第2話 愛してるって言いたい

「レトメア様……お目覚めでしょうか……?」


 突然のタイムスリップに混乱している私の部屋に、恐る恐るといった様子で一人のメイドが入ってくる。


 ブラウンの髪を短めに切った、まだ十二歳の幼いメイド……ミーミア。


 本来なら見習いとして修行してるはずの身分なのに、私の世話を誰もやりたがらなかったために、とある理由もあって無理やり専属を押し付けられた、可哀想な子だ。


「起きてるわ。そんなに怯えなくていいから、こっちに来て」


「し、失礼します!」


 カチコチに緊張しているけど、それも無理はないと思う。


 何せ、この子が相手をしているのは化け物の吸血鬼だ。

 この頃はまだ、人の生き血を吸うことはバレてなかったはずだけど、それでも異様な怪力と魔力を持って生まれた忌み子の世話なんて、ミーミアだってやりたくなかったはず。


 ……だからこそ。


「えっ!? レ、レトメア様!?」


 今のうちに、ちゃんと伝えておきたかった。私の気持ちを。


 そう思い、私はミーミアに抱き着いた。


「ミーミア……今までずっと、たくさん迷惑かけてごめんなさい……」


 ミーミアが私に仕えてくれたのは、五歳の時から十一年間だった。


 その間、私はこの子に数え切れないくらいたくさんの迷惑をかけている。


 お母様に合わせろと駄々を捏ねるのは当たり前。

 勉強を拒否して逃げ回ったり、癇癪を起こして物を壊したり、酷い時は怪我だってさせた。


 それなのに……それなのにこの子は、最後の最後まで私の傍を離れなかったんだ。


 ただ、傍にいてくれただけ。

 その関係は決して良好とは言えなかったけど……それが私みたいな存在にとって、どれほど得難くて貴重な繋がりだったか、今なら分かる。


 だから。


「傍にいてくれて……ありがとう……」


 ミーミアの腰にしがみついたまま、万感の想いを込めてその言葉を贈った。


 この子がいなかったら、私は十六歳になるまで耐えることすら出来ずに、とっくに壊れて討伐されていたはずだから。


「……怖い夢でも、見たんですか?」


「ぐすっ……そうね、本当に……怖い夢を……」


 まさか一度殺されたところから時を遡ったなんて言えるはずもなく、ミーミアの言葉を借りて適当に誤魔化す。


 そんな私を、ミーミアは困惑しながらも恐る恐る抱き返してくれた。


「……大丈夫ですよ、悪い夢はもう終わりましたから。元気を出してください」


「……うん……」


 ミーミアの手でそっと撫でられた頭が心地好い。


 ずっとこのままでいたいとすら思ってしまうけど、この甘い夢にいつまでも浸っているわけにはいかないよね。


 こうしてただ、ミーミアの優しさに甘えているだけじゃ、また十年後には殺されてしまうだろうから。


「さあレトメア様、早くお着替えして、朝食にいたしましょう」


「うん、お願い」


 私はもう、殺されたくないし、誰も殺したくない。

 そしてもう一度、お母様に会いたい。


 あんな……死の間際に、別れの言葉として言われるんじゃなくて、ちゃんと二人で生きて、普通の親子として対面しながら、“愛してる”って言われたい。


 そして……今度こそ、私からも贈り返すんだ。


 “私も愛してる”って。


 その想いを胸に、私はミーミアへ身を預けるのだった。






 ミーミアに手伝って貰ってパジャマから着替え、ミーミアの用意した朝食を口に運びながら、私は思う。


 ……健康って素晴らしい。


「十年後は、ほとんど一日中吸血衝動と戦ってたからね……」


「レトメア様、何か言いましたか?」


「ううん、なんでもない」


 ミーミアの問いかけを誤魔化しながら、私はしみじみと今ある自由を満喫する。


 私の体は、吸血鬼らしく人の生き血を欲している。


 人の食事みたいに毎日摂取しなきゃいけないわけじゃないけど、摂らなければ摂らないほどにそれを求める本能が強くなって、最終的には目に映る全ての人間が自分の餌にしか見なくなってしまうの。


