第9話 お兄さんと

「ま、また会いましたねっ」


 まさかまた会えるなんて。しかも2日連続で!


「だな。それにしても……」


 お兄さんは私をじっと見つめる。な、なんだろう? ……あ!

 今の私の格好は、ぼさぼさ頭にぐしゃぐしゃで土ぼこりが着いた制服。座木山からそのまま帰ってきちゃったせいで、ひどい見た目になっている。

 帰る前、明日乃様が「うちの風呂を使っていきなよ」と言ってくれたのに、遠慮しなければよかった……私のバカ! 考えなし!

 お兄さんが何か言おうと口を開く……がその時だった。

 ぐー、と腹の虫の音、それも爆音。ちなみに私じゃない。

 ということは、音の正体は……とお兄さんの顔を見ると、彼は照れたように目をそらした。


「お腹すいてるんですか?」

「……聞かなかったことにしてくれない?」


 明後日の方向を向いて答えるお兄さん。

 だけど、また腹の虫の音が。


「……」


 お兄さん、ものすごく気まずそう。だけどこのまま放っておくのも……。

 食べ物は持ってないし、何か買うにしても……この格好でお店に入るの、いやだなぁ。

 その時だった。疲れた頭がある答えを出した。

 それは思いついたとしても、普段なら絶対に却下しているようなこと。たっちゃんやオトのような、誰かがいればストップをかけるはずのこと。

 そんな提案に、疲れ切った私の頭はゴーサインを出したんだ。


「あの! ……ごはん、うちで食べていきませんか?」

「え?」


 これにはお兄さんも唖然としていた。




 急ピッチでシャワーを浴びて着替えると、外で待っているお兄さんを招き入れた。


「本当にいいの? 親御さんびっくりしちゃうでしょ。晩飯いただけるのはうれしいけど」


 最初はそう言っていたが、とうとう根負けしてうちに上がってくれた。


「親というか、おじいちゃんがいました」

「『いました』って、過去形かぁ……」


 居間で待ってもらうことにして、私はすぐそばのキッチンへ。おじいちゃんがいたときご飯は一緒に作っていて、今では家庭料理ならある程度は作れる自信がある。

 冷蔵庫には何があったっけ? 中を確かめると、豚肉の消費期限が迫っていることに気づいた。今日中に使わなきゃ。よし、肉じゃがを作ろう!

 エプロンをつけてさっそく料理に取り掛かる。

 お兄さんのことが気になってちらりと居間の方を見てみると――落ち着かない様子で、そわそわしていた。

 あっ、目が合った。 


「何もするわけにはいかないし、手伝わせてよ」

「手伝い!? ええと……そうだ、野菜切るのおねがいします」


 それに頷くと、彼は私の横に並んで一緒に料理することになった。

 我が家のキッチンは狭く、おじいちゃんと料理するときによく「いつかリフォームして広くしたいねぇ」と言っていたくらい。現在、私とお兄さんの距離もお互いがぶつかるかどうか、怪しいくらいで心臓がものすごい音を立てている。

 何か話でもしよう! そうすれば気が紛れるはず。

 そう思った時だった。


「あのさ」

「は、はい!」


 先にお兄さんから話しかけてきた! あ、あぶない。今から火を扱うところだったから……。


「大丈夫? ごめんな、驚かせて。ケガしてない?」

「い、いえっ大丈夫です。続けてください!」

「そう? ならいいんだけど……俺たちさ、お互い名前を知らないじゃん? だから自己紹介した方がいいと思ってさ」


 確かに。私、ずっと「お兄さん」って呼んでたからなぁ……。


「だったら先に私から。私、下川コトハって言います」

「コトハちゃんか。よろしく」

「は、はいっ!よろしくお願いしますっ」


 「かしこまらなくていいよ」と笑うお兄さん。つられて私も笑ってしまう。


「俺の番だね。ハクロでいいよ」

「ハクロ? 苗字ですか?」

「いいや、名前だよ。苗字の方は……ちょっと家の事情で、ね」


 家の事情……あまり、追及しないほうがいいってことかな。いや、妖怪ならそもそも苗字を持ってないって可能性も……。

 リズムよく野菜を切る音が止み、切ったものを鍋に入れる。炒めて煮詰めて、さらに煮詰めて最後に蒸らして――完成!

