第5話 ミーミアの帰省

 色々と予想外のトラブルはあったけど、何とか鶏の血を吸うことが出来た。


 出入り自由になった厨房から瓶を貰って、余った血を保存することも出来たし……これで、何かの拍子に吸血衝動に襲われても、その場は凌げる。


「でも……人の血じゃないと、根本的な解決にはならないのよね……」


 はあ、と溜息を溢しながら、私は自分の部屋でゴロゴロする。


 私の吸血衝動は、人の血を吸いたいっていう欲求の暴走だ。


 獣の血を飲めば多少誤魔化せると言っても、結局それは人の血じゃないから、本当に一時的な痛み止めみたいな効果しかない。

 私が安全な存在だって示すためには、人の血は絶対に必要だ。


「私の秘密を守ってくれて、私に血を提供するのに抵抗がない、私が気軽に会える人……」


 ……いるわけない。生粋の引きこもりぼっちにして、嫌われるどころか人によっては憎まれてすらいる化け物王女よ、私。


 いや、一人……候補がいないことはないんだけど……。


「レトメア様、昼食の用意が出来ましたよ」


「ありがとう、ミーミア」


 噂をすれば、というかなんというか……私にとって、ほぼ唯一と言っていい気軽に会える人物の登場に、私は曖昧な笑みを浮かべる。


 そんな私の複雑な心境に気付くことなく、ミーミアはるんるんとやけに楽しげな様子で小さなテーブルに料理を並べていく。


「随分とご機嫌ね、何かあった?」


「はい! 料理長が、これまでのお詫びにって手ずから昼食を用意してくださったんですよ、これはすごい進歩です!」


「……そうなんだ」


 ミーミアにやらせないで、ちゃんと私の分も作ってくれた……はいいけど、まさか料理長自らとはね。


 食中毒未遂の件に関して、お詫びと口止め料ってところかしら? そこまでしなくても良かったんだけど。


「これで、今までよりもレトメア様のお世話をしっかりして差し上げられます」


「……私なんかより、妹さんのこと心配しなさいよ。病気なんでしょう?」


「えっ……」


 どうしてそれを? とミーミアが目を丸くした。


 ……そう、ミーミアには、病気がちな妹がいる。

 そんな妹の治療費を稼ぐために、ミーミアは私の専属になったんだ。


 誰もやりたがらない分、給料は良かったらしいから。


 でも……そんなミーミアの妹も、三年後には病状が悪化して命を落としてしまう。


 私がミーミアの事情を知ったのは、その時が初めてだ。


「噂に聞いたの。私のお世話のために、ミーミアは病気の妹のところに帰ることも出来ないって」


「それはその……」


 否定も出来ないのか、ミーミアが視線を彷徨わせている。


 ……少し困らせちゃったかな。


「私のことなら気にしなくていいから、あなたはあなたの家族を大事にして」


「も、もちろん妹や家族のことは大事です! でも私は、レトメア様のことだってとても大事に思っています!」


「ありがとう、ミーミア。その言葉だけで嬉しい」


「レトメア様……」


 一転して悲しげな表情を見せるミーミアに、私の胸が痛む。

 ……分かってる、ミーミアが私を、最後の時まで大事にしてくれていたのは。


 でも私は、そんなミーミアの優しさを最悪の形で裏切って……今もまた、自分のために利用しようとしてる。


 そんな自分が、この上なく嫌だ。


「だから、こういうのはどう? 私が、いつもお世話になってるミーミアの家族に、お礼に行くっていうのは」


「えっ……レトメア様が、私の実家に来るってことですか!?」


「ええ。そうすれば、あなたは変わらず仕事しながら、妹さんの顔も見に行けるでしょ?」


 本当なら、王族が気軽に城下へ出掛けるなんて難しい。


 でも、私は根本的にいつ消えても構わない化け物王女だ。護衛をぞろぞろと引き連れる必要はないし……お母様への謁見よりは、許可も降りやすいんじゃないだろうか。


「それはありがたいのですけど、私、そういったことは初めてで……どういった手続きを踏めばいいか……」


「大丈夫、そこは任せて」


 ミーミアだってまだ子供だ、私みたいな例外がどういう手続きを踏めばいいか、分からないだろう。


 でも、大丈夫。こういう時に誰を頼ればいいか、私は分かってるから。


