第3話 食中毒事件

 厨房の中から、何事かを言い争う声が聞こえてくる。


 ふざけるなとか、神聖な厨房に誰が穢らわしい化け物など入れるかとか、俺たちの仕事を馬鹿にしているのかとか、何だか聞くだけでげんなりしてくる単語が飛んでくるけど、努めて聞こえないフリをする。


 こんなことで怒ってたら、私の評判が悪くなるだけだ。


 そんな風に耐えていたら、やがて騒がしい声が収まって、トボトボと覇気のない顔をしたミーミアが外に出てくる。


「すみません……レトメア様が厨房に足を踏み入れるのは絶対に許さないと、料理長が……」


「大丈夫よ、分かってたことだから。それより、鶏は貰えた?」


「はい、レトメア様の昼食用に一羽、何とか確保しました!」


 嬉しそうに掲げられたのは、元気に暴れる一羽の鶏。


 ……足を掴んでるから逃げられないのはそうでしょうけど、羽で散らかるから中で締めといた方が……いえ、まあ、ミーミアがいいならいいのだけど。


「ですが、本当に血抜き出来るのですか? たくさんの血を見たらびっくりしてしまうのでは」


「大丈夫よ、血を見るのは初めてじゃないから」


「え……?」


 あっ、しまった。私が大量の血を見たのは時間が巻き戻る前だから、このタイミングでは血なんてほとんど見たことない。


 どうやって誤魔化そう、と思っていると、ミーミアは私をそっと抱き締めた。


「レトメア様……何かありましたら、私に遠慮なくお申し付けください。私では頼りないかもしれませんが、精一杯力になりますので」


「……? うん、ありがとう」


 何を勘違いされてるのか分からないけど、物凄く同情されているってことだけは分かる。


 でも、この頃のミーミアには避けられてた記憶しかないし……まだ何をしたっていうわけでもないのに、どうしてこんなに?


「それと、ミーミア。私としても抱き締められるのは嫌いじゃないんだけど……鶏が背中で暴れて、痛いの」


「あっ!? ご、ごめんなさいレトメア様!!」


 大慌てで離れ、ついでに鶏へ怒りの抗議(口だけ)をするミーミアを見て、思わず笑ってしまう。


 私でも、まだ笑えるんだ。

 久しぶりに自然と出た笑顔に、我ながらそんなことを思っていると、ミーミアはなぜか目を丸くしていた。


「……? どうしたの?」


「あ、いえ! その、レトメア様は笑った顔も可愛らしいなぁと思っただけです」


「可愛い……?」


 そんなこと、今まで一度だって言われたことない。

 精一杯愛想良くしてみても、何をしても……向けられるのはいつだって、侮蔑と嫌悪の眼差しばかりだったから。


 でも……嬉しい。


「ありがとう、ミーミア。それじゃあ、私は血抜きをしておくから、後のことはよろしくね」


「はい! ……って、レトメア様、本当にお一人でやるつもりですか!? やはり最初は私が一緒に……って、速!?」


 ミーミアに何か言われるより早く、ひったくるように鶏を奪った私は全速力でその場から逃げ出す。


 ごめんね、ミーミアのことは信用してるけど……それでも、私が生き血を啜ってるところなんて見せたくない。


 そんなところを見せたら、いくら私が無害さをアピールしようとしても、きっと誰もが恐怖するはず。

 それくらいの常識は、私にもある。


「ふう、さて、ここなら大丈夫かしら」


 ぐるっと回ってやって来たのは、厨房の裏手にある、屠殺用にいくつか設けられた小屋の一つ。


 そこでは、お父様やお母様の昼食用にと用意されているのだろう、大きな豚が既に吊り下げられ、今まさに血抜きされている真っ最中だった。


「もったいない……」


 これだけの血があれば、末期の私でも丸一日は吸血衝動から解放されたのに。


 溜息を溢しながら、私もさっさと鶏の血抜き、もとい吸血を行おうとして……ふと気付く。


 吊り下げられた豚の体に、蝿が集っているのだ。


「…………」


 これ……ここに吊るされてから、どれだけ時間が経ってるの?


