7 蛹は鼓動する

 オリホン島へ迎えの舟を出し、できることを全て終えると、日はとうに沈んでいた。

 家や家族を失った者も、そうでない者も肩を寄せ合い、言葉少なく焚き火を囲む。温かい食事が皆に振舞われたのが救いだ。


 村長のユルトは怪我人へ解放したため、トノウは自宅のユルトに樹延ジュエンとツァギールを呼んだ。早くに妻子を病で亡くして以来、独りで暮らしている。身の回りのことは自力でしているが、他の独り者同様に、ツェグ婆や村人に都度助けられながら生活していた。


 二人から聞かされた報告に、トノウは衝撃を隠しきれなかった。

「まさかミグが手引きを……。この事はミグの母親には伏せておこうと思うが、樹延は構わないか」

 トノウに問われた樹延は「なぜ私に?」という顔をした。


「ミグに殺されかけただろう」

「遺恨はありません。どうぞご遺族を第一になさってください」

「礼を言う。それに怪我人を手当てしてくれたそうだな」


「ツァギールさんが薬草を分けてくれましたので。出来ることをしたまでです」

 樹延は少し頭を下げ、出された白湯をすすった。


「東は、項羽こううという男に幻獣の力を授けようとしている。君はどう思うか」

「……部外者の私に聞かれましても」


「幻獣の力を求める者はいつも、外から来るのだよ。西の村も東の村も、遠い祖先では一つの氏族だった。力を受け継ぐのは、血族以外なのだ。時流がうねる影にはいつも、幻獣たちの存在があったのかもしれないと俺は思う」


「だから蒙恬もうてん将軍のことも受け入れたのですか」


「蒙恬殿は理解のある男だったしな。それに、たとえ激動に翻弄されようと、変わらず森と湖を守り続けるのが俺たち幻獣守で、シャーマンは伝承を継承していく。いつの時代も先祖たちは皆、そうしてきたんだろう」

 頷いて、ツァギールが受ける。


「だが、シャーマンの不慮の死で途絶えちまった口伝がいくつもあるはずだ。特に幻獣に関することはシャーマンにのみ代々受け継がれるからな。不老不死に関する過去の伝承がほとんど残ってないのがいい例で、大事な事ほど早くに忘れ去られるもんだ。だから継承していくには文字と、蒙恬やお前みたいに理解できる外の人間が必要なんだよ」


「項羽も外の人間だ。それに俺たちは李斯りし趙高ちょうこうのことは名前しか知らない。外から来た君の意見を聞かせてほしい」


 それに、トノウにはもう樹延を部外者とは思えなくなっていたが、口にしては逆効果な気がした。


「項羽には常人ならざる気骨が備わっています。トノウさんも感じられたのではありませんか」

「そうだな」


「今のしんは……、いえ、李斯と趙高は、己の理想のために他者を欺き、弱味につけ込み操り、恐怖で支配します。始皇帝の偉業をかすめ取り、栄華の甘い汁を吸うだけの存在です。多くの皇族や優秀な官吏を失ってしまったことでしょう。扶蘇ふそ殿下が継承するはずだった秦はもう、抜け殻になりつつあります」


「巨大な阿房あぼう宮というさなぎから産まれ出たのは、蝶じゃなく蜱蟎ダニだったわけだ」

 ツァギールが鼻で笑う。


「幻獣と西の村を守ろうとした蒙恬もうてん将軍も、村を襲った月門ユエも、どちらも秦に心身を捧げています。私も国というものを信じていました。ですが、オルツィさんを死なせようとし、何の罪もない西の村の人たちの命を奪った今の秦を、どうあっても私は許せない」


