平たい皿

こまの

平たい皿

 夢を見る。

 いつも同じ夢だ。

 小高い山のてっぺんに白くて小さなうつくしい家がある。僕はその家の呼び鈴を鳴らす。応答はない。それに満足して、扉を開けるのだ。

 白い家の中には、簡素なベッドで老人がねむっている。黒い冷ややかな金属のフレームのベッドだ。白い清潔な布団とシーツに埋もれるように老人が寝ている。目は閉じられているが、よく見るとうっすら開いた隙間から白濁の黒い眼球が見える。

 老人の腕を布団から出して、胸のあたりに手が来るように位置を変える。その老人の腕は溶けださないのが不思議なくらい、生暖かく柔らかい。筋肉が緩み切っているのだ。ぐにゃりと与えた力に沿って流動する。老人の手に、いつの間にか持っていた白百合を握らせる。そこで目が覚めるのだ。

 ここまで話して、どういう心理状況だと思うかと浦原うらはらに聞けば、彼は自身の黒ぶちメガネの位置をそっと薬指で直した。

「知らない。なにそれ、こわ」

 正直な感想だった。


 *


 地下鉄に乗っていた。地上にはみ出しているタイプの地下鉄。平日の昼間で、人の少ない時間帯だったから、あまり気にせず話ができた。

 今日は異様に晴れていて、空が真っ青だった。地下鉄の冷房が僕らの命を握っていて、目的の駅に降りたら、暑さに焼かれるのは想像にたやすかった。

 僕と浦原はいま、大学生の貴重な休みを使って彼の叔父の家に向かっていた。浦原の叔父の家は郊外にあって、大きな蔵があるらしい。

 蔵の中のものを整理するので手伝ってくれないか。欲しいのがあったら交渉してもいいよ、とのことだ。さすがにくれるとまでは言わないらしいが、他人の家の蔵、という言葉に惹かれて興味本位でのこのこついてきたのが今だった。

「そのねむっている老人は、おじいさんなの、おばあさんなの」

 浦原がとりあえずという形で聞く。

「わかんない。顔がくしゃくしゃなんだよ」

 と言ってみたが、本当に顔がくしゃくしゃだったかも定かではない。顔については全くと言っていいほど印象がなかった。

 ただ、薄く開いた瞼の隙間から見えるあの濁った黒い眼。あの目が印象的だった。目の離せない、鈍い恐ろしさがある。そうだ。僕はあの老人がなぜか恐ろしかった。おおよそ恐れるに足らないほど脆弱なはずなのに、あの瞳の黒。それを思い出すと、後ずさりしたくなる心地だった。

「同じ夢を見る。そこにはつよいめっせーじがかくれている、のかもしれないですね」

 浦原が適当にWeb検索した結果を読み上げた。電車がゆっくり速度を落として止まった。目的の駅に着いたようだった。


 *


 駅からバスに乗り換えて、そこから徒歩で十分。住宅街の中を進んで、浦原の叔父の家にたどり着いた。蔵があると言うだけあり、なかなか広く立派な家だった。

 浦原の叔父は、にこやかに僕たちを迎えてくれ、よく冷えた麦茶をふるまってくれた。

「いやー。この暑い中、来てくれてありがとね。男手が二人もあると助かるよ」

 もやしのように白く細い人で、一時間ほど日に当てたら灰になって消えそうな中年男だった。

 彼は僕らにマスクと軍手を与え、テキパキと指示をだした。最初は自分も手伝おうとしていたが、浦原に「おじさん、また骨折するよ」と止められていた。どうやら蔵掃除に関して前科があるらしい。

 意味のわかる物からわからない物まで、雑多に詰め込まれた物品を日陰に出して、風に当てて、その間に棚を拭く。そんなことを、休憩をはさみつつ三時間ほどやっていた時だ。僕はそれを見つけた。なぜか、とうとう見つけたという気持ちさえする。平たい皿だった。

 平たい、白い皿だった。食パンを載せても余裕があるくらいの大きさの無地の平皿だ。

 なぜこんな皿がむき出しで蔵の中に……と最初は思ったが、違和感はそこだけではなかった。

 きれいすぎるのだ。蔵に放置されていたとは思えないくらい。埃や傷一つなく、てらてらと表面が光輝いているように見えた。やけにその光が蠱惑的で、僕はその皿に触れるのを一瞬躊躇した。

