6 黒の襲撃

 いかだで村へ戻るトノウとサムラが異変に気付いたのは、バイカル湖の上だった。焦げ臭い匂いがどんどん強くなり、前方に黒い煙が立ち上る。逸る手で漕ぎ、筏ごとミグを森の中に安置して村へと駆けた。


 長い両腕に剣を持つ巨漢が、五人に囲まれている。相手は湖で襲ってきたのと同じ、しんの黒装束の刺客だ。樹延ジュエン月門ユエと呼んでいた。


 背後の敵が斬りかかってくる。丸太のような巨漢の右腕がしなって敵の剣を弾き飛ばし、瞬時にもう片方の剣で強烈な一撃を叩きこむ。すぐさま体の向きを反転させると、次の攻撃をしなやかにかわし、鋭い蹴りをお見舞いする。


 まるで背中に目があるかのように、背後から突き刺しに来ていた剣をぬるりと避け、振り向きざまに鋭い突きで、一人を絶命させる。

 巨躯の俊敏な動きに見とれていた二人だが、同時に背中の槍を手に取ると、それぞれに黒装束への攻撃を繰り出す。


 五対一が四対三になり、敵の連携が少し崩れた。その隙を巨漢は見逃さない。


「行くぞゴラアアアアッ!」

 大きな体から発せられた雷鳴のような雄叫びに鼓舞され、二人も敵へと踊りかかる。連携攻撃を分断し、一対一の戦いに持ち込んだ。


 だが相手は戦闘慣れしている。対してトノウもサムラも、人を相手の実戦経験はない。命懸けの攻防で覚醒し、みるみる動きが研ぎ澄まされていくのはサムラだけで、トノウは防戦一方になった。


 俺ももう若くないな、と諦めがよぎった時、剣戟けんげきを受け止めた槍の柄が、バキン! と折れてしまう。

 刃が目の前に迫ってくる。とっさに庇おうと腕が動き、腕に刃が食い込む——ではなく、視界が回っていた。気づいた時には地面に投げ出されている。


 見ると、巨漢がトノウの敵を串刺しにしたところだった。元々相手にしていた二人の黒い男は、既に動かなくなっている。

 巨漢に投げ飛ばされたのを、今頃になって理解した。


 サムラはどうしたと視線を走らすと、相手の体に槍を突き刺し、抉り取るようにとどめを刺したところだ。


「無事か?」

 差し伸べられた大男の手を握ると、それだけで力が有り余っているのが分かる。


「すまん、助けられた。項羽こうう殿で間違いないか」

「合ってるぜ。あらかた倒したが、まだ潜んでるかもしれん」


「敵は秦か。湖で俺たちも同じ奴らに襲われたんだ。村人たちは?」

「東の幻獣守たちが森に避難させたが、全員無事とは言えん。残った敵を殲滅せんめつするぞ」


「わかった。敵は何人いる」

「全部で三十人てとこだな」


 この男一人でほぼ全て倒したのだろう。

 先ほどの太刀筋を見ても、整ってはいない。だがつまらぬ理屈を軽く超えるくらいに強いし、ただの命知らずな若者ではない。


「東の村が救援に来てくれるとは思わなかった。恩に着る」

虞姫ぐきたちが見張ってたんだがな、一寸間に合わなかった」

「トノウさん、オレ、家を見てくるよ」


 サムラが駆けていく方を見た項羽は、何か言おうとしたがやめ、下を向いて首を振った。しばらくすると、獣のようなサムラの絶叫がこだまする。だが今は逃げ遅れた村人の救出が先だ。


「先に行こう」

 トノウは項羽を促した。


 槍を構え、ユルトを一つ一つ回っていく。誰もいないユルトには起き抜けの寝具がそのままになっていたり、汲んだばかりの水の桶が倒れていたりと、襲撃があまりに突然だったと示している。


 うつ伏せに絶命した黒い男の横で、同じようにおびただしい血を流した若者が、ユルトの壁に寄りかかっている。命が尽きるまで戦い抜いたのだ。白と黒の特徴的なまだら模様の毛皮の衣を纏う、幻獣守のタングだった。