 樹延は声を震わせた。この男の体内に激しい感情が荒ぶる様を、トノウは初めて見た。


「李斯と趙高がこれで終わりにするとは思えません。武力で対抗するしかないとあらば、項羽に託すのが最善と考えます」

 祖国を討つと言ったのだ。トノウは黙って目を伏せた。


 樹延は、代々秦王家に仕える家系のはずだ。己に通う血をすべて抜き取り捨てると言ったも同然だろう。

 もとより、東の村に対しトノウが断れる話ではない。心は決まった。

 だが、ツァギールが遮る。


「俺は反対だ。失敗すれば、また代償が必要になる」

「失敗するとは限らないだろう」

「誰が代償に選ばれるか分からないんだ。そんな危険を冒してまで力をくれてやる必要はない」

 トノウが黙ると、代わりに樹延が口を開いた。


「不老不死の力を得るには失敗することがあると聞きました。二年前、蒙恬もうてん将軍はうまくいかなかったのですね。そして何らかの代償を払った。これは私の憶測にすぎませんが、不老不死と等価の代償は、避けられない死と考えらえます。二年前に代償となり亡くなったのは、オルツィさんの行方不明の父上なのではありませんか」


 ツァギールと目を合わせると「俺は喋ってない」と肩をすくめた。


「さすがだな。失敗したら、西と東からそれぞれ、森が選んだ男女一人ずつの命を捧げる。それが代償だ」


「森が選ぶ……? だから誰が代償になるかわからないと」

「そうだ。蒙恬殿の時は、オルツィの父親と東の先代シャーマンだった」


「なるほど。犠牲者を出してしまったことで蒙恬将軍は、不老不死を広めてはならないと考えた。しかし真実を話したところで、始皇帝が諦めるはずがありません。軍勢を向かわせてでも手に入れようとするでしょう。だから不老不死の幻獣の血と偽り、大鹿の血を届けていたのですね」


「そうだ」

 村人の命という代償を払わせてしまったことを、蒙恬はずっと悔いていた。樹延ならば、自分と同じ過ちは繰り返さないと信じたのだろう。


「私は不老不死を手に入れようとは思いませんが、二年前と今では情勢が違います。彼らはまた来ます」

 ツァギールも反論せず、神妙な顔で樹延の言葉を聞いている。


「ミグさんがどこまで調べて情報を流していたか分かりませんが、李斯りし趙高ちょうこうは、次は村人を皆殺しにし、不老不死を奪うつもりで来るかもしれません」


「内にこもっていては村を守れないわけだな。ミグと桃花タオファの婚姻が叶わなくなり、東はすぐに他の誰かを結婚させてでも、項羽こううに力を与えようとしている」

「愛情がなくても、誰でもいいのですか?」


 ツァギールが答える。

「いいや、睦み合う二体と夫婦には親和性があるだろ。やっぱり幻獣が夫婦と認めなきゃ現れないんだろうよ」


「確かに。それに好き同士でもない男女を無理やり夫婦にするというのは……あ」

 言葉を止めた樹延に、二人は視線を送る。


「なんだ?」

「いえ、余計なことでした」

「気になるじゃねえか。心当たりがいるんだろ。誰と誰だよ?」

「本人の承諾を得てませんし」


「今はそんな悠長なこと言ってる場合じゃねえだろ。誰だ?」

「シャーマンなのに下世話な人ですね」

「みんな大好きな恋占いもシャーマンの役割だ。言えよ」


「……サムラさんです。先日東の村へ招かれた時に、一晩過ごした女人と、その、七回もしたそうで。そんなことは初めてで、互いに運命を感じて結婚を約束したとか」


「七回!?」

 思わず声を上げてしまったのはトノウで、ツァギールがぶっと吹き出す。


「そうか、そいつは確かにすげえわな。けど回数がすべてじゃねえしな。あいつと比べる必要はねえぜ」

「分かってますよ」

 ツァギールに肩をぽんとされ、憮然と答える樹延。


「妹は、脱ぐとまあまあだな。さっさと押し倒せ」

「なっ! 何を言うんですか」

 耳打ちされ、兄を睨みつけた。


 トノウは眉間を揉んで、ふうっと息を吐く。

「サムラと話をせねばならんな。明日、お前たちも一緒に来てくれ」

 ツァギールは鷹揚に、樹延は眉間に力を入れて頷いたのだった。

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