井下さんですか

ツヨシ

第1話

「井下さんですか?」

ある日、電話がかかってきた。

見知らぬ女から。

でも俺は井下と言う名前ではない。

井下とはまるで違う名前だ。

「違います。あなた、番号間違えてますね」

「いや、井下さんでしょう」

「違いますって」

「いや井下さんでしょう。嘘言っても、私には通じませんよ」

女はゆずらない。

しばらく問答した後、電話はきれた。


「井下さんですか?」

次の日もまたかかってきた。

同じ女から。

「違います」

「いやいや井下さんでしょう。またあ」

「違いますって」

しばしの言い合いの後、電話は切られた。


「井下さんですか?」

その次の日もかかってきた。

同じ女だ。

そしてその次の日も、そのまた次の日も。

さらにその次の日も。

内容は同じだ。

女は俺を井下だと言い張っている。

それだけの電話。

要件もなに一つない。

もういい加減にしてくれ。

俺は怒鳴った。

「しつこいぞ。何度言ったらわかる。おまえ、頭おかしいのか。俺は井下なんかじゃない!」

電話口で女がかん高い声で笑った。

「そんな、ごまかしても駄目ですよ。あなた井下さんでしょう」

俺はもうどうでもよくなった。

とてつもなく面倒くさい。

「ああ、わかったわかった。そうだよ。俺は井下だよ。い・の・し・た!」

女がまたケタケタ笑う。

「やったあ。やっと認めた。それじゃあ、あなたは今から井下さんね」

電話が切られた。

いったいなんだったんだ、あいつは。


次の日、会社に行くと受付の女の子に言われた。

「おはようございます、井下さん」

――!

そして先輩にも。

「おはよう井下」

気づけば俺のネームプレートは井下になっており、ためしに見た免許書も、名前が井下となっていた。

あの女の言う通り、俺はあのときから井下になっていたのだ。



       終

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

井下さんですか ツヨシ @kunkunkonkon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