 よそった肉じゃがを食卓に並べる。向かい合わせなので、当然ハクロさんは私の真正面に位置している。

 ドキドキを精一杯隠して……。


「「いただきます!」」


 熱々なのに気を付けつつ、完成した肉じゃがをほおばる。

 時々ハクロさんの方を盗み見ると……幸せそうな顔。見てるこっちも頬が緩んでしまう。


「おいしい、すっごくおいしい!」


 年上の余裕はどこへやら。目を輝かせて食べていた。かわいいなぁ。


「はい、とってもおいしいです!」


 そういえば、家で誰かとご飯を食べるのって久しぶり。懐かしくて、温かい。居間が不思議と明るく見える。


「呼んでくれてありがとな、コトハちゃん」

「こちらこそ、来てくれてありがとうございます!」




 食べ終えて食器や調理器具を洗った後、帰るハクロさんを見送るために玄関に来ていた。

 ハクロさんはほどけた靴紐を結んでいると、何かを思い出したみたい。「そういえば」と顔を上げる。


「コトハちゃん。――もしかして、『千夜』に行ったの?」


 ぎくっ。


「え、えっとー」


 私の様子で分かったみたい。「まじか……」と頭を抱え、拗ねるようにぼそりと言う。


「あれだけ念押ししたのに」

「だ、だって……友達のためで……」


 言い訳がましいけれど、これは本当のこと。

 私が「千夜」に行かなかったら、今頃たっちゃんは……。そう考えていたら、表情が暗くなっていく。

 そんな私を見かねてか、ハクロさんは続けた。


「だったら、これだけは約束してくれ。誰でもいい。君に警告するものが現れたら、必ずそれに従うこと。いいね?」

「ええと……」


 戸惑っていると、すっと手が伸ばされた。……指きりだ。


「俺は君が大事なんだ、コトハちゃん。君が疑問に思っていること、結構たくさんあるだろう?」

「それは……あります」


 どうしてオトを知っているのか、「千夜」に行くなと言うのはなぜか、私に気をかける理由……そして、ハクロさんは何者なのか。

 ぶっちゃけ、大きな疑問がたくさんある。


「今はまだ話せない。けれど――いつかわかる。その時まで、どうか」


 私をまっすぐに見つめる、紫の星のようにきれいな瞳。

 その星のような瞳を、裏切ることができなくて……私はハクロさんの小指に自分の小指を絡めた。不思議な体温。触れた肌は温かいはずなのに、どこか冷たいと感じてしまう。


「指切りげんまーん、ウソついたら……うーん、何にするかな」


 続きを結構真剣に考えている。替え歌にしたいみたい。どんなのにするんだろう? と内心わくわくしながら待ってみる。

 少しすると、納得するものを考えたみたいで再開した。


「ウソついたら『   』」

「ん?」


 うまく聞き取れなかった。もう1回言ってもらおうかな。


「替え歌、どう変えたんですか?」

「ナイショ。指切った!」


 誤魔化され、小指同士が離れていく。


「え、教えてくれないんですか?」

「まぁ、いつかわかるって」

「ほんとに?」


 「ほんと、ほんと」と言いながら靴紐を結び終え、ハクロさんは帰っていく。


「肉じゃが、ありがとう。それじゃ、おやすみ!」

「はい、おやすみなさい!」


 玄関先で、姿が見えなくなるまで手を振る。

 銀髪の後ろ姿はしだいに遠くへ消えていき、家にいるのは私だけになった。

 ハクロさんがいなくなった後の家の静けさは、普段よりも寂しく感じて。


「――また来てほしいな」


 思わずそう呟いてしまった。

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