第6話 血液魔法と吸血衝動

 ミーミアの実家は、王都に居を構える男爵家だ。


 貴族ではあるけど領地もなく、当主が王宮勤めとはいえ下っ端も下っ端、当然給料は安いのに、貴族である以上は最低限の品位を保たなければならないということで、平民のような質素な暮らしを選択する自由もない。


 そんなミーミアの実家……レンバートン男爵家には、跡継ぎである長男とミーミアの他に、病気がちな妹がいる。


 肺を患い、今から三年後には命を落とす、私と同い年の子だ。


 ルーベルに話を通した一週間後。私はそんなミーミアの妹に会うべく、男爵家の屋敷を訪れた。


「は、初めまして、姫様……! 私は、リアラ・レンバートンと申し、っ、げほっ、ごほっ!」


「無理しなくていいですよ。楽にしていてください」


 ベッドで体を起こしたものの、挨拶の途中で咳き込んでしまったリアラの背を、ミーミアが慌ててさすっている。


 大丈夫? と声をかける優しい姉と、嬉しそうに頷く妹の姿。


 ……私がいくら願っても手に入らない光景に、ちょっとだけ胸が痛んだ。


「レトメア様、今日は本当にありがとうございます。こうして帰ってこられたのは、レトメア様のお陰です」


「何言ってるの、普通ならもっと頻繁に帰れたはずでしょう? それを私のために台無しにし続けていたんだから、お礼を言うのは私の方よ。それと、リアラにも謝らせて、本当にごめんなさい」


