第13話 影

 河童が教えてくれたのは……海の近くにあるこじんまりとした神社。

 日が暮れてきているからか、ここに来るときすれ違った人は、ごく数人。

 長い階段を歩きながら、オトが不安げに声をかけてきた。


「コトハ、焦りすぎだと思いますわ。確かに、のんびりするわけにはいかないけれど……河童が見たのは1人ではない。今回ばかりは明日乃様を待って、付いて来てもらった方が」

「でも、その間にも座敷童たちは不安なんだよ? それにたっちゃんの時は間に合ったけど、もし手遅れになったりしたら――!」


 間に合わなかったら、さらわれた人たちは戻ってこなくなるかもしれない。だとしたら大変だ、取り返しがつかなくなる。

 そんなことになる前に助けないと!


「考えもなしに突っ込んで全滅したらどうするのです。この前みたいに、あなたが妖力を切らしたら? あの時みたいに、なんとかなるとでも?」


 階段を進むにつれて、背後から投げられる言葉がだんだんときつくなっていく。

 正論なのはわかってる。けれど、「急がなきゃ」と心で繰り返すたびに、オトの言うことに対するいら立ちが積もっていく。


「オトの心配してることくらい、私もわかってるよ! それでも、急がないとどうなるか分からないじゃん!」

「わかっているなら、まともな反論をしてみたらどうですの」

「そんなこと言って、オトも付いて来てるじゃん!」

「それはあなたが、あまりに強引だったから!」


 あー、もう! ああ言えばこう言う!

 イライラが頭を支配していく。いつの間にか、階段で立ち止まって言い合いをしていた。

 こぶしを強く握って、顔に力が入ってしまう。

 その時だった。


「――待ってくださいまし」


 言い争いを中止させたのはオトだった。

 

「……何なのいきなり」

「やけに静かですわ」


 そう言って、不審そうに周りを見回す。


「静かって……当たり前じゃない? こんな場所でこんな時間なんだから」

「いいえ、セミの鳴き声や鳥の鳴き声もしないのです。こんなの、おかしい」


 釣られて確かめると、オトの言う通り自然の音が全くしない。

 言い合いに夢中だったから気づかなかったけど……言われてみれば、本当だ。


「気味が悪いですわ……あ、コトハ! わたくしの言ったことを忘れましたの!?」


 不気味な静けさに気を捕らわれているすきに、走って鳥居の方へと登っていく。

 下でオトの止める声がするけれど、構わずに足を動かす。

 静けさの原因は……きっとこの上にいる妖怪。犯人が近くにいるなら、立ち止まってなんていられない!




 鳥居をくぐると、目の前の光景に思わず足を止める。背中から突き刺すような寒気が、体を襲った。

 参道をはさむようにして、妖怪たちがいた。私より一回り大きい猫又、青白い毛並みの鉄鼠、あかなめ、大ムカデ、火車、人面犬……その全員がひれ伏している。

 参道を正面にして、全く動くことなくおでこを地面につけている状態。

 彼らの奥にいるのは……影、ただ黒いだけの「何か」。ちゃんと見ているのに、どんな形なのかがわからない、不気味なもの。

 夏なのに空気が冷たい。「これは危険なもの、逃げなくちゃ」と本能が叫んでいるのに、足が動かない。

 妖怪たちが連れ去った人間を捧げる相手――もしかして、これが「あの方」?

 ……そうだ。助けなきゃ、連れていかれた人たちを。


「あ、あなたが」


 震える唇で何とか言葉を紡いだその時、影は妖怪たちの間を通って私の方へ。

 目の前を横切られた妖怪たちは、その暗闇に飲み込まれていく。


「ひっ――!」


 体が動かない、きっと私も同じように飲み込まれていくんだ。

 正体不明の影。あんなのに飲まれたらきっともう……。

 いやだ、怖い、逃げられない! 誰か、助け――

 

「だから言ったでしょう、おバカさん!!」


 聞きなれた声がして、頭の上を飛び越えオトが間に入った。


「オト!」

「イノシシみたいに突っ込んだかと思えば、今度は小鹿みたいに震えちゃって……1人で動物園でも開く気ですの? 先ほどのいら立ちが、吹っ飛んでしまいましたわ」

 

 ずんずんと進む影を前にして、おびえた様子もなく嫌味を言う。

 普段なら腹を立てるところだけど、今回は違った。氷が解けていくみたいに体に自由が戻って、恐怖が和らいでいく。

 そして取り出したのは、歌札の箱。

 今から詠んでも間に合わない、影がオトに追い付いちゃう!


「……えいっ」


 オトは何を考えたのか、箱を後ろに放り投げた。


「な、なんで!?」


 反射的に体が動いて、階段の下に落ちそうなところをなんとかキャッチ。

 何してるの、危ないじゃん!

 問い詰めてやろうと、階段に向いていた体を戻すと――オトはすでに影に引き込まれていた。


「オト!」


 慌てて手を伸ばして連れ戻そうとする。早く、完全に飲まれる前に!

 それに対してオトは――私の手をつかもうとはしなかった。抵抗することなく、されるがままだ。


「どうしたの! 早くつかんでよ!」


 オトの体はすでに半分、暗闇に溶け込んでいた。

 私の呼びかけには答えずに、オトは真剣な顔で口を開く。


「――コトハ、歌術使いは共倒れするわけにはいかないのです」

「でも、だからってオトが」

「コトハ」


 届きそうになった手は、乾いた音を立てて弾かれた。その力は術で強くされていて……バランスを崩した私はしりもちをつく。

 その間に影はとうとうオトを飲み込み、火が燃え尽きたかのように消えてしまった。


「オト……?」


 ただぼうぜんと、誰もいなくなった境内にたたずみ、いなくなった相棒の名前を口にする。

 消えてしまいそうなくらいにか細いつぶやきは、代わりのように戻ってきた自然の音にかき消された。

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