第7話 主従の夜
「レトメア様、ミルクです、落ち着きますよ」
「……ありがとう、ミーミア」
誰もが寝静まる夜遅くにレトメアを見付けたミーミアは、彼女を連れて部屋に戻り、ミルクを渡してベッドに座らせる。
つい先程までは、獣の如き鋭い牙と爪が伸び、まさに人外と呼べる姿を取っていたレトメアだが、今は普段通りの愛らしい子供に戻っていた。
ちびちびと、ゆっくり味わうように無言のままミルクを飲むレトメアに、ミーミアはホッと胸を撫で下ろす。
……ミーミアがレトメアの動きに気づいたのは、本当に偶然だった。
たまたまトイレにと起き出した帰りに、リアラの部屋へ向かうレトメアの姿を目撃したのだ。
どうしたのかと中を覗き込んだミーミアは、驚愕した。
レトメアが、リアラに魔法を使っていたのだ。
文献の中にしかない、悪魔の魔法。血液魔法を。
(リアラの病気を治す方法はないかって、王宮書庫でこっそり調べていた時に見付けた魔法だったけど……まさか、レトメア様が使えるだなんて……)
もしかしたら、とミーミアは思う。
自分が血液魔法でリアラを治せるかもしれないと気付いたあの時、どこかでレトメア様に見られていたのかも? と。
だから……これまで王宮の外になど一度も興味を示したことのないレトメアが、急にミーミアの帰省を手伝って外へ行くと言い出したのではないかと。
(だとしたら……本当に、優しい御方ですね、レトメア様は。ちょっと、優しすぎるくらいに)
レトメアの境遇は、当然ながらミーミアとて知っている。
母である第二王妃が、戦場で悪魔に呪われたことによって生まれた、化け物の子。
両親とも、兄妹との面会すらも許されず、王宮の誰もがその存在を疎ましく思っている、王家の面汚しと。
レトメアはまだ、何一つ悪いことなどしていないというのに。
(あなたはもっと、自分のために我儘を言ってもいいんですよ)
周囲の者達は、レトメアが起こす癇癪や我儘を、やはり忌み子だ呪われた子だ、やはり処分するべきではないかと口さがなく批難するが……ミーミアは、全くそうは思わない。
幼い子供が、親に会いたいと駄々を捏ねることの、何が悪いのか。
両親がダメだというのならばせめて、親代わりの乳母くらい付けるべきだというのに、それさえも乳離れと同時にいなくなってしまった。
僅か六歳の子供が味わうには、この孤独と仕打ちは辛すぎるだろう。
そう思うからこそ、ミーミアはレトメアの専属となった。押し付けられたのではなく、立候補したのだ。
リアラの治療費を稼ぐためという表向きの理由の裏に、せめて自分一人くらいは、レトメアの味方でいてあげたいという思いを秘めて。
「……ごめんなさい、怖かったわよね」
「え?」
「さっきの、私の姿……化け物みたいだったでしょ?」
だからこそ、ここ一週間ほどの間によく見せるようになったレトメアの表情に、ミーミアは酷く心をかき乱される。
急に我儘を言わなくなり、癇癪も起こさなくなり、まるで大人のように落ち着いた態度を見せるようになり……その果てに時折浮かべるようになった、その表情。
まるで己を押し殺すかのようなそれが、ミーミアには正しい成長の結果だとは思えなかった。
「でも安心して、リアラを傷付けるようなことは何もしていないわ。今は信じられないかもしれないけど、明日になれば……」
「信じます!! 明日なんて待たなくても、レトメア様がそのようなことをなさるはずがないと、私は信じていますから!!」
勢いよくそう叫ぶと、レトメアは驚いたように目を丸くして……すぐに、辛そうに顔を伏せる。
そんな彼女の心に少しでも近付こうと、ミーミアは言葉を重ねた。
「ですから……お願いします、レトメア様。私のことも、どうか信じてください。信じて……レトメア様が抱えているものを、少しでも私に話して頂けませんか?」
「……分かったわ」
そう呟いて、レトメアはポツリポツリと、自らの事情を語り出す。
自分が吸血鬼であり、人の血を吸わなければ正気を保てないこと。
血液魔法の力で、リアラを治療したこと。
そして……魔法を使ったせいで吸血衝動が起き、あの姿になってしまったことを。
「さっき飲んだのは、鶏の血よ。人以外の血でも、飲めば衝動を一時的に抑えるくらいの効果はあるの」
「レトメア様が一人での血抜き作業に拘ったのは、血を手に入れるためだったんですね」
「……うん」
まるで自らの罪を告白するかのように語るレトメアの姿は弱々しく、今にも折れてしまいそうに見えた。
故に、ミーミアは迷うことなく決心する。