「そ、そんな、顔を上げてください、姫様……!」


 ミーミアからの感謝の言葉を制しながら、リアラへと頭を下げる。


 そんな私を、リアラが慌てて止めようとしていた。


「お姉ちゃんがそこまでして働いているのは、私のせいでもありますから……」


 しゅん、と俯きながら、リアラは本当に申し訳なさそうに懺悔する。


 胸の内に抱いた罪悪感のせいか、その瞳には涙さえ浮かんでいた。


「私がもっと元気なら……お姉ちゃんにも、家族みんなにも……迷惑かけないで、済んだのに……私が、いなければ……」


「リアラ、迷惑だなんて、そんなこと全然ないのよ? お姉ちゃんも、お母さんもお父さんも、お兄ちゃんだって、みんなリアラと一緒にいられて幸せなんだから」


 落ち込むリアラを、ミーミアが必死に慰めてる。


 ああ、本当に……そんな風に真っ直ぐ言い合えるなんて、良い家族だ。


 羨ましすぎて、目が焼けそうなくらい眩しい。


「ミーミアの言う通りよ」


 だから、私も思わず口を挟んでしまった。


「リアラ、あなたはちゃんと愛されて、望まれてこの世界に生まれて来たの。だから、自分がいなければなんて考えちゃダメよ」


「姫様……」


 私も、最期の時まで自分を誰からも愛されない、いらない存在なんだと思い込んでいた。


 少し冷静になって考えてみれば、お母様が私のためにどれほど奔走してくれていたのかなんてすぐ分かっただろうに、そんな余裕すら持てなかった。


 今も私の後ろ、部屋の入口に立ってこっちを睨んでるルーベルが、私を殺したくなるのも当然の鈍さだろう。


「大丈夫。どうしても気になるのなら、今迷惑をかけている分、元気になってから返してあげればいいわ。それすら待てないのなら、そうね……」


 少し考えて、私はもう一度口を開く。


「愛してるって、大好きだってちゃんとお姉ちゃん達に伝えてあげて。きっとそれが、一番嬉しいから」


 他の誰よりも、私自身が欲しかった言葉だ。


 それを伝えることさえ出来なかった私が、こんな風に他人へのアドバイスに使うなんて、バカバカしいにも程があるけど……。


 バカバカしいからこそ、リアラやミーミアには、同じ思いをして欲しくない。


「ええと、その……わ、分かりました……! お、お姉ちゃん……!」


「は、はい!」


 話の流れを全部聞いていたからだろう、ミーミアもどこか緊張した様子で、それ以上に恥ずかしそうなリアラと向き合う。


 そして、リアラはたっぷりと時間をかけ、絞り出すようにか細い声で言った。


「お姉ちゃん、大好き……その……ずっと、私のお姉ちゃんでいてね……?」


「私も大好きよリアラ!!」


「わぷっ!?」


 感極まったミーミアが、リアラを思い切り抱き締めた。

 そんなにしたら息苦しくないかと心配になるけど、ミーミアもそこは配慮していたようで、リアラも嬉しそうだ。


「……良かった」


 仲睦まじい姉妹を見て、私は改めて思う。リアラを治して、二人がずっとこうやって過ごせるようにしてあげたいと。


 だからこそ。


「…………」


 私は結局……治療の対価について、一度もミーミアに切り出すことが出来なかった。






 私達がレンバートン男爵家に来たその日の夜。私はこっそり自室を抜け出し、リアラの部屋にやって来た。


 穏やかな寝顔を見せる、幼い女の子。


 けれどそれは一瞬のことで、すぐに苦しげな咳を繰り返していた。


「……大丈夫、あなたの病気は、私が治してあげる」


 私が吸血鬼として持つ力……血液魔法は、血を操り、血を媒体にしてあらゆる効果をもたらす魔法だ。


 これを使えば、リアラの体を流れる血に“治癒”の力を持たせつつ特定部位に集中させ、弱った肺を癒すことだってお手の物。


 わざわざこの時間帯を選び、誰にも告げずにここへ来たのは、この力をまだ誰にも知られたくなかったからだ。


 ……“一度目”の時は、血を操る魔法なんて悪魔しか使わないって、益々周囲から嫌悪される原因になった力だし。


「ちょっとチクッとするね」


 布団の中から引っ張り出したリアラの手首を、爪の先で浅く傷付け血を流す。


 そして、同じように私の親指の先も傷付けて血を流し、傷口同士を重ね合わせた。


「血液魔法──《紅血の祝福ブラッディギフト》」


 僅かに混ぜ込んだ私の血がリアラの体を巡り、全身の血を活性化。肺の機能を癒していく。


 すると徐々に、苦しげだったリアラの顔に血色が戻り、呼吸も落ち着いてきた。


「……良かった、これで……」


 大丈夫、と言おうとして。


 その瞬間、私は猛烈な“渇き”を覚え、その場に蹲った。


「うぐっ、うっ、うぅ……!?」


 視界が真っ赤に染まる。


 爪が伸び、犬歯が伸び、目の前にある幼い体……その腕から流れる血が、極上のエサに見える。


 おかしい、一度目の時は、こんなに早くから吸血衝動に襲われることなんてなかったのに……!!


「血液魔法を、使った、せい……!?」


 私が初めてこの魔法を使ったのは、十二歳の時だった。

 寂しさを紛らわせるために拾った野良の子猫をお世話している最中、大きな鳥に襲われその子が死にかけて……どうしても救いたい一心で覚醒させた力なんだけど、あの時でさえ相当に疲労感が押し寄せて来たのを覚えてる。


 六歳のこの体で使うのは、無理があったのか……!!


「くっ……!!」


 私は急いで、常に懐に仕舞い込んでいた鶏の血が入った小瓶を取り出し、コルクを抜く。


 そのまま、中身を全て勢いよく飲んでいって……何とか衝動が落ち着いたところで、崩れ落ちた。


「ぜえ、ぜえ、ぜえ……!!」


 まさか、血液魔法にこんな副作用があるなんて。


 一度目の時もそうだったけど、これからはもっと気を付けて使わないと……。


 そんな風に思いながら、私は内なる血への欲求を押さえ付けて、リアラの手首の傷口を止血した。


「はあ……何してるんだろう、私……」


 ミーミアに恩を着せて血を貰おうと思ってたのに、情に流されてそれすら出来ずに。


 リアラを助けるために魔法を使って、むしろ状況を悪化させた。


 このままじゃ、十年と持たず吸血衝動に抗えなくなるかもしれない。

 治療したことに後悔はないけど、もう少し上手いやり方はなかったのか……。


「……レトメア様?」


「……え?」


 そんな風に、あれこれと悩んでいたからだろう。私は、いつの間にか部屋の入口に、ミーミアが立っていることに気付かなかった。


「今、リアラに何を……? それに、その御姿と、飲まれていた瓶の中身は……」


「ミーミア……これは、その……」


 何とか言い訳しようと思うんだけど、何も思い付かない。


 何せ、今の私は衝動を抑え込んだ直後なこともあって、吸血鬼そのままの見た目なのだ。


 比喩でも噂でもない、正真正銘の化け物。


 そんな私が何を言っても、信じて貰えないんじゃ──そう恐怖する私の前に、ミーミアは膝をつき、優しい表情で手を差し伸べて来た。


「落ち着いてください。まずは、部屋に戻りましょう? 何か、温かい飲み物を用意致しますね」


「あ……うん……」


 最後まで、私は何も言えないまま……ミーミアに手を引かれ、私は自分に宛てがわれた部屋へと戻るのだった。

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