 タングには嫁と産まれたばかりの男の子がいたと思いユルトに入ると、嫁と母親が無惨な姿を晒している。腕の中に子どもはない。どこだと見回して寝具をめくると、親指を吸いながらすうすう眠っていた。項羽と顔を合わせ、笑う。


「えらいぞ。泣かなかったから助かった」

「うんうん。父に似て大きく育てよ」


 抱き上げると、トノウの片腕に簡単に収まってしまう。自分の子もこうだったと懐かしさを覚える反面、目覚めて父母を求めて泣く姿を思うと胸が締めつけられる思いがした。


 外に出て、不意に物陰から黒装束の男が飛び出してくる。トノウは足が止まってしまったが、項羽の反応は素晴らしく、月門ユエの攻撃が届くよりも先に脳天をかち割っていた。


「小癪な奴らだぜ」

 刃物を振るう動きには、命に対していささかの畏れもない。幻獣守とは明らかに異質な、戦士の血というべきものを項羽の中には感じる。


 それから森に避難した村人の元へ行き、皆の安否を確認した。サムラの家族は母親の姿しかなく、後からやって来たサムラからも、父親と弟妹は家で殺されていたと告げられた。


 きな臭さが残る中、東の幻獣守たちが夜を迎える準備を始めている。針葉樹の大きな枝を利用した寝床を作り、傷を負った村人を寝かせて手当てしたり、干し肉や根菜を持ち寄った女たちが炊き出しの支度をしている。


「トノウ殿、大変なことになったな」

烈于リーウ殿。東の救援がなければもっと酷いことになっていただろう。何と礼を言えばよいか」

 武装した姿で、東の村長の烈于が現れた。


「不在を狙われたな。蒙恬もうてんが居なくなってすぐこれだ。秦はもはや敵だぞ」

「ああ。まさか秦が攻撃してくるとは想定していなかった」


「儂らとて、項羽に聞かされるまでは思わなかったものよ」

「項羽という男は、の名家の末裔らしいな」


「祖父の項燕こうえんは始皇帝に敗れはしたが、名将と名高い。祖父と父親を秦に殺され、逃れて暮らしてきたそうだ」

 それでいてあれほど颯爽としているのだから、項羽の心根はバイカル湖の如しか。


「彼は不老不死を手に入れようとしているのだな」

「うむ。秦はまず西の村を制圧し、項羽へ対抗する足掛かりにするつもりだったのだろうよ」

「樹延が危惧した通りになってしまったな」


「今回は凌いだが次は分からん。大軍が攻めてくれば、いくら項羽でも太刀打ちしきれんぞ。そこで提案だ」

 村を救ってもらった恩を思えば、提案と言われつつ無理難題をも呑むしかない。トノウは続きを促した。


「急ぎ、婚姻を認めてほしい。西のミグと、東の桃花タオファだ」

 西と東の婚姻が意味するところは、蒼き狼≪エジン≫と白い牝鹿≪ブフ・ノイオン≫の出会いだ。だが——


「ミグは昨日、亡くなった」

 烈于リーウの表情が強張る。


「なんと。オリホン島でか」

鴆鳥ちんちょうの毒で殺害されたようだ。樹延が試しの水儀を受けて、生き延びた。死には女人が関わっているという」

「まさか……」


「今頃、東のシャーマンと話をしている。真相はツァギールと樹延が明らかにするだろう」

 トノウは言い放つ。だが烈于は平然と返してきた。


「他に、結婚できそうな者はいないか」

「烈于殿、そこまでして——」


「我々はもう、中華の覇権と無関係ではいられぬ。それは始皇帝が天下を統一し、蒙恬もうてんが来た時からトノウ殿も分かっていたはずだ。なれば受け継ぐべき者を見極めるのが村長の務めだろう」

 項羽が相応しいといえるのだろうか。トノウには即答できなかった。


「……少し考えさせてほしい。まずはミグと、亡くなった者たちを弔ってやらねば」

「そうだな。家を失った者もいる。手伝わせてくれ」

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