竜の止まり木は生命樹ハオマとされるが、全く逆の、死を意味する嘆きの湖と呼ばれることもある。

 この湖を渡り、竜の止まり木に行くことは、危険に満ちた空の旅に出ることを意味しているからだ。

 畏怖を表すように、湖の中心に近付くほど、釣舟の姿は見えなくなる。

 湖面の上を吹く風は妙に冷たく、別世界を思わせた。


「竜の止まり木、竜の止まり木です……皆様の旅の安全と、無事のご帰還をお祈りしています」

 

 車掌の神妙なアナウンス。

 カケルは列車を降りた。


 

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