桐子
惣山沙樹
桐子
美しいものしか見たくないの、と
桐子とは大学のサークルで知り合った。バドミントンなんてほんのオマケ、いわゆる飲みサーだったそこに、いつも煙たげな顔で参加している彼女のことを、あたしは不思議に思ったものだ。なぜこんなに綺麗な人が、こんなに下らないサークルに居るのだろうと。
その理由は桐子の部屋に呼ばれてやっとわかった。彼女は「女あさり」をしていたのだ。あたしは元々そっちの趣味はなかったけれど、酔った勢いで服を剥がされ、教えられた。水底から足をひっぱられて、引きずり込まれるように、あたしは彼女に溺れた。
「
桐子の部屋のベランダで、二人してタバコを吸いながら、彼女はそんなことを言った。
「無理だよ。今だって、細胞が次々と生まれ変わってる。不変なものなんてないんだよ」
「わたしは本質的なことを言っているの。葉月はそのまま、無垢なままでいて」
どこが無垢なんだか。散々あたしの身体を弄んでおいて。あたしは男の身体を知らないけれど、そういうことなのか。いや、違うな。あたしは灰皿代わりにしているコーヒーの缶に吸い殻を落とした。
傷は痕が残るようなものではない。少し血がにじむだけ。それでも鈍い痛みを伴う。最初にやられた時は殺されるかと思った。それくらい鬼気迫る表情だったのである。
しかしあたしは桐子のことが嫌いになれなかった。新しい快楽を教えてくれたというのもあるが、隣に連れて歩くのが自慢だった。うちの大学は広いが、それでもここまでの美人はなかなかお目にかかれない。すれ違う人々が彼女の顔や身体つきや所作に見惚れているのを感じ、こちらまで優越感があったのだ。
「葉月、ご飯食べに行く?」
「そうしよう。ラーメンがいい」
「また?」
「だってあそこの美味しいじゃない」
カウンター席しかない小さな店。男性客の間にちょうど良く空いた二つの席に腰かけると、桐子に視線が降り注ぐのがわかった。あたしたちは塩ラーメンを注文した。
「人間は産まれたときは自分と他人を区別できないんだって」
ラーメンが来るまでの間、桐子はまたややこしいことを言い始めた。
「触って、舐めて、感じて、これは自分ではない、他の誰かだ、って確認するの」
「ふぅん」
あたしはスマホを取り出して、ゲームで飼っている羊にエサをやった。桐子は構わず続けた。
「わたしが葉月にしているのも、そういうこと。わたしはまだ、自分と他人の区別がついていないの」
「赤ちゃんかよ」
塩ラーメンが届いた。噛みごたえのある分厚いチャーシューがいい。モヤシとの相性も最高。桐子の存在を忘れて夢中ですすった。食べ終わって店を出てから桐子が聞いてきた。
「今夜も泊まる?」
「ううん、そろそろ帰る。もう三日帰ってないもん。親からも小言がきてる」
「そっか」
桐子は駅まで送ってくれて、いつも通りにまたねと言って別れたのだけど、それから連絡が途絶え、彼女は大学に来なくなってしまった。
家に押し掛けてインターホンを押した。反応はなかった。毎日行ってみたがまるで無駄。とうとう空き家になってしまい、あたしは途方に暮れたのだけど、始まった就活と卒論の忙しさで次第に彼女のことを忘れた。
それからあたしは新卒で入社した会社の先輩と結婚して出産した。女の子だった。わが子があたしの乳首に吸い付くのを見て、桐子の言ったことを思い出していた。
「人間は産まれたときは自分と他人を区別できないんだって」
この子もまだそうなのだろう。あたしを母親として認識していない。この子はどう育つのか。それはあたし次第なのか、それとも。
桐子はあたしにとって何だったんだろう。今となっては彼女が本当に存在していたのかさえも怪しい。あの痛みさえもう思い出すこともできず、また、歳を重ねる。
桐子 惣山沙樹 @saki-souyama
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