 これを意思の力だけで抑え込むのは不可能だって、“一度目”の人生で嫌というほど味わった。


 吸血衝動を抑えきれずに暴走してしまうのが、私の討伐を決定付けた一番の要因だろうから、まずはこれをどうにかしないと。


 つまり……飲んでも構わない血を手に入れる必要がある。


「獣の血でも、多少は代用が利くけど……それですら私には用意が難しい……」


 ここは王宮のど真ん中、当然ながら野生の獣なんて一匹たりとも居やしない。


 どうすれば、と思いながら朝食の肉を齧ると、ふと妙な味を感じた。


「あら、これは……?」


「す、すみませんレトメア様! 下拵えに少々失敗しまして……もしかすると、血抜きが充分でなかったのかも……腐ってはいないはずですが……」


「大丈夫よ、これくらい」


「……えっ?」


 すみませんすみませんと、何度も謝るミーミアに、私は構わないと手で制する。


 何だか物凄く意外そうな顔をされたけど……まあ、それも仕方ないか。

 六歳の頃の私は、食事が少しでも気に入らなければすぐに癇癪を起こしていたし。


 ……まあ、今回のこれは、正直美味しかったんだけども。


「それより、ミーミア。私の食事はあなたが作っているの? 料理人は?」


「ええと、その……これも、私のメイド修行の一環といいますか……」


 ミーミアの下手な誤魔化しだけで、ああ、と大体の事情を察してしまう。


 要するに、王宮の料理人達は、私みたいな化け物のために振るう腕はないと、作るのを拒否しているんだろう。だから代わりに、ミーミアが慣れない料理に悪戦苦闘している、と。


 ……ほんの数年で血以外の味が分からなくなるくらい吸血衝動が強くなっていくせいで、日々の食事の質なんて気にしたことなかったし、気付かなかったわ。


 でも、それなら都合が良いかもしれない。


「ミーミアは血抜きが苦手なのね」


「は、はい……どうにも生き物を殺すのに抵抗がありまして……申し訳ありません」


「気にしないで。それより……そういうことなら、血抜きは私にやらせて貰えないかしら?」


「へ?」


 肉料理は、鮮度を保つために生きた家畜を直接持ち込み、料理人達がその手で締めて調理する。


 一応、肉の鮮度を保つための冷蔵魔道具? とかいうのが開発されているはずだけど、まだ一般流通まではしていないから、未だにこの方法が一般的だ。


 つまり、厨房にいけばそこにいるのだ。


 生きた獣……屠殺間近の家畜の血が。


 一度目の時は無断で忍び込んで血を吸ったりもしてたから、堂々と手に入る口実が出来るのは助かるわ。


「そんな、レトメア様の手を煩わせるわけには……!」


「何か言われたら、また私の我儘だって言ってくれればいいから」


 そうは言っても、とミーミアは渋る。


 まあ……当然だよね。

 いくら私の我儘だと主張したところで、そういう主人の暴走を諌めてこその専属メイドだって叱られるでしょうから。


 でも、こればっかりは何としてもやらなきゃいけないことだ。


 私はもう……あなたを無理やり襲ったりしたくないの。


「お願い、私も……少しは役に立ちたい」


 それにこれは、私の吸血衝動を抑えるための行動であると同時に、大事な一歩でもある。


 “一度目”の時は、ただ王宮の片隅でじっとしながら、お母様に会いたいと駄々を捏ねるだけだったけど……それじゃあ、ダメだ。

 得体の知れない化け物が、王妃であるお母様と謁見出来る日なんて……たとえ暴走がなかったとしても一生来ない。


 だから私は、示さなきゃならないんだ。


 私は、化け物は化け物でも……だってことを。


「……分かりました、ちょっとだけですよ?」


「うん、ありがとうミーミア」


 そんな私の思いが通じたのか、ミーミアが承諾してくれた。


 これでよし、と思いながら……私はふと、記憶に僅かな引っ掛かりを覚える。


「血抜き不足……家畜……変な味……」


「レトメア様、どうかしました?」


「あ、ううん、何でもない」


 何か重大なことがあった気がするけど、それが何だったか思い出せない。


 十年も前のことだし、仕方ないといえば仕方ないんだけど……。


「うーん……」


 喉の奥に魚の骨が刺さったみたいな不快感を抱いたまま、私はひとまず行動を起こすべく、ミーミアと共に厨房へと向かうのだった。

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