第31話 そして新たな花をきみに

 季節はもうそろそろ冬になろうかという頃合いだった。真水を扱うのが辛い季節に差し掛かっていて、今朝は開店作業をしながら「この時期にアルバイト辞める子が多いのよねぇ」と慶子は心配そうにすみれを見ながら言った。

 入荷したてのクリスマスローズの葉を取りながらすみれは慶子に笑いかける。


「辞めるつもりはないですよ」

「本当? 無理しないでね、手がアカギレだらけになったら大変よ。面倒な作業は竜胆に任せて、すみれちゃんは楽しいお仕事をすればいいわ」

「おい」


 途端に塩崎の不機嫌そうな声が飛んでくる。


「何よ、大切な従業員に逃げられたら一大事よ。アンタが体を張りなさい」

「これ以上体張ったらそれこそぶっ倒れる」


 塩崎は今、ポインセチアを使った店頭用の花束を作っているところだった。


「ポインセチアって鉢植えの印象が強いんですけど、花束にもなるんですね」

「一輪が大きいし華やかだから花束にしても映えるぞ。花数を抑えられるから安めにできて経済的でもある」


 ヤドリギと、全体が白い綿毛で覆われているシロタエギクとともに束ねられたポインセチアは確かに一輪が大きいので数が必要なく、にもかかわらず豪華で見栄えがした。


「よく見かける真っ赤なポインセチアと違うみたいですけど……」

「モネアーリーという品種のポインセチアで、花びらに霜が降りたような色合いが特徴的な花だ。アンティーク風に仕上げたい時に重宝する」


 塩崎は花を丁寧に整えながら説明をしてくれた。一般的に見かける花束とは違う、目を引く色合いだった。目に鮮やかな赤と緑ではなく、少しくすんだピンクの花に白い霜が降りたような色、そして白いグリーン材。確かにアンティーク調のカラーだ。


「花束っていうより、ブーケですね」

「ダメか?」


 少し心配そうな表情をした塩崎に、すみれは首を横に振る。


「塩崎さんらしさが出ていて、とっても素敵でいいと思います」


 そう言うと、塩崎は安堵したかのように笑みをこぼした。

 最近、塩崎の表情がちょっと豊かになった。眉間に皺を寄せているだけでなく、フワッと微笑んでくれる時がある。塩崎が無意識に花に対して向けている表情を、すみれにも見せてくれるようになって、少し距離感が縮まったのかと安心した。カーディガンを貸してくれた時といい、なんだかんだと塩崎は優しい。

 塩崎の作ったブーケのような花束を店頭に並べ、すみれは開店準備に勤しんだ。

 春に働き始めて、もうすぐ半年。仕事には慣れて、季節ごとに変わる花を見るのは楽しい。

 今、店頭には、冬に花を咲かせる花の苗が並べられている。

 シクラメン、ポインセチア、プリムラ、ノースポール、パンジー、ビオラ。

 街を見渡せばツバキが濃桃色の花を咲かせ、ナンテンの赤い実が鈴なりになっている。

 冬でもこんなにもたくさんの植物が芽吹いているのかと、すみれは初めて気がついた。枯れ木や落ち葉に視線が行きがちだが、興味を持つと世界は変わる。

 店頭で花の苗に水をやる作業も慣れたもので、多少水が冷たかろうが花が綺麗に咲くためならば我慢できる。しゃがみこんだすみれの上に影が落ちた。


「すみれちゃん、このお店の前にある花束をいただけるかしら?」

「大家さん、おはようございます。はい、わかりました」


 目を上げた先にいたのはすみれの借りているアパートの大家の奥さんだ。にこにこしながら塩崎が作り上げたばかりの花束を手にしている。


「最近の塩崎生花店のお花、垢抜けてオシャレになったわねえ。まるで都心の有名なお花屋さんみたい。こんなに素敵な花束が安く買えるなんて、とってもラッキーだわ」

「塩崎さんの培ってきた技術が存分に発揮されているんです」

「自由でイキイキしている感じがとても素敵」


 肩の力が抜けたらしい塩崎は、装花で培った経験を活かして独創的な花束を作るようになっていた。それはとてもイキイキとしていて人の目を引き、思わず手に取ってしまいたくなる出来栄えだ。

 今までの塩崎の花束も花の良さを最大限引き出していたが、そこに自由さが加わって、ますます素敵になっている。

 店頭に並べられたブーケのような花束はどれひとつとして同じものはない。

 同じポインセチアを使った花束でも、モミの木を組み合わせて思いっきりクリスマスカラーに仕上げたもの、ふわふわのパンパスを合わせてシックで落ち着いた雰囲気に仕上げたもの、あえて葉がついていない枝を組み合わせそこに小さなオーナメントをつけた、まるでクリスマスの飾りのようにしたものなど様々だ。


「ありがとうございました、またお越しください」

「すみれちゃんも、がんばってね」

「はい」


 客足は若い人を中心に今までよりも増えている。奮発して花を買っている人たちは誰かへの贈り物にするのだろう。花を買う、というのは特別なことで、その特別なことの手伝いをすみれはしているのだ。

 誰しもが贈る相手のことを考えてーー笑顔で花を抱えて去っていく。

 ふと目を上げれば山本時計店の中に吸い込まれていく人の姿が。黒髪をショートカットにした彼女はカメラのヤスムラの孫である安村日南だ。

 通りを歩いているのはいろり庵の店主蓮村。惣菜屋あさひの袋を下げ、笑顔ですみれに手を振ってくる。

 すみれは店の奥へと引っ込み、エプロンを脱いだ。


「お疲れ様でした」

「お疲れ様、今日もありがとうね!」と慶子がにこやかに挨拶をする。

「お疲れ」とやっぱりぶっきらぼうに言うのは塩崎だ。

「あ、ちょっと待って」


 塩崎は帰ろうとするすみれを呼びとめ、何かを渡してきた。


「花の形の……クッキーですか?」

「少し早いけどクリスマスプレゼント」


 掌に乗るくらいの大きさのクッキーが丁寧にラッピングされている。クッキーには紫色のアイシングが施されていて、おそらくスミレの花だろう。


「ありがとうございます、大切にとっておきます」

「いや、食いもんだから賞味期限内に食ってくれよ」

「あ、そうですよね。あまりにもきれいなのでもったいないなって」


 鞄にスミレの形のクッキーをしまったすみれはもう一度「お疲れ様でした」と頭を下げ今度こそ店を出る。

 駅に向かえば改札の前には、見慣れた人の姿があった。 


「やっほ、すみれ!」

「志穂、お待たせ」

「んーん、今日もアルバイトお疲れ様」


 駅で待ち合わせをして一緒に大学に行く約束をしていた志穂である。

 並んで歩いて駅のホームに行き、一緒に電車に乗って大学に向かう。歩きながら喋る内容は、今日の講義のこととか、クリスマスはどう過ごすかとか、年末年始は実家に帰るのかとか、そんな内容だ。

 他愛のないおしゃべりをしながら大学生活を楽しむーーすみれが憧れていた、なんの変哲もないごくありふれた光景。

 それを実現してくれたのは塩崎だった。

 塩崎生花店で働くうちにすみれの世界は広がっていき、毎日の生活が充実したものとなった。

 商店街の人と仲良くなり、大学で友人ができ、花に詳しくなって道に咲く草花の種類がわかるようになった。

 それはまるで、世界が色づき芽吹いたかのようで。

 変わった世界を与えてくれたあの店に、塩崎との出会いに感謝をして、すみれは今日も過ごしていく。



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お読みいただきありがとうございました。

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