 だが、持ち上げないことには掃除が進まないのだ。そう理由づけて持ってみると、その皿は想像していたよりもずっと薄かった。自重でパキッと割れてしまわないのが不思議なくらいだ。薄くつややかで、それでいて生暖かいような気がした。なぜか僕はその時、夢の中で老人に与えた白百合の花弁を思い出していた。似ている、というと暴論に近いが、無視できないほどの親和性を感じて、手にした平たい皿がとても神聖なものに思えた。

「ねえ、これなに?」

 と別の棚を整理中の浦原に聞いてみれば、浦原もわからないらしい。

「なにそれ。見たことない皿だな。なんかちょっと眩しいくらい白いな」

 浦原は皿があまりに白いのを不審がって、首をひねる。

「これ、もらえないかな」

「……それは叔父さんに聞いてみないとわからないな」

 次に浦原は、僕のことを不審そうに見た。


 *


 一通り蔵の整理を終えて、件の皿のことを浦原の叔父に聞くと、いいよと快諾いただいた。

「なんだっけ。誰かの結婚式の引き出物でもらったんだっけ? 忘れちゃったけど、別に値打ちものっぽくないし特に使う予定もないしいいよ」

 とのことだった。浦原はまたもや首をひねりながら、叔父と僕の会話を聞いていた。

 浦原の叔父に大いに労ってもらい、浦原と僕は一枚の皿を持ってお暇することにした。叔父さんが皿を新聞紙にくるんで紙袋に入れて持たせてくれた。

「なあ、なんでそんな皿もらおうなんて思ったの?」

 帰り道に浦原が聞いてくるが、明確に答えることは難しかった。何となくとしか言いようがない。夢に出てきた百合に似ていると思ったから、なんて理由のようで理由ではない気もする。

「ひ、つようだと思ったから?」

 苦し紛れに口をついたその返答に、浦原は眉にしわを寄せる。

「……あと、なんで蔵に来ようと思ったの?」

「それは、浦原が、蔵の中のものを整理するので手伝ってくれないかって、……あれ?」

「そうだよ。お前が蔵に来てみたいって言うから叔父さんに相談したんだよ。そしたら、蔵の整理をそろそろしたいから、ついでに手伝ってくれるならいいよってことでの今日だったじゃんか」

「……そうだったね」

 なぜ忘れていたのか。浦原にそう言われて思い出した。そうだ。最初は僕が、浦原の叔父の家の蔵に行きたがったんだ。教えてもらったから。行ってみたいって、思って。

「誰にだ……?」

「は?」

「なんで僕は、浦原の叔父の家に蔵があるなんて知ってたんだ……」

「いや、それは俺がちょっと前に話しただろ」

「あ、そうだった」

 とりあえず、シリアスな展開に持っていってみたが、真相はなんてことなかった。

 前に浦原に叔父の家に蔵があると聞いた僕は、なんか蔵に眠る秘宝とかないの? おもしろそー。行ってみたーい。という軽い気持ちで、もし機会があったらと打診していたのだった。

 記憶が混濁している。いつのまにか誰かに行くように言われた気になっていた。

「あとさっき、叔父さんが駅まで送るって言ってくれたのに、なんで断ったの? で、今はどこに向かっているつもりなの?」

「え?」

 気がつけば、知らない道を歩いていた。駅に向かうバス停はこちらの方向でないことは明らかだった。日は暮れ始め、空の下の方にうっすらと橙の光を残すばかりになっている。

 見知らぬ住宅街の奥深く。家々の合間の小さな階段が目に入る。

「こっち、なんだよ」

 断定して、浦原に小さな階段を指さす。浦原は呆れたように、眼鏡を薬指で直した。

「今日は、もう帰らないか?」

「でも」

 そう口走りながら、でももだってもないことは自分が一番わかっていた。

 僕だってもう帰りたかった。蔵の掃除で体は疲れていた。浦原の叔父さんに駅まで車で送ってほしかった。でも。

 小さな階段を上りきると、一軒家があった。普通の住宅だ。他の住宅よりちょっと高いところに建っているため、入り口のところが階段になっているのだ。僕の胸元ほどの高さの柵のようなものに囲まれていて、入り口のところにはインターフォンがついている。