「考えがあるの」





 私がやって来たのは、王宮の裏庭、練兵場だ。


 化け物として生まれた私が自由に動ける範囲はあまり広くないけど、ここは来てもいいことになってる。


 ここなら、もし何かあってもすぐ近くに騎士がいるから、即座に斬り捨てられる──そんな理由で、私の活動範囲を少しでも広くしようと奮闘してくれた“誰か”のお陰だ。


 ……その“誰か”は、最後まで……本当に“最期”まで名乗り出てくれなかったけど。


「そこの騎士さん、ちょっといい?」


「はっ……これは、レトメア姫殿下!?」


 近くにいた騎士に声をかけると、一瞬にしてその場がざわりと騒がしくなる。


 来てもいい場所にはなってるけど、だからって進んで来たい場所でもなかったから、当然の反応よね。


 何せ……ここには、私の天敵がいるから。


「近衛騎士団長を呼んで欲しいの、もしいるなら……」


「私をお呼びですか? 姫殿下」


 その声を聞いただけで、あるはずのない胸の痛みがぶり返したような気がした。


 振り返った先にいたのは、冷たい眼差しで私を睨む一人の偉丈夫。


 他の騎士とは一線を画す存在感を放ち、その威圧に負けないほど数多の死線を潜り抜けてきた歴戦の騎士。


 “一度目”で私を殺した、お母様の右腕。

 近衛騎士団長、ルーベルだ。


「ええ。今日はあなたにお願いがあって来たの」


「なんでしょうか。私も暇ではないのですが」


「城下に降りたいから、私の護衛になって欲しいの」


「はあ? 話を聞いていましたか姫殿下。私はそこまで暇ではありません」


 王族相手にとことん無礼な物言いだけど、この人はこれが普通だ。


 この王宮の中でも、料理長のダルタン以上にお母様を信奉し、だからこそ誰よりも強く私を憎んでいる男。


 だからこそ、頼める。


「あなたなら、たった一人でも王族としての面子は立つでしょう? それに……」


 声を潜め、目の前にいるルーベルだけに聞こえるように、呟く。


「……あなた一人なら、いざという時躊躇なく私を殺せる。違う?」


「…………」


 ルーベルは、本当なら今すぐにでも私を殺したいはず。

 そうしないのは、お母様がそれを望んでないから。そして、私自身がまだ致命的なやらかしをしていないからだ。


 私が罪を犯しそうになった時、それを止めるためだという大義名分で私を斬り殺せる権利。あなたなら、逃すはずないわよね?


「それに……これはミーミア、私のメイドのためなの。私のお世話で忙殺されて、あの子は病気がちな自分の妹のお見舞いにすら行けてない。私に同行するっていう形なら、あの子の給料を下げなくても帰省させてあげられる。だから、お願い」


 最後に、私を殺したいなんて口にも出せない理由ではなく、表向き私に協力しても後ろ指を刺されにくい理由を提供する。


 これでダメなら、また一から方法を考え直さないといけない。

 祈るような気持ちで答えを待つ私に、ルーベルは溜め息を溢した。


「はあ……分かりましたよ、私の方から王妃様に提案しておきます」


「ありがとう、団長」


「勘違いしないでくださいよ。これはあなたのためではなく、あなたの犠牲になっているメイドと……王妃様のためです」


「うん、分かってる。それでも、ありがとう」


 私が頭を下げると、ルーベルは困ったように目を逸らし、そのまま背を向けて歩き去っていく。


 ……そう、私は嘘は吐いていない。


 ミーミアのために帰省させてあげたいと思ってるのは事実だし、そこでしようと思っていることも、決して悪いことじゃない。


 ミーミアの妹は生まれつき肺が弱い。それを、私の吸血鬼としての力……“血液魔法”で治療するというのが、私の目的。


 そして、妹の治療っていう恩を楯に……ミーミアに、少しだけ血を吸わせて貰うんだ。


「妹の命を対価に、血を寄越せだなんて……我ながら、本当に化け物みたいな発想ね……」


 それしかないと分かっていても、こんなことしなきゃならない自分が本当に嫌になる。


 そんな嫌悪感を胸に抱きながら、私は練兵場を後にするのだった。

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