5 裏表

 東の村では、シャーマンは代々女人なのだという。

虞姫ぐき殿……ではないですね」


 艶のある真っすぐな黒髪。長い睫毛に、切れ長で黒目が大きな瞳。そして手足が長く、飾り気のない粗末な衣でも男の目を奪う体つき。東の村で会った虞姫によく似ている。


「妹に会ったのか。私は姉の虞妍ぐやんだ。入れ」

 声の響きまで瓜二つの姉妹だが、話し方は全く違う。


 人里離れた浮島で一人、幻獣と生涯を共にすると決意するには、勇気がいる若さと美しさだと思った。不特定多数の男が頻繁に通っていると噂が立っても無理はない。


 ユルトの中は西とは違っていて、動物の骨ではなく、水を張った様々な大きさの盥や盆、鏡が並んでいる。どれも銀や青銅で作られていて、細やかな装飾が目を引く。

 壁の装飾模様もなく、幾重もの白い垂れ布に覆われたユルトは、奥行きが見えない。


樹延ジュエンと申します。ミグさんの死について、試しの水儀を受けました」

「シャーマンから聞いている」


「では率直に申します。ミグさんの死には、親密な関係の女人が関与しています。事に及んだ後、ほうの合わせを逆に着せたことからも、下手人はひどく動揺していたようです。オルツィさんとあなたの他に、この島に女人がいませんか」


「いない」

「舟がついていたのを確認していますから、嵐の前からどなたか来ていたはずです。桃花タオファさんですね」


 オルツィは固唾を飲み、ツァギールはギラギラした目で次の言葉を待っている。


「根拠があるのか」

「桃花さんとミグさん。エルドィン祭で出会った二人は、婚約していたのではありませんか。私が東の村でお会いした時、桃花さんは茜色の美しい首飾りをしていました。ミグさんが贈ったのでしょう」

 背後でオルツィが小さく息を飲む。


「西と東の婚姻は、双方の村長とシャーマンが許諾しなければならない、特別なものですね。村と村の婚姻である以上に、不老不死をもたらすからです」


「待て。なぜよそ者が知っている。お前が話したのか」

 虞妍に詰められるが、ツァギールはどこ吹く風で言い返す。


「そいつが勝手に書物を読んだんだよ」

「書物だと? 文字に起こしたのか⁈」

「いちいち覚えてらんねえからな」


「愚かな。こうして流出するではないか。危機を招くと思わんのか」

「危機ねぇ」

 ツァギールは肩をすくめただけだった。


「話を戻します。西と東の婚姻の儀式はオリホン島で行う。そして島に二人きり残された夫婦が契りを結ぶ時、蒼き狼≪エジン≫と白い牝鹿≪ブフ・ノイオン≫が共に現れ、望む者へと不老不死の力を授ける。だから西と東の出会いの場としてエルドィン祭は古くから催されていました」

「そうだったの……」


 幻獣守のオルツィですら知らなかったようだ。シャーマンだけに口伝で継承されてきたのだろう。


「東の村で、私は虞姫殿から項羽こううへ加勢を求められました。それはしんに対抗するためだけではなかった。婚姻を望んでいるのは東と桃花さんだけで、恐らくミグさんは、トノウさんに話してもいなかったからです」

 樹延は横目にオルツィの姿を視界に入れた。

 

「オルツィさんを愛し始めてしまったミグさんは、結婚に迷いを抱いた。離れていく彼の心に、東の村も桃花さんも焦ったでしょう。会って話をしたくても、避けられていたのかもしれません」


 オルツィの表情は動かない。樹延は前へと視線を戻した。


「青い霧が出た夜、オリホン島に行けば必ずミグさんに会えると思い、桃花さんもやって来た。そして嵐が去った朝、ミグさんの中に、もはや自分がいないことを思い知らされたのではないでしょうか」


「あの男には他にも女がいたはずだ」

「使われたのは鴆鳥ちんちょうの毒でした。触れただけで麻痺し、呼吸を奪う即効性のある猛毒だそうですね。そんな危険な物を取り扱える人はごく限られています。桃花さんは一体どうやって手に入れたのでしょう」