 僕は迷わずそれを鳴らす。しばらく待っても応答はない。入ってもいいということだ。

 ふと、浦原がいないことに気づいたが、しょうがない。これはしょうがないことなのだ。僕は特に鍵もかかっていない柵の入り口を開けて、中に入った。

 白い家だった。壁も窓からのぞくカーテンもすべて白く、清潔な感じがする。家の玄関扉にも鍵がかかっていなかった。それに満足感を覚えて、家に入る。

 そこに行けば良いことはわかっていた。何度も、何度も繰り返してきたことだ。廊下の突き当りの部屋だ。部屋に入る。ベッドがある。白い布団。そこに埋もれるようにして、……埋もれるようにして? 黒髪の青年が寝ていた。黒黒と輝く目を開いて、じっとこちらを見ていた。

「やあ! こんにちは」

 彼は僕を見止めると、友好的に笑いかけて挨拶をした。

「え、なんで、ここに……」

 僕はてっきり、あの老人が寝ているものだと思ったから、驚いた。

「それは、私が? それとも君が?」

 黒い青年が布団から身を起こす。およそ寝るにはふさわしくない黒いコートを着ていた。外はこんなに暑いのに、とぼんやり考えていた。

「同じ夢を見る。そこには強いメッセージが隠れています。さて、なんで同じ夢を見ると思う? 同じ夢を見るときは、その夢を見るように外部から夢の内容を繰り返し、繰り返し指令として脳に流し込まれているんだよ」

 黒い青年が、布団から這い出てきた。彼は黒光りする靴を履いていて、つま先から頭まで真っ黒だった。

 僕は、ようやく恐怖が戻ってきて、気づけば尻もちをついて後ろに倒れていた。思い出した。いつも、そうだった。夢の中にはこいつがいた。老人なんかじゃない。黒い、黒い輝く瞳でこちらをじっとみつめて、それで……。

 持っていた紙袋。平たい皿が入っている紙袋が床にぶつかって音を立てる。またどこかに飛んでいきそうだった思考が戻ってくる。

 なんでこんなところにいるのか、浦原はどこに行ったのか、目の前の男は何者なのか。疑問は次々浮かんだが、言葉にならなかった。

 黒い男が紙袋を拾って、中身を検める。新聞紙にくるまれた真っ白な平皿を取り出して、満足そうに見つめている。

「いやあ、君に頼んでよかった。浦原くんの家の人はみんなちゃんと夢を見てくれなくて、情報を流し込んでも、起きたら忘れていたり、全然違う内容に書き換えられたりして、うまく伝わらなかったんだ」

「うまく、つたわらない……。」

「そう! 人間って自分に都合の悪い情報は頭の中で勝手に書き換えちゃうから」

 現実見ろよ、と青年がうすら笑う。

 目の前の人間が何を言っているのかあまり理解できなかった。ただ、彼が持つ白い平たい皿が、ゆるやかに溶けて白百合の形をとるのをじっと見ていた。

「そ、それが欲しかったってことですか?」

「そうだよ」

「自分で取りに行けばよかったじゃないですか」

「それができていたらそうしているよ。それに、取りに行くってねえ。窃盗は犯罪なんだよ」

 子供を諭すような口調で言われる。訳が分からなくて、何をしゃべったらいいかもわからなくなってきた。

「あ、もう夢が終わるね。これありがとう」

 白百合を軽く振って、黒い男は再度満足げに笑った。お手本みたいな笑い方をするなと思った。


 *


「もう着くぞ」

 という声で、目が覚めた。隣に浦原がいた。

「やー。疲れてたんだね、車乗ってすぐ爆睡だったもんね」

 車に乗っていた。浦原の叔父さんの車だった。

 そうだった。叔父さんが帰りの駅まで送ってくれるというので、ご厚意に甘えたのだった。

「じゃあ、今日は本当にありがとうね」

 そう言って手を振る叔父さんに頭を下げて、浦原と一緒に地下鉄に乗る。なんだかやたら変な夢を見ていた気がする。いや、ちがう。いつもの夢だ。老人に白百合を渡す夢。

「同じ夢を見る。そこにつよいめっせーじがかくれている、のかもしれないですね」と、行きの電車での浦原の言葉を思い出す。強いメッセージって何なんだ。

「その皿、そんなに気にいるとは思わなかった」

 浦原が、僕が提げている紙袋を見て言った。叔父さんの包装が甘かったのか、新聞紙の合間から、平たい白い皿がのぞいている。

 それはもう、蔵で見たときより光っていないように見える。つやつやと、地下鉄車内の照明を柔らかく反射するだけだ。僕もいったいなんでこれが欲しかったのか全然わからなくて、浦原と一緒に首をひねった。

 あとで気づいたのだが、その日から、もうあの同じ夢を見ることは終ぞなかった。

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平たい皿 こまの @koma_asagake

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