第22話 私たちの作戦

「うわぁ!」

「ワタグモさん、お願いしますわ!」


 ワタグモのネットで衝撃を防ぎ、身構える。

 土ぼこり越しに見えるのは、巨大なシルエット。

 作戦は始まったんだ。


「――ハクロさん」


 震える声で名前を呼ぶ。

 土ぼこりが吹き飛ばされ、龍の姿のハクロさんが姿を現した。


「ここまで来れたなんてすごいな。感心したよ」

 

 「すごい」なんて言ったけれど、声はひどく冷たい。

 むしろ怒っているように聞こえる。


「再会できたんだ、よかったね? 君たちがここで終わるのが残念だけど」

「……邪神ハクロ。あなた、目的は『歌術を消し去ること』と話していましたが、その理由は?」


 声は落ち着いているが、オトの手は震えている。

 繋いだ手を優しく握ると、震えは小さくなった。


「理由? そんなの簡単だ――人間の文化を織り交ぜた歌術が目障りだから」


 思い出すのは、たっちゃんを攫った天狗の言葉。

 私たち歌術使いのことを「妖術の在り方を汚す愚か者」だと言っていた。


「和歌って、思ったことを綴っているだろ? 人間の感情なんて、泡のように儚い一時のもの。そんなものを、人ならざる側に持ち込まれるなんて虫唾が走る。それだけだ」

「だから、歌術の里を――」


 話が進むにつれて、空気がぴりぴりとする。

 さっきと同じ。もうすぐ、攻撃してくるんだ。


「で、もういい? おしゃべりする気分じゃないんだ」


 ぴりぴりとした感覚が、静電気のような痛みに変わったその時。

 ハクロさんが突進してきた。


「いきますわよ、コトハ! 〈夜をこめて 鳥の空音は はかるとも〉」


 すかさずオトが歌札を取り出して詠む。


「〈よに逢坂の 関はゆるさじ〉!」


 巨大な門がハクロさんと私たちの間に現れ、食い止める。

 枕草子で有名な清少納言が詠んだ、〈夜をこめて〉。

 簡単な意味は「夜明け前に鳥になりすましても、私とあなたの間にある逢坂の関は通ることを許さないでしょう」。

 この和歌で現れたのはその「逢坂の関」という関所の門が、何倍にも大きくなったもの。

 見事に突進を防げたけど、安心する暇はない。

 ハクロさんは門を離れぐるりと方向を変えた。

 また来る!


「オト――跳ぶよ!」

「ええ!」


 足が一瞬で暖まると、大きくジャンプ!

 体はあり得ないくらいに高く上がる。

 そう、これは買い物の時にオトが使っていた、身体強化の術。

 これのおかげで、こんなに高く跳べるんだ。

 さっきまでいた場所にハクロさんが突っ込む。

 

「じ、地面がえぐれてる!」

「ぞっとしますわね……」


 地面の悲惨な有り様に驚いていると……巨大な瞳と目が合った。

 咆哮をあげると巨体は上へ、私たちを追いかけてくる。

 作戦で次にすることは……この距離だと厳しいかも。それにタイミングもよくない。

 ハクロさんには一旦戻ってもらわなきゃ。

 オトも同じ考えのようで、次の和歌は――


「〈めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに〉!」


 紫式部が、再会できた友人との早い別れを嘆いた和歌。

 これの下の句を!


「〈雲がくれにし 夜半の月かな〉!」


 詠み終わるころには、私たちは地面へと吸い寄せられていく。

 龍の顔が近づき、足をすくわれそうになったその時。

 歌札が光り、辺りを包み込んだ。


「な――」


 光が消えると、巨体はえぐれた地面に戻っていた。

 ……歌術を使えるのは、あと1回。

 視界がぐらりとする。妖力の限界が近いんだ。

 それに気づいたオトが、こちらを心配そうに見つめる。


「コトハ……」

「……大丈夫。それに、ここからが大事だから」


 私とオトはその大きな背中に着地。

 ハクロさんは飛び立ち、荒々しく天を駆ける。


「うっ……!」


 つないだ手を離す代わりにたてがみを掴んで、振り落とされないように我慢する。

 一瞬でも気を緩めれば真っ逆さまだ。

 目を開けるのも難しい、空気を切るような速さ。

 術のおかげで力が強くなっていなかったら、きっとすでに落ちている。

 耐えるんだ、「その時」が来るまで……!

 



 どのくらいの時間が経ったんだろう。

 気づけばハクロさんの勢いは、顔をあげられるくらいに落ち着いていた。

 下を見ると……空街はかなり小さい。

 ハクロさんは上を目指して進んでいる。

 ――そろそろかな。

 少しして、揺れるような感覚がした。

 ハクロさんでも、妖力の限界を知らせる体からの警報でもない。


「やっとハクロの動きが落ち着きましたわね。コトハ、動けるかし――」


 安心した様子で、オトが私に手を伸ばす。


「手を離しちゃだめ!」

「――えっ」


 オトの体がふわりと浮いて、龍の背中から離れていく。


「ここは、上と下が逆になるんだよ!」


 間一髪、片手でたてがみを掴んだけれど、たもとから歌札の箱が落ちる。


「ああっ、歌札が!」


 ふたが開いて、中に入っていた歌札と封印札が地街へひらひらと舞う。

 この場所は地街と空街の境目。

 地街から飛んでここを通った時は、空街が下に変わったから落下するはめになった。

 そして今回は空街から来たから、地街が下に変わったんだ。


「どうしよう、ここからじゃ手が届かない……!」


 身体強化の術が解け始めているらしく、オトの手はいつ離れてもおかしくない。

 それに地街が下になった今、私がたてがみから手を離してオトを掴もうとすれば、二の舞になる。


「コトハ……」


 落下への恐怖でその顔はひどいもので……はなかった。

 何かを伝えるように、オトの唇が動く。

 「頼みましたわよ」と、勝気な笑顔で。

 ハクロさんにバレないように笑って頷くと、オトはついに手を離した。


「ごめんなさい――」

「オト!」


 朱色の着物が、どんどん小さくなっていく。


「そんな……!」


 見えなくなったころ、ハクロさんは大きく回った。

 地街と私の間に龍の巨体がある状態になり、手を離しても落ちることはない。


「残念だ、あんな高さじゃ助からないだろうな」


 やっとハクロさんが口を開く。


「歌札も忌々しい封印の道具も、全部落ちていったの見えていたよ。もう何もできないんじゃない?」


 あざ笑うような声。

 私は絶望して、もう何もかもどうでもよく――なるはず、なかった。

 だって、ここまでぜーんぶうまくいったから。

 彼の首元まで這いつくばる。


「ハクロさん」

「……ん?」


 声の調子に違和感を覚えたらしい。

 そうだよね、今、私は絶望していると思っているんだから。


「――話しましょう、あなたについて」

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