「分かりました。でしたらレトメア様、私の血を吸ってください!」
「え……!?」
腕を捲りあげたミーミアは、普段から持ち歩いている裁縫セットの針を取り出し、指先に突き刺す。
とろりと流れる血を見て、レトメアは口元を押さえ蹲った。
「レトメア様!?」
「だい、じょうぶ……! それよりも、ミーミア……」
「は、はい」
「あなた、分かってるの……? 私に血を飲ませてるだなんて、バレたら周りからどんな目で見られるか……!」
「分かっていますよ、大丈夫です」
嫌われ者の王女に味方するメイドなど、不満の捌け口としてこの上なく最適だろう。何をしても、誰からも咎められない。
実際、ミーミアがレトメアの目が届かない場所で嫌がらせを受けたことは、既に一度や二度ではなかった。
「それでも、一人で泣いているレトメア様を見捨てて保身に走るなんて、私にはできません。そんなことをしたら、両親にも……リアラにも、顔向け出来なくなってしまいます」
貧乏だからと言って、心まで貧相になるな。それが、ミーミアの父親の口癖だった。
それを実践するかのように、生活が苦しくとも最後までリアラを見捨てなかったのがレンバートン家だ。その言葉には重みがある。
「ですから……レトメア様の辛さを、私にも分けてください。一人では辛くとも、二人でならきっと歩いて行けます。だって、私はレトメア様の専属メイドですから」
ね? と、ミーミアが微笑む。
そんな彼女の笑顔に引き寄せられるように、レトメアは顔を上げ……血が流れる指先を、ぺろりと舐めた。
「んむっ、ちゅ……はぐっ」
「いっ……!」
レトメアが牙を立て、ミーミアの手に更に深い穴を空ける。
鋭い痛みが走るが、意外にもそれは一瞬のこと。血が吸い出されていく違和感に、痺れにも似た感覚を味わっていると……やがて、ゆっくりとレトメアは口を離した。
「れろ……んっ……」
最後に一度だけ、レトメアが傷口に舌を這わす。
それだけで、牙や針によって付けられた傷は綺麗さっぱり消え、何事もなかったかのように白い肌だけが残った。
その高い治癒力に、ミーミアが驚いていると……レトメアがポロポロと涙を溢し、突然泣き始める。
「ど、どうしましたレトメア様!? も、もしかして私の血、そんなに不味かったでしょうか!?」
「ぐすっ……そんなこと、ない……ただ、嬉しくて、申し訳なくって……!」
懺悔するようにレトメアが語ったのは、最初からこうなることを狙っていたということ。
リアラの治療と引き換えに、ミーミアから血を分けて貰えないかと考えて……結局、頼めなかったのだと。
「ごめんなさい……私、ずっと傍にいてくれたあなたに、少しくらい報いてあげたいのに……結局、迷惑かけることしか出来なくて……」
「……そんなこと、気にする必要ないですよ」
報いるというなら、リアラを治療してくれただけで、もう十分過ぎるほど絶大な恩だ。
しかし、それを言ったところで、レトメアの心には届かないだろう。
だからこそ、ミーミアはレトメアを抱き締め、優しく告げた。
「レトメア様、リアラに言ってくださったじゃないですか。あなたは愛されて、望まれて生まれて来たんだって。レトメア様だって同じです、少なくとも私は、レトメア様に出会えたことを神に感謝しています」
「ミーミア……ほんと……?」
「はい。だから、迷惑だなんて考えないでください。レトメア様はまだ子供なんです、たくさん迷惑をかけて、その分お返ししてくだされば十分です」
「お返し……?」
「はい」
言ったでしょう? と、ミーミアはレトメアの髪を撫でながら、諭すように優しく伝える。
何よりも強く、レトメアが望んだ言葉を。
「大好きですよ、レトメア様。一生お仕えします」
「っ〜〜〜!!」
一度は止まりかけたレトメアの涙が、またしても堰を切ったように流れ落ちていく。
自分の寝巻きが汚れるのも厭わず、まだ六歳の幼い体を抱き締め続けるミーミアに、レトメアもまた精一杯の言葉を返した。
「私っ、も……!! 大好きよ、ミーミア……!! お願い、ずっと傍にいて……!! もう、一人は嫌だよぉ……!!」
「はい、私はお傍にいます。ですから、今は思う存分泣いてください」
夜の男爵家に、幼子の泣き声が響き続ける。
姫とメイド、二人だけのその空間を陰ながらじっと見つめていた一人の男は、息を吐いてその場を去っていく。
「……あんなの、殺せるわけないだろ……まったく……」
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