05 空へ
砂嵐を避けるために隠れた洞窟で、竜の遺骸を発見したカケル達。危険を感じたカケルは外に出ようとするが、それを引き留めたのは背中の少女だった。
「……お母さんは、飛行士だった。ある日外に巡回に出て、戻ってこなかった。一緒にいた竜も行方不明だから」
少女が呟く。もしかして彼女は、いなくなった母親を探して、飛行機で空を飛んでいたのだろうか。母親はまだ生きていると考えている?
だが、こんな危険な場所を徘徊して、見つかるかどうか分からない少女の母親の遺品を探すのは、どう考えても無謀だ。
カケルは心を鬼にして、岩陰から出ようとした。
その時、ふわりと甘い香りが漂う。
闇の中を、輝きながら飛ぶ、夕焼け色の
「まずい! ワクチンを持ってきてないのに」
少女が荷物を振り回して、蝶を追い払っている。この蝶は、毒でも撒き散らしているのだろうか。カケルは少女と遭遇した時の状況と照らし合わせ、蝶がなんらかの害になっていると判断する。
蝶の群れは、外から入ってきた。
カケルはやむなく、入ってきたのとは別の出口がないか、探すことにした。
瓦礫を踏みしだきながら歩き回り、空気の流れを読む。
すると、奥に階段があることに気づいた。
平らな床に、規則性のある石段。ここは人の作った建物の中。遺跡だ。
首だけ後ろに振り返ると、蝶々の群れが追ってきている。どうやら狙いは背中の少女らしい。少女はおびえた表情で蝶を見ている。
意を決し、カケルは階段を駆け上った。
しかし、竜の巨体に石段が耐えられなかったらしく、足元に穴が開く。
カケルは咄嗟に背中の少女を折りたたんだ翼で保護し、勢いをつけて跳躍して、建物の二階に上がった。その衝撃で階段が崩れる。床の一部が崩落し、それは蝶の群れを巻き込んだ。この破壊行為の、唯一の嬉しい成果だった。
少女が付けていた灯が消える。
しかし、真っ暗にはならない。
建物の中は暗闇だが、二階には窓があり、外部から砂と光が格子状に射し込んでいた。
「……」
大丈夫?!
カケルは首を回して、背中の少女を見る。
そして、少女がぐったりしていることに気づいた。息が荒く、体温が高くなっているように感じる。やはり、先ほどの蝶は毒を撒き散らしているらしい。
どうすればいいのだろう。
言葉が通じたら、どうすればいいか、少女に聞くこともできるのに。ワクチンがどうと言っていたし、少女の方が状況に詳しそうだ。
死なないで。
僕をひとりにしないで。
カケルは動揺のあまり叫びだしそうな気持ちを、ぐっとこらえた。
「……
その時、少女がかすかな声でつぶやく。
カケルはその声を聞き取ろうと、首を必死で曲げた。
「対抗するのは、竜の」
聞き取れたのは、そこまで。
少女は意識を失ってしまっているようだ。
竜の、なんだ?
カケルは考える。
ふと、足元に目を落とすと、液体がしたたっていた。
それが自分の血だと気づくのに時間がかかった。
どうやら階段を踏み抜いた時に、瓦礫の破片で怪我をしたらしい。痛覚がにぶくて、気づかなかった。竜の鱗は、思ったより柔らかい。それとも特定の条件で硬くなるのだろうか。
そう、血だ。
カケルは、はっと
ワクチンとは、わざとウイルスを患者とは別の生体に取り込ませ、弱毒化したものを取り出したものだ。弱くなった毒を摂取すると人体は免疫が作られ、その毒に対して耐性を得る。
同じように
竜はこの毒に対して強い。その体内で、毒は弱くなっているに違いない。
鼻先で自分の血をすくうと、ゆっくり慎重に、少女の口元に近づける。
背中に首を回すのは困難なので、苦労しながら少女を床に下ろし、もう一度トライ。
うまく飲ませたところで、短時間で効果が現れるものだろうか。
分からないことだらけだったが、何もしないでいるより百倍マシだった。
何回めかの試行の後、少女の口に血を含ませることに成功する。
やれるだけのことはやった。
少女を抱え込み、その吐息に耳を澄ませる。
長い夜になりそうだった。
外からの光が途絶えて夜になり、再び朝の光が射し込んでくる。
カケルはひたすら待った。
「ここは……」
目が覚めた? まだ、壊れた建物の中だよ。
カケルは、寝起きでぼんやりしている少女をのぞきこんだ。
少女は自分で水を含み、立ち上がった。水は砂漠に入る前に、
周囲を見回し、状況を把握する。
「外に出なきゃ。でも、階段はなくなってしまったし、あなたのような竜が狭いところで下手に動くと、周囲が崩れて生き埋めになってしまう」
そうだね。カケルは心の中だけで同意する。危険な場所と分かっていて動けなかったのは、まさにその理由だった。
「窓は出るには小さすぎる……階段を探そう。屋上に登って、そこから飛び降りる」
僕は飛べないよ?
「ある程度、高さがあった方が、上昇気流をつかめる可能性がある。滑空するの! それくらいは、できるでしょ」
少女に言われ、カケルは覚悟を決めた。
自分だけの命ではない。
この子を守って、脱出しないと。
それは胸の中に火を灯すような、新鮮な心地だった。
少女が背中に登ったのを確認し、慎重に動きだす。床の強度を気にしながら、階段を探して登る。一階から二階まで上がった時のように、多少の踏み抜き事故は発生したが、もう下に降りないので関係ない。気にせず、ひたすら上を目指した。
やがて、世界が昼の光に染まった。
屋上だ。
「気を付けて!
なんだって?
背後を振り向くと、炎の鳥のような怪物がカケルを見下ろしていた。
火の雨が降ってくる。
カケルは無我夢中でそれを避けながら疾走する。
背中の少女は、首根っこにしがみついている。
もう屋上の端っこだ。
「飛んで!!」
翼を広げる。こんな時に使えないなら、翼を持っている意味がない。
跳躍し、空に身を投げた時、空中に白い光の道が見えた。
その瞬間、カケルは飛ぶことを理解する。
光の道に乗ればいいんだ。
翼を上下し、風をつかむ。光の道に差し掛かると、体がふわりと浮かび上がった。
「やった! 飛べるじゃない!」
少女の
なんて爽快な心地だろう。
きっと空を飛ぶために自分は生まれてきたのだ。
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