 魔法を使わない昔ながらの方法だと、血抜きには丸一晩かかる。

 でも、だからってあまりにも長時間放置すれば、当然ながら肉は腐るはず。


 そもそも……相当に時間が経っていそうなのに、豚の体から血の匂いが消えてない。まだ、残ってる。


 こんなものがどうして……ん? 腐った肉? それって……。


「思い出した……十年前にあった、王宮の食中毒事件……!」


 ほとんど忘れかけていたけど、ちょうどこの時期に、王宮でお父様やお母様、第一王妃や、私以外の王子に王女。そんな高貴な面々が、食事の直後に倒れる大事件があった。


 すわ毒殺か呪いかと大騒ぎになり、調査されて……食材管理の甘さが招いた事故ということで、当時の料理長が罰せられ、打ち首になったと聞いた気がする。


「そっか……あの料理長が、処刑されて……」


 ついさっき、ミーミアと言い争っていた男の言葉を思い出す。


 私を化け物呼ばわりして、厨房には絶対に足を踏み入れさせないと豪語していた男だ。ぶっちゃけ、助ける理由なんてないんだけど……。


「ええと、第三第三、ここか……!」


「早く運び出すぞ、遅れたら……ってうわっ、化け物王女!? なんでここに!?」


「バカッ、声がデカイ!」


 私が一人で考え込んでいると、出会い頭から既に王族への敬意の欠けらも無い、失礼な男達が二人入ってきた。


 彼らは私を見てビビりながらも、やるべきことを思い出したかのように肉に群がる。


「邪魔です、どいてください。俺達仕事なので」


「早くコイツの処理をしないと、昼食に間に合わないんですよ……!」


「それ、持ってったらダメよ。腐ってるから」


 慌てる男達の前に、私は立ち塞がる。


 彼らは苛立ちを隠そうともせずに、それでも一応は礼儀を払わないといけない相手だと思い出したのか、強い語気で語り出した。


「姫様のような素人には分からないでしょうがね、肉ってのは腐りかけが一番美味いんですよ」


「ちゃんと調理してやったのを見れば、姫様も納得するでしょう。ほら、どいてください」


「その素人でも分かるくらい腐ってるから言ってるの! 血抜きすらちゃんと出来てないし、虫まで集ってるような肉をお母様に出すつもり!?」


 正直、料理長のことは好きでもないし、むしろ嫌いだ。

 私を差別して、自分の職務すら放棄してミーミアに食事の用意を押し付けるくそったれなんて、誰が好き好んで助けるか。


 でも、この料理はお母様のために出される料理だ。


 腐った肉なんて、毒と変わらない。いくら助かると分かっていても、そんなものがお母様に食べさせられるのを、黙って見ていることなんて出来ないよ。


「このっ……!!」


「陛下にも、第二王妃様からも見捨てられた忌み子の癖に、調子に乗りやがって……!!」


「…………」


 見捨てられた忌み子、か。


 確かに私も、ずっとそう思ってた。もし“一度目”の時にこんな風に言われてたら、泣きながら逃げ帰るか……癇癪を起こして、二人を傷付けていたかもしれない。


 でも、今の私は、そうじゃないと知ってる。


 殺される直前に聞かされた、お母様の本音。あれが本心なんだって、私は信じたい。


 だから……こんなバカ共の言葉で、惑わされたりなんてしない!!


「「っ…………」」


 私が不退転の覚悟で睨み付けると、二人は恐れを抱いたかのように後退る。


 すると、この場に新たな登場人物が現れた。


「何の騒ぎだ」


「っ、これは、料理長!!」


「その、俺達は食材を取りに来たんですが、王女殿下に邪魔されまして……肉が腐ってるとかなんとか、言い掛かりを……」


「殿下に?」


 料理長は私を見て、一瞬だけ不快そうな表情を浮かべる。


 けれど、チラリと肉の方を見た瞬間、傍にいた二人の男達を殴り飛ばしていた。


「馬鹿野郎!! 殿下の言う通り、どこからどう見ても腐っているだろうが!! この程度も見分けられんとは、貴様ら王族にお出しする料理を作っている自覚はあるのか!?」


「す、すみません、料理長!!」


「じ、時間がなくて、急いでいたもので……」


「言い訳はきかん!! 今の貴様らに調理場へ立ち入る資格はない、下働きからやり直せ!! ……何をチンタラしている、さっさと行け!!」


「「は、はい……!!」」


 男達が、今にも泣きそうな顔で走り去っていく。


 そんな彼らを見送った後、料理長は私の方に向き直り……その場に膝を突き、頭を下げた。


「うちのスタッフが、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。あの二人に替わり、私が如何様な罰も受けましょう」


「いえ……何事もなく終わったのですから、それに越したことはありません」


 実際、これが大事になったところで、私には何のメリットもない。

 “一度目”の時ですら、「あの厳格な料理長が食中毒なんて、呪いの力でも働いてるんじゃ?」と無理やり私とこじつける人間もいたんだ。

 こんな風に、私が解決したなんて知られたら、きっと前回以上に私を真犯人だと決め付ける噂が流れるだろう。


 それは、普通に嫌だ。


「ですが……代わりといっては何ですが、これからも私に、ミーミアの調理を手伝わせて頂けますか?


「……もちろんです。レトメア殿下のためでしたら、我ら料理人一同、いつでも心より歓迎いたします」


 ミーミアの負担も少しは考えろ、と釘を刺したら、料理長は更に深く頭を下げた。


 これで、ミーミアの負担も少しは軽くなるといいな。

 それに、私も血が欲しくなったら、いつでも血抜きの手伝いと称してここに来れる。


 そう思っていたら、料理長は一度顔を上げ、思わぬ言葉を口にした。


「姫殿下。どうやら私は、貴女様のことを誤解していたようです。お許しください」


「……許すも、許さないもありませんよ」


 料理長からの謝罪に、私はそう答える。

 何せ……。


「私は、化け物ですから」


 お母様は、それでも愛してると言ってくれた。


 だけど、私は紛れもない化け物で、化け物なりに人の暮らしに溶け込む努力が必要なんだ。


 自分を戒めるように、私はそう呟くのだった。

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