第14話 感情で

「コトハ! オト!」

 

 階段を駆け上がってくる音と共に聞こえた声で、ハッとする。

 低めの女性の声……その主は、もちろん明日乃様だった。

 階段の下からその姿が現れる。顔色が悪く、汗が白い肌を伝っていた。


「明日乃様……」

「お客さんに聞いたんだ、2人がここに向かったって……けれど」


 私の様子を見て、何が起きたのか気づいたみたい。目を伏せて「間に合わなかったか」とくちびるを噛む。


「……ごめんなさい。私のせいで、オトが」


 オトの言うことを聞かないでここまで来たから、こんなことに……感情に任せて突っ走ったから……。

 後悔が膨らんでいって、気づけば泣いていた。

 涙が箱に落ちて、包んでいる和紙を濡らしていく。

 明日乃様は、私の背中をさすり、ハンカチを差し出すと。


「今日はもう遅い、送っていくよ」


 手を引かれ、言われるがままに神社から離れる。帰り道の階段は、来た時の何倍も長く感じた。




 神社を出てしばらく歩いても、涙はまだ止まってくれない。

 今、オトは無事なのかな? と考えるたびに、「私が先走ったせいだ」の一言がついてくる。

 しばらくして、重苦しい空気が漂う中、明日乃様が口を開いた。


「コトハ、感情のままに動いたこと、後悔しているのだろう?」

「……だって、そのせいでオトが」

「確かに、招いてしまった結果は良くなかったし、オトの判断の方が正しい。けれど、感情で動くことそのものは決して悪いことではない」

「……え?」


 てっきり怒られるのかと思っていた。ぽかんとする私をよそに、静かに話す。


「もちろん、理性も必要だ。感情半分、理性半分くらいが理想的だが……誰だってそんな器用になれるものじゃない。私だってそうさ」


 そう言って、星が見え始めた空を見上げる。灰色の瞳は、星々よりも遠い場所を眺めているようだった。


「感情はきっかけだ、良くも悪くもね。感情に頼らないと、できないことはたくさんある。……あ、車で例えるとわかりやすいかな? 感情がアクセルで、理性がブレーキだ。アクセル全開だと事故を起こすし、ブレーキをかけっぱなしだと何も始まらない」

「じゃあ今日の私は……」

「ああ、アクセル全開の猪突猛進。いつ事故ってもおかしくない」

「うわぁ……」


 車に例えられたおかげで、改めて危険な行動をとったことを痛感する。


「君は……いや、コトハとオトはまだまだ未熟だ。私の半分の、そのまた半分も生きていない。当然やらかすことだってある。今回のやらかしは、重大なものだったが……そういう時のための師匠だ」


 場所は通学路でもある見慣れた道、家はすぐそこ。

 いつの間に、明日乃様の片手には私の通学カバンがあった。


「な、なんで私のカバンを……?」


 驚く私に構わず押し付けると、くるりと背を向け来た道を戻って行ってしまう。


「どこに……」

「オトの捜索は私が行う。コトハ、君はもう休みなさい。明日も学校だろう?」


 「私も行きます」と言おうとしたけれど、迷いがあって声に出せなかった。

 私には、明日乃様が言っていた「理性」――ブレーキがしっかりとあるわけではない。さっきの出来事で、それが証明されていた。

 私がついていけば、もしかしたら足手まといになるんじゃないか……そう思ってしまう。

 結局、帰宅する人々の中に消えていく師匠の後ろ姿を眺めることしかできなかった。

 



 その後、自分がどのように食事から寝る用意までをしたのかを覚えていない。

 気が付くと朝で、私は布団の中だった。

 今日は平日だから、本当は学校なんだけど……私はどうしても、行く気になれなかった。

 布団にくるまって考えるのは、もちろん昨日のこと。

 探しに行かなくちゃ。でも明日乃様の足を引っ張るかも。原因は自分で……。

 考えれば考えるほど、頭がごちゃごちゃになって気持ちが沈んでいく。

 そうしているうちに時間だけが過ぎていき……。


 ピコン!


「わっ」


 突然の通知音に意識が引き戻される。

 な、なんだろう……。

 画面を見ると、たっちゃんから電話が来ていた。

 ちなみに今の時間はというと……え、正午!?


「も、もしもし」

『やっほ〜、コトハちゃん。今日、どうしたの? 先生が何も聞いてないって言ってたから心配でさ』


 どうやら学校から、隠れてかけているみたい。

 そういえば、学校に休みの連絡入れていなかった……1人暮らしになってから、学校を休んだことなかったし、すっかり忘れてた。


『心配かけてごめんね、体調があんまり良くないんだ』


 嘘半分、本当半分。何とか学校に行ったとしても、きっとうわの空で授業も頭に入ってこないと思うから。


『そっか、おだいじに~! 元気が出るように色んな動画送るね』


 メッセージに続いて、次々に送られてくるのは動画サイトのリンクやサムネたち。


『田川さん、先生来るよ!』


 電話から別の声がした。鶴崎さんだ。


『やばっ、もう切るよ! バイバイ!』

『うん、また今度ね』


 通話が切られ、スマホがツーツーと鳴る。

 私が「千夜」でオトや明日乃様に出会って歌術使いになったから、たっちゃんは今もこうして元気でいる。

 今思えば、あの時の私も感情で動いていた。

 誰もたっちゃんを覚えていない薄気味悪さ、友達が消えたことへの恐ろしさで、私は学校を飛び出した。そしてたどり着いた「千夜」でも……歌術への驚きと興奮、そしてたっちゃんを助けたい思いで、歌術使いになった。

 昨日、明日乃様が言っていたことを思い出す。

 感情に頼らないとできないこと、か……。

 画面に並んだサムネを眺めていると、見覚えのある名前を見つけた。

 送られたものはほとんどが動画だけど、これだけは今配信されているもの。

 タイトルは――


『【お昼のお悩み相談】 しろどら』


 流されるようにリンクをタップして配信画面を開いた。

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