 一呼吸置く。そして樹延が放った声には、確かな怒りが現れていた。


は確実にミグさんを殺すつもりだった。なぜ命を奪うまでする必要があったのか、あなたには真相を話す責務がある。試しの水儀を生き延びた者として、断じて私は逃がさない」


 虞妍ぐやんは美貌の顔をぴくりとも動かさなかった。ややあって「桃花、出て来なさい」と低い声で告げる。

 背後の垂れ布が揺れ、髪を結い上げた小柄な女人が姿を現す。


「この男の言う事は合っているか」

「半分だけ。ミグの事を分かっていないのは、この人たちの方だわ」

 答えた桃花の唇は真っ白だった。


「話してやりなさい」

「愛していたの。わたしはずっと待っていたの。他にも女がいるのは知ってたけど、求婚されたのはわたしだけ。なのにわたしを裏切り、西の村のことも裏切ったからよ」


「西の村を裏切ったとは、どういう意味でしょうか」

「彼はね、不老不死を得る方法や二年前に起きた事を調べ上げて、秦の趙高ちょうこうという人に売り渡そうとしていたのよ」


「何だと⁉ 嘘を言うな」

 腰を浮かせたのはツァギールだ。

「ミグがそんなことするはずねえだろ。出まかせだ」


「本当よ。この人のせいなんだから」

 薄笑いを浮かべながら桃花が指さしたのは、樹延だ。


「オルツィをあなたに盗られたと思い、彼は焦ったの。だから趙高の誘いに乗ってしまったのよ」

「ではあの時、湖で襲われたのは」


「不老不死の力を渡せば、秦があなたを殺してくれる。そうやって侵入者を手引きしたのもミグよ。襲われたのはもちろん偶然なんかじゃないわ」


 樹延は唇を噛んだ。桃花とミグ、それぞれの小さな嫉妬が大きな謀略となり、オルツィの命が奪われかけたのだ。

 ほんの少し手を加えただけと、ほくそ笑む趙高の姿が目に浮かぶ。内臓が捻じ切れるような思いだった。


「オルツィさんが東の幻獣守に襲われたのは、あなたの仕業ですか」


「彼、わたしの言う事なら何でも聞くから。わたしはオルツィに死んでほしいって言っただけ。でも失敗したから、次はあなたを奪ってあげようと思って誘惑したのだけど、うまくいかないものね」


 桃花の冷えた薄笑いは、誘惑された時とはあまりに対照的だった。


「あなたさえ来なければ、ミグは死なずに済んだのよ?」

 こいつさえ来なければ。ミグにも同じことを言われた。


「違うわ。樹延さんが来たから、わたしは死なずに済んだのよ。二回もね。あなたがミグに毒を飲ませたんでしょう? ミグが死んだのはあなたのせいよ」


 オルツィが声を震わせる。桃花の瞳がぎらりと光を帯びた。


「あなたに責められるいわれはないわ。わたしの方がずっとミグを愛していたもの! こうするのが村にとっても最善だったのよ。あなたも秦の刺客に襲われたでしょう? ミグがはかったせいよ」


「村のためと言えば許されるとでも思ってるの?」


「あなたに彼を止められた? 西の村は彼の裏切りを疑いもしなかったじゃない。私だって彼を愛さなければ、殺すこともなかったわ。ミグだって同じよ。あなたを好きになりさえしなければ、あんなこと……!」


「勝手に同じにしないで」

 低い声でオルツィが遮る。


「ミグは女癖は悪かったけど、殺されなきゃならないほど悪い人じゃなかった。誤った選択をしたかもしれないけど、あなたみたいに人の気持ちを利用なんてしなかったわ」


 そうだ、ミグは正面から殴りつけてくる男だった。

「だから彼を思うなら一生かけて償って。わたしもミグとあなたを忘れない」


 桃花が精一杯睨む。オルツィは睨み返すではなく、ただ静かに目線を合わせるだけだった。しばらくそうしていたが、ふと呟く。


「嵐が去った朝、最後に抱いてほしいって、桃花タオファさんから頼んだんでしょう? ミグは断らないわよね。求められれば誰にでも応じる男で、好きになった女の方が負け。そんな人なのに、どうして嫌いになれないのかしらね。わたしもそうだったわ」


 ツァギールが虞妍ぐやんを指さす。

鴆鳥ちんちょうの毒を用意したのはあんただろ」

「ほう。お前も抽出に成功したのか」

 虞妍の表情が初めて動いた。


「抽出にもそれなりの器具なんかが必要だからな。解毒薬がない毒を使うとか、性格悪すぎだろ」

「お前に性格をとやかく言われる筋合いはない。村を守るためだ」


「大義があれば人を殺しても許されるのか? あんたは『村のため』ときれいな言葉を使い、桃花の感情を利用して手を汚させたんだ。してることは趙高ちょうこうと変わらねえな」


 二人のシャーマンの間で、隠そうともしない敵意がぶつかり合う。


「秦からの侵入者は、死んだあの二人だけと思うか?」

 虞妍が瞳をすっと細める。


 その意味を少し考えて、樹延とツァギールは同時にユルトの外へ飛び出す。

 湖の向こう、西の村の方角に真っ黒い煙が上がっていた。

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