第17話 邪神の領域

「コトハ、コトハ!!」


 明日乃様の声で目が覚める。私は明日乃様の腕の中にいた。

 いつの間に気を失っていたらしい。


「気がついたんだね、よかった……」


 私を解放すると、心底ほっとした顔で胸をなでおろす。


「体におかしなところは? さっきのことは覚えているかい?」

「大丈夫です。信じられないことはたくさんありますけど……ええと、ここは?」


 影に飲まれてたどり着いたのは、知らない街。

 ビルがたくさん並んでいる、私が住んでいる街よりもずいぶんと都会に見える。

 私たちがいるのは幅の広い車道。人っ子一人いないので、当然車もバイクも走っていない。


「ハクロが自ら創り出した領域……結界というやつだ」


 そんなことできるの!? ……そうだ、ハクロさんは「邪神」なんだ。だったら、ありえない話じゃないのかな?

 それにしても。


「なんというか……普通の街に見えますよ? 人はいませんけど」

「下はね。上を見てごらん」

「上?」


 言われるがままに見上げてみる。

 なんと――空があるはずの場所には街が広がっていた。

 和と中華が入り混じったような、見たこともない豪華絢爛な街。それがはるか向こうに、逆さまに存在している。


「な、なにこれぇ!?」


 思わず立ち上がり唖然とする。

 立ち並んだ明日乃様は、見覚えがあるみたい。

 

「空にある街、空街といったところかな。カクリヨに似ているけれど…………お前の趣味かい?」


 振り返った彼女の視線の先には、車道なんてちっぽけに見えてしまうような、巨大な白龍がいた。

 眼は星のような紫で、たてがみは銀。神々しさはあるものの、それに勝るような邪悪な気配。

 いつからそこに!? いや、この龍って……。


「ハクロさん、なの?」

「俺の庭にようこそ。驚いただろ?」


 聞こえてくるこの声……間違いない、少し低いけれどハクロさんだ。


「……オトはここにいるんですか?」

「さっき言っただろ、同じ場所だって。ま、あんな遠くにたどり着けるとは思わないけど」


 龍の目玉が上に動く。

 上? まさか……。


「空街ってこと!?」

「そう……おしゃべりはここまでだ。せっかく来てくれたんだし、もてなさないと」


 空気がピリピリと痛くなる。

 ……嫌な予感。

 明日乃様は「逃げるよ」と私を再び抱え、指先から糸を伸ばす。

 器用に操り、先端が近くの信号機に巻き付くと、猫のように飛び上がった。

 前後に大きく揺らすと、手を放し明日乃様ごと体が宙に投げ出される。


「へ!?」


 その時だった。

 雄たけびと共にハクロさんが突進してきた!

 明日乃様は態勢を大きく変え、なんとビルの側面に着地。

 忍者のように駆けていく。


「えぇえええええ!?」

「手を離さないように。落ちるから」

「わ、わかりました~!」


 落っこちたら絶対死んじゃう! まだ、おじいちゃんのところには行きたくない!

 背後でドドドドとものすごい音がして、肩越しに見ると――ビルを削りながらハクロさんが追いかけている。

 紫の眼は血走っていて、かなりの迫力だ。


「ひぃ!」


 壁が途切れると跳躍して別のビルへ、駆け抜け途切れるとまた跳躍して……を繰り返す師匠。

 いやいや、これで人間だなんてうそでしょ!? 人間離れしてる!

 走り続けているうちに、先の方でビルの群れが途絶えているのが見えた。


「あ、明日乃様!」

「わかってる。口を閉じるんだ、舌をかむと危ないよ」


 忠告を守り手で口を……それだと危ないので、胸に顔をうずめる。

 シュルシュルと糸を出す音が聞こえ、路地裏に飛び込んだ。

 軽快に左右の壁を交互に渡り、着地する。

 再び咆哮が聞こえ、目をやると――ハクロさんが無理やり路地に入り込もうとしている。


「ウソでしょ!?」


 ミシミシと壁にヒビが入っていく。

 路地は長く続いている。どうしよう、間に合わなかったら――


「仕方ない……ワタグモ!」


 呼びかけに応じて、ポンッと現れたのは……白くて小さな綿。それもたくさん。

 ワタグモと呼ばれたそれらは先にあるマンホールに集まり……なんと、こじ開けた。


「ええ!?」


 驚く私をよそに、明日乃様は、開かれたマンホールの中に飛び込んだ。

 その後を「ワタグモ」たちが続く。

 底で着地した途端、マンホールは閉ざされ、次の瞬間には頭上で激しい音がした。

 きっと、壁を破壊したハクロさんが路地を突き抜けていったんだ。


「……何とか撒けたか」


 ひぇ、怖かったぁ……。

 超人的な動きを見せたのに関わらず、明日乃様の息は乱れていない。

 昨日はあんなに、ぜぇぜぇ言っていたのに……。

 マンホールの下は下水道とつながっている。

 結界の中だからか、本当に下水が流れているわけじゃないみたいで、匂いや水の流れる音が全くない。


「あいつもここには来ないだろうし、少し休もう。ワタグモ、辺りを調べてくれ。イ班は右方向、ロ班は左方向。ハ班は万が一に備えてここに残るんだ」

 

 命令通りにワタグモたちは3組に分かれ、そのうち2組がどこかに行ってしまう。

 

「この子たちは?」

「私の使い魔だ。なかなかかわいいだろう」


 ぴょんっと私の手のひらに、1匹飛び乗る。

 よく見ると、くりくりした目が綿に隠れている。

 確かにかわいい! マスコットみたい。


「しゃべれないが、読み書きならできる。情報収集や運びものにうってつけなんだ」

「へぇ~……あれ、もしかして昨日私のカバンを持ってきてくれたのって、この子たちですか?」

「そ。ついでに、君の友達が姿を消したのも、ワタグモ経由で知ったんだ」


 なるほど、そういうことだったんだ。

 明日乃様はその場に座ると、横をポンポンッとたたく。

 隣に座れってこと見たい。

 手のひらのワタグモを降ろし座ると、話を切り出された。


「ワタグモたちを待ちながら、少し話そう。……君は、ハクロとどこで出会った?」

「ええと……初めて会ったのは、オトにお願いされて『千夜』に行こうとした時です。道に迷ったらたまたま見かけて」

「たまたま、ねぇ。その時、何かされた?」

「されたというか……『千夜には行くな』と言われました。結局、たっちゃんを探す途中で行っちゃいましたけど……」

「そうか……ううむ」


 私の話を聞いて、明日乃様はぶつぶつとつぶやきながら考え込む。

 考えているところ悪いけれど、私だって気になることがある。


「ハクロさんが歌術の里を滅ぼして、人間の明日乃様が封印したっていうのは本当なんですか」

「……ああ、その通りだ。時間がたっぷりあるわけじゃないから、手短に話そう。私はもともと妖術師の家で生まれてね。修業の旅をしていたら、歌術の里にたどり着いた」


 妖術師……文字通り、妖術が使える人たちってことなのかな。


「里は本当にいい場所だったよ。人間である私を歓迎してくれて、たくさんの友達ができた。……この間の天狗を覚えているだろう? ウツシヨにいながら人里から離れて暮らす妖怪は、人間を見下すやつが大勢いるが……彼らは違った。人間を、人間が作った文化を好んでいた」

「人間の文化……それって和歌も?」

「もちろん、『歌術の里』なのだから。来たばかりのころは驚いたよ、『こんな妖怪たちもいるんだ』ってね。だが突然、あいつが――ハクロが現れて、すべてが変わった」

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